第42話 空白のページ
大きな建物が並ぶ通り。
その中でも、ひときわ大きく立派な建物の前、広場のようになっている場所である。
格式ばった足場が組まれ、その上に立った魔導士の老人は、民衆に向かってなにかを語りかけていた。
その言葉に歓声が上がり、拍手が鳴り響く。
どうやら演説らしきものをしているらしい。
しばらく呆然と眺めていたテルアが口を開いた。
「どういうことだ、こりゃ……?」
「――あれがこの町の高位魔導士、”ダークス・バードリー”だ」
ユニアの頭に乗っているレノウが、敵意のこもった声で告げる。
「こうい……まどうし?」
「戦闘力こそ七賢者には及ばないものの、魔法研究での実績や、魔法に関する政策への助言などが評価され、高い地位を持っている魔導士の総称だ。人にもよるが、政治的影響力も強い。ダークスもランテスタを通し、連合議会への強い影響力を持っている」
「――なるほどね……そういうことか」
ダークスに鋭い眼光を向けたテルアの目が、すべてが繋がった、と語る。
そのテルアの顔を見たリアンは、なにもわかっていない様子のテルアにツッコミを入れるか迷ったが、まだ会ったばかりのレノウの手前、ひとまずわかったふりをさせることにした。
「じゃあ、やっぱり――」
リアンが切り替えてダークスに視線を移す。
さきほどレノウから聞いた話で、ある程度予想はしていたが――
昨日ウブリの館にいた魔導士の老人。そして今、少し先に見える人物が、魔法大辞典の改変に関わったという魔導士なのだ。
「……どうする?」
テルアが横目でリアンにたずねる。
その無駄に真剣な目が、よくわかんねーから頼む、と語る。
「……ここじゃ手は出せない。様子だけ見ましょう」
そう言うと、リアンとテルアは顔を見合わせてうなずき、人だかりに向かっていった。
少し遅れてユニアも同じようにうなずき、目を輝かせて続こうとした。が、
「おい、おまえは行くな。ここで待っていろ」
「ええ!? なんでなん!?」
引き留めたレノウに、ユニアが不満の声を上げる。
「おまえみたいなのが敵の近くに行くのは危険だ」
「……おまえじゃないん。ユニア」
ユニアが目線を上に向けながら言った。
「……おまえはここにいろ」
しばし考えるユニア。
「――よし、うちも行くん!」
ユニアが駆け出す準備をする。
すると、慌てたレノウが舌打ちをしながら、
「――わかった、わかったからここにいろ、ユニア」
「おおっ、やっと名前を呼んでくれたんレノちん! これで完全パーフェクトに相棒なん!」
苦悶の表情を浮かべるレノウに、ユニアはしかし、
「でもやっぱり行きたいん」
そう言って人だかりに駆け出す。
「おいっ!? ちっ」
レノウは素早くあたりを見回すと、出店のひとつを指さしながら、
「あそこに串焼きが売ってるぞ」
「え、どこなん?」
急ブレーキしたように止まると、レノウを見上げる。
レノウが身を乗り出すように指さしたほうを見て、
「わっ、めっちゃうまそうなん!」
ユニアは、串焼きの出店のほうに大急ぎで走っていった。
◇
「――であるからして、この魔法大辞典こそ、正しき魔法の道と言えるのです」
リアンとテルアは、人混みに紛れ、ダークスの話を聞いていた。
どうやら魔法大辞典の正当性を説いているらしい。
ウブリの館にいたときとは違い、聖人の如く振る舞っている。
そのつくられたオーラに、まわりの人々は、まるで神の言葉かのように聞き入っていた。
ダークスは、近くの従者に掲げさせていた魔法大辞典を下げさせると、次は別の本を取り出させた。
「えっ……あれって――」
リアンが小さく声を漏らす。テルアの目が鋭くなった。
「これは、少し前に出回った魔法書です。知っている方も多いでしょう」
