裁判長!変身解除してもいいですか?
この物語の主人公、本堂隆は、バッタの改造人間である。
彼を改造した組織「ショッケスト」は、世界征服を企む悪の秘密結社である。
本堂隆は、人間の自由のために、ショッケストと戦うのだ!
そのはず、だった。
世の中、何が起こるかわからない。
隆が改造され、洗脳処置を受ける前に脱走した三日後、ショッケストは警察の一斉捜査により壊滅した!
組織の首領は機動隊に包囲された末、観念したのか自爆。
幹部たちは軒並み逮捕され、一般怪人ともども留置場行き。
彼らの刑事裁判は類を見ない程のスピードで行われ、死刑や無期懲役など、重い刑罰が確定していった。
こうして、世界は平和になった……。
だが、隆の戦いは、ここから始まる。
その日、光道市に設置されている地方裁判所は、異様な熱気に包まれていた。
それは、民事裁判にしては珍しく、抽選を必要とするほど集まった傍聴人たちによるものかもしれない。
あるいは、裁判所に訴状が提出された時点で駆けつけてきた、マスコミによるものなのかもしれない。
はたまた────。
裁判所に来る格好としては不適切な、奇抜な姿をした原告と被告のせいなのかもしれない。
まず、被告としてこの場にいる者の方は、背格好が人間のそれではない。
頭部はつるりとした赤い袋のようなもので包まれ、胴体からは六本の腕が伸びている。
二本の足と合わせれば計八本となるその手足は、タコを連想させた。
さらに、背中に蝙蝠のような羽を生やしており、顔面中央に寄った両目は、不気味な紫色をしている。
どこからどう見ても化け物にしか思えない被告人だが、それもそのはず。
彼こそ、つい先日逮捕されたショッケストの幹部の一人。
改造人間作製のスペシャリストであり、自身の肉体をも改造したマッドサイエンティスト。
ショッケストにより作成された改造人間第一号「タコ悪魔」である。
ちなみに、改造する前の人間としての名前は、山田良夫。
この名前で呼ばれると怒って墨を吐くので、注意が必要だ。
常に全身がぬめぬめとしており、どんな銃弾も効かないと豪語していた彼だが、警察の機動隊が撒いた塩によってぬめりがなくなり、あっけなく御用となった。
刑事裁判はまだ終わっていないのだが、今回はその悪行故に被害者に民事訴訟を起こされ、検察に手を引かれる形でここにいるのだ。
一方、原告としてその席に座るのは、我らが主人公、本堂隆。
ショッケストが最後に作った改造人間の一人、「ホッパーキング」である。
全体的なシルエットは、タコ悪魔と比べれば、かなり人間よりだが、それでも姿形はやはり人間のそれではない。
フルフェイスヘルメットに覆われたかのような、丸い頭部。
その頭部の大部分を占める、赤い複眼。
首から下に至っては、まるでパワードスーツでも着ているかのように、ごつごつとした装甲に包まれている。
当たり前だが、隆は元々こんな姿だったわけではない。
ごく普通の、暇な毎日を過ごしていた彼だが、ある日突然ショッケストの戦闘員に拉致され、気が付いた時にはこの姿になっていたのだ。
超人的な跳躍力と、三百六十度の視界を確保できる複眼が特徴的な、バッタの改造人間に。
バッタなんだから飛行能力も付けてほしかった、と隆がかなり長いことごねていたという事実は、彼の周囲の者だけが知る秘密である。
もう一つ彼の秘密を明かすと、彼は本来、こんな人目を引く格好で原告席に座る必要はない。
初期型の改造人間故に、一度変身してしまうと人間の姿に戻ることが出来ないタコ悪魔と違い、後期型の改造人間である隆は、いつでも人間の姿に戻ることが出来る。
必要な時だけ「ホッパーチェンジ」をすることで、改造人間としての姿になるように、調整がされてあるのだ。
そんな彼が、わざわざ変身して裁判所に駆け付けた理由はただ一つ。
今この瞬間から、裁判官へのアピールが始まっているからである。
─そしてここでのアピールが、後々の賠償金の額に関わってくる……。
裁判の果ての未来を想像し、隆は改造された仮面の下でグフフ、と笑った。
