【短編・コミカライズ原作】天狐に嫁入り
「……大丈夫?」
近所の神社、お社の横で足の裏を必死に舐めている銀色の動物に咲良は声をかけた。
小学校の通学路。
いつも素通りの小さな神社は大きな木が生い茂り、鳥居を潜ると急に空気がひんやりする。
清々しい空気は心地よいけれど、咲良は普段この神社に寄り道することはなかった。
今日はなぜか誰かに呼ばれたような気がして、思わず神社に足を踏み入れたのだが。
透き通るような銀色の綺麗な毛、尖った三角耳、ふさふさの尻尾。
キツネ?
大型犬よりはるかに大きいキツネなのに咲良は全然怖くなかった。
「トゲが刺さったの?」
ピンクの肉球の間には木の破片。
咲良にはキツネが舐めて取ろうとしているように見えた。
咲良はそっとキツネに手を伸ばす。
驚いた顔のキツネと目があったが、襲ってくる様子も逃げる様子もなかった。
小学二年生の小さな両手で木の破片を取り除くと、肉球の間からジワッと血が出る。
咲良はポケットからお気に入りの青いチェックのハンカチを取り出し、キツネの足にぐるぐると巻きつけた。
不恰好だがなんとかハンカチを縛り、立ち上がる。
キツネが起き上がると、身長115㎝の咲良と同じくらい大きかった。
キツネは咲良を金の眼で見つめた後に軽くお辞儀をする。
「わっ!」
急に吹き荒れた風に咲良は思わず目を閉じた。
「……あれ?」
目を開けたときにはキツネの姿はどこにもなかった。
家に帰って母に話したが「タヌキはいるけれどキツネはいないわ」と言われ、翌日友達にも話したが「夢でしょ」と笑われた。
それから何度か神社に行ったがキツネに会うことはなく、中学・高校・大学を卒業。
そして咲良は社会人になった。
「おめでとう!」
「お幸せに!」
盛大な拍手の中、困った顔をしている同期の大輝と満面の笑みの後輩、理沙。
入社七年目の咲良は職場でお祝いされる幸せそうな二人から思わず目を逸らした。
「デキ婚だって」
こそっと教えてくれるパートの佐々木さん。
大輝と自分が付き合っていたことは職場の誰も知らない。
咲良は返事をすることも拍手をすることもできないまま、後ろの方でただ立ち尽くした。
「……体調が悪いので今日は帰ります」
主任に挨拶し職場を出る。
まさか二股だったなんて。
大輝とは先週土日もデートしたし、平日もよく食事に行っていた。
二人とも今年で30歳。
区切りがあっても良いのではないかと言われたのはつい先週のことだ。
区切りってこういうこと?
電車のホームに着く頃には止め処なく涙が溢れた。
プロポーズしてくれるかも。
そんな期待をしていた自分が馬鹿みたいだ。
俯きながら電車に乗り込み、誰も座っていない長椅子に座る。
平日のこの時間はこんなに電車が空いているのかと驚いた。
動き始めた電車。
カバンからタオルを取り出し涙を拭く。
拭いても拭いても溢れてくる涙を隠すように咲良はタオルを顔に押し付けた。
次の駅ってこんなに遠かったかな?
乗ってから一度も止まらない電車に咲良は首を傾げた。
そっとタオルを退けると、空いていると思った電車は意外に混んでいた。
いつの間に?
こんなにいたっけ?
それに尻尾や耳のコスプレは一体なんだろう?
まだ6月。ハロウィンはまだまだ先なのに。
こんな大勢の人に泣き顔を見られるのは恥ずかしい。
咲良は再びタオルで顔を隠した。
「あの、お客様。終点です」
声をかけられた咲良は驚いた。
「えっ? 終点?」
タオルを取ると目の前には車掌さん。
犬のような垂れ下がった耳付きの。
キョロキョロと周りを見ると、もうお客さんは誰もいなかった。
「す、すみません」
慌てて荷物を持ち、立ち上がる。
急いで電車を降りると、そこは実家の近くの神社だった。
「は? えっ? ど、どういうこと?」
職場から実家までは新幹線で一時間半、そして乗り換えて電車で30分だ。
職場最寄りの駅から直通電車はない。
振り返ると乗ってきたはずの電車はどこにもなかった。
夢……かな。
合鍵を大輝が持っているのでマンションには帰りたくないと思ったせいかもしれない。
変な夢を見てしまった。
おそらくまだ電車の中なのだろう。
うっかり眠ってしまったようだ。
咲良は溜息をつくと神社の社の階段に腰掛けた。
相変わらずここの空気は清々しい。
明日からどうしようかな。
同じ職場の二人を見るのはツラい。
一週間くらいお休みしようか。
転職?
