表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/28

episode1:第七分室《ドッグ・ハウス》

夜明け前の月光が、さざ波に揺れていた。


その水面の奥──

墨を垂らしたように沈む、巨大な影。


鉄とガラスが複雑に絡み合い、

無数の層が積み重なって築かれた超構造体。


それは天を穿つ塔。

光が差す都市──

海上多層都市《ネオ=アクアリウム》。


外殻に触れた東雲の光は、鈍く、冷たく反射していた。

だが、どれほどの輝きも。

必ず、影を孕む。


   *


《アッパー・リング》。


ホログラムの広告が夜空に咲き乱れ、

飽和した色彩が都市の上層を塗り潰していく。

洗練されたスーツ。香水。過剰な装飾。

優越と虚飾をまとった者たちが、

光に照らされながら、無表情に通り過ぎていった。


そしてその、何百メートルも下──


《ロウアー・リング》。


打ち捨てられた工業地帯。

黒霧が立ち込める路地に、

腐臭と油の匂いが混ざり合って沈殿している。

錆びたコンクリート。

どぶ川と化した排水。

重苦しい空気が、肺にべったりと張りつく。


瓦礫に腰を下ろした老兵が、

頭上を飛ぶ警備ドローンを見上げながら、ぼそりと呟いた。


「……またタグドの犯罪かよ」


その刹那、スラム唯一の大型ビジョンが点灯。

機械の声が、通りに響いた。


「本日未明、ロウアー・リング第三区画にて、タグドによる超常事件が発生。

容疑者は現在も逃走中。PCPDは、周辺住民に警戒を呼びかけています」


雑踏に、怨嗟の声が混ざり込む。


「またかよ……最近、タグドの事件がやけに増えてねぇか」

「“超常”? あんなもん、ただの呪いだろ」

「……うちの娘、“才能開花プログラム”に通ってるんだけどさ……最近、笑わなくなってさ……」


そのときだった。

街の静寂を切り裂くように、警報音が鳴り響く。


【PCPD指令室】

「第七分室、現場へ急行せよ。標的はタグド。第三区画にて逃走中」


【無線官】

「……また犬小屋に処理させるんですか?」


【指令室】

「構わん。どうせ吠えるしか能のない連中だ」


   *


ロウアー・リング──

PCPD第七分室。通称:犬小屋ドッグ・ハウス

廃棄された業務用エレベーターが、軋む音を立てて地下へ沈む。


到着したのは、油と鉄錆にまみれた格納庫。

蛍光灯の灯りはチカチカと不安定に瞬き、

床には埃と染みがまだらに広がっていた。

その壁際に、一人の男が背を預けている。


ロック・フォレスター。


茶色の外套。

腰に黒革のナイフホルスター。

眠たげな双眸の奥に、燻るような殺気を宿していた。


彼は“タグド”。

超常のプラスミドを内に宿す、変異の者。

ロックの能力は、《抑止》。

──拘束によって、暴力をねじ伏せる。


「……またか。超常事件ってやつは、ほんとに退屈しないな」


その声に応えるように、階段の奥からもう一人、姿を現す。


白いワイシャツにグレーベスト。

眼鏡の奥の眼差しは、どこまでも静かだった。


モルト・クライス。


PCPD第七分室の検死官。

そして、“視る者”。

彼のプラスミドは《知覚》。

痕跡を読み、思念を辿り、死者の声すら拾い上げる──

この街で唯一、“死者と会話する男”だった。


「……だからこそ、我々PCPDがいるんじゃありませんか」

「犬は犬らしく、吠えるべきです。たとえ──誰にも耳を傾けてもらえなくてもね」


その皮肉めいた台詞に、ロックは小さく笑う。


「確かに。吠えなきゃ骨も投げてもらえねぇしな。

……さっさと終わらせようぜ」


重いブーツが、床を鳴らす。

背後の装甲車が、低く唸るようにエンジンを始動させた。


この日もまた、

第七分室は“タグド犯罪”の現場へと出動する。


いつも通りの、報われぬ任務──

……の、はずだった。


──だが、この夜。

二人の運命が、音を立てて動き出すことになる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
初見です拝読させてもらいました 光と影が対照的な未来都市の世界観にすぐに引き込まれました。主人公のロックと相棒のモルトの冷静な感じと彼らが置かれた過酷な状況がとても印象的でした。報われない任務の中で最…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