若い男
翌日の午後、「今日は天気がよろしいので、風を感じてみては」とアールに勧められ、彼の入れてくれたコーヒーを片手に窓辺に座り読書を楽しんでいた。
少し難しい書物だったから、コーヒーで頭が冴えていく。
静かに深呼吸をしながら、ぼんやりと外に目をやると庭に見慣れた姿を見つけた。
あれは・・・旦那様??
お供も連れず庭を一人で歩いていた。庭をぷらぷらと散歩するわけでもなく、スタスタと目的地に向かって歩いていた。
どこへ行くのかしら。正門や馬小屋でもない、裏門の方へ向かっていた。
裏門?
裏門は滅多に使われない。裏は森で、主に害獣駆除をする際に、使用人が出入りするのに使用するくらいだ。後は、たまに森の中のキノコや、野草を取るくらい。
ご多忙な旦那様自ら、害獣駆除などするわけはないし。
なぜかその後ろ姿が気になってしまった。
急いで部屋を飛び出し、使用人に何事かと驚かれるくらいのスピードで階段を降りる。そして裏門へと向った。
裏門にはすでにライナス様の姿が見つからず、門をそっと開いて辺りを見渡す。
いた。
ライナス様が森の中を一人、歩いていた。
やはり一人だ。
一体どこへ向かわれるのかしら。
どうしよう。一瞬悩んだ後、ついていくことに決めた。
ライナス様はあまり自身のことを語りはしない。自身について詮索されるのを嫌っていた。勝手に尾行みたいな真似をしたら関係が悪化する可能性もある。でも好奇心の方が優って、つい来てしまった。
蟲狩りのライナス様のことだ、無闇に近づけば尾行がすぐにバレてしまう。抜き足差し足、息を押し殺して森を進む。
用意もせず慌てて出てきたもんだから、ハイヒールを履いている足が痛い。
どこまで行かれるのかしら、あんまり遠くまでいかないといいんだけど。
それはそうと、日頃から鍛えている蟲狩りの隊長の体力をなめていたわ。
慣れた様子でずんずんと進むライナス様の足は想像以上に速く、ついていくのが大変なのなんのって。大学時代に登山サークルに入っていた経験が生きたわ。人生何事も経験ね。登山経験がなかったら、見知らぬ森で一人迷子になっていたところよ。
鬱蒼としていた森が終わった。光が見える。
明るく開けた場所につくと、ライナス様の足が止まる。
腕を組み、景色を眺めていた。
ここって・・・。
「花嫁よ、ここにきて一緒に見ないか」
ぎくっ。
恐る恐る森から出る。こちら振り返る様子はなく、背中からは怒りの空気は感じない。
「ライナス様」
そっと隣に並ぶ。
一度も振り返ることもなく歩いていたからバレてないって思っていたけれど。バレバレか。
ふっと笑う。
「気づいていました?」
「闇夜の中、音も立てずに近づいてくる蟲と戦っているのだ。人間の足音など歌い踊る音楽隊のようにはっきりと聞こえるものだ」
「そうですね」
この人は本物だ。本物の蟲狩りなのだ。
丘の上からは街が一望できた。ライナス様の治める街だ。
「ここからは街全体がよく見える」
「綺麗・・・」
「ああ、美しい街だ」
とても美しい街だった。赤茶色の煉瓦造りの街。
街を流れる川や、青々とした緑、そして人々の街が見事に調和している。
砂つぶのように小さく見える人々が力強く働き、生命力のみなぎる街だ。
「輝いています」
「輝いている、か」
狼の仮面はずっと街の方を向いている。
「花嫁も知っているだろうが、ここは俺が治める街だ。平和で美しい街、生き生きと毎日を懸命に生きる者たちの生活は俺の手のひらの上にある。時に重く、時に暖かく、痛みを伴いながら俺の手の上にある。それを忘れぬためにここへ来るのだ」
「重責ですね」
「それが領主だ。特権もあり義務もある」
母もそうだった。
貴族出身で、多くの人間に傅かれ、髪や体を洗ってもらい、身の回りの生活一つだって使用人が行なっていた。食事も服も、庶民には一生手の届かない高価なもので、一流の踊り子や楽士の舞台を見たり、誰もが憧れる生活だった。
でも結婚相手を選ぶことはできなかった。政略結婚は貴族や王族の娘には義務だった。
「軽くなりませんか」
「ん?」
「私も領主の妻です。二人で持てば少しは軽くなりませんか」
形式上でも、私はライナス様の妻だ。妻である以上、私もまたここの領主なのだ。
「ライナス様」そう言って明るくもてなしてくれた人々。彼らの生活を守るためにライナス様が背負っている責務を、私も持てば軽くならないだろうか。
「ハハハハッ・・・・」
ライナス様の高笑い。
笑いが終わるといつも通りの口調でキッパリと言った。
「共に持つか。いらぬお世話だ」
そうか。
しゅんと気持ちが沈む。また余計なことをしてしまった。
「俺は蟲狩りの隊長だ。これくらい一人で持てなくてどうする」
街を見つめる瞳は燃えるような強い炎を宿していた。
ああ、この人は強いのだ。私の助けなんていらないのだ。
ただ・・・とライナス様は言葉を繋げる。
「もし一人で持てなくなったその時は、お前が支えてくれ。この街の人々を守ってくれ」
ライナス様の方を見る。
その視線は相変わらず一途に街を見つめていた。
誰の寄せ付けずに戦うだけではなかった。この手で守ると己に誓いを立てているのだ。
この方はまっすぐな志を持った人なのだ。
「本当に綺麗な街ですね」
「ああ・・・とても美しい」
そう言って初めてこちらを見た。
顔は微笑んでいた。
不思議なことに若い男と重なった。
一瞬見えたその姿は若い男だった。
ライナス様の年齢や図書館で見たご先祖の肖像画の男性よりもずっと若い、青年の姿と重なる。
誰?
