エリーナの過去
寵愛を得ていたエリーナ親子は宮廷で大きな力を持ち、宮廷のどの妃嬪たちも対抗できなかった。しかし長らく冷遇されていた皇后が懐妊すると皇帝は態度は一転し、皇后を寵愛するようになる。それに焦った母ライランは皇后に毒を盛り、流産を計った。かろうじてお腹の子供は助かったが、やがてライランの悪行が全て表に出ると、皇帝は死罪を命じた。そしてエリーナもまた共犯として死罪をという声が多かったが、結局は流刑となった。それからこうして引受先のない縁談をする為に、異国へと嫁ぐことになった。
だが真実は違った。
ドラマではそこまでしか描かれていなかった。しかし物語には描かれていない真実があった。
エリーナは悪役令嬢ではなかった。
いや、ドラマの中では悪役令嬢のポジションだった。だが、それは全て冤罪だった。
主人公の皇后ですら気づいていなかったからだ。ドラマは主人公目線。だから彼女が見えない部分は正確には描かれていない。
視聴者の私もまた騙されていた。最終回を見てもエリーナはずっと悪役令嬢だと思っていた。エリーナに転生して、その記憶を持って初めて真実を知ったのだ。
宮廷で存在感を強めるエリーナ親子を疎ましく思い、排除しようと策を練った者がいた。
皇后と親しかった凛貴妃、それと母お付きの侍女をしていた安姫に陥れられたのだ。
安姫は新入りの女官だった。賢く、よく気の利く性格で母も目をかけていた。だが実際の彼女は計算高く冷酷な人間だった。
野心家の安姫はただの女官で終わる気などなかった。若さと美しさを武器に、皇帝に取り入ろうと考えていたのだ。
そんな彼女の野心を見抜いたのが凛貴妃だった。
ドラマでは気が弱いが聡明な凛貴妃。凛貴妃は家柄もよく、皇帝の覚えも良かったが子供がいなかった。母が来るまでは寵愛を受けていたが、母が入宮してからはめっきり皇帝の足は途絶えた。
いくら家柄が良くても、子供がいなければ将来の希望は薄い。皇后と親しい立場だが、寵愛を受けていない皇后の力は弱い。このままでは皇帝に忘れられるのではと焦った彼女はなんとしても母を排除したかった。
そこで目をつけたのが、安姫だった。
いつも皇帝の訪れの際に、母の目を盗み、さりげなく皇帝に色目を使っていたのだ。
凛貴妃は安姫を唆し、そして手を組んだ。皇后にも気づかれないように。
やがて皇后は懐妊をしたがすぐに体調を崩した。それが月光ムカデの毒が原因だとわかると皇帝はすぐに大規模な調査をさせた。月光ムカデは蟲の一種で、その灰薬は堕胎薬として古くから使用されていた。
その灰薬が母の部屋から見つかった。
夫である皇帝は最初は報告を受けても、信じようとはしなかった。
何かの間違いだ。誰かの策略で母が陥れられているのではと思ったのだ。
しかし尋問により安姫は母が皇后へ送った菓子に毒を混ぜたと証言をしたのだった。
長年支えたお付きの侍女の証言により母の犯行は間違いないとされた。
皇后は幸いにも接種した毒の量が少なく堕胎は免れることができたが、それも凛貴妃の策略だった。凛貴妃は母とエリーナさえ排除できればよかったのだ。後ろ盾となる皇后とその子供は必要な存在だった。
皇族の毒殺は重罪だ。この世で最も重い罪の一つだ。母と母の弟は死罪となり家は廃された。
私も罪人の娘として断罪された。女であったので死罪を免れたが、庶人に落とされ、地方へと追放された。
エリーナは母の寵愛をカサに、残忍な我儘な令嬢として描かれていたが、それは違った。
自由でまっすぐで、曲がったことが嫌いな性格だっただけだった。「いかなる時も悪に染まらず、他人にも自分にも誠実でまっすぐであれ」という亡き父の教えを守っていただけだった。
だが後宮という閉ざされた世界では、その存在は望まずとも人目を引いた。妃嬪の陰湿な陰口を嫌い、後宮の女性と距離をとっていたエリーナは次第に生意気だと噂されるようになった。また賄賂をよくは思っておらず、不必要な賄賂を払わなかった。それもまた太監たちからの悪評をかった。
