Episode 18:偽典の焔、禍つる刃 1/2
アッパー・リング──地下水路。
巨大都市《ネオ=アクアリウム》の背骨を成すその水路網は、時代ごとの修築と廃棄が積層し、まるで都市そのものが腐敗しながら生きているかのようだった。
誰も正確な地図を持たず、行政ですら把握しきれていないその迷宮の最奥。
そこに、“地下聖堂”は沈黙のうちに口を開けていた。
「この辺りで、間違いありません」
リリスが端末を覗き込みながら、小声で告げる。
画面には、ジャックから受け取った座標と、それに一致するプラスミド波形──
タグド特有の因子振動が、ほのかに脈を刻んでいた。
その中心に立つシャルトリューズの肩が、淡く光を放つ。
《聖印》──
彼女の内側に刻まれたその印が、扉の奥に潜む“何か”と共鳴していた。
「気を抜くな。あいつらは、“信仰”って名前の狂気に命張ってやがる」
ロックが低く吐き捨て、外套の下から一振りのナイフを引き抜く。
その刃に迷いも、容赦も、必要なかった。
青銅の扉へと、手がかかる。
ギィ、と軋む音と共に、冷たい空気が頬を撫でた。
その先に続くのは、石造りの回廊。壁には異様な祈祷文が刻まれ、血のような深紅の絵具で塗り潰された聖画が空間を包んでいる。
鉄錆と腐臭、そして──何より異質な“熱”。
これは、祈りの残り火などではない。
信仰の名のもとに生まれ、なお燃え続ける狂気の焔。
沈黙の中、カツン、と足音が一つ。
現れたのは──白磁の仮面を被った兵士たち。
アルコーンの戦闘奉仕官《無声者》が、静かに列を成していた。
「……侵入者、確認。処分優先──上位対象──」
機械のような声が言葉を紡ぎ切る前に、ロックが踏み出した。
「邪魔だァッ!!」
──一撃。喉元を狙い、白刃が一体を沈める。
──跳躍。壁際の兵士を掴み、石壁へと叩きつける。
──振り抜いた刃が、第三の兵士の胸甲を裂いた。
「……敵性反応、まだ複数。うち三体はタグドの波形。感応系統──補助型と推定」
モルトが淡々と分析を口にし、そのままリリスに視線を投げる。
「了解、援護に入る」
リリスが指を鳴らすと、空間がゆっくりと濃霧に包まれていく。
視界も音も──霧の帳《ヴェール=オブ=ミスト》によって封じられた。
霧の中、ロックが前線で拘束を展開。
「抑止!」
見えざる鎖が空間に走り、無声者たちの四肢を縛り付ける。
瞬時にバランスを崩し、動きが止まったその隙に──
「目標確保、麻酔散布」
モルトの狙撃が精密に決まり、残る仮面兵たちが次々と崩れ落ちていく。
──わずか数十秒。
無声者たちは全滅し、空間に残るのは焔の匂いと、無音の静寂だけだった。
* * *
回廊の奥──聖堂の中心部へ。
そこは、歪んだ信仰の終着点だった。
石畳の床には、祈祷文様を模した紋章が幾重にも刻まれ、天井から吊るされた灯火は青白く瞬いている。
一行が踏み込んだその瞬間──
「……ッ」
シャルトリューズが小さく呻き、膝をつく。
その肩の《聖印》が、さらに強く脈打ち、光を放ち始めた。
「……この感じ……さっきよりも……はっきりしてる。なにかが……」
シャルの言葉と同時に、床を走るように紋章が光を帯びる。
直線が絡み、円を描き、やがて空間全体を覆うように“結界”が形成されていく。
──そして、現れた。
「おお……やっとお出ましか。“第七分室《駄犬》”の皆々様」
声と共に、祭壇の奥から黒き法衣の男が歩み出る。
その全身を、青白い焔が包んでいた。
焔はその歩みに応じて床を焼き、火紋を刻んでいく。
手に携えたのは、祈りを象ったかのような波打つ刀身の大剣。
しかしその光景に、聖性はなかった。
ロックは、男の顔を見た瞬間に名を呟いた。
「……フォス=デルマール……!」
その瞳には信仰に焼き尽くされた色しかなかった。
「おやおや。名を覚えていてくれたとは……嬉しいねぇ。
人は、過ちを忘れるものなのに」
狂信者の笑みを浮かべ、フォスは大剣を構える。
その焔は、外見こそ神聖だ。
だが実際には、“異端”を焼き尽くすためだけに存在する焔。
「さてさて……この焔は、“偽り”を焼き払う。
お前たちが“正しき者”か否か──
神の名において、試させてもらおうか」