控えめに言っても、その笑みは改造手術を受けた被害者のそれではなく、悪の組織の幹部が浮かべそうな笑いである。
彼の頭部が改造されていたことは幸いだった。
仮に彼が素顔で、そのあくどい笑みを見られてしまったなら、心象は大きく変わってしまったことだろう。
その状態で待つことしばし。
裁判官や判事がいよいよ現れ、審理が開始された。
民事訴訟の中でも、極めて異例な事例に溢れた迷裁判、「ショッケスト裁判」の始まりである。
裁判では異例のことだが、最初に行われたことは、証人喚問の類ではなく、被告が原告に対して行ったことに対する説明だった。
事件が特殊すぎるために。こうでもしないと、被告人たちの姿の面妖さと、その状態での入廷を許した裁判所の判断が意味不明になってしまうため、混乱を防ぐために許された処置である。
説明は、この件に関わっていなかった弁護士の一人によって行われた。
「本件は、二千三十二年六月に発生した、ショッケストを名乗る犯罪グループによる人体改造事件の一つです。被告である山田良夫、自称タコ悪魔は、組織首領の命令により、当時大学生だった原告、本堂隆を攫い、バッタの改造人間へと改造しました。しかし本堂原告は洗脳を受ける前に脱走し、そのまま警察に通報。駆け付けた機動隊によって、山田被告は逮捕されました。本裁判は、組織壊滅後、被害者への補償が薄い、との理由で、本堂原告が山田被告に対し、慰謝料五億円を求めて裁判を起こしたものです」
傍聴人が多いせいか、酷く砕けた言葉による説明だった。
事件の当事者としては分かり切ったことであるため、隆は適当に流し聞きしつつ、裁判での戦略を練っていく。
「この裁判にさえ勝てば、一生遊んで暮らせるんだ……」
ぼそり、と口からこぼれた呟きに、原告代理人として座っている女性──隆が雇った弁護士である、天野百合は隆の頭をはたく。
無論、裁判官には見えないように。
「いつものことですが、クズ発言は本当にやめてください。裁判の勝ち負けに関わります」
「分かってますよ。だけど、勝ちたいと思っているからの発言じゃないですか」
二人がごにょごにょと言っている間に、説明人による解説は終わり、本格的な審議へと移行する。
まずは原告側の証人で、隆と同様に改造を受けた男性、増尾凱に対する尋問……の前に、証人による宣誓書の音読と、署名捺印が行われた。
普通なら、十秒か二十秒で終わる、この過程。
だが、ショッケスト裁判はまずここでつまずいた。
「……原告側の証人は来ていますか?」
六十手前の裁判長が、不思議そうな声を出す。
無理もない。
彼の目の前にある証言台には、誰も立っていない。
ただ、ペンが動くさらさらとした音が響いているだけである。
傍聴席も、異様さに気が付いたのか、ざわざわとし始める。
その様子を見て、百合は一つため息をついた。
裁判中に勝手に口を開くことの悪印象を念頭に置きながらも、裁判長に助け船を出す。
「裁判長、増尾氏は確かに来ています。ただ、見えないだけで……」
「見えない?」
「はい、彼はショッケストが作成した初期型改造人間の透明人間タイプ……怪人名『インビジブル筋肉』なんです」
一瞬、法廷内が静まり返り。
数秒後、より大きなざわめきがこの場を包む。
それを意に介さず、増尾凱は宣誓書を朗読した。
「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、何事も付け加えないことを…………なんて読むんだ、これ?チカウ?イノウ?…………あっ、『誓います』か?」
透明故に虚空から聞こえてくる、知性を疑われかねない発言に、原告代理人席で百合は頭を抱える。
彼のこの発言は、決して脳改造によるものではないし、洗脳の後遺症でもない。
元々、あまり勉強が得意ではないのだ。
百合の隣では、隆が感心したような声をあげていた。
「あの増尾さんが『真実』なんて漢字を読めるなんて……幸先がいいな。まあがんばってよ、増尾さん。俺の賠償金のために」
もう一度、百合は頭を深く抱えた。
そうすると自然に、彼が自分の法律事務所にやってきた日のことが、脳裏に思い返されてきた……。
