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ライナスの素顔

 部屋に戻るなり地下から持ってきた灰薬の準備をする。

 ライナス様の容体は一層悪くなっていた。

 緑に毒された範囲は上半身全体に及んでいる。

 傷の手当をしていた使用人たちを下がらせ、ベットの横の椅子に座る。


 苦しそうにうめくライナス様。

 狼の仮面越しからも血色の悪さが伝わり胸が痛む。

 うまくいくかしら。間に合うかしら。正直なところ、ギリギリだわ。本当に一刻の猶予もない。何か一つでもミスをしたら、それで終わりだ。

 不安と恐怖、焦燥感が一気に押し寄せる。

 が、それら全てを心から排除、封じる。祈りにも似た気持ちで深呼吸を一つ。今は目の前のことを命懸けでやるだけ。


 持ってきた灰薬の中から、白い粉と茶色の灰を混ぜていく。

 白い粉はティースプーン四杯分、そして茶色は耳かき一つ分。この茶色の灰の分量がとにかく重要なのだ。

 肩越しにアールが不安げに私の手元を見る。


「奥様・・・一体何をなさっているのでしょうか」

「この傷はおそらくフジハミキリに受けた傷でしょう。フジハミキリの牙には毒があり、麻痺作用があるの。体内に入れば、毒によって臓腑の機能は弱りいずれ機能しなくなる。それが心臓か肺に達すると死んでしまうわ」 


 混ぜた灰薬を傷口に振りかける。


「この灰薬は鋼鉄蛾<コウテツガ>とミミズミズの灰を混ぜたものよ」

「なっ、ミミズミズですか?!エリーナ様いけませんそれは・・・」


 驚いたアールが慌てて私を止めようとする。


「アールッ、私を信じて!!」


 こちらに伸びていたアールの手が、ぴくりと止まる。

 私は厳しい口調でアール、いやその場にいた全ての人間に伝えた。


「旦那様は必ず助ける。その為に全力を尽くすわ。隣町の医師を待つ以外、他に手がある?無いなら今は信じて見守って」


 アールはまだ何か言いたげではあったが、旦那様のためと言葉を飲み込んだようだった。


「鋼鉄蛾の鱗粉には毒によって負ったダメージを再生させる力が、ミミズミズの灰はそれだけで使えば猛毒だけど、こうして他の灰薬と混ぜると蟲の毒を中和させる効果があるのよ」


 効果が高いので、分量には細心の注意が必要だ。

 シイラ、と声をかけてライナス様の頭を浮かす。小皿に持った灰薬をライナス様の鼻の近くに寄せる。


「毒が肺に達すれば呼吸ができずに死んでしまう。肺にはこうやって呼吸で取り込ませるのが1番なのだけれど・・・」


 どうしよう。


 ライナス様の呼吸が弱い。

 鼻の近くに薬を置いてもあまりすってくれない。

 この場合は鼻と口の周囲に粉を直接添付して、少しでも鼻腔から摂取させるしかない。

 だけども粉を塗ろうにも鼻と口のそばに仮面が邪魔している。狼の仮面がなければ、薬を取り込むことができるのに。

 鼻の前に置かれた薬は、さっきからほとんど摂取されていない。


 方法は一つしかなかった。

 狼の仮面を取るしかない。


 ———でもいいの?


 だってライナス様は素顔を拝めるのは真の妻だけだとおっしゃっていた。

 挙式でさえ仮面を外さないお方だ。仮面をつけることはライナス様にとって、深い深い理由があるはず。

 もし許可なく仮面を取ったら・・・。

 例えそれが命の危険が迫っていたとしても、果たして許してくれるだろうか。

 

 考える。

 考えても、わからない。

 

 もしかしたら、怒りをかい、今までの事は全て無に帰り、また情のない夫婦関係に戻るかもしれない。どこか遠くの屋敷に追いやられるかもしれない。

 それならまだいい。

 最悪、離縁され、私はインイ国に送り返されるかもしれない。インイに戻ればもう私の令嬢としての居場所はなく、またあの寂れた漁村の町でその日暮らしに戻るかもしれない。

 嫌な想像が頭をめぐる。

 

 でも———。

 

 それでも1番最悪な事は離縁される事でも、貧しい暮らしを続けることでもない。ライナス様がこのまま息を引き取られることだ。

 そう答えが出れば、迷いはない。

 

 アールを呼ぶ。


「奥様?」

「仮面をとるわ」


 私の真剣な瞳に、一瞬たじろいだ。


「仮面を・・・旦那様の仮面をですか?」


 声に困惑の色が見える。わかっている。難しいことを言っているのは。


「そう、仮面を取るの。もうこれしかライナス様をお助けする方法はない。アール、ごめんなさい、ダメなことだとはわかっている。でもこれしかないの。シイラ!!もし誰から私を止めようとしたら力づくでもそれを阻止して!!いいわね!!」


