第一話
是非最後まで楽しんでいただけると幸いです!
一人の少女が歩いていた。
琥珀の瞳をした少女の目に映るのは薄桃色の花弁を揺らす春の象徴、桜と緑の活き活きとした道路。
季節は春。世界は朝の優しくも暖かい光に包まれていた。
春は見事なほどに桜を満開にし、様々な人間の門出と旅立ちを祝福していた。
少女は桜に見惚れて立ち尽くす。
桜は時折風に揺られその花びらを風に乗せて飛ばす。
晴れ間の青空にたまに現れる薄桃色。風がやめば青空が顔を出し世は陽光に包まれる。その繰り返しに少女は恋をするように惹かれその場で空を見上げるばかりだ。
「紬」
少女は名を呼ばれてようやく意識を現実へと戻し、声の主のほうを見た。
少女が、声の主と目線を交わらせるとほぼ同時に大きな風が少女の髪をさらう勢いで吹き抜けた。
たまらず紬と呼ばれた少女は自分の髪が顔にかかるのを防ぐために軽く抑える。
風と共に薄桃色の花弁を咲かせた木々はゆらゆら、ゆらゆらと揺れた。
はらりとその花弁を落とし床に桜色の絨毯を敷く。
その美しさと儚さはいつの時代も尊いものとして人々に愛される。
「風が強くなってきたな。早く校舎に行こうか」
風がやむとすぐに紬の肩に青年の手が軽く触れる。
「はい、お兄様」
紬が頬を薄桃色に染め上げ満面の笑みでうなずくと、紬に向けて手が差し出された。
手を差し出しているのは紬にお兄様と呼ばれた青年、名を神崎朔哉。
切れ長の緋色の瞳とある程度整った顔。
烏色の髪を風に揺らしながら、朔哉は優しく微笑み紬の手を受け取った。
お兄様と呼んでいることから、二人は兄妹なのだろう。
だが、二人と初対面のものからすれば似ていない兄妹だった。
紬は彼の完璧なエスコートに逆らわずに歩き出した。
紬は歩いているだけで本人の意思に関係なく人目を惹く美少女だ。
緩く二つにまとめられた琥珀色の髪は歩くたびに波打つようにたなびく。
影を落とすほどの長いまつげが動くと、彼女の瞳に吸い込まれ、囚われる。
小さな鼻。薄桃色の唇。
少し幼さを残す短い前髪。
彼女という存在を形作るすべてのものが一級品でまばゆいほど清く輝いている。
佇まいは完璧な淑女。あるいはお伽噺に登場する姫君。
純白の肌に端正な顔。
「可憐」と「儚さ」を体現した神のような少女。
触れてしまえばはらりと舞い散りどこかへ消えてしまいそうなのに、彼女を取り巻く世界は、まさに春の光のように温かく、短い時間で花びらをすべて散らす桜のように切ない。
同性の目をも惹くほどの容姿をした少女の名は、神崎紬。
花も恥じらう美少女とは彼女のことではないかと言っても過言ではない。
「綺麗ですね」
甘い砂糖菓子のように美しく響く透き通った声で紬は囁いた。
彼女は未だ、道なりに沿って植えられている桜に視線が囚われていた。
「散ってしまうのがもったいないな」
朔哉は優しく微笑んでそういった。
「そうですね」
紬はこの桜が葉桜に変わってしまう姿を想像して眉を下げた。
紬に園芸の趣味はないものの、花を愛する彼女は美しい桜の色が春にしか見ることができない事実に彼女はさみしさを感じていた。
「卒業をしたら花見にでも行こうか」
「本当ですか!?嬉しいです、お兄様」
朔哉の提案に紬は顔色を変え大輪を咲かせる。
朔哉もそれを見て安心したように微笑む。
二人とも真新しい制服に身を包んでいることからおそらく新入生であることが考えられる。
にもかかわらず既に卒業後の話をしていることを紬は気にも留めていなかった。
朔哉にとって紬はたった一人の妹だ。
それ故に愛情を抱き、彼女の憂いや悲しみを取り除く。妹には笑っていてほしいという朔哉の根幹ともいえる願いが彼を動かしていた。
一方で紬は、朔哉に敬愛を抱いていた。
