5.噛まレた
「も、門を……城門を閉じろォ!」
ジークフリードがやられたのを見て、こちらでは対処できないと判断したのか、騎士のうちの一人がそう叫んだ。城門は暴徒たちの侵入を許すことなく、先んじた一人の体を押し潰すかたちで鈍い金属音とともに閉じられた。
静寂。
閉じた門の隙間から赤黒い血が地面に伸びていく。
今、目の前で起きたことがいったいどういうことなのか。周囲の人々の誰も、それに答えることはできなかった。ただ、漠然とした、言語化不能の不安が渦巻いていた。
「……なによ、アレ」
ヴィクトリアも例外ではなかった。この王国で起きる事件や面倒事の全ては騎士が解決してくれるものだと思っていたし、自分は怪我人の看護だけをやればいいと思い続けていた。
だが今まさに、騎士でも解決不能な状況が起きたのだ。
「わ、分からないです……でもあれ、人間じゃない……人間の形をしているのに!」
「落ち着いて、エリーナ。とにかく今、私たちにできることをしなきゃ」
そう言ってヴィクトリアはエリーナの手を引いて、重傷者の騎士が乗せられた運搬用の魔動機械に乗った。どうやらこの車両だけ乗り手がいない状態のまま放置されている。他は皆、教会まで搬送されていったようだ。
「この人を教会まで送り届けるわよ」
「はい!」
台車に四つの車輪がついた見た目のそれには、前方には魔紋石が埋め込まれた運転席がある。これを用いて操作するのだ。
台車に寝かされていた騎士の男は、右足の膝あたりを負傷しており苦痛で顔を歪めていた。
「教会まで飛ばすわ。エリーナは手当をお願い!」
運転席に乗り込んだヴィクトリアは、エリーナの返事を聞くよりも前に、魔紋石に触れて運搬用の魔動機械を作動させた。車輪は勢いよく回転をはじめ、騒然とする人々の隙間を駆け抜けていく。
「エリーナ、容態は?」
「膝に噛み傷ッス。……嘘、これ、骨を砕いている!?」
人間が膝の骨を噛み切れるほどの咬合力を持っているとは思えない。余程の化物じみた人間だったのか、それとも本当の化物か。
「出血がひどいはずよ。止血して」
「はい!」
エリーナは台車に乗せられた騎士の甲冑をある程度まで脱がせると、いつも携帯していた応急処置用の道具一式を広げ始める。止血用の革製ベルトを使い、太ももに巻き付けて血の流れを止めた。そこから手のひらサイズの医療用魔動機械を用いて、傷口を特殊繊維で慎重に縫い合わせていく。
こういう外傷を負った人間を治療する際は、回復魔法を使用するのでは手遅れになりやすい。まずは止血と応急手当、教会の医務室に到着してから必要に応じて外科手術。それを終えてようやく回復魔法が用いられる。いわば、予後治療的な使われ方がほとんどだ。
全速力で走っている運搬用の魔動機械の上でも、エリーナは正確に処置を行えていた。
「もう少しの辛抱ですよ、騎士様」
「あ、あァ……っ、助かる……」
絞り出すように負傷した騎士は声を出した。
「一般人相手に情けない話だ……くっ……俺は何もできなかッた……」
「大丈夫、私たち市民のために怪我してくれた騎士様の股間は蹴り上げたりしないから。使命感を持って戦う人は誰であろうと尊敬しているわ」
「ははは……そりゃ安心したよ」
エリーナの処置が一通り終わったようで、騎士はヴィクトリアの冗談に笑ってみせるぐらいの余裕はできた様子だった。
「いったい向こうで何があったの?」
「暴動だ……だが、普通の暴動なんかじゃなイ。人々はまるで獣のように叫び、理性の欠片も見せることなク、俺たちに襲いかかってキ……」
「人間の噛み傷なんて、居酒屋でくだらない喧嘩して運ばれてきたゴロツキでしか見たことないわ……」
「案外、酒、に酔ッテ、たのかもナ……がはァッ!」
負傷した騎士は突然、横向きになると腹を抱えて血を吐いた。
「大丈夫ですか!? どこか他に傷が……」
エリーナは他にも傷がないか確認するために、残りの甲冑を脱がせる。が、傷口は確認できなかった。膝のそれだけだった。
「顔色がとても悪いですよ……熱は……冷ッ!」
体温を確認したエリーナは絶句した。負傷した騎士の体が氷のように冷たかったのだ。灰色の肌に触れると、死んだ人間のようなハリのないゴムのような感触がする。しかし皮膚の内側の血管は普段よりも力強く脈打っていた。
「……ぁああッアアァァア……」
負傷した騎士は、獣のような呻き声を漏らした。
「騎士、様……?」
「アァアァァアァアァアアッ!」
負傷した騎士は白目を向き、エリーナを勢いよく押し倒した。運搬用の魔動機械は大きく揺れて、ヴィクトリアもようやくその異変に気がついて振り返った。
「エリーナ!」
「先輩ッ! 騎士様が急に……ッ」
エリーナは負傷した騎士に対し必死に抵抗を続けていたが、騎士の腕力を前に屈しつつあった。そして骨が折れる音がした。
「がぁぁぁあああぁぁッ!」
絶叫が響き渡る。
エリーナは右腕をへし折られ、負傷した騎士は彼女の折れた腕に噛みついた。
「こんのッ野郎!」
その瞬間、ヴィクトリアの思考が弾け飛び怒りに染まった。運転席のほうから右足を出して、負傷した騎士の頭部に渾身の蹴りを打ち込む。その勢いで負傷した騎士はエリーナから離れて台車の端に体を打ち付けると、そのまま路面へと転がり落ちていった。
「エリーナ、大丈夫!?」
「……平気です。右腕、噛まれちゃいましたけど」
エリーナの右腕は力なく垂れさがっており、神官服の長袖の上からでも分かるほど大量の血が流れていた。激痛だろうが、彼女は無理にでも笑みを浮かべている。
「知ってる? 骨折すると、みんなに優しくされるのよ」
「本当ですか……」
「私が右足を骨折したとき、あの神父様でもこう言ったの。〝大丈夫か、ゆっくり休め〟とね」
「ははは……」
「もうすぐ教会よ。到着したらすぐに手当するから! それまで頑張って!」
「ありがとウ、ございま、す……先輩」
エリーナの顔を見た。青白い肌が、出血の多さを物語っている。意識を保っていられるかどうかという状況なのに、彼女は冷静に自分の右腕の止血処置をはじめていた。本当、よくできた後輩だ。
教会に到着すれば設備も整っているし、右手の噛み傷の処置も行える。痕だって残らないようにしてやれるかもしれない。
「嫁入り前のあんたの体を傷モノになんてさせないわ」
だが、教会の目の前まで到達したところで、複数の人影が教会から飛び出してきた。神官服を着た彼女らは、ヴィクトリアの同僚たちだった。
「危なッ!」
ヴィクトリアが操作していた運搬用の魔動機械に気づいても、彼女らは避けようとはせず、むしろこちらに向かって駆け出してきた。血の気がない灰色の肌、負傷した騎士のものと同じだった。獣のような声を響かせながら、運搬用の魔動機械に殺到。
このままでは衝突する。ヴィクトリアは急いで操作用のハンドルを右切った。しかしその先は教会横の庭だった。運搬用の魔動機械は柵を破壊し乗り上げ、庭に広がっていた草花を抉りながら転がっていく。
地面に打ち出されたヴィクトリアの体は、庭の中央に立っていた巨木に背中を打ちつけて停止した。