Episode 16:白磁の仮面
ジャックの背が、闇の奥へと沈んでいく。
その輪郭が夜に完全に溶けたとき、ロックは短く息を吐いた。
「行くぞ……ここからが、本番だ」
それは第七分室が、都市の闇の奥底へと足を踏み入れる“合図”だった。
──
ミドル・リング/貨物輸送路跡
“忘れられた倉庫”
「……胸の奥が、ぎゅって……」
シャルトリューズが苦しげに胸元を押さえ、ゆっくりと膝をつく。
「……共鳴反応か。君の因子が、何かに引き寄せられている……?」
モルトが眉をひそめたその刹那。
倉庫の壁際に残された旧型センサーが、不意に赤く点滅し始めた。
誰も触れていない。
それでも機械はまるで意志を宿したかのように、脈打ち、警告を発する。
「……誰かが、待ってやがるな」
ロックがナイフを抜き、前へ出る。
倉庫の中央──
崩れかけた搬送台の上に、ひとつの影が横たわっていた。
拘束具に繋がれた子ども。
痩せ細り、傷だらけで、意識は朦朧。
両腕には無数の注射痕。
ただ、かすかに──生きていた。
「タグドの反応あり。因子は感応系統……極めて不安定です」
モルトの声が空気を震わせたその瞬間、リリスが叫ぶ。
「──待ってください! ……来ます!」
警告。
壁の奥から、這い出るように現れた影──
白磁の仮面。
感情を欠いた、命令だけに従う動作。
アルコーンの狂信が生み出した戦闘奉仕官──
無声者
仮面の兵士が五体。無言で、確かな殺意を放ちながら進み出る。
「その気なら──容赦なく行くぜ!」
ロックが躊躇なく前へ踏み出し、最前の一体にナイフを叩きつける。
だが、鋼の長剣が受け止め、火花を散らした。
即座にリリスが背後へ回り、回し蹴りでけん制する。
「一人ずつ潰す、散開!」
モルトが冷静に敵の動線を分析し、リリスと連携。
ロックは前衛で注意を引きつけ、仮面兵を捌いていく。
無声者たちの動きは機械のように正確。
だが第七分室もまた、異能者たちの集まり。容易には崩れない。
──だが、その均衡は、次の一手で崩れた。
一体の仮面兵が、拘束された子どもにナイフを突きつける。
「……やめてええッ!」
シャルトリューズの悲鳴が響いた瞬間、世界がひずむ。
共鳴。
彼女の因子が、眠る子どもの因子と無意識に繋がる。
超常と超常が、制御不能な精神リンクを形成する。
記憶、感情、痛み──すべてが奔流となって仮面兵の神経を襲った。
「……ッ……!?」
膝をつく仮面兵。呻き声も出せず、体が痙攣する。
それは、人としての苦痛を知らぬはずの存在にとって、“耐えられない情報”だった。
「今だ!」
ロックの蹴りが仮面兵の首に振り下ろされ、意識を断ち切る。
怒号が倉庫に響き渡る。
「てめぇら──誰一人、逃がさねえ!」
だがその瞬間。
ピッ──。
仮面兵の一体が、胸元の装置に指を添える。
「爆薬反応! 自爆装置です!」
モルトの声に、全員が一斉に身を引き締めた。
「くそっ……離れろォッ!!」
ロックがシャルと子どもを抱え、跳躍。
──爆発。
白光。熱風。轟音。
鉄骨がねじれ、壁が吹き飛ぶ。倉庫全体が爆炎に包まれる。
「こちらです! 退路を確保しました!」
記憶の糸を展開し、空間構造を一時変化させたモルトが叫ぶ。
リリスがロックを支え、煙の中を走る。
崩落寸前の外壁を飛び越え、全員がようやく脱出に成功した。
あと数秒の誤差があれば、全滅だった。
──
外の薄明かりの下。
ロックは震えるシャルトリューズと、気を失った子どもを見下ろしていた。
その拳が、かすかに震えていた。
──
第七分室 医療フロア
「検査は終了しました。命に別状はありません。
……ただし、精神的ダメージは甚大です」
淡々と報告を告げるモルト。
ロックは背を向けたまま、無言で耳を傾けていた。
やがて、ゆっくりと振り返る。
「アルコーンが動いている。……間違いねぇ。
だが、奴らはアッパー・リングの支配階層。手を出せば、都市の構造そのものとぶつかることになる」
重苦しい沈黙が落ちた。
モルトが、静かに言葉を落とす。
「……ジャックさんの言葉の通り、今ならまだ手を引けます。
ですが──あなたは、それを望まないでしょう?」
ロックは、ふっと笑った。
そして全員を見渡し、一歩前へ出る。
「覚悟を決めてくれ。次からは、ただの捜査じゃ済まねえ。
敵は、“信仰”を正義とする組織そのものだ」
そして、問いかけた。
「……それでも──やる覚悟はあるか?」
誰も、何も言わなかった。
だが──その沈黙こそが、答えだった。
静かに、夜が明けようとしていた。
その先に待つのは、光か、闇か。
いずれにせよ、第七分室は、もう戻れない場所まで来ていた。