「お兄様」と敬称で呼び彼を慕っている。
しかしそれを全面に出すのではなく、ただひっそりと想いを込めた眼差しで朔哉を見ていた。一般家庭における兄妹というものはここまで良好なものとは言い難いケースが多い。
お互いを大切に想う兄妹は桜舞い散る大地で歩幅を合わせ歩いていた。
周囲を海に囲まれ、海を挟んだすぐ向こうに国が存在する日本。
その首都、東京の立川に位置する大規模な建物。
名を国立魔法学園第一校舎。
全国に五校存在し、現在も国から新校舎設立の打診が来ている魔法士育成機関。
入学試験は最難関。
魔法が現実となった今、国が魔法士育成に力を注いでいるためより優秀な魔法士を生み出すためにエリート校が出来上がっていた。
そのため魔法学園に入学を許された時点で、魔法士としての才能を、いくらか認められている証明となる。
現在の世界では、日本では魔法を行使するもの、通称「魔法士」と呼ばれるものがいた。
魔法の存在が認知され各国が持てるすべての力を尽くして覇権を握り、魔法の先進国となるため情報戦を繰り広げ世界がまた混沌の時代を歩み始めてから約五年。
未だに戦火はくすぶり各国同士の緊張感が高まっている中、冷戦状態まで事態の修正がなされたのは、三人の最初の魔法士の行動の結果だ。
世界中が魔法士を生み出しては失敗し、生み出しては失敗し、を繰り返す中、日本ではついに三人の成功例が現れた。
人々は喜び、そして恐れた。
自分たちにはない力を持つ三人を褒め称え崇め受け入れるもの六割。
自分たちにない力を妬み、恨み、恐れ差別として遠ざけるもの四割。
政府は、国は、新たに誕生した魔法士を兵器としたが、それでも自分と全く違うものを簡単に受け入れることができないのが、人という生き物だった。
彼等は兵器として戦場に送り込まれた。
一戦力と数えられ、侵攻が開始されれば当然のように送り込まれる。
彼らがいるから戦火は消えないのだと叱責するものも出たが、それでも彼らは戦った。
熱が出ても、豪雨でも、彼らは戦うことを強要され日本の守護のシステムの歯車として数えられそれに縛られていた。
耐えかねた三人の内の一人が一つの声明を出した。
________我らは人間です。我らにも自由をお与えください。兵器としてではなく人間として認められ、自由に生きたいのです。それが叶うのなら我らは喜んで国の為に戦います。
自由をくれないのなら戦わない。
世界の歯車となることを強制され家畜のように扱われるのを拒否する。
彼らは人間であるために、自由を得るために、理不尽に抗おうとしていた。
これは一種の脅しともいえて当時の日本での効果は抜群だった。
このころ、日本では実践レベルで満足のいく成功例は彼等しかおらず、彼らが戦いを拒否するということは、日本の危機だという声が絶えず政府に降り注いだ。
もちろん彼らを糾弾するものもいたが、三人は理不尽に屈しないために必死だった。
戦いを放棄することで彼らの有用性を示し、自分たちを家畜同然に扱うものには制裁を。
そうしてやっとの思いで人権を手に入れその対価として世界と日本の戦争を冷戦状態へと導いた。
冷戦状態となってから幾つもの月日が流れ、あれよあれよという間に、魔法士の三人は繁栄を築いていた。
後に現在の「日本三大名家」と呼ばれ崇められる存在となる彼らの勇ましい行動のおかげで魔法士を新たな種として人権が認められた。
こうして、日本に、世界に、魔法は深く根付いた。
そして現在、国立魔法学園第一校舎に向かう新入生は神崎朔哉とその妹、神崎紬だ。
真新しく光沢のある制服に身を包む兄弟は、今日が入学式だというのにもかかわらず人もまばらな時間帯に学園を訪れていた。
