便座ウォーマーは温めない ~便秘になったと言われてももう遅い。最弱のトイレ魔法使い、パーティ追放されてたどり着いたダンジョンを踏破して全てを水に流す~
「ウンコの処理しかできないクソ野郎は、今日でクビだ! ベンチウォーマーならぬ『便座ウォーマー』のお前さえいなければ、俺たちはもっと先に進める!」
パーティリーダーの木村が、小室正大に向かって宣言した。
クソ野郎というのは、悪口のように聞こえるものの、案外、小室の本質をついている。
小室はトイレ生成という魔法しか使えない、最弱のダンジョン探索者である。
ダンジョン内で個室トイレを生成し、ウンコの処理を行うために雇われている、いわゆる公衆衛生魔法使いである。
リーダーの木村はどうやら、新しい公衆衛生魔法使いを見つけてきたらしい。
文字通りのパーティのトイレ係として真面目に働いてきた小室は、この日、トイレ係の地位すら失った。
◇〇◇〇◇〇
五年前、世界中にダンジョンが出没し始めた。
どう見ても空間がねじ曲がっているとしか思えない広さ、空想の産物としか思えない生き物たち、凶悪な罠、といった物語の中にしかなかったダンジョンが、現実のものとなったのだ。
ダンジョンに潜ることは危険であったが、すぐにブームとなる。
ダンジョンに入った人間は、一つだけスキルを得ることができるからである。
単純な肉体強化から、火球の生成、雷を操る術、はては、亜空間への物の収納、といった魔法などが、ダンジョンに入った人間にランダムに与えられた。
基本的には魔法としか呼べないような能力が与えられることが多かったものの、神業としか思えない剣技、岩をも砕く体術などが与えられることもあったため、世間からは後にスキルと呼ばれるようになった。
ダンジョンに入り、有用なスキルを得られるかどうか、いわゆるスキルガチャに成功するかどうかで、ダンジョン探索の、そして人生の成功が決まる時代になりつつあった。
しかも、スキルは鍛えれば鍛えるほど強くなる。
有用なスキルを得たものと、そうでないものの差は広がる一方であった。
ダンジョンは、おおよそ物語に描かれるようなものと思って差し支えない。
下層に進めば進むほどモンスターが強くなり、珍しい宝が手に入る。実力がすべての剣と魔法の世界である。
もちろん、空想との違いはある。
倒したモンスターがダンジョンに吸収されることはないし、ダンジョン内で死んだ人間も吸収されることはない。
それだけならまだよかったのだが、ダンジョン内は微生物や虫がほとんどいないようで、人間が持ち込んだゴミが残り、果ては糞便さえもそのまま残り続けた。
何日も人間が潜るからには、ゴミは出るし、トイレを我慢することは不可能である。
すみっこで片づけるといっても、狭い通路が続く階層では限度がある。
ダンジョンに潜る人間の数が増えれば増えるほど、ダンジョン内の衛生環境は悪化していった。
人気のあるダンジョンの上層はウンコまみれとなり、悪臭が漂っていた。
そこで脚光を浴びたのは、使えないと思われていたスキルの取得者である。
公衆衛生魔法使いと呼ばれる者たちであった。
浄化を司る系統のスキルなど、ゴミや汚物をきれいにするスキルを持つ、公衆衛生魔法使いを雇うことが、世界各国で義務付けられることになった。
日本政府も昨年から、ダンジョン探索者のパーティに最低一人、公衆衛生魔法使いを雇う義務を設けた。
トイレを生成するだけ、という最弱のスキルに目覚めてしまった小室が、ダンジョン探索パーティに入れていたのはそういう理由だった。
公衆衛生魔法使いの中でも、強い、弱いというのはある。
清浄な空間を作り出すスキルの持ち主は、結界を張ることも可能で、戦闘にも寄与できる。
汚物の浄化をするスキルの持ち主は、アンデッド系のモンスターにもスキルを転用できる。
小室は、個室トイレを生成するだけで、結界も張れない。
公衆衛生魔法使いの中でも雑魚扱いの文字通りのトイレ係なのだった。
公衆衛生魔法使いは、義務化された当初は引く手あまただったが、今は需要より供給の方が多くなってしまい、なかば就職氷河期を迎えていた。
失職した小室が、次のパーティを探すことは難しいだろう。
小室は、現在の難関ダンジョン近くの宿を引き払うと、目的地も見ずに闘北線の列車に乗り込んだ。
「終点~、デカミヤ~、デカミヤ~」
いつの間にか眠っていた小室が目を覚ますと、闘北線の端の駅、デカミヤであった。
デカミヤはもともとベッドタウンとして栄えている都市であったが、ダンジョンが現れた世界では、一時期ほどの勢いはなくなっていた。