ある時、エリーナは就寝中にダニに噛まれた。強い毒性を持つダニに噛まれ、体中が赤く腫れ、そこを掻きむしったことにより肌は膿み、痛みと痒みで眠れぬ日々が続いた。やっと治ったと思ったが、体だけでなく顔にも赤い斑点がしばらくの間残った。
それを知った皇帝は上質な白粉を贈ってくれた。だがそれは属国から皇后への献上品だった。
太監たち意図的にエリーナの事情を皇后へと伝えなかった。事情を知らぬ人々はエリーナが我儘を言って、皇后の白粉を奪ったと噂したのだった。
またある時、エリーナの告発により寵愛を受けていた古株の妃が一人、冷宮送りとなった。冷宮とは罪を犯した妃嬪たちが送られる監獄のような場所。
その妃は亡くなった前皇后の子の皇太子を養育していた。だが彼女には実子の皇子もいた。我が子を何とか皇子にしたいと思った彼女は、皇太子の食事に体に不調をきたす灰薬を混ぜていた。
それ気づいたエリーナは数日間こっそりと妃を観察して、証拠を掴むと皇帝へと告発をし、妃は冷宮送りにされたのだ。
だがその妃は外面が良かく、また母ライランと寵愛を争っていたこともあり、エリーナが彼女を陥れたと皇后たちは考えていた。
エリーナは賢く、そして真っ直ぐだった。真っ直ぐすぎたのだ。魑魅魍魎が蔓延る、後宮ではそのような者は標的になりやすい。
賄賂を嫌い、必要以上のおべっかを嫌い、自分をしっかりと持つ意志の強いエリーナの姿は、慣例と階級などで縛られた妃嬪たちからはわがままに、傲慢に映ったのだろう。
西国の地を引いた母ライランは華やかで一際美しく、鷹揚な性格だった。
ライランは夫を深く愛していた。そして生涯夫を思い、娘の成長を願い静かに生きていこうと思っていた。だがそんなライランを抗えぬ運命が襲う。皇帝に見そめられたのだ。
側室など望んでいなかったが、皇帝の命令に逆らえるはずもなかった。母子共に宮廷に入ることとなった。
それでも最初は寵愛争いから一歩距離を置き、目立たぬように暮らしていた。
ある日宮廷で大事件が起きた。皇女の自殺未遂だった。皇女の嫁ぎ先は母親の身分によって変わる。母親の身分の低い皇女はいい嫁ぎ先は与えられない。親子以上に歳の離れた男との縁談も驚くことではなかった。
後宮の女の幸せは皇帝の寵愛で全てが決まってしまう。寵愛こそ全てだと理解したのだ。
それからライランは変わった。ドラマの通り、豪華に着飾り皇帝を誘惑するようになった。娘を守るために、必死で後宮で生きようとした。命をかけてエリーナを守ろうとしていたのだ。
だがそんなライランの親心とエリーナの素直な心は誰にもわからない。
自立心の強い西洋の血と、まっすぐで自由な遊牧民の気質を持った二人は、狭く堅苦しい宮廷では、目立っていたのだ。
それが悪役令嬢の真実だった。
母とエリーナは、宮廷の駆け引きに負けたのだ。
最愛の母だけでなく、優しかった叔父をも失った。叔父は窮屈な宮廷生活を送る私にとって数少ない信頼できる相手だった。時折沢山の菓子を持って遊びに来てくれていた。母を失い、仲の良い叔父を失い、そして養父のような存在でだった皇帝も失った。私は大好きだった家族も地位も全てを一瞬で奪われ、失った。
あの女たちに人生も、家族も全て掠め取られたのだ。
流刑先では、食うにも困る生活だった。
寂しい漁村に追いやられた私は古びた小屋で侍女として年老いた老婆を一人あてがわれただけだった。老婆は変な詮索も同情もなく、淡々と私の食事や身の回りの世話をした。
心が死に、日々の生活に色がなくなり視界にずっともやがかかっているようだった。
最初の数ヶ月は全く記憶がない。時間という概念さえなくなった。
どこかいつもふわふわして立っているのか、横になっているのかさえ分からない。感覚というものが抜け落ちた様だった。
生きながら地獄を見ているようだった。
そこで近くに住んでいた元蟲読みの老人と出会った。
