表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/36

episode28 : 帰還する檻

第七分室の空気は、

どこか湿っていた。


黒霧街の霧が、壁の内側にまで染み込んだかのようだ。

安物の照明が低く唸り、明滅もせずに白い光を落としている。


クラリスから持ち帰った情報は、

端末の中で無機質に並んでいた。


孤児院。

アルコーン。

イグナ。


それぞれが、切り離せない一本の線として結ばれている。


「……そんな、はず……」


シャルトリューズの声は、かすかに震えていた。


「イグナさんは……」

「優しかった。子どもたちにも……」


言葉は、途中で途切れる。

続けようとすれば、何かが壊れてしまうのを、本能で察しているかのように。


優しさと、罪。

救いと、搾取。


その二つが同時に成立するという現実を、

シャルはまだ受け入れきれずにいた。


モルトは壁に背を預け、腕を組む。


「“優しい顔”ほど、疑えません」

「とくに……子どもを相手にする場合は」


感情を挟まない声音。

だが、その言葉の奥には、否定しがたい苦さが滲んでいた。


ロックは黙ったまま、資料を見つめている。


写真に映る、孤児たちの笑顔。

清潔な施設。

整えられた寝室。


――救いの形をした檻。


「……行くべきだ」


シャルが、顔を上げた。


「まだ、何も起きてないかもしれない」

「子どもたちが……今も、あそこにいるなら……!」


「待て」


ロックが声をかけるより早く、

シャルは立ち上がっていた。


「待ってられない!」


それだけを残し、

シャルは第七分室を飛び出していく。


「……っ、シャル!」


ロックが追おうとした、その瞬間。


「私が行く」


静かな声が、空気を切った。


エレノアだった。


「彼女一人じゃ、危ないもの」

「私が……連れ戻します」


その瞳は落ち着いていた。

理性的で、冷静で、いつもの彼女と何一つ変わらない。


――誰も、その奥に潜む“揺らぎ”に気づけなかった。


「エレノア、頼む」


ロックは、そう言ってしまった。


それが、取り返しのつかない一言になるとは知らずに。


──数十分後。


「……戻りませんね」


モルトが、腕を組み直す。


通信は繋がらない。

位置情報も、途中で途切れている。


「……嫌な予感がする」


ロックが、低く言った。


その時だった。


扉が乱暴に開く。


「ロック!」


カルマ=ジンが、息を詰めたまま立っていた。

その表情は、明らかに切迫している。


「エレノアが……シャルトリューズを連れて、消えた」


室内の空気が、凍りつく。


「……連れて?」


ロックの声が、沈んだ。


「監視網に引っかかったのは一瞬だけだ」

「進行方向は――黒霧街、外縁部」


カルマは拳を握りしめる。


「……孤児院だ」


誰も、否定できなかった。


シャルの焦り。

エレノアの“過去”。

そして、イグナ。


すべてが、

一点へと収束していく。


「俺が行く」


ロックが即座に言う。


「待て」


カルマが制した。


「これはPCPD案件だ」

「だが……相手はアルコーン」

「表立って動けば、子どもたちが消される」


一拍。


「……私が責任を取る」


静かだが、重い言葉だった。


ロックは無言で頷き、


「必ず、連れ帰る」


カルマは、短く息を吐く。


「――エレノアは、敵じゃない」


その言葉に、

ロックは一瞬だけ目を伏せた。


「……わかってます」


ただ――


彼女自身が、

それを証明できるかどうかは、まだわからなかった。


──その頃。


霧の中を歩く、二つの影。


「……本当に、ここなの?」


シャルが、不安を隠しきれずに尋ねる。


「えぇ」


エレノアは微笑む。


「大丈夫です」

「子どもたちは……待っていますから」


その声は、優しい。

理性的で、穏やかで――いつものエレノアそのもの。


だが。


その足取りは、

かつて命からがら逃げ出した場所へ向かう者のものだった。


遠くで、鐘の音が鳴る。


霧の奥から、

孤児院のシルエットが、静かに浮かび上がる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