英華は凍えて
……どれぐらい時が経っただろうか?一行は最早、一言も口にする事もせず、ただ船の進む先を見続けていた。皆、目を細め、震える体を抑えながら深呼吸を繰り返す。そして、遠方に島が見え始めた。けれども、喜びは無い。寧ろ、一行の間に更なる緊張が走るだけ。ヒショが短く歯軋りをした、それと同時にユウは剣を鞘から引き抜き、じっと刀身を眺め始める…これから何が起きてもいいように、命を賭して、対処する為に。
「………酷い…こんな……」
上陸した一行の目に入ったのは、辺り一面に広がる氷像。かつて、農作物だった物。かつて、人だった者…何かから逃げ惑うように、今にも転びそうな姿勢のまま凍てついた人間の氷像に触れ、マールは声を詰まらせ、わなわなと震えていた。凄惨な光景に目を細めつつも、ヒショは奥に見える大きな建物に向かって静かに歩を進める。ユウ達も彼女の後に続いていく…そんな中、ユウは何度も身震いしていた……マールとはまるっきり違う理由で、ではあるが。
「………さささ、寒い…です…」
歯をガチガチと鳴らし、ユウはヒショに訴えた。返ってきたのは、この寒さにも負けないほどの冷たい視線と舌打ち。だが同時に、ヒショは指を鳴らした。すると、ユウは焚き火のような音を聞いたかと思うと、胸の辺りが熱を帯びる感覚を覚えた。
「おぉ…!何だかポカポカしてきました…!!」
「え!?ヒショさん!私にもお願いしまッス!」
「はぁ……人間は不便ですねぇ…ホントに…」
溜息をつきながらも、ヒショはニンマリと笑った。マールが彼女から暖を受け取っている間にも、ラフレ姫は歩を遅らせる事もなく城へと歩いていく。その後に続いていたノゾムがふと彼女に目をやると、妙な歩き方をしているのに気が付いた。まるで、早送りの様に足を出したかと思えば、今度は歩がまるで亀のように遅くなる…そんな動きを彼女は繰り返していた。
「………怖いの?」
ノゾムの問いに、ラフレ姫は肩を跳ねさせる。足を止め、震える体を抑えながらゆっくりと俯いた。
「…そうだと…思います……この光景が…皆様の言う通り…人の手によって起きた事なら……私に…勝機は、あるのでしょうか…?彼処へ行かなければならない…頭では分かってるのに…!それでも…体が止まりそうになって……」
「………見れば分かるよ…でも、どうするの?…このまま、お城に向かって大丈夫なの?」
「…っ……馬鹿にしないでください!!私もこの国を牽引する姫です!!逃げる訳には…逃げる訳にはいかない!!!」
「………なら……」
「だったら腹を括りなさいよ」
ノゾムの言葉をヒショが遮った。そのままノゾムを押し退けラフレ姫の正面に立ち、彼女の顔を静かに見つめだした。
「…………はぁ…見なさいよコイツらを。何の勝機も無いのに…というか全く自分達に関係の無い事なのに真正面から戦いに行こうとしてる…皆、目の前の奴をほっとけなかった…それだけの理由で…です……」
「……………ヒショ…様…」
ヒショは何歩か前へ出て、じっと城を眺める。そして僅かにラフレ姫の方へ顔を向け、また、溜息をついた。
「アンタは、そうじゃないんですか?」
「………………行きましょう。私が、やらなくては…」
「私達で、ですよ!ラフレ様!!」
ラフレは振り返る。そこには、満面の笑みで親指を立てる勇者の姿。彼女は静かに頷いた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「……ねぇ、後どのぐらい待てばいいの?眠たくなってきちゃったな〜」
「後、数分でここに到達する…黙って待っていろ…」
「…はーい……でも、本当にいいの?万が一、悪魔神様にバレでもしたらさ…」
「……だとしても、やらねばならない。アレは…この世に存在してはいけない」
「…ま、いっか。少しは骨があるといいね!」
…………こうなったのは、予想範囲内だ。だが…
———本当に、これでいいのか…?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
一行は、城内に辿り着いた。外と同じく、まるで、時が止まったように全てが凍てついている。正面の入口から少し歩いた所にある階段を上ると、巨大な両開きの扉が一行を待ち構える。凍てつき、幾つもの氷柱が垂れ下がっているが、その隙間から豪華な装飾であろう物が見えている…どうやら、ここが玉座の間の様だ。
「………ここに居るの?」
「…えぇ、間違いなく」
ラフレ姫は扉に手を当てる。今まで当たり前のように居たはずの場所が、鋭い冷たさで迎えてくる。とてつもない程、不愉快だ。勝機は無い、それでも終わらせなければ……。彼女は後ろにいる全員に目配せをした後、力一杯、扉を開いた———
「ジャストだ。待っていたぞ」
「…やっほー!久しぶり…って言うには少し間隔が短いかな?」
「………………」
凍った玉座の前にいたのは、2人の男。間違いない、忘れるはずのない、悪意の…塊。眼鏡をかけた悪魔…スパイド。そして、小柄で蛇の様な目をした男…スネイグ。ノゾム達は静かに魔力を高める。
「っ!父上は何処に!?兄上は…!!?」
ラフレ姫が叫ぶ。すると、スネイグが鼻で笑った。
「ん?あぁ!ここの王様の事か!ごめーん…ウッカリ、殺しちゃったぁ!」
…まるで詫びる気配もなく謝罪の言葉を口にし、蛇はケラケラと笑っていた。愕然とした様子でラフレ姫は玉座へ視線を移す…玉座の肘掛に、掌が乗っていた。一面が氷に覆われていてもわかる、薬指に着けた指輪…今は亡き妃との、指輪だ。
「お前の兄はそこに転がっている。重症だが、気絶したのと同時に氷結した。生きてはいるだろう」
「…っ!!!ふざけるなぁ!!!!!!」
蜘蛛の言葉と同時に、激昂したラフレ姫は短剣を構えて、2人へ突き立てんと走り出そうとする…が、ヒショが焦った様子で彼女を羽交い締めにした!
