Episode 19:神に選ばれし者の系譜
アッパー・リング──
天を穿つ白亜の尖塔。その最奥、《天啓の間》。
月光すら拒む密閉空間を、青白い燭光だけが満たしていた。
揺らめく炎は音もなく、時の流れすら凍りついたかのような静寂が支配している。
その中心。
玉座に腰掛ける、ひとりの男。
白銀の法衣。
膝の上に置かれた黄金の聖典は、開かれたまま──だが、頁は一切めくられない。
それは読むための書ではない。
“神が沈黙している”ことを示す、象徴としての器。
セラフィム。
アルコーン教団を束ねる大司教にして、すべての起点。
「……また一つ、扉が開かれましたね。──フォス」
その声に呼応するように、玉座の下で影が身を震わせる。
膝をつくのは、フォス=デルマール。
胸を深く抉られ、焼け焦げた法衣。
蒼白い焔が、かろうじてその肉体を包み込んでいた。
「……申し訳、ありません……。
聖堂を……穢してしまいました……」
掠れた謝罪。
だが、セラフィムは眉ひとつ動かさない。
「構いません」
穏やかな声。
それは慈悲にも、許しにも聞こえた。
「敗北こそが、試練の証。
神の道には、千の灰が撒かれるべきなのです」
その言葉に、フォスの唇がわずかに歪む。
痛みの奥で灯る、殉教者の微笑。
「……あの少女は……やはり、“神の種子”を……」
「ええ」
セラフィムは静かに頷く。
「因子反応は、明確に覚醒へ向かっています。
“洗礼”の閾値も──まもなく、越えるでしょう」
その瞳に宿る光は、聖性とは程遠い。
果てしなく澄み切った、狂信の輝きだった。
──
セラフィムの肉体は、もはや「人」と呼べるものではない。
白磁のような皮膚の下を、青白い神経管が脈動する。
背部には翼を思わせる構造体が折り畳まれ、繊毛状の触手がゆるやかに蠢いていた。
超常因子の結晶体。
神経触手。
「私のプラスミド──
《受胎遺伝〈ジェネシス=コード〉》は、神の因子を体内で合成し、“受胎”という形で他者に宿す力です」
神の名を冠した異能。
フォスは、その姿を前に、深く頭を垂れる。
「“神の子”の器として最も適しているのは、無垢なる魂。
因子を持たぬ、純粋な子ども──
それこそが、最も神に近い存在なのです」
“洗礼”。
それは祈りではない。
神の因子による、強制変異。
魂を焼き、
肉体を変質させ、
理性を削ぎ落とす──神格化の工程。
「……ロウアー・リング、《聖堂跡》から回収された子どもたちは……
すべて、因子反応を喪失していました」
「問題ありません」
セラフィムは即答した。
懐から取り出された、一枚の写真。
そこに写るのは──白髪の少女。
シャルトリューズ。
「彼らは“灰”として役立つ。
火は、灰の中からこそ蘇る」
静かな指先が、少女の顔をなぞる。
「私はもう一度、“選別”をやり直すだけです」
「……どちらに転ぶのか。
それもまた、神の御意志……」
──
アストリア大聖堂・円卓室。
白金の円卓を囲む、アルコーン上層幹部たち。
「セラフィム様。第七分室の動きが活発化しています。
このままでは、“聖印計画”に支障が……」
「早期排除を。
“器”に接触されれば、計画そのものが瓦解します」
緊張を孕んだ声が交錯する。
だが、玉座に座す大司教は、微笑を崩さない。
「問題ありません」
静かに、断言する。
「彼らもまた、“揺らぎ”をもたらす装置なのです」
「……揺らぎ、ですか?」
「絶対たる神は、未完成でなければならない。
混沌と秩序、その狭間にこそ“選民”は生まれます」
視線が、円卓をなぞる。
「“異物”があるからこそ、私の焔は“真なる選別”を果たせる」
会議は、粛々と終わりを迎える。
席を立つ幹部たちの中で──ただ一人。
【七罪の使徒《色欲》】
ドミナ=ヴェルヴェットだけが、足を止めた。
艶やかな唇が、誰にも届かぬ声で囁く。
(……あなたの語る“神”が、本当に神であれば、の話だけど)
──
夜。アストリア大聖堂、尖塔の頂。
セラフィムは独り、眼下の都市を見下ろしていた。
罪と欲望が渦巻く、ネオ=アクアリウムの光。
その掌に浮かぶのは、新たに生成された蒼き因子結晶──
改良型。
「──間もなく、“真なる神子”が生まれる」
それは祈りではない。
焔を孕んだ、静かな呪詛。
「魂は焔に焼かれ、
肉体は因子に刻まれ、
理性は光となって還る」
そして、名を呼ぶ。
「来なさい──神の種子シャルトリューズ。
お前の《聖印》こそが、この世界を照らす“真の光”となるのです」
その瞬間。
塔の上空に、蒼白い焔が広がった。
天に浮かぶ、燃えさしの神の光。
それは祝福ではない。
次なる黙示録の──確かな前兆だった。




