Episode 17:導かれし聖印《ホーリー・インシグニア》
──静かな電子音が、モニターの画面に規則正しく脈を刻んでいた。
ここは、PCPD第七分室の医療管理室。
冷たい青白の照明が、無機質な静寂を照らしている。
ベッドに横たわるのは、シャルトリューズ。
その傍らで、白衣の女性が無言でモニターを注視していた。
エレノア=ヴェイル──第七分室の臨床監察官。
眉間に、わずかな皺が刻まれている。
「脈拍、正常。呼吸も安定しています……ただ、脳波に微弱な異常反応が出ています。けれど、これは……」
言葉を切るエレノアに、シャルが小さな声で尋ねた。
「……わたし、変になったんですか?」
エレノアは目を伏せ、ゆっくりと首を振った。
「違うわ。ただ、これは通常の因子反応とは異なる。もっと根本的な、“何か”が反応している。強い共鳴……あるいは、それ以上の……」
彼女の視線が、シャルの左肩に移る。
そこには、淡く輝く痣が浮かんでいた。
輪郭の曖昧な円環。その内側には、放射状に並んだ点──
まるで、見る者を見返す「眼」のような異形の紋章。
「……シャル、それ、痛むか?」
低く落ち着いた声が、扉の向こうから届く。ロックだ。
「……ううん。痛くはないの。でも……夢の中で声がするの。深い、深い場所から。誰かが、ずっと──呼んでるみたいに」
エレノアは端末に指を走らせ、痣の紋様を立体ホログラムとして投影する。
それを見たモルトが、静かに目を細めた。
「……見覚えがあります。“アルコーン”の聖典に記された記号──聖印です」
室内の空気が、一変する。
「アルコーンの……?」
「“感応因子”への極めて高い適性が、この印を顕現させたのかもしれません」
「……また一つ、この子に呪いが増えたってわけか」
ロックが、苦々しげに吐き捨てた。
「教義によれば、“神の器には聖印が刻まれる”という伝承がある。その中核に関わる印の可能性があります」
モルトは別の映像ファイルを再生する。
それは、かつて拘束されたアルコーン信徒の記録だった。
痣が浮かび上がったその瞬間、因子反応は爆発的に膨張し、暴走した。
「つまり……この印は因子の“封印”か、あるいは“起動装置”のようなもの……?」
「可能性はある。ただの痣じゃありません。仮に、彼女の中に“何か”が埋め込まれているとしたら──」
「……わたし、自分の中に何があるのか、わからない。
怖いの……助けて……」
その声に、ロックがシャルの側へと歩み寄った。
そして、そっと目線を合わせる。
「落ち着け。前にも言ったろ。もしまた何かが起きても──俺が守る。
もし中に“何か”がいるとしても、俺がそいつを目覚めさせねぇ」
その言葉に、シャルの肩の震えが、わずかに静まった。
──そのとき。
室内の電話が鳴り響いた。
リリスが即座に受話器を取る。
「第七分室、リリスです。……ご用件は?」
『お? その声は……あのときの新人嬢ちゃんか。覚えてるかい、ジャックだよ』
馴染みのある、軽薄な声。
ロックがすぐさま受話器を引き取る。
「てめぇ、どうやってこの回線を──」
『企業秘密さ。……アルコーンに関するネタが入った。聞きたいか?』
「……いくらだ」
即答。電話越しに、くぐもった笑い声が漏れる。
『やっぱり話が早ぇな。好きだぜ、そういうの』
一転して、声が低くなる。
『今回は金はいらねぇ。その代わり、ある“モノ”を探して欲しい』
「“モノ”……?」
『そっちの検死官が拾った残滓映像──“依頼主は遺物の反応を求めていた”ってくだり、あったろ?』
「……遺物」
『どうやらアルコーンにとって、かなり重要な代物らしい。ただし、詳しい情報は俺も掴めてねぇ。でもな──“あの男”なら知ってるかもしれねぇ』
「……あの男?」
『イージス=マクダネル。情報管理局の局長サマだよ』
リリスがわずかに顔をしかめる。
「……噂なら聞いたことあります。表の顔は清廉潔白、裏ではかなりの……」
『だろ? 遺物の情報、少しでも引き出せたら教えてくれ。それが今回の“交換条件”だ』
沈黙が落ちる。
ロックが仲間たちに目を向ける。
モルトとエレノアは、無言で頷いた。
「……分かった。どこまで掘れるかは分からねぇが、動いてみる」
『助かるぜ。……そんじゃ、こっちの情報も渡しておこうか。“奴ら”が使ってる地下施設──地下聖堂についてだ』
「地下聖堂……?」
『ああ。アストリア大聖堂の真反対、地下水路の奥だ。普通の資料には載ってねぇ。理由は簡単、“子供を使った実験場”だからだよ』
空気が凍りつく。
「……てめぇ、それをどこで聞いた」
『マダム・クラリスからさ。知ってるだろ?』
その名に、室内の空気が揺らぐ。
──黒霧街の女帝。情報と取引の支配者。
マダム・クラリス。
「……まさか、あのババアが絡んでるとはな」
『そういうこった。で、他に聞きたいことは?』
少しの間を置き、モルトが問いかける。
「……ジャックさん。あなたとクラリスさんの関係は?」
『──それは、秘密だ』
飄々とした声音を残し、ジャックは通話を切った。
ロックは受話器をゆっくりと戻し、沈黙のまま目を閉じる。
肩に浮かぶ《聖印》。
アルコーンの教義、遺物、そして地下聖堂──
断片だったはずの線が、静かに一つへと繋がり始めていた。
──導かれるは、運命か、因果か、あるいは。
その“印”が意味するものは、まだ誰にもわからない。