今のは誰なの?
しばらく街を二人で並んで眺めていた。
やがて日が沈み、街を朱色に染め始めた。
「帰るぞ」
「はい」
「違う、お前に言ったのではない」
? はて、私じゃない?
他に誰が・・・と思っていると。
「そこにいるんだろう、アール」
ええ!アール??
慌てて森の方を見るとアールが森の中からライナス様の愛馬を連れ、出てきた。
「アール!」
「旦那様、奥様お迎えにあがりました」
いつも通り丁寧な挨拶をして、姿勢良く頭を下げた。
「ふんっ、俺の執事は優秀なのでな。行くことを告げてなくてもいつも迎えにやってくるのだ」
愉快そうに笑っている。
アールもまた微笑むと、すぐに顔をキリッとさせ言った。
「伝令蛍がきました」
伝令蛍。
蟲の一種で主に軍人が使う連絡手段だ。
蛍の光の瞬きを使った信号で伝令を伝える。手紙では間に合わない急ぎの伝令に使用される。
「任務か?」
「はい、応援要請でございます」
「では急いで帰らねばな」
アールが馬をライナス様に引き渡す。
「花嫁よ」
ライナス様がこちらに手を伸ばす。そこに手を重ねる。
温もりが伝わってきた。
馬の後ろに乗る。森の中を器用に馬を進め、帰り路を急いだ。
狼の仮面で素顔も心も隠している人だけれど、少しだけ彼という人がわかった気がした。
あ、この香り。
またライナス様からふわりと香る。
この前、一緒に馬に乗った時もこの香りがした。
濃厚で少し官能的な香り。
なんの香りかしら。
まさか、ライナス様のフェロモン!?まさか・・・ね・・・。
夜、久しぶりにライナス様と夕食を楽しんでいた。
昼間の任務がすぐに終わり、夕暮れ前に戻られたのだった。早いお戻りに慌てて出迎えると「一緒に夕食でも取ろう」と誘ってくれたのだ。
口には出さないが、口調や仕草から上機嫌で、任務がうまくいったのが伝わってきた。今日の任務で駆除した蟲について話してくれた。
「チャミネは全く悪臭がひどくてな。慣れるまで苦労をした。新人はその臭いで失神するものもいるからな」
「それでハッカを持参されたのですか?」
「ああ、それを嗅いで誤魔化している」
最初は任務や蟲については「女には関係ない」と教えてくれなかったのに、最近は時々任務の話などしてくれる。
私もまたライナス様に対する気持ちが変わってきていた。
捻くれた狼の仮面の男を、少しづつ愛おしく感じ始めていた。
素顔も知らない男なのに。
この人の瞳は冷酷で静かだけど、その奥に炎を感じる。強くて、温かい炎を。
「ライナス様。伝令蛍でございます」
部屋に入ってきた使用人が告げた。
「どうされたんですか?」
「任務だ。急ぎの呼び出しだ」
「そうですか、ではすぐに支度を」
居間で旦那様の支度を手伝う。
コンコン。
シイラがトレーを持ちながら部屋に入ってきた。
「旦那様、お茶を入れました」
トレーに青色の装飾が施されたティーカップを乗せていた。
「ご苦労。だが悪いがもう出立だ。下げてくれ」
「いえ、ぜひお飲みになってからお出かけください」
「悪いが蟲狩りの呼び出しだ。呑気に茶など・・・」
何やっているのよシイラ。蟲狩りの呼び出しとなれば誰かが襲われているかもしれない。ライナス様の言う通り、呑気にお茶なんて飲んでる場合じゃないのよ。
「こちらのお茶はブルーベリーティーでございます。ブルーベリーは視界をクリアにして視力を向上させる作用がございます。旦那様はこれから視界の悪い夜間の蟲狩りへ。任務を遂行と無事のご帰宅の為、微力ながら少しでも助けになればと思い入れさせて頂きました」
旦那様が反応する。
「確かに夜間の蟲狩りは視界が悪く、危険が高まる。なるほど」
「はい、ぜひこちらをお飲みいただいてから挑まれた方がよろしいかと」
「一理ある。気持ちを集中させるためにも一杯頂いてから向かうとするか」
椅子に座るとシイラの入れた茶を飲み、旦那様は向かった。
「お気をつけて」
「ああ、先に寝てて良い」
「いえ、いつも通りお出迎えいたします」
悪戯っぽくニヤリとする。
「飽きないな。勝手にしろ」
「いってらっしゃいませ」
旦那様が出発すると部屋へと戻った。
シイラが旦那様と同じブルーベルーティを入れてくれた。
「さっきはありがとうね。あなたの機転にはいつも感心するわ」
「少しでもお嬢様のお役に立てて何よりです」
シイラの鋭い眼光は、侍女としてはとても有能だ。
カップを両手で包みこむ。温かい。窓の外を見ると、雲が出て月を半分隠そうとしていた。
雲が出ずる時、私は不安になる。ただでさえ暗い森が、さらに暗く視界が悪くなるからだ。
祈った。
神様、どうか今宵もライナス様が無事に戻られますように。
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