事務所の面会室を訪れた本堂隆は、百合の目には、ごく普通の青年のように映った。
どちらかと言えばやせ形の体格。
ものすごく美形というわけではないが、ものすごく醜悪なわけでもない顔。
身長も服装もごく標準的で、人ごみの中に一度紛れこめば、二度と見つかりなさそうな、平凡な佇まいである。
だが、彼が百合の事務所を訪れた時に発した第一声は、決して平凡とは言い難いものだった。
「弁護士さん!弁護士さんって言うのは、正義の味方ですよね!」
「へ!?……は、はあ……」
「じゃあ、お願いします……俺が、一生遊んで暮らせるようにするために、手伝ってください!」
直後に、彼の顔面は百合が噴出したお茶でびしょぬれになるのだが、これに関して百合は悪くないだろう。
むしろ、追い返されなかっただけでも温情である。
そもそもの発端は、隆が改造されたこと……ではなく、百合が以前勤めていた弁護士事務所を、クビ同然に追い出されたことにある。
理由は、百合がある雑誌で「美人過ぎる弁護士」として紹介されたから、という物。
一応言って置くが、不当解雇ではない。
この件に関しては、新人の自分が雑誌に取り上げられたことに興奮し、雑誌のコピーを事務所内で配布しまくった挙句、依頼人にまで自慢してクレームの山を作った百合に非がある。
何にせよ、働く場所がなくなった以上、新しい職場を用意しなくてはならない。
だったら自分で作ってみよう。
そんな浅い考えで「天野百合弁護士事務所」を開いたのが一年前。
案の定、新人弁護士一人しか所属していない事務所に依頼をしてくる人間など存在せず、あっという間に百合は食うや食わずの状態に追い込められた。
このままでは、「美人過ぎる弁護士」ではなく、「迂闊すぎる弁護士」とか、「アホすぎる弁護士」として紹介されてしまう────。
そんなリアルな危機感を抱いた彼女の元に、珍しく現れた依頼人こそ、改造手術後の隆だったのである。
そして、取るものとりあえず会ってみれば、投げかけられたのがまさかのクズ発言。
百合がお茶を吹き出すのも無理あるまい。
それでも、相手の顔を拭きながら、百合は気を取り直して話を聞く。
この仕事を受けられなければ、本当に経営が不味いのだ。
「えーと、本当に、本堂隆さんですよね?一時期、被害者の会の一員としてテレビによく出ていた……」
「はい」
「マスコミのインタビューで、『こんな卑劣な犯罪を許すわけにはいかない、改造人間たちの人権を守らなくてはならない』とか何とか、格好いいことを言っていた……」
「はい」
「そのあなたの依頼が……」
「俺が一生遊んで暮らす計画の手伝い」
膝から力が抜けていき、百合は背もたれに体を預ける。
最近はテレビに出なくなってきたとはいえ、有名人の依頼をこなせば事務所だって持ち直すと踏んで、喜び勇んで会ってみれば、この体たらく。
まともな話にはなりそうもない。
そんな彼女を尻目に、隆はとうとうと持論を述べた。
「いやー、弁護士さんにお話しするのも何となく気恥ずかしいんですけど、俺は小さい時から億万長者になって、一生遊んで暮らすことが夢でしてね」
「……はあ」
「そんな夢を抱えて大人になって、宝くじについて研究してみたり、大学も経済学部に入ってみたりしたんですけど、どうにも叶いそうにない。土地も財産も有りませんしね。これはどうやら、一生遊んで暮らすのは難しいぞって思ってきたところで、改造手術を受けたんですよ」
「……ほお」
「脱走した時はね、ラッキーって思ったんです。警察に駆け込みさえしたら、こんなひどい犯罪の被害 者になったんだから、残りの人生は国が面倒見てくれる。国民の税金で遊んで暮らせるぞってね」
「……へえ」
「だけど聞いてください。被害者が多いからって、国は一時金みたいのを俺たちにくれただけで、民事は放置だったんですよ。まあ、一時金だけでも結構な額でしたけど──今はその一時金で暮らしている身分ですけど──一生遊ぶには全然足りない」
「……ええ」