 シイラは頼もしそうに頷き、ふんっと力こぶを見せて「承知しました」


「アール止めたって無駄よ!!いくらあなたが邪魔をしようとも・・・」

「止めません」


 誰よりも穏やかな顔をしてアールがいう。


「止めるものですか。私の使命は旦那様をお守り支えること。その為であれば例えこの身引き裂かれようが、シイラのヘッドロックを食らおうが、お守る次第でございます」


 最後がちょっと余計だったけど、アールの思いが通じた。私たちの共通の願い。

 ライナス様をお助けする。

 アールに目で合図をして互いに頷くと狼の仮面に手をかける。


 そして仮面を、取った。


 ———。


 顔は若かった。


 長い前髪が額にかかり、眉は苦悶の表情を浮かべている。

 それでも噂されていたような、三つ目や顔の爛れなどはなく、頬の下に小さな傷跡があるくらいだ。鬼のような形相でも化け物のような顔でもなかった。

 むしろ平時の時であれば、無駄のないすっきりとした顔立ちに思えた。


 何より若い。

 ライナス様は35歳と伺っていたけれど。

 本当に35歳?


 現代の日本も一昔前に比べたら、40代でも綺麗なお母さんはいっぱいいるし、30代の男性アイドル達を見ても肌は綺麗だし、かっこいいと思う。だとしても、とても35歳には見えない。


 せいぜい20代前半だ。

 あの肖像画に描かれた貫禄のある男性とも遠い。


 なぜ?


 初めて見た夫の顔をしばらく見つめていた。

 だがふと我に返って、治療を続ける。

 そうだ、時間がない。急いで治療を進めないと。


 素早く薬を塗ると、わずかだが呼吸の度に灰薬が吸い込まれていく。


「奥様!!」


 アールが指差す先を見ると、上半身を染めていた緑がわずかに色が薄くなっている。


「これは毒が中和されているのでしょうか」

「ええ、薬が効いている証拠だわ」


 安心している暇はない。私は急いで次の治療に移る。


「次は止血をするわ」


 横からすっとアールが小瓶を差し出す。


「どうぞ、ショウグンバエの灰薬でございます」


 ショウグンバエは以前屋敷を襲撃した蟲だ。ショウグンバエの灰薬は傷口に振り掛けると傷口を塞いでくれる作用がある。

 この灰薬は一般的な軍人たちも携帯して使用していることが多い。民間でも割と知られた治療法だ。

 が、今回はこれではダメ。


「その灰薬は使わないわ。こちらを使う。シイラッあれを」


 シイラは別の瓶を差し出す。そこにはどろりとした透明の液体が入っていた。


「ショウグンバエの唾液よ。これを使う」


 ショウグンバエは灰となった灰薬でも効果がある。でも今回は傷口が非常に広範囲かつ、止血量が多い。

 おそらく灰では効果が薄く、十分ではない。


 その場合は唾液が有効だ。非常に粘度が高く、また空気に触れると徐々に硬化する。この特徴を利用して、傷口に添付すると傷が塞ぎ止血できるのだ。応急処置で接着剤を使用するのに似ている。ショウグンバエはこの唾液で獲物を硬化させて捕食すると言われている。

 そっちの方が効果があるなら、みんなそれを使えばいいと思うがそうはいかない。


 唾液は空気に触れるとすぐに硬化が始まるため、採取がとても難しい。ショウグンバエの首を切り落としたら、すぐに瓶に入れる。それを数日かけて、口から出てきた唾液を採取するのだ。

 死後時間の経ったショウグンバエでは採取ができないので、とても貴重な灰薬だ。


 屋敷に蟲が現れた日。


 ライナス様が首を切り落とした後、その首をシイラとこっそりと運んで密かに採取していたのだ。まさかこんなに早く役立つとは思っていなかった。


「あの時採取しておいて、良かったですね」


 シイラの呼びかけに、うんと頷いた。

 毒の中和と止血が完了すると、ライナス様の顔色が徐々によくなっていく。

 苦悶が刻み込まれた眉が解かれ、安らかな目元になる。 

 周囲の者達にも少しづつだが、安堵の空気が流れる。とりあえず、山は越えたのかしら。


 最後にシイラに頼んでいた薬を受け取る。

 灰薬をお湯でといたものだ。

 シイラにまた頭を上げてもらうと、口元へ運ぶ。


「ライナス様、どうか飲んでください」


 わずかに空いた口元に薬を流し込む。

 最初は口から垂れてばかりだったが、徐々に体が回復してきたのか少しづつ薬を飲んでくれた。


「こちらはなんの薬なのですか」


 シイラの質問に答える。


「バショウ蚊の灰よ。灰には蚊の吸った血液成分が凝縮されていて、湯で煎じて飲むと補血にいいの」


 最後の一口を飲み終える頃には随分と生気の戻ったお顔をしていた。

 大丈夫。

 これなら大丈夫。

 アールとシイラから大きな安堵のため息が漏れ、使用人たちの声に希望が見える。


 やがて、ライナス様の瞳がうっすらと開かれた。



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