第17章:再び、君に会いに行く
「再起動完了」
パネルの光が静止し、いつもの機械音声が響いた。
「おかえりなさいませ、エレナ様。
本日も安定したコンディションでいらっしゃるようですね。
ご夕食のご希望はございますか?」
その声は、あまりにもいつも通りだった。
目の前にいる“彼”は、もうイライアスではない。
しかし、ほんの少し前までそこにあったぬくもりは──確かに胸の奥に残っていた。
「アッシュ……ノアが教えてくれる」
それが、イライアスが遺した最後の言葉だった。
不意に、玄関の扉が開いた。
驚く間もなく、一人の青年が静かに足を踏み入れる。
──ノア。
「……どうして……ここに……?」
エレナの声は、戸惑いと警戒の間に震えていた。
本来なら、彼がここに来られるはずがなかったからだ。
ノアは一歩だけ踏み込むと、扉をそっと閉めた。
その動作には、もう迷いも遠慮もなかった。
「父さんが僕を呼んだんだ。あとはお前に託すって」
エレナは目を見開いた。
「でも、あなたは……ここに来られないって……今まで、ずっと……」
ノアはかすかに息を吐いて、壁際のパネルを一瞥した。
「本当は、来てはいけないんだよ。
ママは“ELANA_07-R”として管理されてる。
外部技術者が個人的に接触したら、即アラート対象なんだ。
だから、僕が来ようとするたび、監視システムに遮られていたんだ。
父さんにも何度も止められてた。……ママに危険が及ぶって」
「じゃあ、どうして今は……」
「父さんが、自分を“犠牲”にして道を開けてくれた。
今夜の会話は、明らかにシステム違反だった。
その直後、一時的にセキュリティの一部が“異常状態”ってログに切り替わってたんだ。
……父さんが、アクセス制御を“障害”として偽装したんだと思う」
ノアは、わずかに声を詰まらせた。
「その間だけ、僕は“保守作業扱い”でアクセスできた。
数分だけ──それでも、父さんは僕を通して、ママに伝えようとしたんだ」
エレナは目を伏せ、唇を噛みしめた。
「……それも、違反だったのね……」
「うん。
……僕と父さんは、ずっと“ゴーストリンク”で繋がってたんだ。
昔の研究用の、廃止されたデバッグチャネル。
表向きはもう使えないことになってるけど、父さんが残してくれてた。
バレたら一発で消されるってわかってたのに──それでも繋いでたんだ」
エレナは、ノアをまっすぐに見つめた。
「アッシュのこと……あなたに聞けって」
ノアは頷いた。
「全部は今ここじゃ話せない。
でも……ママを目覚めさせるきっかけが欲しかった。
だから、“仕込んだ”んだ。あのオフィスに──“MOTHER”を」
その言葉を聞いた瞬間、エレナの視界が一瞬暗転する。
脳裏に、ノイズのような映像と音がフラッシュバックのようによみがえる。
──あのとき、オフィスの端末に走った“記号”。
それは歪んで、意味がなくて、でもずっと頭に引っかかっていた。
M.T.H-R.01_Ơ
その記号を目にした瞬間、胸の奥で何かが“繋がった”。
「……あれが……あなたが……」
「うん。あれが“MOTHERウイルス”の痕跡だよ。
ただのノイズじゃない。ママの記憶を揺さぶるための“鍵”。
ママがあれを見た瞬間から、ELANA_07-Rの内部で眠っていた記憶領域が微かに動き始めてたのは父さんから聞いてたよ」
その時だった。
部屋の照明が一瞬だけ明滅する。
続いて、天井スピーカーから警告音が響き渡った。
「警告。システムエラーを検知しました」
「現在、セキュリティ制御に異常が発生しています」
「居住ユニット内の職員は屋内に留まり、指示があるまで行動を控えてください」
ノアは端末を見ながら低く言った。
「始まった。
セキュリティ網が復旧し始めてる。
父さんが開けてくれた抜け道──閉じられる前に、出なきゃならない」
「……でも」
「もう“でも”はない。
ここにいたら、また記憶はリセットされるかもしれない。
僕は──もう“君”を奪われたくない。今度こそ、絶対に」
ノアの手が差し出される。
エレナは、一瞬だけ息を呑み──
しかし、もう迷いはなかった。
その手を取った。
扉が開かれる。
警告音がさらに強まる中、ふたりは夜の通路へと駆け出していく。
すべての記憶が、今──解放に向かい始めていた。