裏切られたのは私なのに?
実家に帰る?
夢でここに来たのは心のどこかで帰りたいって思っているのかな。
来月には30歳。
このタイミングでフラれるのは結構ツラい。
咲良はタオルで顔を押さえながら泣いた。
この神社はお祭り以外はほとんど人がいない。
泣き声が出ても大丈夫。
どうせ夢だし我慢しなくてもいいだろう。
泣いている咲良の腕にふかふかの何かが触れた。
次は背中に、そして反対の腕にも。
驚いた咲良はタオルを退ける。
「……キツネ?」
咲良の隣には銀色の大きなキツネ。
ふさふさの毛並みが木漏れ日でキレイに光った。
まるで神の遣いかのような神々しさに息をのむ。
「わっ!」
急な突風に咲良は思わず目を閉じた。
目を開けたときは見知らぬ場所。
純和風の広い部屋は天井の木組みがおしゃれ。
目の前には着物の銀髪イケメン。
背が高くモデルのようにカッコいいのに、耳と尻尾のコスプレ中だ。
「……今日の夢は無茶苦茶だわ」
咲良は溜息をつきながら自分の豊かな想像力に苦笑した。
「……なぜ泣いている?」
銀髪イケメンの声は美声だった。
少し低めだが心地が良い声。
あぁ、夢ってすごいな。
現実世界ではあり得ない、どストライクの男性だ。
ゲームやアニメキャラなら間違いなく推し。
キレイな銀色のストレートの長髪、優しそうな金眼。
三角の尖った耳、ふさふさの尻尾。
背は190cmを超えていそう。
着物がよく似合う落ち着いた男性。
年齢は同じくらいだろうか?
「どうした?」
理由は言えないのか? と首を傾げる男性に咲良は困った顔で微笑んだ。
二股で捨てられました。
なんて、見知らぬ人に言えない。
「少し、嫌な事が……」
少しどころではないけれど。
咲良が苦笑すると銀髪イケメンはグイッと咲良を引っ張った。
ぽふんと咲良の顔がイケメンの胸に当たる。
突然の出来事に咲良の顔は真っ赤になった。
何コレ!
見知らぬイケメンのハグ!
「ゆっくり心を休めていけばいい」
耳元で囁かれる声がカッコ良すぎてゾクゾクする。
湯浴みと食事を準備させようと言うイケメンに咲良はワタワタと慌てた。
「あ、いえ、そんなお世話になるわけには」
「気にするな」
気にします〜〜!
「名は?」
「川上咲良です」
「サクラか。花の名前と同じだな」
優しくふわっと微笑むイケメンの笑顔は犯罪級。
ゲームのご褒美スチル画面のような瞬間に咲良の胸はドクンと高鳴った。
「私は白銀。天狐だ」
「テンコ?」
テンコとはなんだろうか?
白銀という名前は彼にピッタリだと思うけれど。
「ひあっ」
急に抱き上げられ、驚いた咲良から変な声が出る。
人生初のお姫様抱っこ!
しかもこんな軽々と!
夢ってすごい!
イケメン、イケボ、お姫様抱っこ。
まもなく三十歳になるというのに乙女の妄想全開な自分が恥ずかしい。
「まずは湯浴みだな」
障子が自動ドアのようにスッと開き、広い廊下を進んでいく。
中庭は日本庭園。
広くて美しい庭に朱色の橋と鳥居が見える。
凄すぎる!
