Episode 12:神の代弁者
アッパー・リング──その最奥、天に浮かぶかのように鎮座する白亜の巨塔。
アストリア大聖堂。
幾重にも重なった尖塔は雲を突き、黄金の装飾は聖歌の譜面のように流麗で、どこか機械的な整合美を宿す。
だがその“整いすぎた美”は、見る者に畏怖を抱かせた。
──まるで、人間の手によるものではないと告げるかのように。
その荘厳な門を、イグナ=リエナスの先導で踏み越えた第七分室。
「ようこそ、神の御許へ」
柔らかな微笑みと共に、イグナの声が無数のキャンドルの炎と共鳴する。
聖堂内は光と音、そして香りが重なり合い、感覚を歪ませるほどの“静寂”に包まれていた。
中央の壇上。銀の法衣に身を包み、琥珀色の瞳を静かに伏せた男が立っていた。
──セラフィム=アストレイア。
宗教法人の大司教、頂点に立つ者。
「初めまして、第七分室の皆様。
先日は我が使徒の突然の訪問、失礼しました」
その声は耳で聴く音ではなく、意識に直接届く圧力として胸を押さえつける。
「本日は、ある依頼を伝えるため、皆様をお呼びしました」
ロックが一歩踏み出す。
「……アルコーンが、俺たちに“依頼”だと?」
「我らは選ばれし者。しかし都市には、神の眼差しが届かぬ闇が残されている。
ロウアー・リングで続発する児童の失踪事件──その調査を、あなた方にお願いしたい」
セラフィムが差し出す書類には、発生場所、失踪時刻、目撃証言が詳細に記されていた。
無関係に見えるそれらの情報には、いびつな共通点が浮かび上がる。
──全ての現場で、微量のプラスミド因子の残留反応が検出されていたのだ。
「我々は、この現象を“因子の兆し”と呼ぶ。
言葉にも、形にもなりきらぬ神意の断片──あなた方には、それを感じ取る素質があると信じている」
モルトが静かに問う。
「……なぜ我々に。アルコーンほどの力があれば、自力で対応できるのでは?」
セラフィムは一瞬だけ微笑を深めた。
「信仰は時に、真実を曇らせる。
あなた方は、地にありながら天を測ろうとする者。
だからこそ、我々とは異なる視座を持ち、異なる光を捉えられる」
その言葉には丁寧さの裏に、明確な“観察”の意思が潜む。
ロックは仲間と目を合わせ、短く答えた。
「……アルコーンの思惑は興味ねぇ。
だが、スラムのガキが消えてるってんなら、それだけで理由は十分だ」
書類を手に取り、静かに宣言する。
「この依頼、引き受けてやる」
セラフィムの瞳が満足げに細まった。
「ありがとうございます。
どうか、神の光があなた方を導かんことを──」
その視線がふと逸れる。
控えていた少女──シャルトリューズ。
「……あの少女も、“兆し”を宿す存在のようですね」
ピクリと肩を震わせるシャルに、ロックは即座に前へ出て視線を遮った。
「……そいつは関係ねぇ」
セラフィムはそれ以上語らず、測るような沈黙が場を支配した。
やがて謁見は静かに終わる。
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大聖堂を後にしようとしたそのとき。
広大な回廊の先に、異質な気配が現れた。
赤の縁取りがなされた黒法衣。笑みを浮かべながら、目は笑っていない男。
「……ご苦労さん。あんたらが例の“犬小屋”の連中か」
ロックが警戒の視線を向ける。
「誰だ、あんたは」
「フォス=デルマール。セラフィム様に仕える影の一人。
名前は覚えなくていい。どうせ、すぐ関わることになる」
フォスの目は、遊戯を楽しむかのように冷たく光った。
「一つ助言をやろう。神の使いってのは、悪魔よりタチが悪い」
そう告げ、彼は手をひらひらと振り去った。
残されたのは、不快な余韻だけ。
⸻
大聖堂の最奥。
セラフィムが祭壇に戻り目を閉じる。
フォスが静かに囁いた。
「……“覚醒の時”は近いようですね」
セラフィムは、祝福を与えるかのように頷く。
「ええ。観察には最適な環境が整いつつある。
特に、あの少女の因子反応は、既存の分類を凌駕している」
天蓋から差し込む光が、荘厳な空間を銀白に染め上げる。
アストリア大聖堂は、再び静寂へと還った。