11.ギルムーン皇帝との対談
――こんな小さい子を泣かせたと思われるのはまずい。
ユーリは心の中でかなり焦っていた。
確かにユーリは悪人を目指している。
しかし、ガキ大将や小悪党になりたいわけではない。
それこそ世界を支配するような大悪党を目指している人物が、子供を泣かせて満足している。
今の状況だとそのように見られてもおかしくない。
そして、これはユーリにとって悪評にもほどがあった。
絶対にそんなこと阻止しないといけない! 特にランベルトだけは!
固い決意の元、ランベルトに視線を合わせる。
すると、ランベルトは笑みを浮かべていた。
――くっ、手遅れか……。
ユーリは悔しさのあまり唇を噛みしめていた。
これで自分の悪としての格が少し落ちてしまった。
今後はより一層悪人として、悪行に励んでいかないといけない。
そして、ランベルトに対してわずかばかりの抵抗をしておく。
フロレンティーナにハンカチを渡して、涙を拭うように促すことで、自分が原因で泣かせたのではない、とアピールをする。
すると、フロレンティーナはそのハンカチを受け取り涙を拭っていた。
そして、微笑みながらお礼を言ってくる。
「ありがとうございます、ユーリ様。……お優しいのですね」
ポッと呟いてきたその言葉を聞いて、ユーリは寒気のようなものを感じた。
――優しい……だと!?
まるで死刑宣告でもされた気分になり、ユーリは顔を青ざめる。
善行をすると良くないことが起きる。
それは前世の経験からしっかりと理解している。
つまり、これから何か良からぬことが起きる前触れなのかもしれない。
ユーリは少し不安な気持ちを抱いていた。
◇
ユーリはすごく心配していたが、ランベルトは実は二人のやりとりを微笑ましく思っていただけだった。
このダンスパーティーの真なる目的は二国間、ひいてはユーリとフロレンティーナが仲良くなること。
ダンスパーティーの会場でユーリやフロレンティーナの姿を見なかったときには焦っていたが、ユーリが職務放棄をされるなんてあり得ない。
当然ながらしっかり仕事をされていると思っていたら、予想通り自分の仕事をきちんと果たされていた。
しかも、ただ会話されていただけではなく、既に愛称で呼び合うほどの仲。
それを見ただけで今回のダンスパーティーは成功だったと言えるだろう。
――さすがはユーリ王子。いくら最近、貴族たちが畑を作り出してくれているとはいえ、ギルムーン帝国からの食糧がなくなっては今の王国だと苦しい。せめてあと数年はどうにかしていく必要がありますからね。
闇影省からの報告によると、帝国で少しきな臭い動きがあるようだった。
どうにもウルアース王国の食料を押さえて、いざというときはそこから王国を弱らせようとしている、と報告が上がっていた。
ユーリが予測した大飢饉の一端がこの帝国であるわけだ。
だからこそ、帝国が裏切ることのできない状況を作り出しておいてほしかった。
それこそ、王子たちの婚姻が順調なら、うかつに帝国も手を出すことはできない。
自身の娘が嫁ぐ先なのだから。
ただ、そのように動いているということは、この婚約は破棄される可能性がある、ということに他ならない。
そして、ユーリもそこを見越して、我先にとフロレンティーナに会いに来たのだろう、とランベルトは判断していた。
だからこそ、既にフロレンティーナの心をつかんでいるユーリのことを感心していた。
さすがは自分が見込んだ主だけはある。
むしろ、もっと深いところまで考えているのだろう。
――私がこの程度しかわからないのが歯痒いですね。
ユーリが考えている深謀の一端くらいしか自分には理解できないと、ランベルトは眉をひそめていた。
実際にユーリの考えていることがわからない、という部分だけは当たっているが、あとの部分は全部間違っており、今もなお、泣かせてしまったことをどうしよう、と思っているなんてランベルトには想像が付かなかった。
◇
「では、ユーリ様。私はそろそろ会場の方に戻らせていただきます。少し騒ぎになっているようですので」
涙を拭ったフロレンティーナは笑みを浮かべ、軽くお辞儀をしてくる。
その目は赤く充血したままで、一目見たらフロレンティーナが泣いていたことがわかるほどだった。
さすがにこのタイミングで彼女の親には会いたくないな、とユーリは思っていた。
どうみても自分が泣かせたようにしか見えない。
わざわざ自分からそんなフラグを立てるものだから、タイミングよくギルムーン皇帝がテラスへとやってきた。
「て、ティーナ!? い、一体何があったんだ?」
目を腫らしたフロレンティーナを見て、慌てて駆け寄っていくギルムーン皇帝。
――まずいタイミングで見られてしまいました。
ランベルトは唇を噛みしめる。
今のこの状態は何も知らない人物が見たらユーリとランベルトが二人でフロレンティーナを泣かせたように見える。
さすがにこんな偶然の出来事はユーリの想定には入っていないだろう。
なら、自分はどう動くべきだろうか。
ランベルトが必死に頭を働かせても、ここを打開する策は思い浮かばずにユーリに一任することしかできなかった。
そして、皇帝はランベルトの予測通りにユーリたちがフロレンティーナを泣かせた、と受け取っていた。
――フロレンティーナを泣かせるような国の人間とは共に歩めない。こうなれば、王国への食糧供給は一切止めてやる!
