毒と愛
「頼んだぞ」
「はい」
馬を使用人に預け、少し先を行くライナス様に続く。
ずっと遠くに感じていたライナス様が今は近くに感じる。まさに今歩いているこの距離。
手を伸ばせばすぐに触れられる、後一歩近づけばライナス様に寄り添える、それくらい互いの心は近くにあるようだった。
「ライナス様、今日はありがとうございました」
ライナス様の返事はない。けれど、私は浮かれていて気にもならない。
そうだ、今夜一緒にディナーはどうだろうか。シイラはお菓子作りが得意だと言っていたっけ。食後に手作りデザートを出してはどうかしら。ああ、それならばやっぱりピーチパイのレシピは聞いておくんだった。次、街に視察に行った際に聞いてみよう。ライナス様、次も連れてってくれるかしら。
自然と声が弾む。顔がにやける。ライナス様の横に並び声をかけた。
「あの、よければ今夜・・・」
「無理だ」
間髪入れずに返事があった。
「え・・・」
まだ何も言っていないのに。
自然と足が遅くなる。私のペースなど気にも留めずそのままの速度でライナス様は歩く。
「何の誘いだか知らんが、答えはNOだ」
「あ・・・その・・・」
「今日こなさねばならぬ事が多々あるのでな。無駄な時間を使った。もう話しかけるな」
冷たい声だった。心底そう思っているような、厳しい口調だった。
足が止まる。
隣にいた私が歩みを止めてもライナス様は気にもとめず、スタスタと歩いていく。
その歩みについていく気力はもうなかった。
「・・・すみません」
謝罪の言葉がライナス様に届いたのかはわからない。
自分ではわかるくらいに声が震え、語尾が擦れていた。
ライナス様の大きな背中に視線を送る。ライナス様は一度も振り返ることもなく、歩き去って行った。
結局距離など縮んでいなかった。
確かに二人で出歩き、様々な話をした。
けれど楽しんでいたのは私だけで、彼はただ頼まれ事をこなしていたに過ぎなかった。それ以上のことはしない。
この二日間、散策に行っていた時のようにまた楽しく時を過ごせたら、そう願って私は努めてあの出来事を気にしてないかのように振る舞い、ライナス様に声をかけた。
けれど態度はそっけなく、出迎えた夜も一度も目を合わせずに「下がってよい」とだけ言った。
これは何をしても無駄だろう。
振り出しどころか、一度気持ちが舞い上がった分大きくマイナスに感じる。
そもそも私が間違っていた。仲良くなろうなんて思わなくてよかった。
シイラの言う通り、情を感じる程度に親しくあればよかった。
心を通わせようなんて、思い上がってはダメだった。
胸の奥がズキズキと痛む。
その夜、この国に来て初めて泣いた。
「罪人の娘」と言われても泣かなかった私だった。それでも、初めて泣いた。
苦しい。
一瞬でも幸せだと感じてしまった。穏やかな生活を感じてしまった。
母が罪人として役人に連れて行かれた日、あの日と同じ苦しみ。
幸せな結婚を夢見てしまった自分がいた。既に物語のバッドエンドが決まっていたのに、ハッピーエンドになるのでは、と夢みてしまった。
「馬鹿な私・・・」
呟いた自分の声を聞いて、また涙が溢れ出て、嗚咽が漏れる。
今日は久しぶりに父のことを思い出してしまった。ずっと前に亡くなった父を。
父は遊牧民の長だった。幼い頃から帝王学を学び、聡明で威厳のあるインイの皇帝とは違い、草原で育った父。堅苦しいことを嫌い、自由を愛していた。裏表がなく、忖度よりも自分の心に従う性格ゆえ、誤解されやすく敵も多かった。だが、決して人を裏切ることや弱いものをいじめることはしなかった。
だから父は民から慕われ、そして皇帝も信頼していた。
まっすぐで、よく日に焼けた少年みたいな笑顔をしていた。都育ちの母は遊牧民である父の元へ嫁ぐことが決まった時、とても不安だったそうだ。だけどすぐに父の内面に触れ、二人は惹かれあった。私もいつか、父と母のように思い思われる夫婦になりたいと思っていた。
でも、それは叶わぬ夢だった。
部屋の側にいるシイラやアールは私の泣き声に気づいてはいるだろう。けれど、部屋には入っては来なかった。それが有り難かった。
今は一人静かに泣いていたかった。
翌日、アールは湖畔へのピクニックを勧めてきた。
なんでも領地の外れに美しい湖があり、そこの花が見頃でたいそう美しいのだとか。
「今が一年で一番美しい季節です。よければ領地の視察がてら、ご覧になってください」
ピクニックか。あまり気乗りはしなかったが、気分を変えたかった。
少しでも屋敷を離れたかった。泣いて少しはスッキリとしたが、やはり頭のどこかにはライナス様の冷たい態度が焼き付いていて、チラチラと浮かんでくる。
屋敷にこもっていると気分が塞ぎ込んでしまいそうだ。
アールは仕事があるといって同行できなかったが、シイラの他に護衛と道案内に使用人が3人同行した。
領地の外れと言っていただけに、距離は遠く、かれこれ馬車で一時間ほど揺られていた。
窓の外を見ていると嫁いできた日を思い出す。
あの日も不安でいっぱいだった。旦那様はどんな人なのだろうか、私の今後の生活はどうなってしまうのだろうか。
変わらない。何も変わらない。
結局今も不安ばかりだ。