かつて宮中では働いていた男だったが、政治争いに巻き込まれそうになると逃げ、それ以降ここに住み着いていると言った。
「この村では字が読めるものも少ないからな」
時間だけはあった。この人との出会いが生活を変えた。もやがかかっていた生活が徐々にはっきりと色づき始めたのだ。
全てを失った私は貪欲に学んだ。
そして老人も私の熱意に応えるように熱心に教えてくれた。
灰薬の種類、調合、副作用、薬の組み合わせによって起こる作用、そして蟲について。
「それとこの屋敷にある書物です」
神妙な顔で私の生い立ちを聞いていたライナス様がぴくりと反応する。
「屋敷の?」
「はい、この屋敷には蟲に関する書物が沢山あります。灰薬についての書物もありましたが、蟲読みとは蟲についても精通してなければなりません。その点ではここには絶好の学びの場でした」
私がよく読んでいた書物は全て蟲に関する物だった。
一人で過ごす時間の大半をこの読書に当てていた。おかげでインイ国で手に入らない書物を読む事ができた。
蟲読みと言っても、全ての種類を把握できているものは少ない。蟲は世界中に生息していて、インイ周辺には存在しない蟲もいる。そのような蟲に関する文献は限られていた。
「全てを掠め取られた死んだも同然だった、そんな時縁談が舞い込みました。最初は悩みました。もう何にも希望が見えなかったからです。不意に無念のうちに死んだ母と叔父の顔が浮かびました。寂れた流刑先で私までも朽ち果てたら誰が二人の無念を晴らすのか」
誰が二人の事を思い出すのか。誰が墓参りに行くのか。
名家出身の叔父の誇り。そして激動だった母の人生。政略結婚で異国に嫁ぎ、夫に愛された母。夫を亡くした後、子供と共に祖国へ戻り、時の皇帝に見初められ、宮廷へと輿入れをした。
そんな激動な母の人生。
誰がそれを語り継ぐ?
誰もいない。
この状況で不幸に死ぬのは簡単だ。
幸せを掴むなど容易ではない。奇跡の連続の先にあるもの。
それこそあの女たちの思うツボじゃないか。
「母は・・・母は私の父を愛してました。再婚も高貴な身分も望んでませんでした。私の将来を守るため、命を削り後宮で生きていたのです。この縁談は母が残してくれた物の一つだと思っています。だからせめて私は生きながらえ、二人を思い、幸せになろうと思ったのです。それが生き残った私の使命だと。とはいえ私は令嬢とは名ばかりで祖国の後ろ盾もない根無し草です。ここで根を張り生きる場所を見つけるしかなかったのです」
俯きながら語っていると、視線を感じた。ライナス様がじっと見ていた。
「すまなかった。本当にすまなかったな、罪人の娘など罵って。花嫁もそなたの母上も冤罪だっというのに」
私は涙を流しながら首を振る。
「いいんです・・・もういいんです」
何度嘆いても、優しい言葉をかけられても母も叔父に帰ってこない。
最初はここで生きる為にライナス様の心の隙間に入り込もうとしていた。それだけだった。
でも今は。
「それに以前、丘でお伝えましたでしょう。一緒に重荷を持てないかと」
夕焼けに染まる街。ライナス様の孤独な覚悟と重責を知ったあの日。
「蟲狩りと蟲読みなら、きっと今まで以上に多くの人々を救えると思うんです」
私たちなら救える。人々を、世界を。無敵の蟲狩りと、東西の知識を得た蟲読みならきっと救える。支え合える。
「確かに・・・だな」
ライナス様が手を伸ばす。その手に自分の手を重ねた。
初めて意識を持って手を握った。
ゆったりとした時が流れる———。
「今日はここで休め。安心しろ何もせんよ」
ライナス様は自分の隣の枕をさすった。
こくりとうなづく。言葉はいらない。
口ではなく目で語っていた。
『助けてくれて、命を救ってくれてありがとう———』
その言葉に胸がいっぱいになる。
互いの心の悲しみを重ねて抱きしめていた。
「我が花嫁、エリーナよ」
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