入学式の一時間前に学園に訪れているのには当然理由があった。
「おい、そこのもの!」
当然、誰かが叫んでいる声に立ち止まるためでもなく、兄妹は自分たちに話しかけられているとは思わず振り返らなかった。
兄妹がこんなに早い時間帯に学園に訪れているのは、学園の理事長から直々に呼び出されているからだ。
とは言っても、迎えの教師を待つようにと事前に連絡を受けているため、朔哉と紬はその迎えを待っているところなのだ。
「聞いているのか!?お前たちに言っているんだぞ!」
しかし、兄妹は振り向かざるを得なかった。
朔哉の肩を掴まれたからだ。
朔哉はため息をついてから後ろを振り返る。
紬を背に庇うようにして。
ため息をつきたくなるもの無理はない。
「俺たちに何の用だ?お前とは今日が初対面のはずだが?それとあまり時間がないから手短にすませてくれないか?」
朔哉はあくまでも冷静にだが、言葉には一切気を遣わずに相手と対話を開始する。
朔哉の前にいるのは同い年に見える男子生徒だった。
朔哉が同い年の中でも身長が高い方であるためか、朔哉に見下ろされている状態だ。
表情は険しく、態度からでもイラついていることがわかる。
だが、朔哉にも、もちろん紬にも彼を怒らせた心当たりはない。
朔哉は自身の脳内に保存されている記憶を隅々まで辿ってみたものの、彼とは今日が初対面だった。
初対面でいきなり肩を掴んでくるような輩に対して丁寧に話すほど朔哉はお人好しではない。
紬に対するそれとは正反対といえるほどに変わっていた。
「!貴様!私を誰と心得ている!?私は補佐有名家、城ケ崎家の次期当主の城ケ崎航大だぞ!」
城ケ崎航大と名乗った男子生徒は朔哉の冷静かつ素っ気ない言葉にさらに怒りを覚えたのか顔を真っ赤にしている。
自分が正しいと思い込み、それ以外を見下す。
(面倒くさそうなやつに声をかけられたな・・・)
朔哉は表情にはださないものの、城ケ崎に呆れていた。
もう一度城ケ崎にわかるようにため息をつきたいところだったが余計に煽ると判断した朔哉は表情を動かさないことにした。
「それで?城ケ崎は俺に何の用だ」
「貴様らが道をふさいでいたから道を開けるように注意をしようとしていたところだ。困るんだよ。私のようなものの道を君みたいなのに塞がれては」
城ケ崎の話し方には嘲笑がにじみ出ていた。
だが、朔哉は嘲りを本気にして憤りを露わにするほど子供ではない。
朔哉は城ケ崎の煽りに全く反応することなく彼の前から右に数歩ずれた。
紬も朔哉の後に続く。
朔哉は同年代の男子に比べれば達観していて、表情も揺らぐことがない。
隙がなく、冷静に物事を判断する対応力の高さは成人男性のそれと大差ない。
「ふん。最初から庶民は道を開けておけばいいのだ」
城ケ崎は朔哉の横を通り過ぎるタイミングで一瞥し呟いた。
朔哉は彼とあえて視線を合わせなかった。
「お兄様?」
城ケ崎が見えなくなっても朔哉は一歩も動こうとしないため、紬が声をかける。
「ああ。初日から面倒なやつに絡まれてしまったな」
朔哉は半分の呆れと、ほんの少しの嘲笑を含ませた表情で紬のほうへと振り返る。
そして彼女を安心させるように頭を撫でる。
そうすると紬は嬉しそうに微笑む。
「神崎朔哉くんと、神崎紬さんだね?」
兄妹の甘い雰囲気に横入りしたのは、先ほどの城ケ崎とは打って変わったような優しい声色だった。
向かい合っている兄妹のすぐ横に中年男性が一人。
二人は突然名を呼ばれ声の方向に顔を向ける。
たったそれだけの動作でも紬の綿菓子のようなふんわりとした髪は舞い踊る。
二人の左側に校舎を背にして立つ男性は白衣が印象的だった。
朔哉は学園の関係者だと推測した。
