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種まき  作者: 山葵からし
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ピアノ

 人差し指にわずかに力を込めて押し込むと、小さくミの音が鳴った。

 果たして本当にミの音だったのかは私には分からなかったが、先生がミだと言ったのだからそうなのだろう。

 いくつか鍵盤を押すと、それに合わせて音がホロホロと鳴る。その度に先生が褒めてくれることが嬉しかった。もっと褒められたいと、私はたくさんの音をホロホロ鳴らした。それが15年前の思い出。

 今、目の前にある先生の顔はとても綺麗だ。ずっと見ていたく思うけど、そうするときっと冷静ではいられなくなる。

 視線を外す。周囲の音はうるさいのか静かなのか、私の耳には届いていない。心臓の鼓動だけは、今でも確かに響いている。それだけに集中できればいいのに、心が乱れてそうさせてくれない。

 ダメだと思った時には、もう足が動いていた。走って走って、ふと気付くと知らない場所。そういえば、スマホは壊れたんだっけ。

 あてもなく彷徨っていると、ピアノ教室の看板が目に入る。意識した途端に気になり出して、そのままドアに手を伸ばして押し開けていた。

 チラチラと鳴っているであろうドアベルが目に入る。明かりはついているのに誰もいない。そもそも勝手に入って良かったのだろうか。

 すみませんと出せているかも分からないまま声をかける。少し待っても誰も来ない。やはり人はいないのか。

 いつもならこんなことしないのに、やっぱりあれ以来どこかおかしくなったんだ。踵を返し出ていこうとして、ピアノが目についてしまった。自然と足が向かう。

 黒いアップライトピアノ。鍵盤蓋を持ち上げると、赤茶色の布製カバーがかけられている。そのカバーをどければ、白と黒の鍵盤が顕になった。

 今では分かるようになったミの鍵盤を押す。やっぱり何も聞こえない。確かめるように、何度も何度も鍵盤を押す。強く、強く。こんなにも思い切り押しているのに、どうして何も聞こえないのか。

 握りしめた拳を振り下ろす。不協和音すら私には届かない。


 事故にあった。

 先生と二人。コンクールで頑張ったからご褒美を買ってくれると、少し離れたショッピングモールに出かけるだけのはずだったのに。

 先生は私が無事で良かったと言った。そう言って、いつも私を褒めてくれる時のように頭を撫でてくれた。

 先生と一緒に音が消えた。きっと先生が音をくれたからだ。

 棺の中の先生は、まるで眠っているようだった。呼びかければきっと目を覚まして、私の名前を呼び返してくれるだろうと。でもそうじゃないことを知ってたから、呼びたくても呼べなかった。


 先生の顔を思い出してしまった。だからそのまま大きな声をあげて泣いた。自分の声は不思議と少しだけ聞こえた。

 ここが知らない場所だというのに、それを頭では分かっていたのに、それでも涙は止まらなかった。

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