行く当てもない小室は、デカミヤのダンジョン「泥沼」に寄ってみることにした。
◇〇◇〇◇〇
デカミヤのダンジョン「泥沼」は、泥スライムのみが出現するハズレダンジョンであった。
泥スライムは、文字通り泥のような色、感触の軟体生物で、弱く、倒しても何も得られない。
そのうえ、「泥沼」ダンジョン自体に、宝物は見つからなかった。
スキルを得るために入る最初のダンジョンとして選ぶにはいいのだが、先に進む利点はゼロであると広く知られている。
一応、最奥までの探索も行われており、全二階層で延べ面積が東京ドーム程度であることまでわかっている。
小室はダンジョンの一階を半ばまで歩いていった。
トイレしか作れないクソ野郎と嘲られる小室にとっても、泥スライムは危険性のないモンスターである。
「まるでウンコみたいな見た目だな。便座ウォーマーだった俺にふさわしい敵か……」
小室は、ふと思い立って、一匹の泥スライムの足元に、ぼっとん便所を生成することにした。
スッ
一瞬で生成された深い穴に、泥スライムはなすすべなく落ちていった。
小室はスキルを解除して、穴を消し去った。
シュッ
ぼっとん便所はスライムごと消滅した。
どうやら、泥スライムを倒した扱いになるらしく、わずかながら経験値を得た感触を得た。
「おお、トイレ生成で泥スライムを倒せるのか。ただ、ぼっとん便所だと効率は悪いな。もっと大きなトイレをつくればどうかな?」
広い場所に一人であることを確認し、大きな溝をスキルで生成した。
小室のスキルはトイレの生成である。
パーティにいたころは、ダンジョン内でウォシュレットつきの洋風便座、トイレットペーパーに、手洗い場まで完備したトイレを作ってきたが、今回はとてもシンプルな構造にすることにした。
中国の公衆トイレとして、ただ溝が掘ってあるだけ、という形式のものがあることを知っていた小室は、スキルに任せてできる限り大きなものを、と念じた。
ダンジョン一階の端から端まで、優に三百メートルを超える長さで溝が生成された。
何十匹かの泥スライムが、溝に入ったことを確認し、再度スキルを使用する。
押し流し
水洗トイレを生成した際に使える、汚物と汚水を亜空間に接収・消滅させる魔法である。
単なる溝なのに水洗トイレというのも物理法則に反している気がするが、スキルとはそういうものである。
詠唱とともに、溝に大量の水が流れ込み、端まで押し流される。
端まで流れたスライムは、汚物分解用の亜空間に接収され、消滅していった。
「はは、トイレしか作れなくても、ここなら好き放題モンスターを狩れるな。それとも、もっと溝が大きければゴブリンが出てくるダンジョンでも行けるか?」
一階層の端から端まで、まるまるトイレにしてしまったスキルの万能さに、小室は少し楽しくなってきた。
「もういっそ、ダンジョン全体をトイレにしてみるのも悪くないかもしれないな」
小室はどんどんスキルで溝の形のトイレを生成していった。
この日、デカミヤのダンジョン「泥沼」は、小室のスキルに凌辱されつくされた。
ダンジョン「泥沼」はもはや小室専用トイレとなってしまったのだった。
◇〇◇〇◇〇
「これがトイレだって? ふざけるな」
小室を追放したパーティのリーダー木村は、腹痛から、新しい公衆衛生魔法使いにトイレを用意させていた。
ただ、想定とは大幅に異なっていたため、公衆衛生魔法使いを怒鳴りつけていた。
「一般的なダンジョン探索者が使うトイレだが、気にいらないところがあったか?」
公衆衛生魔法使いはいくつかのダンジョン探索者パーティでの経験があり、一般的なトイレを用意したとの認識だった。
「地面に紙をおいただけじゃねぇか」
「結界で周りからは見えないようにしているし、モンスターも寄ってはこない。充分だと思うが」
結界生成が使える公衆衛生魔法使いは貴重である。
公衆衛生魔法使いの役割は、基本的に浄化や消滅であり、結界を張れるとなると、戦闘でも役に立つため、どこに行っても活躍できる。
水洗トイレはつくれないため、地面に紙を置く程度しかできないのであるが、一般的な探索者には許容範囲である。
「うっせえな! 俺は洋式じゃないと用を足せないんだよ! トイレットペーパーもねえし。どうやってケツを拭くんだよ」
「トイレ用の備品くらい、普通のパーティでは持ち歩いているのではないか?」
日本人のダンジョン探索者の間ではトイレットペーパーなどを持ち歩くことは半ば常識だった。
「そんなもんトイレ係が生成するだろうが! 使えねぇな!」
「トイレットペーパーまで生成するなど、聞いたことがない。トイレ特化型のスキルでも持っていれば別だが、外れスキルだと思って、まず探索者になろうとは思わないだろうな」