「初めまして。私はこの学園で魔法理論の講師をしている雨宮です。二人を理事長室にご案内するようにと頼まれました」
兄妹が疑問を口にする前に雨宮はすぐに名乗り、講師であることを証明する教員カードを手に持って見せた。
朔哉は彼の自己紹介を信用し、自分たちが入学式の一時間前に来るように言われていることを知っている人物だとわかり、体ごと雨宮の方へと振り返った。
「雨宮先生。では案内をよろしくお願いします」
朔哉が雨宮に対して頭を下げる。
隣にいた紬もそれに倣った。
「では、こっちです」
雨宮が自分が講師であるにもかかわらず穏やかな口調で二人を促した。
雨宮は顔に髭はないものの、小さなしわが所々にある。
足腰は悪くしていないのか、朔哉と紬も歩く速さに違和感は覚えなかった。
「入学式前だというのに、理事長はいったい何を考えているのやら」
雨宮は歩きながらため息交じりにそういった。
彼の体は後ろをついて歩く朔哉にもわかるほどぐったりとしていた。
朔哉と紬はアイコンタクトで彼の心労に同情した。
今の一言で雨宮という男は気苦労が絶えない人物なのだろうと朔哉と紬は理解した。
「お二人とも、難関といわれているわが校の試験を満点で通過した逸材だと、生徒だけではなく教師たちの間でも話題ですよ」
雨宮は下手に相手を持ち上げるでも褒めて朔哉達の反応を見て顔色をうかがうわけでもなく淡々とそういった。
魔法学園は国立なことに加えて魔法士育成機関で、毎年学園の卒業生の活躍ぶりは話題になっている。
しかし、朔哉はさほど入試の結果に興味はなかった。
「ありがとうございます」
朔哉も声色や表情を一切変えずに淡々とそう返した。
高校生徒はいえ、今年の三月に中学校を卒業したばかりの15歳の青年だ。
この年頃なら素直に喜んだりしてもおかしくはない。
「ですが、お兄様。なぜ私たちは理事長に呼ばれたのでしょうか?」
紬が朔哉に視線を寄こし恐る恐る尋ねる。
朔哉はその視線の意味を理解し、優しく微笑み返す。
「俺たちはなにも悪いことはしていないのだから、そんな不安そうな顔をするな。きっと入試の結果が良かったからその激励かなにかだろう」
朔哉の言葉には説得力があったのか紬はすぐに花のように笑った。
「そうですよね!お兄様の入試の結果はとても素晴らしかったですし!」
「ありがとう。でも紬も点数は同じだろう?」
朔哉が紬にむける感謝の言葉は先ほどのものとは違って思いが込められている。
その証拠に声色が柔らかくなった。
紬が自分のことのように嬉しそうに話すのを見て、朔哉は紬の頭に手をのせた。
そのまま優しく撫でてやると、紬はより嬉しそうに頬を染め上げる。
「まあ、紬は容姿も褒められるだろうな」
「ふふ。お兄様ったら」
紬は朔哉の冗談に自分の口元に片手をあてて優雅に微笑む。
「お二人は本当に仲がよろしいのですね」
雨宮の兄妹の甘い雰囲気を仲がいいの一言で片づけてしまうところはさすがといえる。
これまでの人生で積んできた経験のおかげで二人の仲の良さに狼狽えたりすることもせず、微笑ましそうにしている。
そこには穏やかな空気が流れていた。
「さあ、着きましたよ」
雨宮があえて穏やかな雰囲気を壊さなかったのは、兄妹が緊張してしまうことを危惧した結果だ。
兄妹の年頃なら誰でも、理事長に呼び出されるとなれば緊張はするものだ。
黒色の重たい空気を醸し出す大きな扉の前で二人は立ち尽くす。
紬は朔哉が動くのを待っているだけだが、雨宮には二人とも緊張しているように見えた。
コンコンコン。
朔哉が遂にノックをした。
少しの静寂の後、扉の向こうからどうぞという男性の声が響いた。
いかがでしたでしょうか。
グリムリーパーは長く続く予定ですので引き続きよろしくお願い致します(*・ω・)*_ _)