「離して!!あの者を…絶対に許せない!!!」
「落ち着きなさいって!!!このまま突っ込んだらアンタ…」
「………ほう…」
蜘蛛は微かに口角を上げる。すると、彼は足元に落ちていた氷の破片を拾うと、彼女達に向かって投げつけた!…スパンッ、と聞き心地の良い音ともに、氷はラフレ姫の前で真っ二つに別れて地面に落ちた。
「…こ、これは……?」
「……これに気付くとはな…ただの腰巾着、という訳では無いみたいだな…ラフレ、明日空ノゾムを連れてきたお前はもう用済みだ…疾く退場してもらうと思ったが…」
今度はシュルシュルと、糸を巻くような音が聞こえた。ラフレ姫の前に張られた糸をスパイドが回収したようだ。
「目的は俺のはずだ!!何でこの国の人達を巻き込んだ!!?」
「……悪魔神様にとって、お前が死ぬ事は望ましい事では無いからだ、明日空ノゾム…だから、本来の仕事で、カモフラージュする必要があった。それに、お前はこうすれば、必ずここに来るだろうからな…」
「貴方達の親玉が望んでいない事をなぜわざわざ…?」
スパイドは表情を強ばらせ、ノゾムを睨んだ。
「ディアス…お前があの男と同じ存在になるというなら…それを、許す訳にはいかない!!『究極の悪』だと!?『神を超えた悪魔』だと!?冗談じゃない!!アレは…ヒトの様な何かだ!!!欲も、悪意も存在しない…万物を無為と捉え、無価値な破壊と殺戮を繰り返す…それが…人間だと…?認めない…断じて……断じてだ!!!」
「……………だから、殺すのですか?」
「……そういう事だ。死ね、明日空ノゾム。あんなモノになる前に」
カッ、とスパイドが目を開く。一瞬、部屋一帯が揺らいだ様な感覚を全員が覚えた。それに対し、怯む事なくマールが魔力を解放する。その瞬間、ユウは抜剣しそのまま剣に魔力を纏わせ斬り掛かる!…が2人の魔力は一瞬にして霧散してしまい、ユウの剣は軽々と受け止められてしまった!
「———っ!!!?」
「大勇者の魔力、サリエラの権能……この程度か?理解するのに1秒もかからなかったぞ?」
「な、何を言って…ぐっ!?」
まるで状況が飲み込めないまま、ユウはスパイドから強烈な蹴りを貰い、ヒショ達の元へ後退する。
「せ、聖域魔法が…一体何を……!?」
「……この空間自体はシンプルなものだ。お前達の使う技や力が、情報として見える。一体何を元にしたエネルギーなのか、どんな手段によってダメージを与えようとしているのか…それが目に見えるだけ。あとは簡単だ、その攻撃を中和する魔法を放つだけだ…その情報を元に作成して、な。」
「………冗談でしょ?だ、大勇者の力どころか…ま、曲がりなりにも神の権能を…?中和…?しかも、即席で作った…だ…だなんて………」
「……ここはもう、蜘蛛の糸が張り巡らされているのだ。さぁ…ありとあらゆる手練手管を用いて俺に向かってこい。俺は…それを超えていくぞ…」
スパイドは拳を構える。両手の親指を畳み、それ以外の指は軽く広げ、肘を伸ばし手を前に突き出す…独特な構えだ。だが、先に行動したのは、ノゾムだった。彼は魔力を極限まで抑えた状態でスパイドにギリギリまで近づくと、一気に魔力を高めて腕に纏わせスパイドに殴りかかった!…最初から魔力を高めてしまうと、攻撃を悟られると考えたのだろう。攻撃を当てる直前まで力を抑えればダメージを与えられる…そう上手くは、いかなかったのだが。
「……っ………」
ノゾムの拳がスパイドにぶつかる頃には、既に彼の魔力は消え去ってしまっていた。スパイドはつまらなそうに溜息を吐くと、両手でノゾムの首を絞め始めた…
「ぐ…ぅ……あぁ、が…」
「ガッカリだ、明日空ノゾム……だが…再生、面倒な力だな………スネイグ」
「はぁ…こんなの君でも作れるじゃん……まぁいいか、はい」
スネイグの指先から紫色の液体がノゾムに目掛けて放たれる。首を絞められ身動きが取れないノゾムに液体は直撃した!すると、みるみるうちにノゾムの顔色が青ざめ意識も朦朧とし始めていく…
「ヤバっ!毒だ!!王子!!!…ぐえっ!?」
