【4】①
「父さん、お母さん、ちょっといいかな」
翌日の午後、機嫌よさそうに帰ってきた両親を迎え、何でもないように過ごして夕食も済んだあと。
航大は両親に向かっておもむろに切り出した。
「何だ? 改まって」
「うん、あのさ。俺、今四年でもう卒業だけど四月から院に進むじゃない? 博士前期だけ二年か、後期もか、それはまだちょっと悩んでるんだけど」
父に問われ説明を始める。
「ああ、後期まで行ったら五年だよな? お前は大学に入った時から院に行きたいって言ってたし、五年だとしても学費は心配いらないから──」
隆則が言い掛けるのを遮るように航大は話を続けた。
「あ、そうじゃなくて。いや、それは凄くありがたいと思ってるよ、もちろん。……ただ、今もそうなんだけど院生になったら実験とか実習とかで遅くなること増えるから。もう帰って寝るだけみたいな日も多くなると思う。だから大学の近くに住みたいんだ」
淀みなく口から溢れる言葉。前もって考えていた通りの「口実」だ。
表向きの表情や態度を、真の内心から切り離すのは得意だった。それが今、こうして役に立っているのも皮肉なものだ。
「……そうか。お前の大学、結構通学に時間かかるからなぁ」
父が言うのは事実だが、今までは負担に感じたことなどなかった。
いや厳密にはそんな負担など、雪音と暮らす日々とは比較にもならなかったのだ。
「学費は全部出してもらってるし、その分バイト代は好きに使えるから今まで稼いだ分で結構貯めてたんだよ。遊ぶ暇もなかったしね。部屋代とかはできる限り自分で出すし、そんなに負担掛けるつもりはないから」
「それは気にしなくていいわよ。航ちゃんの大学は学費も安いし、そんな高級マンションは無理だけど普通の部屋ならそれくらい心配しないで」
あっさりと告げてくる義母に申し訳なくなる。
「そういうわけには行かないよ。ただでさえ学費出してもらう期間が延びるだけじゃなくて、家から通えない距離でもないのに俺の我儘なんだから」
そうだ。まさしく『我儘』なのだ。
今までこの家にいたことも、出て行きたい理由も。
「でも航ちゃん。大学の近くなら歩いて通えるほどじゃなくても定期代はかなり浮くだろうし、その分が回せるから実質そこまでは変わらないんじゃない?」
「うん。できたら徒歩は無理でも、自転車で通えるところならいいと思ってる」
どこでもいい、なんでもいい。
この家から、……雪音から物理的な距離さえ取れればそれでいいのだ。もちろん気取られるわけには行かないけれど。
「……とりあえずお前は学生だから、契約も親が出なきゃならないしな。費用のことは、部屋とか金額がはっきりしてからまた話そう。でも今ママが言ったみたいに、全部こっちで出すつもりはあるから余計なことは考えなくていい」
義母と航大の会話を聞いていた父が、話を纏めに掛かる。
実際、自分はまだまだ親の扶養親族で「子どもの立場」だ。年齢こそ二十を過ぎているけれど、経済的にはまったく独り立ちなどできていない。
「ありがとう。定期代の分足しても、部屋代と生活費全額自力では難しいかもしれないから。少しは世話になると思いますけど、よろしくお願いします」
畏まって頭を下げる航大に、目の前の両親が顔を見合わせている。
「そんな大袈裟にしなくていいのよ。親子なんだから」
優しく笑って言う涼音に、航大も笑って「ありがとう、お母さん」と告げた。