和風だが内装はかなり豪華。
空気は澄み渡り、近所の神社と同じ清々しさ。
豪華な露天風呂のような場所まで抱き上げて連れてきてもらったが入っている人は誰もいない。
ゆっくりとお姫様抱っこから下ろされると「一緒に入るか?」と揶揄われた。
イケメンの冗談は心臓に悪い。
タオルや浴衣も準備されており、不思議すぎるが夢だからきっと何でもあり。
頭を優しく撫でると白銀は出て行った。
有名温泉ですか? というくらい豪華で綺麗な天然露天風呂にゆっくり浸かり、浴衣を借りる。
新品の下着まで準備されているところが少し恥ずかしい。
しかも自分好みの柄とデザイン。
さすが夢だ。
扉を開けると綺麗な金眼で微笑む白銀と目が合った。
「待っていてくれたのですか?」
のんびり温泉に入ってすみませんと謝る咲良の真っ黒な髪をひとすくいすると、気にしなくていいと白銀は髪に口づけを落とした。
なんですか、この王子キャラ。
何畳あるのですか? と聞きたくなるほど大きな部屋に準備された食事。
とても食べきれない。
「何が好きかわからないから適当に準備させた」
まるで懐石料理のような綺麗な料理が並んでいる。
煮物の人参は花の形、里芋は六角形。
紅白なます、鯛の昆布締め、海老しんじょう。
「おいしいです」
一人暮らしではついつい簡単なものやお弁当で済ませていたので、こんな豪華な食事はいつぶりだろうか?
成人式? 卒業式?
はじめて食べたナスとミョウガの漬物もとてもおいしかった。
「今日はもう遅い。泊っていけ」
「あ、でも明日も会社があるので」
「朝、送ってやるから気にするな」
有無を言わせない雰囲気で泊っていくことが決まり、部屋へと案内される。
「ゆっくり休め」
20畳ほどありそうな広い和室に敷かれたふかふかの布団。
部屋全体が何かいい匂いがする。
落ち着くような、心地の良い香りだ。
白銀は咲良を部屋へ案内すると頭を優しく撫で、去っていった。
すぐにやってくる銀色の大きなキツネ。
神社に居た綺麗なキツネは咲良の隣に座り込むとピッタリと身体を寄せた。
ふさふさの柔らかい毛が暖かく、金色の眼は優しく見つめてくれる。
「……寂しくないように来てくれたの?」
たとえ夢でもここに来て良かった。
ここに来なかったらきっと泣きながらマンションの部屋で過ごしていたはずだ。
咲良はいい匂いがする大きな銀色のキツネに抱きつきながらゆっくりと目を閉じた。
朝、目が覚めると見慣れた自分のマンションだった。
やっぱり夢だった。
でも、いい夢だった。
咲良は鳴ってもいない目覚まし時計に手を伸ばす。
……あれ?
着ているのはいつもの寝間着ではなく、夢の中の浴衣。
布団から飛び起きると、テーブルの下に畳んで置かれた服とカバンが目に入った。
「夢……じゃない?」
浴衣も下着も露天風呂で着替えたもの。
髪から香る匂いも、いつも使っているシャンプーではない。
目覚まし時計は朝6時。
いつも起きる時間だ。
会社を早退して電車に乗ったら実家の近くの神社で、温泉に入って食事をして、起きたら自分の部屋。
いやいやいや、夢でしょう。
でも、不思議な体験だったな……。
なぜだかとても身軽になったような、迷いが消えたような爽やかな気分。
二股されていたことは許せないが、彼のことはどうでもよくなってしまった。
咲良はベッドから出ると浴衣を脱ぎ、会社に行く支度を始めた。
「せんぱぁ〜い。あのぉ、これ引き継いでもらえますかぁ?」
私、妊婦なのでと資料を差し出す後輩の理沙に、咲良は溜息をついた。
「産休に入るのは4ヶ月後でしょう?」
2ヶ月後が締め切りの仕事を回してくるのはおかしくないかと咲良がツッコむと、理沙は大袈裟にえぇ〜ヒドイと騒いだ。
「幸せですみません〜。先輩もうすぐ30だからそろそろ結婚した方がいいですよ」
「そうね、ご縁があればね」
咲良は面倒くさいとばかりに肩をすくめた。
この状況をどう思っているのだろうか。
同期の大輝と目が合ったが、フィと目を逸らされた。
「あと4ヶ月は仕事をしなさい。退職じゃないんでしょう?」
咲良は資料を理沙に戻し、執務室から出て行く。
リフレッシュエリアで冷たい缶コーヒーを買い、一気に飲み干した。
「……咲良」
今、一番聞きたくない声に咲良の眉間にシワが寄った。
「昨日帰ってこなかったけれど、どこに……」
大輝の言葉に咲良は驚いた。
他の女と結婚しますって職場で発表した日に、二股相手のマンションに来る⁉︎
アリエナイ!