固く決意する皇帝。
そんな彼に対して、まず口を開いたのはフロレンティーナだった。
「お、お父様、私は……」
「いや、ティーナは何も言うな。全てわかっておる。どうやら私が間違っておったようだな。この婚約は破棄……」
オドオドとした態度のフロレンティーナは、怒りを露わにしている皇帝の威圧を前に口を閉ざす。
でも、ユーリが動く様子はない。
いや、そのときユーリは、このまま婚約破棄されたらフロレンティーナと結婚しなくてすむのじゃないか、と考えていた。
さすがに年齢的に対象外の少女。
その方が自分に得があるように思えた。
一方のランベルトはヒヤヒヤとしながら二人を見ていた。
この婚約を破棄されてしまうと王国に飢饉が起きる可能性がある。
ユーリなら万に一つも大丈夫だろうが、どうしても不安を抱いてしまっていた。
すると、意を決したフロレンティーナが改めて口を開く。
「お父様!!」
フロレンティーナに強く言われて、ギルムーン皇帝は口を閉ざす。
「お父様も少しは話を聞いてください! 私は別にユーリ様に泣かされたわけではありません」
やはり皇帝は怖いのか、少し肩を振るわせていたものの、ユーリに借りたハンカチをギュッと握りしめて勇気をもらっていた。
「しかし、それではどうして泣いていたのだ?」
「それは……」
一度ユーリを見るフロレンティーナ。
そして、強く決意してまっすぐギルムーン皇帝に視線を向けていた。
「私のことをユーリ様が認めてくださったので、それが嬉しくて涙が出てしまっただけです!」
――認める? 俺が一体何を認めたんだ?
腕を組み、二人の様子を黙って眺めていたユーリ。
しかし、話がとんでもない方向へと進んでいるので不思議に思っていた。
――俺がティーナのことで認めたのは『貶されて喜んでいる』ということくらいだ。しかもそれは口に出していないはず。いや、もう一個あるではないか『悪を為せ。悪いことをしろ』と伝えた。なるほど、ティーナも悪人になりたかったのか! しかも涙を流すほどに……。
ようやく話が見えてきたユーリ。
もちろんその考えは斜め上どころか、明日、明後日の方を向いているものだったが。
本来なら婚約者になり得ない年齢のフロレンティーナだが、悪を目指しているのなら話は別だった。
ユーリは彼女をフォローすると決める。
――よし、それなら俺もふさわしい態度を取っておくべきだな。
ユーリはそのままの姿勢で目を閉じ、不敵な笑みを浮かべる。
「ふふふっ、その通りだ。俺が真に彼女のしたいこと(悪行)を理解し、それを認めた。ただ、それだけのことだ」
「ティーナがしたいこと……」
ユーリの言葉に何か思うところがあったのか、皇帝は言葉に詰まる。
一方のフロレンティーナは、まさかユーリが助け船を出してくれるとは思わずに驚きの表情を浮かべていた。
――思えば今まで皇女に必要なことばかりやらせてきて、ティーナ自身がやりたいことなんて考えていなかった。もしかして、王子はそのことにいち早く気づき、敢えて婚約破棄に持ち込むことで、ティーナに自分のやりたいことをやらせようと考えていたのか?
しかし、皇帝はすぐに首を振って、その考えを否定する。
――今までティーナは私にそんなことを言ったことはない。この王子め、デタラメなことを……。
ただ、完全に否定することもできずにフロレンティーナに確認する。
「ティーナよ。そこの王子が言うておることは本当か?」
「はい、お父様。私はユーリ様のおかげでようやく自分がしたいこと、自分のすべきことに気づきました」
「そうか……。つまり、間違っていたのは私の方、ということだな」
実はフロレンティーナがしたいことは『真に民のことを思った政治』で、それはユーリが言っていたこととは全く関係ないのだが、彼女から皇帝に説明したことによって、彼もまたユーリのことを間違って認識してしまう。
フロレンティーナのことにいち早く気づいた、王国の英知としてふさわしい力を持っている少年、と。
「なるほど。ここ最近噂になっている、ユーリ王子の英知。しかと見させていただいた。そなたがいればティーナも幸せになるだろう」
「そ、それじゃあ……」
「婚約はこのまま継続する。王子も私の騒ぎに巻き込んでしまって申し訳なかった」
「いや、気にするな」
なぜかユーリの方が偉そうに見えるのは、彼が敢えてそういう態度を取っているからだった。
皇帝を影から操る裏の男。それもまた悪役っぽい。
ユーリの頭にはそのことしかなかったのだが、それでも皇帝は感心していた。
「一体どこまで先を考えているのか……。ウルアース王国は王子がいる限り安泰であろうな」
「くくくっ、その俺が王国を壊すかもしれないぞ」
ユーリとしては悪人っぽく一国の破壊とかをやるのも良いかもしれない、という考えの基での発言だった。
しかし、ユーリの評価がガラッと変わった皇帝には全く違う捉え方をされてしまう。
――国を壊す。つまり、今よりも良い国を作り上げていくということだな。さすがはウルアースの英雄。考える規模が違うわけだ。
確かにそんなことができる人間は英雄と呼ばれるユーリだけだろう、と改めて彼と縁を結べることを幸運に思う皇帝だった。
こうして、ユーリの機転(?)のおかげで王国はまた一つ、飢饉のピンチを乗り越えていたのだった。
もちろんユーリは何も知らずに、ミーアの他に悪人の手下ができたことを喜んでいたのだった。




