episode30 : 不浄の災域
地下施設は、祈りの匂いがした。
血と消毒薬。
甘ったるい香油。
それらが混ざり合い、鼻腔の奥にまとわりつく。
白い壁には、アルコーンの紋章。
天井から垂れ下がる無数の管が、心臓の鼓動のように、規則正しく脈打っていた。
その中央に――
**“それら”**が、いた。
「……っ」
ロックは、息を呑んだ。
子どもだったもの。
否――子どもであったはずのもの。
細い四肢は異様に引き伸ばされ、
皮膚は白濁し、ところどころが結晶のように硬化している。
眼球は裂け、複眼のように分裂し、
口は祈る形のまま、無理やり開かれていた。
祈りと悲鳴が、同時に凍りついた顔。
「……やだ……」
シャルトリューズの声が、震える。
「あの子……リョウ……」
「マイカも……」
名前を呼ばれた瞬間。
“それ”が、反応した。
喉の奥から絞り出される、
甲高い鳴き声。
喜びでも、苦痛でもない。
意味を失った音。
「……成功ですね」
イグナは、
その光景を前に、心から満足そうに微笑んだ。
「ラウネルグレース、適合率は良好」
「セラフィム様の祝福は、確かに“次”を開きました」
「ふざけるな……!」
ロックが、一歩踏み出す。
だが、その瞬間――
「――止まってください」
静かな声が、空気を切った。
エレノアだった。
シャルトリューズを拘束したまま、
彼女は、イグナのすぐ隣に立っている。
瞳は虚ろ。
焦点が合っていない。
「……エレノア!」
ロックの叫び。
その声に、
彼女の指が――ほんの一瞬、震えた。
「……来ないで……」
かすれた声。
「来たら……壊れてしまう……」
その言葉が終わるより早く、
子どもたちが、一斉に動いた。
――獣じみた速度。
「接触するな!」
「知覚反応、完全に敵性化しています!」
モルトの警告が飛ぶ。
リリスが銃を構える。
だが――
引き金は、引けなかった。
「あれは……子どもだぞ……!」
叫びは、空間に吸い込まれて消えた。
異形の腕が振るわれ、
床が抉れ、破片が舞う。
「ロック!」
ロックは、ナイフを抜いたまま――動けなかった。
拘束系プラスミド。
発動すれば、動きは止められる。
だが、それは――
“優しく抑える”力じゃない。
拘束とは、圧迫だ。
締め上げ、絡め取り、動きを奪う暴力。
相手が大人の犯罪者なら、迷いはない。
だが――
目が合った。
複眼の奥。
歪んだ膜の向こうに、
かつてのリョウの面影が、かすかに残っている。
――助けて。
そんな言葉が、
幻聴のように胸を刺した。
「ロック、指示を!」
モルトの声。
時間が、凍りつく。
「……俺がやる」
ロックは、歯を食いしばった。
「拘束、最大出力」
「……でも、殺さない」
自分に言い聞かせるように。
プラスミドが展開する。
影のような拘束具が、
異形の子どもたちの四肢に絡みついた。
「――ギィィィッ!」
悲鳴。
それは、はっきりとした痛みの声だった。
締め付けられ、
関節が軋み、
異形の身体が激しく痙攣する。
「やめて!」
「ロック、やめてぇ!」
シャルトリューズの叫び。
ロックの視界が、滲む。
「……ごめん」
それでも、止めなかった。
止めれば――
ここで、全員が死ぬ。
「……っ、エレノア……!」
その時。
「……いや……」
エレノアの唇が、微かに動いた。
「……やめて……」
拘束された子どもを見つめ、
彼女の呼吸が、乱れる。
白い部屋。
消毒薬の匂い。
「失敗作」という声。
過去が、現在に反転する。
「……私は……」
膝が、崩れ落ちた。
「操り人形じゃ……ない……!」
拘束が、一瞬、緩む。
その隙を縫うように、
イグナが、静かに拍手を打った。
「素晴らしい」
「感情刺激による揺らぎ――理想的です」
愉悦に満ちた声。
「さあ、第七分室」
「役者は揃いました」
両手を広げ、告げる。
「――実験、第二段階を開始しましょう」
ロックは、理解した。
ここはもう、
救えなかった過去を悔やむ場所じゃない。
救えない現実を、選び続けるための地獄だ。




