拒絶
━━━ハリボテの不自然な笑顔だ。見るにも値しないな
婚約者との初対面の挨拶がこれとは。
とんだ変わり者だわ。
政略結婚では愛はなくとも、礼節を尽くしてくれる相手なら当たりだと言われている。
それでいえば、大外れなのかしら。
あの後血相を変えたアールが、床に頭を打ちつける勢いで主の非礼を詫びていた。
「もももも申し訳ございません。大変ご不快な思いをさせてしまいました。あれは決してライナス様の本心ではございません。ライナス様は少し人付き合いが苦手なところがございまして、ついつい照れ隠しに言ってしまっただけでございます。とわいえ、あのようなご無礼を簡単に許して頂けるとは思っておりません。全てはこの執事長の私の不徳の致すところ。どうぞ私に罰を・・・」
なんてアールは言っていたけれど。
あれは本心だろう。
あの方は私の内面を見抜いていたのだ。仮面の下の鋭い瞳は本物だ。
笑顔なんてハリボテ。つくりもの。
私はもう何ヶ月も笑っていなかった。笑顔を作ることが難しくなるほどに。
だいたい好きな子に意地悪しちゃう幼稚園児じゃないんだから、照れ隠しで婚約者にあんな暴言を吐くなんて、それはそれでやばいわよ。
翌日は結婚式。本来は中一日をあけて、挙式の予定だったが長雨による悪路の影響で到着が一日ずれてしまい、明日が結婚式になっていた。
日付は王室が選んだ吉日であり、変更は難しかった。
インイでは花嫁は鮮やかな婚礼衣装に豪華な宝石を身に纏い、女の人生で最も美しく着飾るのが伝統だったが、こちらでは真っ白な婚礼衣装だった。宝石なども控えめでインイとは対照的だ。
純潔を表したり、あなた色に染まりますという意味を持つとか。
また衣装だけでなく、式の形も国が違えば異なる。
太鼓や楽器の音、多くの親族が集まり、時には爆竹を鳴らすような賑やかで派手な結婚式が多いインイ。それとは対照的にクエルでは司祭に夫婦の誓いを立てるだけの式だった。立ち合いの親族も大勢の招待客もない簡素なものだった。結婚式とはあくまでも夫婦の誓いを神に立てるものだそうだ。
とはいえ、結婚式は女性なら誰でも一度は憧れるよね。
私だって素敵な男性との結婚を夢見てたわ。
早い子なら23歳で結婚しているもの。
挙式の形式はこだわりはなかったけど、チャペルもいいな、でも白無垢の神前婚も捨てがたいって友人と盛り上がったりしてたっけ。前世では結婚できなかったけど、今世で叶うことになった。
でもね、想像とだいぶ違う。
まさかとは思ったけども、ライナス様はその式さえも仮面をつけたままだったのだ。
日常生活はまだ理解できるが、挙式でさえも素顔を晒さないとは。
いくら多様性を重視した令和の日本から転生してきた私でもびっくりだわ。
神聖な儀式の場だ。仮面を外すようにやんわりと促す司祭に彼は高笑いを浮かべた。
「ふん。俺の素顔を見ようと思うか。素顔が拝めるのは真の妻だけぞ。おぬしが見たければ、力づくでくるがいい。ただしその時は魑魅魍魎、魔がうごめく蟲の世界に飛び込む覚悟でこいっ!!!」
驚いた司祭は「滅相もない」と頬を引き攣らせ、そのまま式を進めた。
誰だってそうだ。異様な仮面をつけた屈強な男にそう言われ、NOが言える人なんてそういない。
唖然として横のライナス様をぼんやりと見つめている間に、全く色気も浪漫もない結婚式が終わった。
それにしても、ここまでに偏屈な変わり者だったとは。
多くの女性が縁談を受けなかったのも理解できるわ。
式も仮面をつけたままとなると・・・・。
つまりあれね。
素顔を拝見できるのはあの時だけというわけね。
一人の夕食が終わると、入浴をして身支度を整える。
やたらと肌触りがいいシルクのネグリジェを纏い部屋で待っていると扉をノックする音がした。すかざずシイラが取り次ぐと、私の腕を取り「では、参りましょう」
どこへって?
新婚夫婦の初夜だ。
旦那様のところ以外行くところはない。
床入り、だ。
わかっている事とはいえ、やっぱり緊張する。
私はその・・・うん喪女だった。
彼氏は高校時代にいたよ。でもね、母の過干渉によって無理やり別れさせられた。大学時代はそれがトラウマで彼氏を作る気になれなかったの。
だから男性経験のない私には、かなりドキドキなのだ。さっきから心臓が痛いくらいにドキドキしていて、呼吸も苦しい。
侍女の案内で黒く重厚な扉の前に来る。扉の前にはアールがいた。
アールが扉をノックする。中から返事があった。
「旦那様、奥様がいらっしゃいました」
「入れ」
相変わらず短い言葉。でも少しほっとした。どこかで追い返されるのではなんて心配していた。
この後、する事はわかっている。それもほぼ初対面の男と。実際顔を合わせた時間なんて1時間もないのでは。
そんな相手とこれから体を重ねるのか。
吐き捨てられた冷たい言葉。狼の仮面。緊張と恐怖で呼吸が止まりそうよ。
「失礼致します」
ライナス様の部屋へ足を踏み入れる。広さは屋敷の主人だけあって、私の部屋よりもずっと広い。
「きたか」
声の主はソファーに座っていた。
・・・・。
この人、本気なの?
