Episode 22:女帝の刃、鏡を裂くとき
──ワタシは、ずっと羨んでばかりだった。
誰かの声が、眩しかった。
誰かの才能が、憎らしかった。
誰かの笑顔が、太陽みたいで──
うるさくて、息が詰まりそうで、どうしようもなかった。
だから、奪った。
声を。
顔を。
体温を。
その人が立っていた“居場所”ごと。
ワタシの能力は
《虚像共鳴〈ミメーシス〉》。
殺せば、その人になれる。
簡単で、確実で、完璧な方法。
……の、はずだった。
でも、どうしても真似できないものがある。
その人が、その人である理由。
癖。沈黙。怒り。
たったそれだけが、いつまでも奪えない。
だから今宵もまた、
ワタシは“綺麗な誰か”を殺して──
“ワタシじゃない何か”になろうとする。
⸻
黒霧街の一角。
女帝クラリスの私邸。
襖の向こうに、異質な“気配”が忍び寄っていた。
茶色の外套の裾を翻し、ロックが反射的に背へ手を伸ばす。
モルトも半歩下がり、因子の流れを読む。
クラリスだけが、微動だにしない。
「……来るよ」
ロックの呟きは、刃物のように短く、鋭かった。
次の瞬間。
玄関の扉が、
“ギイ……”と嫌な軋みを立てて開く。
現れたのは──
血に塗れた、クラリスの部下。
……だった“何か”。
「おい……!」
ロックとモルトが、同時に踏み出す。
だが。
「離れな、坊や。死神くん」
低く、鋭い一喝。
二人の身体が、条件反射で弾かれた。
直後。
男の手首から、鏡片のような刃が放たれる。
──一閃。
空気を裂く音すら遅れて届く、静謐な殺意。
「……よく見破りましたねぇ、クラリス様ぁ」
くぐもった声。
次の瞬間、
男の皮膚が、べり、と剥がれ落ちる。
筋肉が。
骨格が。
顔の輪郭が。
紙細工のように崩れ──
そこに現れたのは、ひとりの少女だった。
背を丸め、片目を長い髪で隠し、
ねじれた笑みを浮かべた存在。
──七罪の使徒《嫉妬》。
ミラー=エーヴァレット。
「あら……完璧に、なりきったつもりだったのに。変ね?」
軽い調子。
だが、その目は壊れている。
「甘いね」
クラリスの声は、底冷えするほど低かった。
「あたしを騙すには──百年早い」
「で?」
視線が、鋭くミラーを貫く。
「その男。どうしたんだい?」
微笑の奥で、怒りが沈殿していた。
ミラーは喉を鳴らし、楽しげに囁く。
「殺したわ。“綺麗な目”をしてたの。
だから……羨ましくて、憎らしくて……ね?」
焦点の合わない瞳。
壊れかけた人形のような笑顔。
クラリスは、ゆっくりと息を吐いた。
そして、ロックとモルトにだけ向けて言う。
「……悪いね。こいつはあたしがやる」
「部下の弔いだ。
借りは、自分で返す主義でさ」
立ち上がった女帝が、背後の架台に手を伸ばす。
取ったのは、一振りの刀。
──《紅椿》。
朱塗りの鞘。
愛した花の名を冠する、血と炎の業物。
「さあ、小娘」
鞘鳴りが、低く響いた。
「あたしの街に、タダで喧嘩売ったツケ──
きっちり、払ってもらうよ」
その眼差しに、迷いはない。
修羅場を越えてきた者だけが放つ、本物の殺気。
仮面も。
虚像も。
慈悲すらも──不要。
「女王さま、こわいこわい。でも……ふふ」
ミラーの笑みが、歪む。
次の瞬間。
彼女の姿が──クラリスそのものへと変わった。
瞳も。
声も。
仕草も。
完璧な模倣。
「どう? あたし、なかなかやるでしょ?」
クラリスは答えない。
ただ一歩、前へ。
ゆるやかに《紅椿》を抜く。
刀身が、紫煙の中で静かに煌めいた。
「──ガキが」
低く、短く。
「調子に乗るんじゃないよ」
刹那。
空気が、断ち割られた。
それは単なる斬撃ではない。
意志そのものを刃に乗せた、“神速”。
ミラーの“クラリス”は反射的に跳び退く。
だが──
頬を掠めた風圧だけで、
髪の房が、はらりと宙を舞った。
「うそ……!
なりきったはずなのに……!」
「……姿形だけ真似たって」
クラリスの声は、氷のように静かだった。
「あたしの怒りまで、再現できると思うんじゃないよ」
そこにあるのは、技ではない。
積み重ねられた“生”そのもの。
ロックが、思わず零す。
「……あのババア、本気で怒ってやがる。
……下手すりゃ、こっちも斬られるぞ」
モルトは、無言で頷いた。
──今、女帝と使徒が、正面から交錯する。
《紅椿》が閃き、虚構の鏡像を裂く。
鏡の奥に潜む《嫉妬》が、
本性を剥き出しにするのは──
次の刹那。