小室の生成するトイレに依存していた木村は、探索者の一般的なトイレでは満足なウンコができなくなり、荒れに荒れていた。
他のパーティメンバーも同様である。
戦闘自体に問題はないが、トイレットペーパーもない状況であるため、ウンコの際は自分の手でケツを拭くしかない状況であった。
トイレにこだわりの強い日本で生まれ育ってしまった彼らには、自分のウンコを素手で触るというのは初めての経験だっただろう。
水魔法使いの出す流水でウンコのついた手を洗った後、公衆衛生魔法の浄化で手についたウンコを消し去ることで対応した。
きれいになっているとはいえ、慣れない体験に困惑が隠せなかった。
きれいになっているとは頭ではわかっているが、手がウンコ臭いように思えて、仲間とも自然と距離を取ってしまう。
パーティの連携が少しずつ悪くなっていった。
次のダンジョン探索からはトイレットペーパーを持参するようになったが、人間は、一度味わった便利さを捨て去ることはできない。
各々がウンコに支障をきたすようになっていた。
洋風トイレにウォシュレットも便座ウォーマーもついている。
それぞれの好みを反映した金だとか真珠色だとかの色へのこだわりも、蓋の意匠も、高級ホテルさながらである。
ダンジョン内でも落ち着くことのできる色や広さの壁。好みの色の光源備えた天井。各々の好みを反映したハンドソープ。
便座ウォーマーと揶揄したトイレ係は、どれほど高望みしても要望を通してくれていた。
ことトイレに関してだけは異常な才能の持ち主であったということに、気づいた時には遅かった。
トイレを生み出すというスキルに才能があったところで、本人にも、周りにも貴重さはわからないものではあるのだろうけれど。
たかがトイレ。されどトイレ。
便秘になり、パーティの仲間とのふれあいの機会が減り、徐々に体調を、連携を崩していく。
パーティが解散するまでそれほど時間はかからなかった。
「クソッ! 俺のパーティが、便座ウォーマーの野郎にここまで依存していたとは!」
ダンジョンからの帰還後、ホテルのトイレにこもりながら、リーダーの木村は嘆くも、後味は悪く、ウンコのキレも悪い。
久しぶりのウンコを水に流した木村には、残尿感と後悔だけが残ることとなった。
その後、木村たちが冒険者として戻ることはもうなかった。
下水に流したウンコが簡単には逆流しないように、人間関係だって簡単には元に戻れないようになっている。
そのことを骨身にしみて味わった木村であった。
◇〇◇〇◇〇
東京ドームほどの大きさのダンジョンをほぼトイレに変えた小室は、泥スライムをトイレに流して倒して、倒して、倒しつくした。
ついにダンジョン内の泥スライムを全て水に流した、その時だった。
ガコン
全二階層のはずが、最奥の壁に穴が開き、階段が出現した。
「あれ? 『泥沼』は完全に踏破されたダンジョンだったはずだけど……」
小室は好奇心のおもむくまま、先に進んでみることにした。
泥スライムを狩りつくし、テンションのおかしくなっていた小室には、冷静な判断ができていなかった、と言えるだろう。
小室は、階段をゆっくりと降り、隠し階層たる第三階層にたどり着いた。
テニスコートほどの大きさの部屋は、階段以外の出入り口がない。
不用心に部屋に足を踏み入れた小室は、ズズズ、という音で冷静さを取り戻した。
後ろを振り返っても、元来た階段すら消滅している。
天井から、巨大な泥の塊が落ちてきて、ゆっくりと人型を形作る。
「ボス部屋じゃん……。どうしよう……」
一定のモンスターを討伐すると出現するとされているボス部屋は、他のダンジョンでは例えば第二階層の三割を倒す、特定の強敵を三体倒す、といった条件で解放される。
今まで「泥沼」のボス部屋が発見されたという報告がなかったのは、ボス部屋の解放条件が全ての泥スライムを討伐することだったからに他ならない。
一銭にもならないハズレダンジョンで、わざわざ全てのモンスターを討伐しようという探索者はいなかったのだった。
ボス部屋について考え込んでいるうちに、泥は完全に人型となり、三メートルほどの筋肉質なシルエットの泥人形と化した。
ダンジョン「泥沼」のボス、泥ゴーレムとでも呼ぶべき存在が初めて発見された瞬間だった。
泥スライムよりはるかに凶悪であることを悟った小室は、すかさずトイレ生成のスキルを発動する。
「原始便所召喚」
それっぽい名前を付けているが、ぼっとん便所を呼び出しているだけである。
泥ゴーレムの足元に、大穴を生み出し、片足を沈めることに成功した。