「ここはひとつ、俺の積年の夢を叶えるためにも、適当な幹部を訴えて、民事で賠償金をがっぽりもらいたいなー、と。そう考えて、いい弁護士さんを探してたんですよ」
「それで、どこの弁護士事務所でも断られて、うちに?」
「そうです」
「……断られたところに対しても、今のように、包み隠さず動機を話していたんですか?」
「そうですよ。よく分かりましたね」
わからいでか。
未だに崩れていない美貌に苦笑を張り付けつつ、百合は心の中で突っ込む。
何だろうか。言っていることは切実で、リアルな改造人間の悲哀をよく表しているような気もするのだが、根本の動機が「誰でもいいから他人から金をふんだくって、一生遊びたい」と言うクズ発言であるため、微妙に応援しにくい。
第一、それを抜きにしても……。
「本堂さん、少し確認したいのですが」
「隆で良いですよ……何です?」
「では隆さん……こういった例での民事裁判は、つまり重大な刑事事件の被告人に対して行うような民事裁判は、極めて難しいことを、御存じですか?」
「……もちろん」
このような場合では、仮に裁判に勝ち、被告側(ショッケストの関係者)が賠償を命じられても、原告側はそれだけの額をもらえないことが多い。
そもそも、被告側に支払い能力がない。相手はまず間違いなく死刑になるような犯罪者たちだ。どれほど情状酌量を与えられても、一生刑務所暮らしは間違いない。
当たり前だが、組織が壊滅し、刑務所に入っている時点で、彼らはほぼ無一文である。無一文の人間から賠償金をもぎ取ることはできない。
また、仮に被告側が物凄く反省していて、賠償したい、と考えていたとしても、刑務所の中で大金を生み出すことは不可能だろう。
ショッケストはそれなりの隠し財産があったというから、その財産を見つければ、差し押さえもできるのだろうが、これもなかなか難しい。
彼らは国すら実態を把握できなかった秘密組織であり、当然その資産も秘匿されている。未だに、資金源が何だったのか分かっていないのだ。
どこにあるのか分からない資金を、差し押さえにはできない。当然、賠償金が支払われることもない。
「……ですから、妥当な線としては、刑務所内での労働に対して、被告側に支払われる報酬から、少しずつ賠償してもらう、という支払い方法があります。ですが……」
「あの手の労働は、報酬が物凄く低い。だから仮に支払ってもらったとしても、俺が望むように一生遊ぶほどには貰えない。……別の弁護士さんに教えてもらいましたよ」
「はい。……存在するとは言われながらも、未だに見つかっていないショッケストの隠し資産から支払いをさせたくても、この場合、原告側の私たちがその資産を見つけて、裁判所に報告する必要があります」
警察も裁判所もその位置を把握していないのだから、このことは原告側の仕事になるのだ。
最悪、その資産を発見するために必要な調査額と、長くなるであろう裁判の維持費用額が、貰える賠償金の額を上回るかもしれない。
それでは、何のために裁判を行ったのか、と言う話になる。
「……それでも、やりたいんですか?裁判」
「はい。実際のところ、改造されても能力のオンオフは可能で、賠償を必要とするほど生活に困っているわけではないんですが……一生遊んで暮らせるチャンスなんて、そうはないですから」
またしてもクズ発言が飛び出し、百合は顔をしかめる。
今では自身の過失のせいで落ち目の弁護士になり果てているとはいえ、百合は法律を学んできた人間だ。
一応、「正義」だとか、「権利」だとかについて、何度も考えたことがある。
社会正義の達成を目指す立場として、隆の動機は共感しにくかった。
そして、いくら経営が火の車と言っても、こんな男を助けるような裁判はしたくない。そこまでは百合も落ちてはいない。
補償が薄いのは確かに可哀想だが、ここは断ろう。
そう考えた時だった。
「ちなみに……俺としては前払いで一千万を払う用意があります」
サラリ、と告げられた事実に、百合は目を剥く。
それだけあれば、しばらく事務所は大丈夫だろう。
目を輝かせる百合の期待に応えるように、彼は床に置いていたカバンを手に取り、その中身を机にぶちまける。
