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ライナスの過去

————あれはいくつの頃だっただろうか。俺が6つの頃だっただろうか。


 雪のちらつく冬の寒い日だった。

 小さな村で決して裕福とは言えないが、平穏で安心しきっていた毎日が突如終わりを告げた。

 穏やかで優しかった母が亡くなったのだ。流行りの病にかかり、実に呆気なく死んでしまった。


 母が死に俺の悲しみが癒える前に、父は俺を連れて村をでた。

 息子と共に雇ってもらえないかと遠縁であるスペード家を頼った。

 国内でも屈指の名門家のスペード家。頼ると言っても使用人としてだ。あちらは貴族、こっちは平民だ。埋まらない溝がある。


 俺は6歳。奉公に出るには早い。

 だが父は悟っていたのだ。俺には隠していたが、己の命も長くないことを。故郷の田舎では孤児の6歳など道端で飢え死にするだけだから。せめて生き延びる場所をと、父親としての最後の仕事だった。


 雇ってももらえたとしても6歳の子供だ。せいぜい水汲みや床掃除、馬小屋の掃除と雑用だろう。面接に向かう乗り合いの馬車の中で父は「たとえ肥溜め掃除であったとしても嫌がらずにやるのだ」と俺に言い聞かせた。今思えば、父の深い深い愛情だった。生き抜いて欲しいという切ない思いだった。だがその時の俺はそんなことは分かってはいなかったが。

 物静かで思慮深い父の言葉には重みがあり、屋敷に着いた「ああ・・・もう楽しいことはないのだな」と子供ながらに腹を括っていた。


 だが、人生とはわからない。

 執事長と面接の為、父と並んで広間で待っていた俺を通りかかった屋敷の主である公爵夫人が目にしたのだ。


「あの者たちは?」

「使用人の面接にきた親子のようです。スペード家の遠縁だとか」


「ふーん。連れてきて」


 お付きの侍女に呼ばれて夫人の元へと向かう。


 夫妻は結婚6年目だが、まだ子供がなかった。そして昨年待望の子供を授かったが流産で失った。それだけでなく医者は流産の影響で今後子供を授かるのが難しいと言った。

 当時の夫人はまだ悲しみの中にいたが名門家の存続のため、親族のどこからか養子を引き取る話し合いをしている最中だった。


 夫人はその時30近かったが、少女のような頬をした穏やかな人だった。そして花の香水のいい匂いがした。村の貧しい女性たちは香水など縁がなかったので、初めて夫人の匂いを嗅いだ時は、花の妖精なのかと思ったくらいだ。