「鍵返して」
もう不要でしょと言う咲良に大輝の目が揺れた。
「俺はお前と」
今更何を言われたところで大輝とどうにかなるわけでもない。
聞きたくない言葉に咲良は手のひらを出した。
「返してください、鈴木さん」
同期でも、もう大輝とは呼べない。
ショックを受けた顔でキーケースから鍵を外す大輝。
震える手で咲良の手に鍵を乗せると、小さな声でゴメンと謝った。
「さようなら。お幸せに」
自分でもあっさりと言葉が出たのは、昨日の出来事のおかげだろう。
咲良は鍵を握りしめながらリフレッシュエリアから消えた。
経理部に寄ってから執務室に戻るとなぜか周りの目が冷たい。
ヒソヒソと遠巻きに見られている気がする。
咲良はできるだけ気にしていない素振りをしながら席についた。
パソコンのモニターの電源を入れ、ロック画面のパスワードを入力する。
立ち上がると画面の右下に新着メールの通知が出た。
……何コレ。
メールに添付された写真は今さっきの出来事。
リフレッシュエリアで頭を下げる大輝と、後ろ姿の自分の写真。
顔は写っていないが、姿で誰かはバレバレだ。
差し出し人は後輩の理沙。
件名は「いじめないでください」だ。
こんなメールを部内の全員に送るなんてどうかしている。
今、大輝に「お幸せに」と言ったばかりではないか。
彼女は何がしたいのだろうか。
当然、部長に呼び出され事情聴取。
二股されていたことを言うわけにもいかず、長い間貸していたものを返してもらっただけだと説明した。
「俺は、鈴木とおまえが付き合っているのだと思っていた」
デザインコンペも二人でずっと考えていたし、同期にしては仲が良いと思っていたという部長に咲良は苦笑した。
大輝は他社へ打ち合わせに行っているのでまだあのメールは見ていないのだろう。
また誤解されるといけないので、もう大輝には連絡できないけれど。
白い目で見られながら定時まで仕事をし、会社を出る。
いつもと同じ電車に乗ったはずだったのに、なぜかまた終点、実家の近所の神社に着いてしまった。
社の前には大きな銀色のキツネ。
まるで私を待っていてくれたかのようだ。
咲良が泣きそうな顔で微笑むと今日も突風が吹いた。
「今日も泣いているのか?」
ふわっと良い香りと同時に抱き寄せられた咲良は、小さく首を振った。
まだ顔を見ていないが、心地の良い低い声と良い香りで白銀だとわかる。
まだ会うのは二回目なのに安心してしまうのはなぜだろうか?