「いやー、ここに来る前に、一か月ほど募金箱を持って町中をうろちょろしていたんですけど、現代人の善意もなかなか捨てたもんじゃありませんね。皆さん俺の顔を見るだけでホイホイ募金してくれて」
「そ、それで……これだけの金額を?」
「ええ、たったの一か月で一千万。依頼料としては十分では?」
しゃあしゃあと親切な人間の善意を悪用したことを述べながら、隆は札束をちらつかせる。
その一万円札の動きに従い、百合の瞳は右へ、左へ、そしてまた右へと動いた。
だが、辛うじて理性を取り戻し、百合は疑問を口にする。
「そ、それだけ募金で集まったなら、あなたはもう裁判を起こす理由はなくなるんじゃない?十分食べていけるでしょう?」
「いやー、さすがに募金だと、話題性がなくなれば集まる金額は減ってきますしね。その点裁判はほら、裁判に勝って、ショッケストの隠し財産さえ何とか見つければ、それみんな俺のものに出来るんですし」
「……」
「もっと言えば、裁判を起こした時点で話題にはなるでしょうから、募金の額も増えるでしょう。一石二鳥……というより、どっちに転んでも、億万長者になります」
「……」
「ちなみに、成功報酬は賠償額、ないし集まった募金の額の半分、なんてところでどうでしょう?」
「やります」
捕らぬ狸の皮算用ではあるが、なかなかに現実的なプランの前に、百合はプライドを捨てた。
ここに、昔から大金に惹かれていた男と、今大金に惹かれた女は、がっちりと握手をした────。
そうやって、二人はショッケスト裁判における唯一無二のパートナーになったのだが……。
眼前の商人が繰り広げる光景に、百合は頭痛を感じ始めていた。
舞台は、既に裁判長による証人・増尾凱(インビジブル筋肉)への質問へと移っている。
「えー、つまり。あなたは改造されたこと自体は何も悲しくない、と」
「は、はい。別に、どうでも」
「ただ、唯一悲しいのは、ボディビルダーとして鍛え上げた、自分の筋肉を鏡で確認できないことだけが悲しい、と」
「そうです!」
相変わらず誰も姿を確認できない証言台で、おそらく立っているのであろう凱が声を張り上げる。
「俺はボディビルだけを人生の楽しみにしていたんです。だというのに、透明人間に改造されたせいで、鏡を見ても俺の筋肉は映らない!いえ、透明であること自体は別にいいんです。ライバルに見えないよう、密かに体を鍛えられますから。しかし、自分でそれが確認できないのが悔しい!」
絶叫に合わせて、うっうっ、と泣き声が聞こえる。
透明人間であるために全く見えないのだが、どうやら泣いているらしい。
「……どうです?被害者の会の元メンバーの内、一番協力的だったのが彼だったんですけど」
「うーん。正直、微妙ですかね……」
裁判官に見咎められない声量で、隆と百合はこしょこしょと内緒話をする。
この裁判に臨むにあたって、隆と百合は一円でも多くの賠償金をもぎ取れるように、いくつもの戦略を練ってきた。
その中で採用されたのが、今回の「同情作戦」である。
裁判官だって人間だ。改造された悲哀を証人たちに精一杯アピールしてもらえば、それだけショッケストの悪行が強く印象付けられ、賠償金を多くしてもらえるだろう、という考えによるものである。
しかし、当の証人があの様子では、どうやら同情を引くよりも気味悪がられてしまっているように思えてはならない。
透明人間から「筋肉が鏡で見えないことだけが辛い」と言われても、裁判官の理解を超えてしまっているのだろう。いまいち反応が悪い。
一応、証人自体は、確かに大きな悲哀を背負っているのだが。
「えー、続いて原告、前へ」
「あ、俺の出番だ」
そんなことを言っているうちに証人喚問は終わり、隆に対する質疑応答(彼はこれをアピールタイムと呼ぶ)となった。
立ち上がる隆に、百合は小声でアドバイスをする。
「いいですか、あなたの本性は絶対に隠し通すんですよ!頑張って同情を引いてくださいね!」
「分かってますって」
全然わかっていなさそうな軽い返事の元、隆は変身を維持したまま証言台に向かう。