 現れた俺を見て、夫人は「まあ」と驚いた。


「私によく似ているわね」


 夫人は俺と同じ金色の瞳をしていた。


「僕、年は?」

「6つです」


 緊張で硬くなりながら答える俺を見て、笑顔を見せた。


「ふふふ、かわいいわね」

「確かに奥様によく似ていらっしゃいますね」


「ええ、本当に私に似ているわ」


 すると夫人は俺を養子にしたいと公爵に相談をした。


 俺がスペード家特有の銀髪を受け継いでいたこと、健康であること、そして何より夫人が俺を気に入ったこと。

 たった一日で貧しい庶民の俺が、国内有数の名門家の跡取りとなったのだ。

 半年後、実の父が亡くなったことを知った。父は俺と同じ屋敷で住んでいては親子の情が移るからと、公爵が所有する別の屋敷に奉仕していた。


 父は別れ際に俺を抱きしめて、四葉のクローバーをくれた。

 強く抱きしめる両腕から父の思いが伝わってきた。

『お前のこれからの人生が素晴らしいものになりますように。溢れんばかりの幸運を・・・』 


 夫妻は簡素ではあったが、父の葬式を行なってくれた。6歳で両親を失ってしまった。だがその俺の悲しみを癒してくれたのが公爵夫妻だった。


 血の繋がりはなかったが、養母である夫人は慈しみ溢れんばかりの愛情を注いでくれた。


「お前は私によく似てる」


 俺の頬を両手で包みながらにっこりと笑うのが日常だった。

 公爵からも帝王学や領主として必要な学問、マナーを徹底的に仕込まれて期待をされていた。使用人達も養子である俺に対しても敬意を持って接してくれた。

 厳しくも威厳のある養父、優しい養母、裕福な家、幸福な日々。


 だが、そんな日々は夫人の懐妊によって終わりを告げた。


 嫡男の誕生、スペード家にとって何よりも喜ばしいこの出来事で俺の幸せは終わったのだ。

 あんなに愛情を注いでいたはずの俺が一気に邪魔な存在、無用な存在へと変わったのだ。

 二人の関心は俺から我が子へと移った。


 俺の養育係の数も見るからに減り、家の中心は弟になった。

 特に顕著だったのは夫人だった。

 朝の挨拶の時だって、俺が全く見えないみたいだった。

 一心に実の子への愛情を注いでいた。ほんの少しの愛情も他になんて渡すまい、と。養母にとって俺は透明人間だった。

 やがて食事も、一家の行事も全て呼ばれなくなった。


 使用人達は俺の扱いに苦慮していた。スペード家の一員として敬意を持ち接するべきなのか、それとも一家とは分け隔てて接するべきか。悩んだ結果、今まで通り丁重に扱いつつ、程よい無関心で仕えていた。

 この家では不自由のない生活を送っていた。だが、誰も味方のいない日々だった。心を開き、笑い合う相手のいない日々が何年も続いた。


 やがて18になった時だった。 


 公爵から家を出るように言われた。


「親としても勤めは終わった。後は自分の力で生きていけ」


 まるで穀潰しを養ってやっていたと言わんばかりの言い方だった。

 傷つかなかった、といえば嘘になるが、いつかこの日がくることは覚悟していた。

 そんな俺を引き取ったのが、公爵の弟で軍の隊長であるブライアンだった。兄弟とはいえ物静かで読書を好んでいた公爵とは違い、ブライアンは豪快な男だった。


「眉間に覇気がある。お前は兵士に向いている」


 将軍の元で働く事を条件に公爵からは今の領地と屋敷を譲り受けた。

 家を去る日、養母は一度もこちらを見なかった。一途に、嬉しそうに弟の目を見つめていた。

 ブライアンは俺を蟲狩りへと向かわせた。ブライアンは通常の軍とは違い、蟲を狩る蟲狩りも管理していたのだ。


 初めてみる異形の存在。人を超えた圧倒的な力。


 それを斬った。斬って斬って、斬りまくる。

 それしかないのだ。

 斬らねば食われる。軍を抜ければ、行く宛もなくなかった。

 蟲に挑み戦うしかなかったのだ。それ以外、生きる道はなかった。


 死亡率の高い蟲狩りへ配属された当初は、スペード家の計画の一部かと思った。血の繋がりなどほとんどない元跡取りの存在が邪魔となり、俺を始末しようとしているのかと思っていた。

 が、しばらくブライアンと付き合ううちに、彼にそんな考えなどないことがわかった。

 そんなことを考える男ではなかった。ブライアンの頭にあるのは、敵を倒すこと、研磨して腕を上げること、名声を得ることだけだった。根っからの軍人で、俺が蟲を見ても戦意喪失し逃げ出さない男だと見抜き、育てたかっただけだった。


