風邪
「興醒めって言われたって、あんなの無理じゃない?!」
ガンッ!!アールが入れてくれた紅茶のカップをテーブルに叩きつけるように勢いよく置いた。
ちなみにアールはティースペシャリストの資格も持っているようで、「蟲でさぞかし驚かれたでしょう。本日は心休まるロイヤルミルクティーに致しました」
ごめんなさいねアール、その効果はないみたいだわ。
アールの話では、蟲狩りには女戦士もいるとのこと。それに蟲が生息している付近の住民は蟲の襲撃があると女でも武器を手にとり、村や子供守るために勇ましく戦うそうだ。
蟲という化け物に勇猛果敢に挑む女性がいるのもまた事実なのだろう。
だからって、誰もが蟲相手に戦えるわけじゃないじゃない。それに私は人を襲う蟲を見たのが生まれて初めてなのよ。
いくら蟲狩りの隊長の妻だとしても、そんなのは難しい。
興醒めだと吐き捨てたライナス様へのモヤモヤした気持ちが、行き場を失い大きなため息となった。
「無駄な命乞いっていわれてもね・・・」
化け物が目の前に現れても静かに死を受け入れられるほど、強い人間じゃない。
「旦那様は命乞いをするものがお嫌いなのでしょうかね」
「? どういう意味よシイラ」
「ほら、以前もおっしゃっていたでしょう、お出迎えを始めた頃に『命乞いか?』って」
そーいえばそんな事を言っていた。
ライナス様への愛ではなく、生き延びる為にすり寄った心を見透かし、命乞いとせせり笑った。
「常に命の危機に晒される兵士ともなると、安易に命乞いしているのが腹立たしいのでしょうか」
そーは言われても。私だって簡単に死ぬ気はない。それにさっきは本当に死ぬところだった。
「やっぱり難しいわ。旦那様と寄り添って生きるなんて。掴みどころがないし、近づいてもすぐ手を振り払われてしまう。さっきも呆れられてしまったわ。振り出しよ」
最近少しずつだけど、やっと距離が縮まったと思ってたのに。
「何度も申し上げておりますが、私たちは旦那様に縋るしかありません。ここを追い出されたら地べたを這いつくばるように、飢えと貧しさに苦しむだけです」
シイラに諭され、何か言い返そうとして言葉を飲み込む。
意味のない言葉だった。
頼れる相手もいない異国の地で屋敷を追い出されたら、私たちは飢えと貧困しかない。
祖国の後ろ盾もなく、蟲が蠢く森や砂漠に捨てられるかもしれない。
仕事・・・手に職というほどの技術もない。
まあ、令嬢としての最低限の芸事はできるが、だからといってそれで商売なんて話は別。そもそも店を持つほどの資金なんてない。
輿入れした時の荷物を売ったとして、果たしてその商売が軌道に乗るか。
下手をすれば気味の悪い親子ほど歳の離れた男の愛人になって養ってもらうしかない。
「愛し愛される夫婦になる必要はございません。ただ旦那様のお心の片隅ににお嬢様がいらっしゃればよいのです。旦那様と温情を育むまでは私達は薄氷を踏むような日々なのです」
愛される女性になるのは難しい。
でも情を通わせた相手ならなれるかもしれない。
「わかったわ。心に留めておくわ」
その言葉にシイラは静かに頷いた。
「ゴホゴホ・・・」
「おやおや、やはりお風邪を召されたようですね」
頭が重く、寒気がする。朝からなんとなく不調だったので、しばらくベットの上で休んでいたがシイラの言う通り、風邪のようだ。
「どうぞ、はちみつをたっぷり入れた紅茶です。喉の痛みに効きますよ」
「ありがとう。やっぱり昨日のかくれんぼのせいね」
やってしまった。大人気なかったかな。
私のため息にシイラは苦笑しつつも、同意した。
「確かにいい大人がかくれんぼに夢中になるのもあれですが、でも・・・楽しかったですわね」
そう、そうなのだ。楽しかった。それもただ楽しかっただけじゃない。ちょー楽しかったのだ。
昨日、庭をシイラと散歩していると珍しくゴン太とカロリーナも庭をふらふらと散歩していた。二匹と戯れていると、かくれんぼをすることになった。
二匹はかくれんぼという遊びを理解していて、最初はシイラが鬼になって二匹と木の裏などに隠れたりして楽しんでいた。すると楽しそうな声に釣られた侍女たちが遊びに加わる。次第に人数が増えていき、最終的に多くの使用人を巻き込み、屋敷中で壮大なかくれんぼをすることになった。
シイラが鬼となり、屋敷中に隠れた人と2匹を見つけていく。ゆっくりと周囲を歩き、鋭い眼光で隠れた人を見つけていく様は遊びとわかっていても恐ろしかった。その姿はまるで「悪い子はいねが??」と現れるナマハゲのよう。隠れていることに耐えられず、悲鳴を上げて逃げる侍女もいたくらい。
私はゴン太と一緒に植え込みに隠れていたが日陰だったのと、風が強い日に一日中外にいたせいで、体を冷やしてしまった。情けない。でも楽しかった。
昨日のことを思い出して、二人で声を上げて笑った。
シイラに見つかった時のカロリーナの顔を思い出すと、今でも笑ってしまう。まるでこの世の終わりみたいな顔をするんだもん。
腹の底から笑ったのはいつ以来だろうか。固くなっていた心が、柔らかくなった気がした。
「失礼致します、アールです」
「どうぞ、入って」
「奥様が体調を崩されたとシイラより伺いましたので、様子を見に参りました」
「昨日冷たい風に当たりすぎたみたい。軽い風邪だけど、旦那様に病の気を移すわけにはいかないので、残念だけど今日の出迎えは遠慮させていただくわ」
アールは咳き込む私を見て、心配そうに声をかける。
「奥様、ゆっくりとお休みください。出迎えの件は私が旦那様にうまく伝えておきますので、今夜だけでなく落ち着くまでは出迎えはお休みされては」
私はその問いには返事をせず、曖昧に笑って見せた。
アールが部屋を後にすると、シイラから紅茶を受け取る。はちみつの甘味がイガイガした喉に優しく広がる。
窓を開けて空気の入れ替えをしていたシイラを呼び寄せる。
「シイラ、ピンクの小箱を持ってきてくれないかしら」
シイラは輿入れした際に持ってきた私の荷物の中から、小さな箱を取り出す。
「こちらでしょうか?」
「そう、それ」
小箱を受け取ると、白湯を持ってきてもらう。箱を開け、白湯に溶かして飲む。サラサラとしたそれは、すぐに湯に溶け、湯を淡い紫色になる。
一気に飲み干すと、一人ベットの上で悶絶した。
相変わらずひどい味。舌全体にビリビリと刺激が走り、体が震える。
本当はあんまり飲みたくはないけど、効果てきめんなのよね。アールが風邪薬を持ってくると言っていたけど、断った。早く風邪を治すためには、風邪薬よりこれが一番なの。良薬は口に苦しとは、まさにこのこと。あー、オブラートの代わりになるものが、あればいいのに。
アールはのんびり風邪を治せなんて言ってたけど、そうはいかない。出迎えを何日も休んだらライナス様のことだ。「やはり温室育ちの娘には、連日の深夜の出迎えなど無理なのだ」なんて言われかねない。さっさと治して、また出迎えをしないと。
さて、これで明日の朝には全快しているだろう。
更新が遅くなりました。すみません。
今週からはサクサク更新をしたいと思います。




