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episode29 : 救済の檻、ちぎれた糸

エレノア=ヴェイルは、

夢を見ない。


正確には――

夢を見ることを、許されていない。


目を閉じれば、そこに現れるのは決まって同じ光景だった。


白い廊下。

消毒薬の匂い。

足音を殺すように敷かれた床。


そして、番号。


――被験体。


名前ではなく、

呼ばれるのはいつも、それだった。


「……大丈夫だよ、エレノア」


小さな手が、指を握る。


隣にいたのは、瞳の綺麗な名も無き少女。


同じように檻に入れられ、

同じように毎日注射を打たれ、

同じ“誰かになる練習”を強いられた少女。


「今日は、痛くなかったね」


「うん……昨日より、ちょっとだけ」


二人は姉妹のようだった。

血は繋がっていない。

だが、ここではそれが唯一の家族だった。


孤児院という名の施設。

アルコーンの保護下。

救済を謳いながら、

子どもたちの人格と肉体を削る場所。


夜になると、二人は囁き合った。


「ねえ」


「なあに?」


「私たち……外に出たら、何する?」


「私は海を見たい」

「それに空って、青いんだって

貴女は何をしたいの?」


少し考えて、少女は答えた。


「……名前を、ちゃんと呼ばれたい」


それは、あまりにも小さな願いだった。


――そして、ある日。


施設が、壊れた。


最初は、警報。

次に、悲鳴。

そして――笑い声。


「……なんの騒ぎだろう?」


廊下に転がる、白衣の大人たち。

壁に叩きつけられた、赤。

すると、


「……にげて」


少女が言った。


その声は、震えていた。


「ここにいたら、だめ」


何かが、壊れる音がした。

人の形をした“何か”が、廊下を埋め尽くす。


エレノアは、ただ走った。

転んで、立ち上がって、泣きながら。


背後で、すべてが終わっていく。


――振り返らなかった。


振り返ることは、できなかった。


崩れた裏門。

霧の街。

そして――


「……大丈夫だ。もう、終わった」


重力が、優しく身体を包んだ。


カルマ=ジン。


その手は、

この世界で初めて――

“被験体”ではなく、“人”として触れてきた。


「君の名前は?」


震える声で、答えた。


「……エレノアです」


それが、彼女の“始まり”だった。


――だが、終わってなどいなかった。


⸻ 現在


地下へと続く階段は、ひどく静かだった。


足音が、やけに大きく響く。


「……本当に、ここなの?」


シャルトリューズが、小さく尋ねる。


「えぇ」


エレノアは、迷いなく答えた。


「間違いありません」


鉄扉が開く。


そこにあったのは――礼拝堂だった。


整然と並ぶ子どもたち。

祈るように伏せられた頭。


そして、中央に立つ白衣の女。


「……イグナ、さん?」


シャルの声が、かすれる。


イグナ=アストレイアは、微笑んだ。


「久しぶりですね、シャルトリューズ」

「あなたが来てくれて、助かりました」


「……どういう、ことですか」


答えたのは、エレノアだった。


「シャル」


その声は、あまりにも穏やかで。


次の瞬間――

拘束が、走る。


見えない鎖。

関節を固定する精密な力。


「……エレノア!?」


「動かないでください」


淡々とした声。


「あなたを、傷つけないためです」


シャルの目に、困惑が広がる。


「なに、言って……」


エレノアの視界が、歪む。


白い天井。

祈りの声。

検査台。


――フラッシュバック。


「恐怖は、よく刷り込まれていますね」


イグナの声が、重なる。


「催眠は、すでに完成している」

「あなたは、正しく“反応”しているだけ」


エレノアは、歯を食いしばる。


だが、身体は動かない。

思考が、命令に従ってしまう。


――操り人形。


「さて」


イグナは、振り返った。


「役者は、揃いました」


その瞬間。


地下施設の扉が、破壊される。


「――やめろ!!」


ロックだった。

リリス、モルト、カルマ。


第七分室。


「……遅かったですね」


イグナは、愉しげに言う。


「実験を、始めましょう」


子どもたちが、立ち上がる。


注射器。

移植装置。


「神経触手ネウラル・グレース──

「セラフィム様からの、祝福です」


ひとり、またひとり。


悲鳴が、歪む。


骨が軋み、

肉が盛り上がり、

“人”であった形が、壊れていく。


「……そんな……」


シャルの声が、崩れる。


その中で。


ロックは、気づいた。


「……リョウ」


少年が、こちらを見ていた。


「……おじ、さん……?」


縋るような声。


次の瞬間、

体が裂ける。


咆哮。

異形。


それでも、目だけは――

最後まで、ロックを捉えていた。


「リョウ!!」


続いて。


「……シャル……」


マイカだった。


涙を流しながら、笑おうとして。


だが、口は歪み、

声は、もう人のものではない。


「……ねえ……」


返事は、できなかった。


すべてが、変わった。


「ほら」


イグナの声。


「あなた方が“救った”子どもたちですよ」


沈黙。


否定できる言葉は、

どこにもなかった。


エレノアは、震えながら立っていた。


自分の手で、

この場を完成させてしまったという現実。


「……やめて……」


その呟きは、

誰にも届かなかった。

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