ライナス様は私に好意どころか情さえも感じられていない。
あの時感じた不安や絶望、そのままの結婚生活だった。
前世でも今も、何も変わらない。私の人生は不安と絶望の連続だ。
私の気持ちを察しているのか、シイラは黙ったまま真っ直ぐ前を見つめていた。
「素晴らしいところですね」
馬車を降りるなり、シイラが感嘆な声を出す。
本当に綺麗だった。ネモフィラに似た青い花が湖の周囲に一面に咲いていて、まるで青い絨毯のようだ。
湖はしんと静まり返り、空の青さを映していた。
世界が違う。
ここだけは別世界のような美しさだ。
アール特製のスコーンや焼き菓子、そしてサンドウィッチなどを食べながらゆったりとした時間を過ごした。
美しい景色の中、美味しい食事をつまみながら使用人たちと、たわいも無いおしゃべりに花を咲かす。
自然と美しい景色と、豊かな食事。
この時間が、私の中にあったモヤモヤが嘘みたいに消していった。
「おや、行きと道が違いますね」
すっかり満腹で馬車の中で半分寝ぼけていると、シイラが険しい顔で外を見渡す。
そうだっけ?ぼんやりと考えごとをしていたので、道なんて覚えていない。
でも来てよかった。帰ったらアールにお礼を言わないと。
屋敷に着く頃には日が傾いていた。夕方というよりも、夜になっていた。すっかり遅くなっちゃった。街灯も電気も無い世界では、夜の訪れをはっきりと感じられる。夜は闇の世界なのだ。昼の延長ではない。別の世界。
自室に入るなり、私は口元をハンカチで覆った。
「ん?何か変な香りが・・・」
「シイラ、ハンカチで口元を覆って。あまり匂いを嗅がないで。これは毒よ」
「なんですって。どういうことでございましょう?!」
「しっ、声が大きい」
周囲をぐるりと見渡す。部屋には私たちだけ。
薬草と土の香り、そしてわずかに感じる生臭い血の匂い。間違いない。
あの時嗅いだ毒の匂いに似ている。
恐ろしい記憶が脳裏をよぎり、胃酸がグッとこみ上げてくるのを感じる。
母が死罪を賜り与えられた毒薬。太監が持ってきた毒薬の匂いに似ていた。
「いい?この匂いは毒よ。おそらく屋敷の誰かが、この部屋のどこかに毒を仕込んだんじゃない?」
匂いだけじゃない。部屋も誰かに動かされたような、微妙に配置がずれているような妙な違和感があった。
「毒ですか・・・でもなぜ奥様を?」
「それは・・・」と口ごもる。
それはきっと昨日のライナス様の様子だ。私の存在が疎ましくなったのだろう。そしてライナス様の命を受け・・・考えたくはないが、それ以外に思いつかない。
シイラがはっとする。
「そういえば、帰りの道は別のルートでした。あれはもしかして、毒を仕込む時間稼ぎでは?」
「ねえ使用人たちの様子もおかしくなかった?妙に暗い顔で俯いていて、態度もそっけなかったわ」
「やっぱり・・・毒を仕込んで・・・」
二人の間に重苦しい沈黙が流れる。
「で、でも毒が仕込まれたとして一体どこに??」
「わからないわ。でもこの部屋のどこかにあるのは確かよ。例えば・・・あの水差しの水とか、着替えに毒を染み込ませているとか・・・」
「で、でどういたしましょう」
私たちは極力何も気づいてないように振る舞って過ごした。バレてしまえば一思いに襲われるのではと思ったからだ。
部屋の食べ物や飲み物は全て処分して、着替えもシイラとゆっくり調べてから身につけた。
夕食は昼食を食べ過ぎたので、いらないと断った。食事に毒を盛られる可能性があったから。
だがアールは心配そうに、わざわざ部屋にお手製のホットサンドとフルーツを持ってきてくれた。
「少しですが、どうぞお召し上がりください」
「ありがとう」
アール、彼も怪しいわね。屋敷の中ではライナス様の一番の右腕のような存在。
この人なら私に毒を・・・・。怪訝な顔でアールを見ていると「おや?奥様、なんだか表情がいつもより暗いようですが・・・」
「き、気のせいよ。もう下がっていいわ」
「そうですか・・・。そうそうお気づきになりましたか」
「何?」
「ですから、この香りですよ」
まさか、敵から白状するとは。こうなったら話は早い。
シイラに目配せをすると、シイラはガシッとアールにヘッドロックをした。
「グホッ」
アールは突然のことに目を白黒させ、この苦しみから逃れようと両腕をジタバタさせた。が、シイラのヘッドロックからはそう簡単には抜け出せない。
「ようやく尻尾を出しましたね。やはりアールさんでしたか」
「い・・・いったい・・・な・・・なんの・・・くるしい」
シイラの腕の中でもがき苦しむアールを問い詰める。
「だからこの匂いよ!!どこに毒を仕込んだのよ」
「・・・ど・・・毒??はて・・・なんの・・・本当に死ぬ・・・」
徐々にアールの呼吸が弱くなっていた。いけない、罪を告白させる前に死なれたら困るわ。
シイラはアールを解放した。
「ゴホゴホ・・・奥様、毒とはなんのことでしょうか」
「とぼけないで!毒を仕込んだのはわかっているのよ。土と薬品みたいな匂いが証拠よ」
毒?とアールはこの後に及んでも、知らばっくれるようなそぶりを見せる。往生際が悪いわね。
「なんと。私たちが仕込んだのは毒ではなく、蟲避けでございます」
予想外の言葉にきょとんとしてしまう。
え?蟲よけ??