ダークスが悠然と語り出す。
従者によって掲げられたそれは、”新魔法体系 流星”と書かれていた。
前に小さな町で見つけた――昔テルアが書き散らした物を、カルミラが勝手に本にした物だ。
「今では魔法大辞典より、こちらを教科書として魔法を学ぶ方も多いと聞きます」
そこまで言ったところで、ダークスがやわらかな表情を崩した。
「しかし、私はこの本の危険性を説かねばなりません」
その言葉に、観衆がどよめく。
テルアはただ、腕を組み、黙って見上げている。
「洗礼された術式に、徹底した基本原理主義。たしかによく出来た本と言えるでしょう。ですが、これを見てください」
ダークスの声とともに、従者が新魔法体系の、とあるページを開く。
しかし、そのページには、なにも書かれていなかった。
空白の見開きに、観衆がいっそう騒がしくなる。
お静かに、と諭しダークスは続けた。
「魔法大辞典に準ずるのであれば、このページには、”デュオスレギア”が載っているでしょう。そう、あの神の魔法です」
観衆が聞き入っていることを確認したダークスはさらに、
「しかし、この新魔法体系には、デュオスレギアに関する説明がまったく載っていません。それがなぜだか、おわかりですか?」
穏やかな笑みを纏い、観衆に問いかける。
戸惑いの表情を浮かべ、答えられない観衆に、ダークスはニヤリと口角を上げた。
「その答えは簡単です。この本の著者――アルテとやらは、デュオスレギアを扱えないのです。デュオスレギアは神の魔法、偽りの魔導士には到底届かない高みにある。おおかた、アルテは不出来なデュオスレギアしかできず、このような浅はかな行為に出たのでしょう」
ダークスの説示に、観衆がふたたびどよめく。
「アルテは、いかにもそれらしい物を書き上げ、名誉を得ようとしたのでしょうが……私の目は誤魔化せません。皆様には、どちらを信じるか、よく考えていただきたいのです」
ダークスは、その言葉を最後に一礼し、演説を終えた。
そうして足場から降りると、警備の従者たちに囲まれ、大きな建物の中へと消えていった。
観衆の騒ぎは、まだ収まる気配がない。
疑念、不安、怒り――雑多な民衆の声が飛び交っていた。
ふう、とリアンが息を吐き、横目に隣の顔をうかがう。
そこには、静かに怒りの炎を瞳に宿した、テルアの顔があった。
「……珍しいね。そんな顔するなんて」
リアンが少しおどけて言う。
「……アルテのことはどうでもいい。でも、あれはおまえとの……。まあいいや、戻ろう。敵はわかった、あとはユニアの親父さんだ」
テルアはそう言って歩き出した。
そんなテルアの後ろ姿を見つめながら、言いかけた言葉を想像したリアンは、やさしげに苦笑すると、浮かれ気味に後を追っていった。
「……おい、なんだそれは……」
ギルドの正面近くに戻ってきたリアンとテルア。
そこで立っていたユニアに、テルアが呆れた目を向ける。
ユニアの両手には、大きな串焼きが握られていた。
「串焼きなん」
「見りゃわかるよ」
ユニアとテルアのやり取りを不安げに見つめていたリアンが、
「ねえ……それ、誰が払ったの?」
「え? うちはレノちんに教えてもらったん」
リアンとテルアの視線が、ユニアの頭上のレノウに注がれた。
「いや……こいつを引き留めるためには、これしかなかったんだ……」
レノウが決まりの悪そうに答えると同時に、後ろから大きな影が伸びる。
「……おい、そこのちっこい嬢ちゃんのつれかい? 言いたいことはわかるよなあ?」
リアンは後ろを振り向くと、頭に鉢巻を巻いたガタイのいいおじさんを見上げた。
「あー……はい……」
◇
リアンたちは町から出て、南西の森へ向かっていた。
「敵がいるかもしれないから、感知はほどほどにな」