スキップでもしそうなほど軽快な様子ですたすたと歩き、宣誓を行ってから、おもむろに彼は裁判長に話しかけた。
「裁判長!変身解除してもいいですか?」
「へ?あ、ああ、どうぞ」
本来、こちら側から裁判官に話しかける行為は、法廷では認められない。
だが、余りにもあっけらかんと告げられたことに度肝を抜かれたのか、裁判官はそれを許可してしまった。
これ幸い、とばかりに隆は変身を解除し、用意していた「策」を発動させる。
「う、ううううう、さ、裁判長!聞いてください、今の僕の待遇は、語るも涙、聞くも涙でして……」
突然鼻声で話し始めた原告に、法廷中がぎょっとする。
ちなみに原告自身は、実際に鼻声になっていて、その目は涙でおおわれている。
当然だ。この法廷に入って来る前、変身前の姿の時に、彼は目と鼻に唐辛子の粉末を入れておいたのだから。
変身すればその程度では何も感じないが、変身を解除すれば、いくら改造人間であろうと、涙の一つも出る。
今この場で変身解除することで、隆は「証言台に立った瞬間に感極まった原告」を演じて見せたのだ。
すべては、一獲千金への願望がなせる業である。
「毎日毎日、僕はもう涙涙で暮らしていまして……ううう」
法廷を少々唐辛子のスパイシーな香りで包みつつ、裁判は着々と進行していった。
「……で、どうでしょうか?一日目の感触は」
「言いづらいんですが、少々厳しいかと」
一日目が終わった帰り道。
隆と百合は喫茶店に飛び込み、作戦会議を続けていた。
「その、隆さんも凱さんも、とても個性的ですから……裁判官も、その個性を受け止めているうちに証言が終わってしまったといいますか……。演技も過剰でしたし」
「うーん。確かに、同情されるよりも先に、ドン引きされていましたね」
腕を組み、隆は低く唸る。
「同情が難しいとなると……どうしましょうかね?」
「そうですねえ……」
注文したオレンジジュースをズズズ、とストローで吸い込みながら、百合は思案する。
要するに、裁判官に対して「改造人間はこんなにも困っているんだ。彼らの人生のためには、賠償金はもっと必要だ」と思わせる必要がある。
効果的なのは、裁判所で改造人間の能力を見せつけることだろうか。「それだけの能力を使える=普通の人間からかけ離れている=普通の生活を送れない=賠償金が必要」となるのだから。
そういった意味のことを、百合はつらつらと隆に説明した。
「……ですから、いかに自分が普通の人間には過剰な能力を有しているか、裁判官に示したいですね。ドン引きされない範囲で」
「そうですか……。なら、証言台でジャンプしてみましょうか?五十メートルぐらいはジャンプできますけど」
「裁判所が壊れるのでやめてください」
「脚力を生かした全力ダッシュ。短距離ならマッハ一・五で走れます」
「衝撃波で裁判官が死にます」
「なら、必殺のホッパーキック。被告のタコ悪魔にでもぶちまかしたら、俺の能力の凄さは分かるかも」
「民事裁判中に原告が被告を殺してどうするんですか!」
碌な考えが思い浮かばず、百合は頭を抱える。
頭が痛くなりすぎたのか、頭の中にサイレンのような幻聴が聞こえる。
……いや。
このサイレン。
実際に。
聞こえているような……?
「隆さん、これって……」
「ええ、なんだかよく分かりませんけど、さっきからパトカーが走り回って……」
隆が言い終わらないうちに、そのパトカーがスピーカーで事態を知らせてきた。
<市民の皆さん。光道市警です。光道市の西側で、ショッケストの残党が武装蜂起しました。機動隊が駆け付けるまで、家から出ないでください。家の外にいる方は、その場から動かないでください。繰り返します……>
「……何だ、ただの残党か」
「機動隊が来るまでの辛抱ですね」
良くある話なので、すぐに興味をなくし、隆と百合は椅子に座り直す。
何しろ、ショッケスト本部をあっさりと制圧した機動隊だ。残党狩りなどお手の物だろう。
仮に機動隊の到着が遅れて残党に襲われたとしても、改造人間(それも組織壊滅直前に完成した最新型)である隆はまず死ぬことが────。
──ん?
