『超人』
…悪魔は笑った。万物の事象に無関心であるはずが…同族にも、敵にも、己にすらなんの感情も湧く事がないこの男が、笑ったのだ。眼球が渇きを覚える程に目を見開き、歯を見せ、愉悦な感情を昂らせている。
ディアスは一歩踏み出す。相対するノゾムは空に向かって吠えだした。ただでさえ細くなった、糸のような理性を噛みちぎるかの如く、咆哮と空咬みを繰り返している。そしてその度に、空が…大地が…空間そのものが揺らぎ歪み、崩れかかっていた。再び、ディアスは一歩踏み出した…
「……っ?」
「あがああああぁあぁあ!!!!」
彼の数センチ前に、ノゾムがいた。既に彼は右手を大きく振りかぶっている。ディアスの表情はまた無表情なものへと変わる…そして、抵抗する素振りも見せず、ノゾムの拳を受ける…
「…………………はぁ……」
…ノゾムの一撃は悍ましいものだった。地は砕け、空間は捻じ切れ、その切れ目から極彩色の世界が顕になっている…しかし、ディアスは棒立ちのまま、体勢を崩したノゾムを見下している…傷は一つも付いていない。
ノゾムは立ち上がり、またディアスを殴る…やはり、ダメージは無い。何度も…何度もノゾムは無へと殴りかかる。打撃が彼に直撃する度、空間は悲鳴をあげながら裂けていく…それでも、ディアスには…まるで効いていない。
「…無駄だ……現在の行いも…過去に培った力も……無駄だ…無意味だ…不要だ…!」
…そう冷たく言い放ち、ディアスは己の顔に向かって放たれた打撃を掴むと乱暴にノゾムを投げ飛ばす。ノゾムはすぐに立ち上がるが、攻撃する事はなく苦しそうにその場で呻き出した。
「……捨ててしまえ、楽になるぞ…?」
ディアスはノゾムの方へ振り向き、そう口にした。彼は無表情のままだったが、その言葉は嘲笑のようにも…忠告のようにも…誘いのようにも感じるものだった。ディアスの尾の先端が口の様に開いた。そこから、禍々しい光が集まり始める…
…………………………閃光が、放たれ———
「…………王子……様…??」
その時だった。2人が声がした方へ振り向くと…ユウが、目を覚ましていたのだ。ディアスの尾に集まっていた光は、いつの間にか消えていた。そして…ノゾムの表情が、和らいでいく。
「勇者……………ちゃん…………」
突然、スイッチが切れたようにノゾムは気を失った。ディアスはつまらなそうに舌打ちをする。反面、ユウはギョッとした顔になっていた。
「あ、貴方は…何でここに?」
「……………」
ディアスは2人に背を向ける。そして、小さくため息をついた。
「…下らん…最後には全て消え失せる…それなのに縋りつくのか……」
「え…?あの…何ですか、急に?話聞いてました?何でここにいるんですか!?貴方の目的は!?」
話の噛み合わず、苛立ったユウは声を張り上げる。ディアスはまた、舌打ちをした。
「……この世界の全てに、価値など無い。計りなど無意味だ……」
「…………」
「…何を守ろうと…何を壊そうと…意味は無い」
「………?…」
「…ならば、全て…『無』になればいい」
ディアスの言葉にユウは背筋が凍った。言っている意味をハッキリ理解した訳では無い、だが、彼の言葉からは底知れぬ悪意と…狂気を孕んでいた。
……彼は、私達の…この世界の敵だ ———
気付いた時には、ディアスの姿は見えなくなった。呆然とするユウの頭上で、歪んだ空間が元に戻り始めていた。暫くして、ユウはハッと正気に戻るとノゾムの元へと走り出す。
「王子様!?大丈夫ですか!?息は…ある…みたいですね…」
ユウは胸を撫で下ろし、彼を仰向けの体勢に寝かせる。すると、視界の端に何かが蠢き始めた。彼女は驚きそちらへと顔を向ける。
「ウ…ウリル様!?」
ウリルが意識を取り戻し、起き上がっていたのだ。ユウは彼女が戻ってきた事にも驚いたが、それ以上に彼女の胸に空いた風穴が目に付いた。今もそこから鮮血が流れ彼女の服を汚している。
「だ…だ、大丈夫ですか!?今すぐ手当を…」
ウリルは小さく首を横に振った。
「私は……後回しで…いいから……まずは…あの子…達を…」
震える手で、ウリルはヒショ達を指差した。ユウは彼女の心配をしつつも頷き、2人の元へ駆け寄った。未だに2人は気を失っており、火傷も酷かった。だが、幸いにもまだ息はあるようだ。気付けの為にユウは2人の頬を軽く叩いた。
「………じーっ……」
…2人は目を覚まさなかった。次は少し強めに叩く…やはり目は覚めない…段々と頬を叩くユウの手に力が入っていき、2人の頬は真っ赤に腫れ上がり始めてしまった。
「う〜ん…!あ、勇者さ…痛ったあ!!!?」
漸く、マールが目覚めた…その瞬間、ユウの全力フルスイングの平手打ちがマールを襲った!彼女は大きく仰け反り頬を押えて蹲る。
「ご、ごめんなさい!早く起こさなきゃって焦ってしまって…」
「ホントにッスか…?うっすら笑ってなかったスか…?」
「………そんな事…ナイデスヨ…?」
……ユウの目は完全に泳いでいた。
「…って!そんな事よりも!」
「そんな事よりも!!?」
「聖女様!早くヒショさんと天士様の治療を!!」
「え?…天士…様?」