テルアが、後ろでまだ財布をのぞいているリアンに伝える。
「わかってるっての……。うぅー、旅の資金が……」
串焼きは思ったより高かったらしい。まだうじうじしている。
そんなリアンから、テルアはユニアへと視線を移した。
「なあ、その華装機ってやつ、ちょっと見せてもらっていいか?」
「ん? ええんよ」
特に警戒することもなく、ユニアは背負っていた華装機をテルアに渡した。
華装機を手に取り、物珍しそうに眺めるテルア。
一通り目を通すと、ユニアには見えないように構え持つ。
そのまま手元から銀色の魔法陣をつくると、華装機の先端へ、くぐらせるように通していった。
「へえー……! そうなってんのか」
テルアが感心の声を上げると、リアンが追いついてきて、ひょっこりとのぞくように顔を出す。
「なに? またその武器で遊んでんの?」
「お、ちょうどいいや。これに花の魔力入れてみてくれよ」
テルアがリアンに華装機を差し出す。
「え? それはまずいでしょ……」
リアンが顔をしかめて言った。
むやみに花の魔力を使えば、敵に察知される可能性がある。当然テルアもわかっているはずだが。
「大丈夫だって。これ、花の魔力を変換する術式が組まれてる。名前の通り、華色専用武器って感じだな」
「そうなん! うちが使っても強いけど、一番強いのはリアちんが使うことなん!」
ユニアもここぞとばかり後押しする。
うーん、と渋い顔をするリアン。
レノウはユニアの頭の上で、ただじっと眺めていた。
「とりあえず一回やってみろって。ほら、いちおう結界も張っておくから」
「……わかったわよ……」
結界まで張り出したテルアの押しに負け、リアンはしぶしぶ華装機を手に取った。
「的は……あれでいいんじゃないか」
テルアに促され、リアンは近くにあった大きな岩の前に立った。
後ろからふたつの期待の視線を感じる。
「はあ……まあいっか」
気を取り直して、花の魔力を込める。と、ガシャン、と変形して大きなハンマーのような形になった。
後ろで上がった歓声は無視して、軽く振りかぶる。
大きな岩に叩きつけた瞬間――ドンッ、と砕け散るような音を響かせ、大量の砂埃を上げた。
「――うわ!? 結構抑えめでやったんだけど……」
思いのほかあった威力に驚きつつ、砂埃を手で払う。
ばたばたと振るいながら咳き込んだ。
そうして視界が晴れてあらわになった岩を見たリアンは、
「おぉ……結構すごいかも……」
思わず称賛してしまった。
「どれどれ……へえー」
「どんなんどんなん!? ……うわっ」
的にした岩は、華装機が命中したところだけ、きれいにくり抜かれていた。
込めた力が一点に集中するようになっているらしい。
「すげえな、ちゃんと花の魔力も感じなかったぞ」
「へえー、それは便利そうね」
「すごいん! リアちん、華装機ほしくなった!?」
ユニアが期待の眼差しをリアンに向けた。
「んー……」
リアンは口をへの字にして、華装機を持ち替えたり、首を捻ったりして考えていたが、
「……あんまりかわいくないからいいや」
そう言ってユニアに返した。
「え……」
華装機を受け取ったユニアが、この世の終わりかのような顔して固まる。
「ほら、行くよ」
リアンは特に気にすることなく、先に進んでいった。
棒立ちになっているユニアの肩に、テルアがやさしく手を置く。
「わかる……わかるぞ、その気持ち……。あいつにはこういうロマンを理解する力が足りねえんだ……」
「テルちん……」
この日、テルアとユニアは、謎の共感を得て、少しだけ仲良くなったのである。
そんなふたりをユニアの頭上で眺めていたレノウが、ゆっくりと瞳を閉じながら、呆れた声で言った。
「茶番はいいからさっさと行け――」