「今日も嫌な事があったのか?」
湯浴みと食事をしていけば良いと言う白銀に咲良はお礼を言った。
昨日のように豪華な露天風呂に入り、美味しい食事を頂きながら咲良は昨日からの出来事を白銀に話した。
二股だったこと、後輩と結婚すること、今、職場に居ずらいこと。
ただの愚痴なのに白銀は話をずっと聞いてくれた。
「ゆっくり休め」
優しく頭を撫でてくれる白銀。
入れ替わるように大きな銀のキツネが今日もやってきて、一緒に布団で眠ってくれる。
目が覚めるとやっぱり自分のマンション。
不思議だけれど、今はこの不思議な状況に甘えていたかった。
「すごぉい、大輝!」
みんなに拍手されながら部長から賞状を受け取る大輝を咲良は今日も遠くから眺めた。
都市環境デザインコンペで佳作に選ばれた作品は二人の自信作。
いつかこんな街に住みたいねと二人で考えた駅前のデザインだ。
やっぱり転職かな。
俯きながら苦笑する咲良を申し訳なさそうな顔で見る大輝。
理沙の奥歯がギリッと鳴った。
「ねぇ、悔しいからって拍手もしないなんて酷くない? 咲良先輩」
名指しで理沙に呼ばれた咲良にみんなが注目する。
確かに拍手はしていない。
咲良の手は身体の横だ。
ヒドイね。と言う誰かの声が聞こえる。
「咲良は悪くない! コレは二人で考えたのに俺の名前で出したんだ! ほとんどあいつのアイデアなのに!」
大輝が言っても部内のみんなは冷ややかな目を咲良に向けた。
先日の変なメールのせいで咲良が大輝を脅していると思われているのだ。
七年間、仕事も頑張ってきたつもりだったし、周りとも良好だと思っていた。
恋愛も順調だと。
こんな一瞬で全てが崩れてしまうものだったなんて。
ギュッと手を身体の横で握りしめる咲良。
ふわっと良い香りがしたと思った瞬間、咲良の身体は引き寄せられた。
「今日も泣いているのか?」
心地の良い低い声と良い香りは白銀。
目の前の服は着物ではなくスーツだ。
当然だがコスプレもしていない。
女性社員は色めき立ち、部長は慌てて飛んできた。
「白銀さん?」
どうしてここに? と首を傾げる咲良。
この会社はIDカードがないと建物に入れないはずなのに。
「デザインコンペの結果を伝えに」
「えっ? さっきの?」
今、大輝が受け取った賞状を持ってきたのは自分だと白銀が言う。
「あの作品を見た時、年配者にも子供にも配慮した優しい街だと思った。一緒にあの街を作ろう」
グランプリはすでに業者も街も決まっているので好きな場所に作る事ができない。
あえて佳作にしたのだと白銀が微笑むと、イケメンの優しい笑顔に女性社員達の黄色い声が上がった。
驚く咲良を白銀は軽々と抱き上げる。
人生二度目のお姫様抱っこ!
しかもここは職場!
恥ずかしすぎる。
「待ってください! これは大輝の作品です!」
咲良の成果ではないと言う理沙を止めたのは部長だった。
「確かに提出時の図面やデザイン画は鈴木が描いた。だがこれは鈴木と川上、二人の作品だ」
ずっと二人の相談に乗ってきたので間違いないと部長はみんなに説明する。
「優秀な社員なのですが、引き抜かれてしまいますか?」
部長の言葉に白銀はニヤッと笑った。
引き抜きの言葉にざわつく社員達。
白銀の後ろにいた秘書らしき人物に書類を渡された部長は苦笑した。
残っていた有給の消化手続き済、人事部と退職の手続き済。
コンペで佳作に選ばれた作品を咲良の実家から一番近い田舎駅に作る事も決まっていた。
市役所とは調整済、工事業者も内定済、監修は咲良だ。
作品の買い取り契約も締結済。
受賞は大輝の名前だが、すでにその作品の権利は大輝にはない。
権利書に書かれた企業名はテンコーアーバンデザイン。
和をモチーフにしたデザインが多く、世界でも注目されている都市環境デザインの大手。
今回のデザインコンペの主催者だ。
「白銀さん、退職って? えっ? うちの近くのあの駅?」
普通電車しか止まらない、周りに何もない本当に田舎の駅だ。
状況がうまく把握できない咲良が困惑する。
「神社で助けてくれた日から嫁はサクラだと決めていた。だが、サクラが幸せならば見守ろうと思っていた」
白銀は理沙を睨み、大輝を見て溜息をついた。
「他の男の子供を身ごもった女を選んだお前にサクラは渡せない」
帰るぞと秘書に声をかけ、咲良をお姫様抱っこしたまま歩き出す白銀。
衝撃の言葉に執務室は大騒ぎとなった。
「あの、白銀さん。助けたって……?」
「覚えていないのか? 神社で足に青いハンカチを巻いてくれただろう?」
「えっ?」
青いハンカチを巻いたのは、小学生の頃。
トゲが刺さった銀色のキツネにだ。
銀色の毛並みで金眼のキツネ。
銀色の髪、耳と尻尾、キツネと同じ金色の眼。
……まさか?