「はい、旦那様の命を受けて、奥様のお部屋の壁全体に蟲避けの薬を仕込んだのでございます。これはその匂いです」
慌てて壁の前に行くと、確かにあの匂いがした。
「これは軍で特別に調合している蟲避けの薬です。奥様がピクニックに向かわれた後に届いたので、急いで壁に塗ったのです」
シイラは「行きと違う道でした。あれは時間稼ぎではなかったのですか?」
「いえ、あの辺りは遅くなると狼が出ますので、少し遠回りですが安全な道で帰らせただけです」
「でも・・・他の使用人たちはみんなよそよそしかったし、目も合わせてくれなかったわ」
「あれは私の指示で使用人総出で作業したのです。大量の砂や泥を運んで、薬と混ぜて壁に塗って乾かしてまた壁紙を貼ってと重労働でしたから、皆クタクタに疲れているのです。土の匂いはそのせいでしょう。ちなみに私は左官の経験もございますので、花柄の壁紙の下はそれは美しく仕上げられたかと・・・」
アールはいつもながら自分の技術にうっとりとしていた。
でも一体何でまた蟲避けの薬なんて私の部屋に塗ったのかしら。事情がいまいち飲み込めないでいる私にアールは嬉しそうに言った。
「先日の蟲が屋敷を襲撃なさいましたでしょう。それで旦那様が奥様の部屋の壁に蟲避けを練り込めと命じられたのです。クエルの王族の寝室も壁に蟲避けの薬が練り込まれているのです」
つまり・・・毒でもなんでもなく。
旦那様が私の身を案じて、特別に蟲避けの薬を手配して、そしてアールたちが練り込んでくれたってだけってこと。
そんな・・・。
胸の奥が熱くなる。ライナス様・・・・。
その夜、ライナス様が戻られ部屋に二人だけになると、礼を伝えた。
「蟲避けの薬、ありがとうございます」
ライナス様から返事はない。黙ってソファーに腰掛けて目を瞑っている。
「急ぎで手配して頂いたと伺って・・・私なんかのためにありがとうございました」
深々と頭を下げた。
てっきり私の話なんて聞いておらず、返事はないかと思っていたが、ライナス様はちゃんと聞いていた。
「ふんっ。花嫁に何かあれば外交問題になるからな。蟲狩りの技術を求めて皇女を嫁がせたのに、早々に蟲に食われたとなれば一大事だ」
そうよね。私のため、というよりも国のため。いやスペード家の名誉のためか。
だとしても・・・。
「たとえそうであっても、嬉しかったです。ライナス様が急ぎで手配されたと聞いて、私が胸の奥が暖かくなりました。幸せだと・・・思いました」
嘘じゃない。
たとえ国家の手前、邪険にできないだけだとしても、嬉しかった。高価な薬を私のために手配してくれ、私の身の安全を案じてくれた。その事実だけでも、私の心は地獄から天国に舞い上がったようだった。
「そうか・・・今日は下がっていい」
「はい」
笑っていた。
仮面をしていて、その表情は伺えない。でも私にはわかった。
肩が少し隆起し、少し下を向くとき、ライナス様は上機嫌に微笑んでいるのだ。これは何度もライナス様と接していて、わかったことだった。
ライナス様も喜んでくれていた。言葉にできない感情が胸の奥から溢れ出てきた。
蟲避けは本当に有り難かったのだが、あまりにも香りが強いので、落ち着くまでの二日間は別の部屋で過ごしていた。
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