マールが振り返ると、そこには血塗れで、今にも倒れそうなウリルが立っていた。彼女は大慌てで、ヒショとウリルの治療を開始するのだった。
「ウリル様…調子はどうですか?」
「うん…助かったよ。でも、ディアスに刺されたせいかな…本調子って感じてはないかな…」
マールの回復魔法により、全員一命は取り留めた。しかし、ノゾムは未だに眠ったままだった。というのも、ウリルが「かなり消耗している、無理に起こさないであげて?」と、提案しての事だった。そんな風に人の心配をしているウリルだったが、少し痛そうに自身の胸の辺りを摩っていた…ヒショは複雑そうにそんな彼女の様子を伺っている。
「…何で戻ってきたんです?」
ヒショは気まずそうに、ウリルから目を逸らしながら言った。すると、ウリルは俯き口を閉じてしまった。ヒショは首を傾げる——言いづらい事情があるのは見れば分かった、だが…何故自分を見た後に、そんな風に口を閉じたのかが分からなかった——ヒショは更に追求を始める。
「…いい加減にしなさいよ。何を隠してるんです?」
「………今から言うのは、冗談でも何でもない。覚悟は…出来る?」
急に真剣な顔付きに変わったウリルに、ヒショは一瞬怯むが、すぐに彼女へ急かすように首を振る。それに乗じてユウ達も首を振った…少し呑気な顔をしていたのが、ヒショの癪に触った。
「………私が戻ってきた…いや、君達の様子を見ていた理由…それは、魔王子…ノゾム君にあるんだ」
「…王子様に?」
「……ノゾム君は…………『超人』なんだ」
…ユウとマールはキョトンとした顔でウリルの顔を見ていた。それは当然だろう、聞いた事もない言葉を真剣な顔で言われても衝撃などあるはずがないのだから。
だが、ヒショは…違った。青ざめた顔で目を大きく見開き、ブルブルと震えている。するとヒショは、ウリルの胸ぐらを掴み怒りに任せに叫び出した!
「嘘よ!!!アイツが?『超人』??どこまで人の事バカにすれば気が済むんです!!!?」
ユウ達は慌ててヒショを引き剥がすが、ウリルの表情は一切変わっていない…嘘でも、冗談でもない——ヒショは顔を強ばらせたままだったが、とりあえず沈静化した。
「………ごめん、今まで黙ってて…でも、迂闊に言う訳にはいかなかったんだ…」
「……あのぅ…ちょっといいですか?…」
ユウが恐る恐る手を挙げた。まるで状況を呑み込めていない彼女の間の抜けた顔は、2人の間から発せられていた緊張した雰囲気を良くも悪くも打ち砕いた。
「…?どうかしたのかい?」
「えっと…『超人』って何ですか?」
「…そっか、知らないよね。ごめんね?置いてきぼりにしちゃって…」
すると、説明しようとするウリルよりも先にヒショが口を開いた。
「『超人』……神々にとって最悪の凶兆…簡単に言えば…神の権能を超越した力を持った人間の事…ですよ」
「へ……??」
ユウ達は…特にマールは目を見開いた。信心深い彼女にとって頭では理解出来ても、飲み込める話では無かったのだ。一方で、ユウは何かに気付いたように手を叩いた。
「あ!もしかして…あのディアスって人も…」
「…………あぁ、アレも『超人』さ。しかも、魔王子君はディアスと同質の力を持っている…『無』という力のね…」
その話を聞いて、ヒショは再び声を荒らげた。
「はぁ!?王子があんな風になるって言うんですか!?」
またしても感情的になり始めるヒショに、ウリルは顬の辺りを何度か指で叩いた後、彼女を落ち着かせるように、冷静な口調で答えた。
「落ち着いて、力の本質が同じというだけさ…その力をディアスと同じにしてしまうか、それとも全く違うモノにするのかは彼自身が決める事…だから、私は君達に近付いた……ディアスと同じになんかさせたくないからね」
「……………通りで……」
「…これは予想だけど、ディアスは魔王子君を自分と同じにしたいんじゃないかな…そんな事、絶対させないけどね」
そう語るウリルだったが、その表情からは言いようのない不安が見え隠れしていた。ユウもヒショも、強がる彼女に何も言えなかった…すると、マールが口を開いた。精一杯胸を張り、満面の笑顔をウリルに向けたのだ。
「なら、大丈夫です!ノゾムさんは独りじゃないですから!…何があっても…私達が支えます。ノゾムさんは…大事な…かけがえのない人だから…だから、大丈夫ですよ!ウリル様!!」
…ユウもその言葉に続いた。
「そ……そうです!王子様1人でそんな力と向き合わせたりしません!!絶対…私達が守ってみせます!ね?ヒショさん?」
「え?ま、まぁそうですね…神々よりはコイツらの方が頼りになるし…あんなのの思い通りになるのもムカつきますしね…」
「…みんな……ありがとう」
ウリルは心の底から笑っていた。嬉しさで目に涙を溜めながら…3人をギュッと抱きしめるのだった。
「………………随分と、親密なのね…ウリル」
「……っ」
後ろから声が聞こえた。ウリルが振り返ると…そこには、彼女と同じような格好をした女性が立っていた。
「ミカ!…どうして……ここに…?」
呆れ返ったようにミカはため息をついた。そして、淡々とこう言い放ったのだった。
「簡単な話です。神の命令の元、ここへ来たのです…ウリル……残念だけど…」
……明日空ノゾムを、殺します———