「原始便所撤収」
それっぽい名前を付けているが、ぼっとん便所ごと消し去っただけである。
「あれ?」
泥スライムは便所ごと消し去ることができたが、泥ゴーレムは頑丈なようで、足の一部が欠けた程度で、平然としている。
泥ゴーレムはウンコじみた色の腕を振り上げ、グオオオ、と吠える。今にも小室に殴り掛からんとしている。
「ぼっとん便所だとダメだ。もっと継続的にダメージを与えないと。でもあんなデカブツを丸ごと入れられるような水洗トイレを召喚するスペースはないし……。うおっ」
ガツン
泥ゴーレムの腕が小室の足元に突き刺さる。
小室は左に飛んで追撃を回避した。
「やばいやばいやばい。何かトイレ以外で俺が生成できそうなもの。紙、せっけん、掃除用具……」
小室は泥ゴーレムがにじりよってくるのを、攻撃をよけつつ時計回りに走りながら、状況を打破できそうなものを考える。
「掃除用具? あれは呼べるか? ええい、『部分召喚』」
泥ゴーレムの後ろに二本のホースが現れる。
地面から生えたように見える、二本のホースは、意思を持っているかのように、泥ゴーレムに突き刺さり、その本来の用途を発揮し始める。
「吸引開始」
ずもももも、という音を発しながら、ホースは吸引を始めた。
小室が召喚したのは、バキュームカーのホースの部分であった。
バキュームカーは汚水をホースで吸引する、ある意味でトイレの相方のような存在である。
今でこそ下水道が整備されて、活躍の出番は少ないが、昔は大活躍した大型車、それがバキュームカーである。
どうやらホースの部分だけでもバキュームカー同等の吸引力が発揮されるらしく、泥ゴーレムの体を構成している、泥らしきものをガンガン吸い取っている。
「ウンチョオオオオオオス!」
「その叫び声はやめろ、泥ゴーレムというより、ウンコゴーレムになってしまうだろ」
ゴーレムはその体を小さくしていく。
ウンコの別名のような、ウンチョス、という断末魔の叫びをあげつつ、やがて全てを吸収されつくした。
ガコン、という音とともに上り階段が解放される。
部屋の中央では、床が開いて、何やら台座のようなものがせり上がってくる。
ダンジョンではボスを倒すと、宝箱が得られることが多い。
稀に宝箱以外が出現することもある。
その場合は、スキルの大幅な強化をすることができる。
「えっと、何? 『ダンジョンの九割を制圧しています。このままダンジョンマスターになりますか?』」
小室は、ダンジョンマスターという単語は知らなかったが、ダンジョンの制圧という聞きなれないもののなじみのある言葉に、後先考えずに同意することを決めた。ウンコマスターというルビは見なかったことにした。
「答えは『はい』だ」
キィィィン、と甲高い音が鳴り響き、小室は思わず目をつむった。
音が止んだあと、周りを見回してみても、特に変化は感じられない。
もしかして、とステータスを呼び出してみると、はたして変化はあった。
******
氏名:小室正大
保持能力:トイレ生成Lv. 100 / 120
ダンジョン完全踏破回数:1 (上限値20アップ)
******
「スキルレベルの上限が上昇している……?」
ダンジョンを完全踏破すると、レベル上限が上昇するということは、一般的に知られていなかった。
ダンジョン完全踏破というからには、ボスを含めてすべてのモンスターを倒す必要がある。できるほどの強者はほとんどいないうえ、自分だけが強くなるのだから、秘匿したがるのも仕方ないだろう。
「とはいえ、トイレ生成の能力が強化されても、より大きなウンコを流せるようにしかならない気がするけど」
この日以降、小室は不人気ダンジョンを踏破して、日銭を稼ぎつつ、スキルレベル上限を上昇させる生活を送った。
ウンコをなげつけてくるゴブリンのダンジョン、妖精が聖水をかけてくるダンジョン、白いゴーレムばかり出てくるダンジョン(ゴーレムの素材はバリウムらしい)などを、持ち前のトイレ生成を生かしていろいろな意味で掃除していった。
ウンコは友達、とばかりに、不人気ダンジョンをソロで踏破し、きれいにしていく小室は、レベル上昇とともに、いつしか戦闘能力も上昇していった。
ダンジョン探索者たちの間では今ではこう呼ばれている。
バキュームカーに乗ったトイレの王子様、と。
あなたがダンジョンでウンコを漏らしてしまうような強敵に遭遇したとき、バキュームの音が聞こえてきたら、王子様が助けに来た合図だろう。
ウンコの処理をするがごとく対処して、すべてを水に流してくれるはずだ。
便座ウォーマーはもう、便座を温めない。
了