そこまで考えたところで、隆には気が付くことがあった。
裁判でより多くの賠償金を手に入れるには、隆の改造人間としての能力を見せつけることが有効。
だが、被害を考えれば裁判所では見せられないし、受け止める相手もいない。
しかし、この状況なら。
ほぼ同じ思考に、同時に至ったのだろう。
百合もまた目を見開き、隆を見つめる。
一秒後、二人は喫茶店の会計を音速で済ませ、外に飛び出した。
「フハハハハハハ、偉大なるショッケスト、ここにあり!」
サングラスの改造人間、ギラギランダは今、人生の絶頂期を迎えていた。
インフルエンザで幹部会議を休み、ショッケスト壊滅から逃れてしばらくたつ。
田舎に帰っていた雑魚戦闘員を集めた武装蜂起が、こんなにも劇的な効果を示すとは。
目の前では、雑魚戦闘員たちがビルを壊し、車をひっくり返し、道路に落書きをしている。
組織壊滅前も含めて、こんなにも作戦遂行がスムーズに言ったのは初めてだ。
笑いの一つも出ようというもの。
「フハ、フハ、フハハハハハハ!……ん?」
高笑いを上げているうちに、ギラギランダはふと、壊れたビルの瓦礫の中で、何かが動いたのを見つける。
よくよく目を凝らしてみれば、それは十歳ぐらいの少女だった。どうやら、逃げ遅れて隠れていたらしい。
少女の姿を認めた瞬間、面白いことを思いつき、彼は笑みをこぼす。
「クックック、おい、お前たち!あれを捕まえろ!」
雑魚戦闘員を呼びつけ、少女を捕えさせる。
恐怖で声も出ないのか、あっさりと少女はギラギランダの前に連れてこられた。
「よしよし、こいつも雑魚戦闘員の材料に……」
しようかな、と告げようとした瞬間。
「待てーーーーーーーい」
酷く時代がかった声が、はるか上空から聞こえてきた。
次の瞬間、振り返ったギラギランダは。
何故か高いところに上ってポーズをとる、一人の改造人間の姿を認めた。
「……何だ、貴様は?」
「フッ、本来なら『貴様のような悪党に名乗る名前はない』とか言いたいが、諸事情でそれはできないから、はっきりと名乗らせてもらおう。俺は本堂隆!現在、ショッケスト裁判で原告になっている、本堂隆だ!よく覚えておけ!」
「……まさか、貴様。警察に通報して組織を壊滅させた、あの本堂隆か!?」
「いや、お前はどうでもいい!そこのお嬢ちゃん!」
「あ、あたし?」
恐怖で声も出なかったはずの少女が、余りにも素っ頓狂な状況に思わず返事をしてしまう。
彼女を見て満足そうに頷くと、隆は今一度声を張り上げた。
「そうだ、良いか!今から俺は君を助ける!」
「う、うん」
「だから助けられた後、君はぜひ俺の裁判の証人になってくれ!俺の能力がいかに凄くて、日常生活に向いていないか言うだけでいいから!」
「へ?」
「生憎だが、本堂隆は……ホッパーキングは、返事は『はい』しか認めない!」
「は、はい!」
そう告げた瞬間。
物陰から弁護士バッジをつけた女性が飛び出し、ものすごい勢いでその少女を連れ出した。
ギラギランダと雑魚戦闘員すら反応できない、一瞬の早業。
彼女の手には、念書とボールペンが握られてある。
「同意したんですね?ならここにサインを」
「え、うん……」
勢いに押され、少女はそこに自分の名前を署名する。
それを確認して、百合は隆に声をかけた。
「隆さん!証人、ゲットしましたー!」
「よし、じゃあ行くぞー!ホッパー……」
「ちょっと待て、我々にも何か説明を」
「キィックゥ!」
こうして、悪の怪人ギラギランダは。
状況も分からないまま、爆発した。
その様子は。
ものすごく生温かい目で見れば、正義の味方が囚われの少女を救った様子に、見えないこともなかったかもしれない可能性があったらいいな、と思わなくもない。
この日より、ホッパーキングによる残党狩りが始まった。
頑張れ、ホッパーキング。
負けるな、ホッパーキング。
一円でも多くの賠償金を手に入れるため、今日も君は戦うんだ。
ちなみに、ほとんど脅し取ったその念書に、法的拘束力はまずないぞ。
それでも頑張れ、ホッパーキング。それでも負けるな、ホッパーキング。
過剰防衛で捕まらないようにだけは気を付けるんだ、ホッパーキング。
最後に、OPの言葉を繰り返そう。
この物語の主人公、本堂隆は、バッタの改造人間である。
彼を改造した組織「ショッケスト」は、世界征服を企む悪の秘密結社である(そして既に壊滅している)。
本堂隆は、人間(主に自分自身)の自由(使い切れない程の大金を自由に使う、の意)のために、ショッケスト(残党)と(言いがかり同然の理由で)戦うのだ!
※この物語はフィクションです、実在の人物、団体、本家本元とは一切関係ありません。