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わずかな変化

 鏡を前にして微笑んでみる。

 だめだ。

 あの方の言うとおり、張りぼての笑顔だ。


 私は笑わない。

 ライナス様も笑わない。


 私と顔を合わせても鉄の表情をしている。狼の仮面で顔の表情はわからない。でも仮面の奥の目と口元は鉄のように冷たく硬い表情をしている。

 時折、笑顔を見せるが、それは嗤うだけ。

 喜、ではない。

 せせり笑う。嘲笑う。高笑う。

 笑わぬ男は誰よりも敏感に人の感情を読み取る。


 そして私が戸惑う様子を、甘く甘美な味を楽しむかのように味わっている。

 人の不幸は蜜の味。


 でも、ライナス様の鉄の表情の中に儚さや悲しみが垣間見える時がある。ずっと心の奥に感情を隠しているような、そんな表情を垣間見ることあるが、それが何なのかわからないでいた。


 




 それからと言うもの、毎夜ライナス様の部屋の前で帰りを待つようになっていた。

 最初はぶつぶつ言っていたアールも説得は諦めたようで、何も言わなくなっていた。


 ライナス様も最初こそ驚いていたが今は「出迎えご苦労。では、花嫁殿は休め」と目も合わせずに言うだけだった。

 時に「飽きもせずに・・・」とせせり笑う時さえあった。


 数時間待って、顔を合わせるのはほんの数秒。

 正直これで情が深まるとか愛情が芽生えるとは全く思えない。けど、わずかに起こった変化。


「ご苦労だった。もう休め」


 こちらを向き直り、私の目を見て言った。


「我が花嫁よ」


 今日初めてちゃんと言葉を交わした。




 お出迎えが続くようになり、アールに渡していた外套を私に手渡すようになった。

 もちろん、屋敷の女主人の私が受け取って洗濯して干して・・・なんてことはしない。部屋にあるクローゼットにしまうだけだ。

 わずか、本当にわずかな変化。

 でもそれは私にとって大きな一歩でもあった。


 クローゼットにしまうと、旦那様は軍の隊服を脱ぐ。それを侍女たちが手伝っていた。

 当然、狼の仮面はつけたまま。


 仮面は寝る時は外すのかしら、そんなことをぼんやりと考えていると「花嫁よ、もう休め」


「あ、はい。ではお休みなさいませ」


 いつも通り短い言葉を交わし、部屋を後にしようとした。


「もう明け方に近い。だいぶ疲れただろう。早く休め」


 労いの言葉。


「お気遣い感謝致します」

「明日は公爵家へ行き一泊してから戻る。戻りは明後日だ。明日は出迎えは必要ない」


 突然の言葉に呆気にとられ、じっとライナス様を見ていた。

 まだ何かあるのか?そう言わんばかりに、すっと顔がこちらを向く。


「あ、えっと・・・わかりました・・・。その、お休みなさいませ」


 仮面の奥の目が私を見ていた。

 スケジュールを教えて下さった。

 単なる予定を伝えられただけ。でも初めて旦那様から挨拶以上に言葉を交わした。

 ささいなことなのに、心が弾む。


 これが恋した相手の気遣いに胸があったかくなったのか、それともコツコツ積み重ねた事への達成感なのか、それはわからない。

 ただ自身の部屋に戻る時、頬が緩んでいたのは確かだった。

 




 旦那様は多忙だ。

 家を空けている事も多いし、特に夜間の蟲狩りが続くと、昼間は寝ていることが多い。

 同じ屋敷の中にいても、顔を合わせない日の方が多いくらい。


 これはシイラのアドバイスの通りね。

 ぼんやりしていたら、言葉もまともに交わさないまま何年も経っていたと思う。


 その時の私はどうだろう。

 情もない、名ばかりの正妻。

 旦那様に存在を忘れられていたかもしれない。


 皇帝が元気で長命な場合、妃や愛人は当然ながら増えていく。そうすると古参の妃嬪たちは徐々に差がついていく。家柄がよく寵愛を受けるものと、そうでない者たち。

 そうでなかった者たちは一生出ることができない宮殿という檻の中で、若く美しく咲き誇る花のような妃たちの影で静かに余生を過ごすしかなかった。

 寵愛を得るにも、子を持つにも歳をとり過ぎている。

 それは私の未来でもあった。ライナス様がいずれ愛人や側室を迎えれば、寵愛のない正妻は影となる。この立派な屋敷で息を押し殺すかのように生きていたのかもしれない。こんなにも多くの使用人や職人がいる屋敷で、深い孤独を抱えながら。




 緑が生い茂り、生命がみなぎる初夏。


「今の時期は特にお忙しいのでございます。もちろん蟲狩りの任務は一年中ございますが、夏は特に蟲の動きが活発になり昼だけでなく夜間も任務も増えております」


 ライナス様の連日の夜間任務、それを出迎える為に徹夜が続いた時、アールが説明してくれた。

 特に昨日の帰りは明け方で、ほとんど眠れてなかった。

 目の下にクマを作る私に眠気覚ましの濃いめのコーヒーを入れながら、アールが説明してくれた。


「あ、ちなみにこちらのコーヒーは深い味わいながらも爽やかな香りで、寝不足の朝にも飲みやすくブレンドした特製モーニングファンタジーフラッシュでございます」


 モーニングファンタジーフラッシュ。相変わらず独特のネーミング。長い。


「蟲狩りは昼夜もなく大変ね」

「はい、呼び出しはいつ来るかも分かりませんし、蟲の動きが活発な時期はパトロールは欠かせません。特に夜間の任務は特別な兵士にしかできません」


「特別?」

「よいですか、灯りの少ない夜に蟲と戦うと言うのは想像以上に難しいのです。並の蟲狩りではすぐにやられてします。その為夜間は熟練した蟲狩りがメインで行いますので、旦那様はとても忙しいのです」


 私が旦那様の帰りを待っている夜。静かで暗い、風の音さえ狼の遠吠えと間違えるような深い闇の中、あの方は命を削りながら任務にあたっているのか。部下の指揮をとり、市民を守り、最前線で身を置いていたのか。

 蟲という魔物と戦う為に。



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