ヒショがノゾムの元へ駆け寄ろうとしたその時、空間が一瞬歪んたかと思うと、そこから糸の塊が飛び出し、ヒショを地面に縛り付けた!ヒショは顔と右腕以外のほとんどが糸に絡め取られて、もがいてみるものの、まともに動く事が出来ない…
「な…糸!?魔王子様を離しなさ…きゃっ!?」
ラフレ姫に対しても糸の塊が放たれる。彼女の全身を絡め取り、握っていた短剣はヒショの元まで飛ばされてしまう。3人を助けようと動き出したマールとユウにも糸が襲う…普段なら躱す事は出来ただろう。だが、それはスパイドが許さなかった。瞬く間に魔力を封じられ、2人の体は糸に縛られ完成に身動きが取れなくなってしまった……
「……他愛も無い…終わりだ、明日空…ノゾム!」
「ぐ……あがぁっ!?」
首の締まりがさらに強まり、ノゾムは掠れた悲鳴をあげる。朦朧とする意識の中、ノゾムの目に見えたのは………
「………………………」
悲痛な表情で自分を見つめる、スパイドの顔。あまりにも不可解な顔の彼を見つめながら、ノゾムは意識を手放す……
「邪魔……すんなぁ!!!」
後方から聞こえる絶叫にノゾムの意識が覚醒する。ヒショだ。彼女は僅かに動く右手で短剣を持ち、自身の体に絡まった糸を切り刻んでいた!しかし、下半身に絡み付いた糸は取り除けたものの、左腕に絡まる糸は何度刃を当てても取り除けない…
「…そこは糸塊の中心だ。そんな短剣では切る事は出来ない…!」
「…うるさい!!王子が殺されるくらいなら………こんな腕!!!」
なんとヒショは自身の肩に刃を思いっきり突き刺した!そのまま、腕ごと糸を切ろうと短剣を引き始める…!流石のスパイドもこれには目を丸くした…
「貴様……正気か!?まさか、この女にここまでの忠誠心が…!?」
その時、スパイドは部屋の片隅から魔力を感じ取った…其方に目をやると、ただの氷塊になったハズのものがパキパキと音を立て動き始めているではないか!
そして氷が割れるやいなや、両刃剣を持った男がスパイドに目掛けて斬り掛かってきた!
「ウオオオオオオ!!!!」
「しまっ……ぐふっ!?」
ヒショに気を取られていたスパイドは、彼からの渾身の一撃をモロに受け、ノゾムを締めていた手を放し、そのまま壁に叩きつけられた。
「兄上……!!」
「……ラフレ…何故、戻ってきてしまったんだ……」
だが、ラフレの兄は既に限界だった。両刃剣を床に突き刺し、片膝を着いて何度も荒い呼吸を繰り返している。すると、スパイドがゆっくりと埃を払いながら立ち上がった…
「精神力のみでここまで抵抗するとはな…想定外だ……だが………」
スパイドは……笑っていた。
「…許容範囲内だ!!」
スパイドの姿が見えなくなる。すかさず、ラフレの兄は剣を引き抜き立ち上がるが、限界を迎えた彼にスパイドの動きを追える筈もなく…
「アンタ!後ろ!!」
ヒショの掛け声も間に合わず、ラフレの兄はスパイドから強烈な蹴りをくらい、その場に昏倒してしまった…!
「…今度こそ、終わりだ……明日空ノゾム!」
「………やれやれ、これで任務完了…っ!?」
スネイグは背中に強烈な異物感を覚えた。ズクズクと何かが…生えてくる感覚…今にもそれは外に飛び出そうとしていた。
…キキキィー!!!
彼の背中から現れたのは、1匹の蝙蝠だった…そして、その蝙蝠は…真っ直ぐヒショに向かって突進していく!
「しまった!?あの女、いつの間に!!?」
「な、何で私……がはっ!?…………」
蝙蝠は翼でヒショの頭を殴り付けると、窓から外へ飛び出していってしまった……殴打の衝撃で、目を開いたままヒショは動かなくなる。仲間達は…ノゾムは呆然と、彼女を眺めていた。
「………ヒ…ショ……?」
「ミュイゼン…あの女ァ!!!!」
スパイドの絶叫が部屋に響く。彼が、最も恐れていた事がミュイゼンの悪戯によって引き起こされてしまった。
…部屋が、島全体が揺れ始める……ユウ達を縛っていた糸が解け始めた…一同は安堵する……これが、災厄の序章とも知らず。
「………コレ、不味いやつじゃ…………」
「…もう、逃げられんぞ…!」
…………超人、再臨。
「……あ、あぁ……」
アガァアアアアアアアアアアアア!!!!!