まさかとは思っていたけど。
結婚式の最中でさえ仮面を取らなかった男。
びっくり。どっきり。
狼の仮面をつけていた。寝巻きのガウン姿ゆえに、その異様さが際立っている。
ドラマの世界を飛び越えて、おとぎ話の世界にでも迷い込んだみたい。
付き添っていた侍女は下り、部屋を後にした。部屋には狼の仮面を被った旦那様と私の二人きり。サイドテーブルに置かれた赤ワインを一口飲むと「飲むか」
「いいえ、私は」
断ってしまったけど、お酒の力を借りた方がよかったかしら。緊張でいつも以上に無口で無愛想になっているのが、自分でもわかる。
「遠路からの旅、ご苦労だったな。こんな辺境の地まで嫁入りとは、姫様も国の為に大変だな」
くくくっと笑う。
あちらは緊張している様子は全くない。むしろ緊張してガチガチになっている私の姿を見て、楽しんでいる様子さえある。
それにしても、こんな場面でも仮面を外さないとは。まさか、このままでいたすおつもりじゃないわよね。流石にそれはちょっと・・・。初めての体験が、動物の仮面をつけた相手なんて想像もしてなかった。一体何のプレイですか?
「あの・・・・」
「あ?どうした?」
「その・・・旦那様はいつも仮面を・・・」
そこまで言って、口ごもる。旦那様が私の言葉にぴくりと反応しこちらを見ていた。威圧するような鋭い目に、体が硬直する。
「気になるか?」
何も答えられずにいると「まあ、気にならないわけはないな。ハハハハ・・・・」
ひとしきり笑った後、スッと真顔になる。もちろん仮面を被っているから実際の表情はわからない。
だけど感じる。氷のように突き刺すような冷たい視線を。
「部屋へ戻れ」
いけない。
怒らせてしまった。おそらく触れてはいけない話題に触れてしまった。
慌てて立ち上がり、膝をつく。
「申し訳ございません。不愉快な思いをさせて・・・」
「違う」
大きな音を立ててワイングラスを机に置く。
「最初からお前を抱く気などなかった」
「旦那様っ!」
「いいか、お前は俺の妻だ。先ほどの挙式も王への報告も済ました。紛れもない正妻だ。だから家では正妻として大きな顔をしていればいい。使用人も顎で使え。無礼な態度を取られたらアールに言って折檻させてもいい」
だがっ!!そう言うなり、すくっと立ち上がる。
「それだけだ。俺たちの関係はそれだけだ。それ以上はいらん。言っただろう、我が素顔を見れるのは真の妻だけだと。素顔が見たければ、真の妻となれ」
真の妻って。正妻になった私と何が違うの。
片頬で笑うと「わかったらさっさと部屋へ戻れ」
戻れと言われても・・・。はいそうですか、と下がれるわけなんてない。
初夜を拒否されるとは、大きな意味がある。
「旦那様・・・」
目の前で自分に縋る私を愉快そうに見下ろす。
「そなた知っているぞ。縁談が決まり使者より花嫁の身上書が届いたが、こちらはこちらで調べさせてもらった。聞けばお前は皇帝の実の娘ではないそうだな。本当の父は属国の男だったと。そしてお前の母は罪人だそうではないか。それも身重の皇后に毒を盛ったとな。恐ろしい女だ。母は罪を犯し死罪になり、お前もまた流刑になったと。血塗られた罪人の娘よ」
仮面から覗く瞳は無機質で冷たく、その瞳に見入られた私は血が凍っていくようだった。
気づけばベットに入っていて、どうやって部屋へ戻ったのか記憶がない。
旦那様がアールを呼び寄せ、私を部屋へと連れていったらしい。
『罪人の娘』
そうだ、エリーナの母ライランは恐ろしい罪を犯したのだった。
後宮に入り寵愛のない寂しい月日を送り、多くの苦難を乗り越え、やっと子供を授かった皇后。母は孕った皇后に嫉妬して、毒入りの菓子を送りそして流産を図ったのだった。
もうだめだ。
旦那様は全てを知っていた。私と母が犯した罪を。私が一度皇女を廃されたことも。皇帝の実の娘ではなかったことも。こんな人間を愛し受け入れる人なんていないだろう。
赤ワイン飲んでおけばよかった。そうしたら少しは眠くなっていたかもしれない。
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