驚いた咲良が白銀を見上げると、優しい金色の眼で見つめられた。
「サクラ、俺の花嫁。もう離さないから諦めろ」
会社の建物から出たはずなのに、いつの間にか景色は実家の近くの神社。
澄み渡った空気が肺に染み渡る。
突風に目を閉じれば豪華な日本庭園が広がるお屋敷の中だ。
白銀はそっと畳の上に咲良を置くと、銀色の大きなキツネに姿を変えた。
子供の頃に会ったキツネ、そして大輝と別れてツラいときに側に居てくれたキツネだ。
そしてさらに大きな九尾の狐の姿に変わる。
銀色に赤と金の毛が混じり、その姿は物語の中でしか見た事がない神秘的な姿。
「天狐様」
秘書だと思っていた男性も耳と尻尾付き。
男性は九尾の白銀の前に跪いた。
耳と尻尾はコスプレではなく、本当に神の遣いの天狐!
驚いた咲良が固まる。
「さぁ、花嫁様! お支度を」
いつの間にか現れた耳と尻尾付きの女性達に連れていかれ、豪華な露天風呂でゴシゴシ磨かれ、髪を結われ、化粧も施されて白無垢姿の花嫁に。
「えっ? 待って、待って」
急展開すぎて無理!
「天狐様の託宣を違えるわけには参りません」
にっこり微笑む女性達に引きずられると、黒紋付羽織袴の白銀が待っている。
イケメン、どストライクな白銀の羽織袴!
耳と尻尾があるけれど。
「サクラ、夫婦になろう」
神託だから拒否権はないけれど。と笑う白銀。
咲良は真っ赤な顔で差し出された手を取った。
テンコーアーバンデザインだけではなく、飲食店、旅行会社などを手掛けるテンコーグループの会長が白銀だと聞いた時には倒れそうになった。
従業員のほとんどは人に化けた動物だと。
職場から神社へ直通の不思議な電車で『人ではない者達』が通勤しているそうだ。
実家の近くの駅は大きくリニューアルされ、商業施設もでき『住みやすい街』で人気の街に。
普通電車しか停まらなかった駅はいつの間にか急行電車が停まるようになった。
「サクラ、次はオフィスビルのデザインを考えてくれないか?」
世界的に有名な会社の本社をこんな田舎に移すという白銀に咲良は笑った。
「あぁ、あと駅から小山までも整備してほしいとタヌキの長老が言っていたから頼む」
「タヌキの長老⁉︎」
私が生まれ育った街は『人ではない者達』が実はたくさん住んでいた。
何よりも驚いたのは小学生の頃、神社でキツネを見たと話したら夢でしょと言った友達のコトちゃんもキツネだったこと。
あの時は正体がバレたとかなり焦ったと教えてくれた。
「初めて会った時、どうして神社でトゲを取っていたの?」
ここに戻ってくれば誰かが取ってくれるのに。と素朴な疑問を咲良は投げた。
「あの木は呪い。誰かが神社のご神木に刺したのだろう」
呪いをこの聖地へ持ち込むことはできないと言う白銀。
「の、呪い?」
「俺の狐姿を見ることができ、呪いすら簡単に外してしまう綺麗な魂。俺の嫁はサクラしかいないと思った」
抱き寄せられ耳元で囁やかれる声はやっぱり良い声すぎてゾクゾクする。
「ずっと一緒にいてくれ」
「はい。白銀さん」
天狐に嫁入りしました。
イケメンで和装が似合う少し強引な神の遣い。
本当の姿、九尾の姿を見たのは結婚する日の一度だけ。
神々しい姿をまた見たいと言ったら見せてくれるだろうか。
この街は年配にも子供にも優しい街。
そして『人』と『人ではない者』が共存する街。
人だけではなく、みんなが住みやすい街を作らせてくれる天狐の旦那様に愛されて幸せです!
急行電車も止まるようになったので、ぜひ街へ遊びに来てください。
移住も大歓迎。
田舎ですが良い街ですよ。
END
多くの作品の中から見つけてくださってありがとうございます。
和風あやかしストーリーに初挑戦です。
街の魅力をもっと語れたらよかったのですが短編は文字数的に伝えたいことをギュッとするのが難しいですね。精進します(>_<)