 叔父であるブライアンの元で、日々蟲を狩っていた。

 ある日、蟲が出る地域の見回りを命じられ、一人森を歩いていた。


 唸り声に目を向けると群れからはぐれたのだろうか、狼が一匹俺を見つめていた。

 銀色の毛。

 満月の月明かりに、銀色の毛が輝き、神聖な動物のように見えた。


 そうか、ここはお前の縄張りか。


 蟲に気を取られ、知らぬ間に狼の縄張りに足を踏み入れていた。

 悪かった、行くよ。

 そのまま去ろうと思った。が、狼は唸り声をあげながらこちらに一歩近づく。

 睨み合い、何度も交差する視線。


「逃げろ。どこかへ行け」


 やつにそう言った。俺は蟲狩りだ。猟師ではない。俺の敵は蟲であり、お前と戦う理由はない。

 だが狼は逃げなかった。もう一度、その場を去ろうとするも奴は逃がそうとしなかった。猛々しい目をしてこちらに襲いかかってきた。

 その首をはねた。

 仕方なかった。やらねば、やられていた。


 威嚇代わりに剣で軽い怪我を負わせることもできた。だがしなかった。あの狼の目は、命ある限り俺に向かってくる目をしていた。だから俺は斬った。せめて無駄に苦しまぬように、一撃で仕留めた。


 街へ戻ると、剥製師に命じて銀色の狼の首で仮面を作らせた。

 出来上がった仮面を被る。

 ありふれた顔の若者の姿はなく、狼の仮面をした妙な姿の男がいた。よくできている。


 ————お前は私によく似ている


 見せぬ見せぬ見せぬ。

 もう二度と、誰にも決して素顔を見せるものか。


 決してな。

 




「つまらぬ話だったろ」


 ベットの上に放りだされた狼の仮面が物悲しく見える。


「ライナス様・・・」


 仮面の下に隠されていた悲しみに言葉を失う。ライナス様はずっと1人で苦しんでいたのだ。その悲しみを仮面という形で隠していた。


「花嫁よ、今まですまなかった」


 しばらくの沈黙の後、ライナス様は言った。思いがけない言葉に、何も言えずライナス様の顔を見つめるだけだった。


「スペード家を出てから誰かと関わることをずっと避けて生きてきた。跡継ぎでも無い今、妻帯などする気もなかった。だから突然花嫁を迎えて・・・慣れてないのだ。誰かに愛情を向けられることに慣れていない俺は・・・いずれ花嫁も俺の元から離れるのだ、なら最初から突き放せばと・・・思っていたのだ」

「ライナス様・・・」


 情けない。辛い過去に苦しむライナス様にかける言葉が思いつかない。今までかけられた冷たい言葉、無機質な瞳、その全てがライナス様の精一杯の抵抗だったのだ。

 誰よりも孤独を知る、ライナス様の苦しみだったのだ。


「どうした?子供のようだと呆れたか?」


 さっきから何も言わない私にライナス様は少し寂しそうに言った。


「呆れたなんて・・・呆れたのは己に対してです。無学な私は辛い過去を告白してくださったライナス様にかける言葉が思いつきませんでした。主人を慰める事もできぬ自分の愚かさに呆れたのです」

「・・・愚かなものか。そなたがいてくれたから俺は・・・」


 そこまで言ってライナス様は黙ってしまった。

 仮面を被らぬライナス様の顔を見ていると、不思議な気持ちになった。

 人に心を開かず、ニヒルで掴みどころのない人だとずっと思っていたのに、今目の前にいるライナス様は角のない素直な優しい青年に思えるからだ。

 同じ人なのに、仮面の有無でこんなにも人が変わるのかと思ってしまう。

 やがていつもの高笑いをした。


「花嫁も不運だな。こんな男の妻となる為に、はるばる異国から来たのだからな」


 いつものような強い声なのに、なぜこんなにも寂しそうに見えるのだろうか。

 ライナス様は言っていた。私もいつか養父母たちのようにライナス様の元から去っていくと。

 でもそんなことはない。

 時がきた。全てをお伝えする、その時が。


「ライナス様は私はいかなる事があろうともあなたの元を去ることはありません。いえ・・・去ることなんてできないんです。私がこの世で縋ることができるのは、あなた様しかいないのです」


ライナス様が不思議そうに眉を寄せてこちらを見る。 


「私もお話しいたします」


 エリーナの生い立ちを。闇深き哀れな物語を。

 全てを語る決意を持ってすぅっと息を飲み、静かに伝えた。


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