図書室の友人
芹沢。彼女はいつも、教室の隅で本を読んでいた。
彼女はあまり友達がいない。本という自分の世界に入り込んでしまっているのか、誰かが彼女の机の周りにいるところも、登下校、誰かと歩いているところを見たことがない。
僕を除いては。
かと言って、僕も彼女とよくいるわけではない。人前で彼女といたこともほとんど、いや、まったくないと言っても間違ってはいないだろう。
彼女と会う場所は下校前の図書室。僕は以前、レポート用の資料を集めに図書室へ行ったことがある。それまで図書室なんて利用したこともなく、あることさえ知らなかった。図書室のない学校なんて聞いたことはないが、そのくらい存在感のない空間だった。その証に、図書室には司書さんも含め、人のいる気配はなかった。
僕は普段本といっても漫画くらいしか読まないような人間だ。だから図書室に入っても何も興味を惹かれるものなんてなく、ただ淡泊に必要な資料を探すことに集中していた。
数冊めぼしい資料を手に取り、近くの机に広げようと持っていく。瞬間、本棚の後ろにある、見通しの悪い机に一人の少女が座っていることに気づいた。誰もいないと思っていた教室に人がいることに、驚きのあまり声が出てしまった。彼女は肩をビクっとこわばらせ、こちらを見る。クラスメイトの芹沢だった。
彼女のいる空間は別に漫画のように特別な景色でもなんでもなく、ただ驚かせてしまったことに申し訳なさを抱く。彼女はクラスメイトがいることに驚いたのかきょとんとしていたが、自分が入り口から見えないところにいたことに気づいたのか、「驚かせてごめんね。」と一言言うと、また本に目を戻した。
30分ほど資料の選別をしたところで、僕は帰る準備を始めた。その間に人の出入りはやはりなく、彼女と僕だけの静寂な空気が続いた。
何か話すことはないのかとか、気まずいとか、そういうものはないけど、この30分スマホを見たりとか、ほかのことを何もせずずっと本を読み続ける、クラスの誰も詳しくは知らない彼女の生態が少し気になった。少しの興味。それだけ。
僕は荷物を持って入り口とは反対の方向へ歩き出す。彼女もその気配を感じたのか、こちらへ目を向ける。目が合ったとき、天敵同士が相手の様子をうかがいながら対峙するかの如く、張り詰めた空気が流れた。僕は別に彼女が嫌いなわけでもないし、彼女も僕のことは嫌いではないはずだ。嫌われるほど関わったこともなければ、僕は別にクラスで特別目立つわけでもない。でも、嫌われているわけでなくても、彼女の警戒している気配が感じ取れた。今考えればそうだ。誰もいない部屋に男女二人きり、距離を詰められたら警戒はするだろう。
とりあえずさっきの机より彼女に近い机に座る。
「芹沢さんってさ」
「なに?」
「いつも本読んでるよね。」
「うん。」
興味は沸いていた。でも話す内容なんてないことに気づき後悔する。
またも静寂。気まずくて真っ白になりそうな脳をフル回転させる。僕は彼女の何に興味があったのだろうか。
「あ、あのさ、いつも、同じカバーかけた本読んでるよね。あれ何読んでるの?」
「エッチな本」
「えっ!?」驚きゆえにシンプルな感嘆詞しか出てこない
本当に?彼女が?そんな本を?教室で?趣味?勉強?とかいろいろなことを考えて混乱している僕を見て彼女は小さく笑った。
「冗談だよ。信じないで。」彼女は笑顔を崩さず淡々と言った。
「そ、そうだよね、そんなはずないよね。」
「本当にそう思う?本当は本当に読んでるかもよ?」彼女の笑みが挑戦的に変わったように感じた。
「え、どういうこと!?読んでるの?え?」
「フフ。君って面白いね。」彼女はそう言うとまた本に視線を戻し、「でも、私の前の席の大塚さん、あんな大人しそうなのにこの前大学生の彼氏と初体験を終えた、って言ってたよ。人って見た目通りではないんだって。」と付け加えた。確かに大塚さんは大人しい。見た目も性格も。いや、待て、なんで芹沢さんはそんなことを知っているんだ?二人が話しているところなんて一度も見たことがない。
「まぁ、教室でみんなが話してることなんて、周りには意外と筒抜けなんだよ。聞こえてないと思っているんだろうけど。」
「そ、そうなんだ。怖いね。」返答に困りろくなことが言えない。
ただ興味本位で話しかけようとしただけの、人と関わるのが嫌いそうな彼女は、意外とおしゃべりで冗談も言うような普通の女子高生だった。彼女はこの会話が終わるとまた本を読み直し、少ししてこの空気に耐えられず帰ろうとした僕に「さよなら。」と一言発するだけだった。
みんなが知らない彼女を知った気がして、誰に対してなのかはわからないが不思議な優越感に浸った。さらに彼女への好意とも言えない興味が沸いてきた。
その日から、僕は部活が休みの日、彼女はいるかと図書室を訪ねるようになった。2回目図書室で彼女に会ったとき、彼女は「君って本読まなそうだけど意外と読むんだ?」と疑問を投げかけてきた。ただ君のことを知ってみたいなんて本音は恥ずかしいし、そのために図書室に来てるだなんて言えず「そうだね。」と応える。彼女は「なにが好きなの?」と疑問を重ねる。しまった。まったく本なんて読まない僕には無難な回答も思いつかず口をつむぐ。何とか絞り出したのはヒット映画を何本も出している小説家の名前だった。彼女はその回答を馬鹿にするでもなく、深入りをするでもなく、ただ「そうなんだ。」と応えるだけだった。
「今日は何読んでるの?」
「ミステリー」
「今日は?」
「恋愛」
「今日は?」
「エッセイ」
そういった会話を毎回するだけで、それ以上の会話はあまりなかった。彼女がその日読んでいた本を後で口コミサイトを見てこういうのを読むんだなと思うだけの日々。それが僕のささやかな楽しみになっていた。
ある日、また僕が部活が休みの日、いつも通り本を読むふりをしていると彼女から話しかけてきた。
「君ってさ、最寄り駅どこ?」プライベートについてのことどころか、ろくな会話もしていなかった僕は驚き目を丸くした。
「どうしたの?応えたくない?」
「あ、いや、そうじゃなくて。」
「そっか。」
「あ、そう、駅ね。○○駅だよ。だから、高校までは自転車。」
「ほんとに!?」彼女は目を輝かせて食い気味でそういうと息継ぎもなく「私、今日自転車のカギ無くしちゃったの!家まで後ろに乗せてくれない?お礼は何かするから。」と付け加えた。
「え、まぁ、いいけど。」想像もしなかったことを言われ、回答にすこし躊躇してしまった。
「無理にとは言わないよ。あ、お礼するとは言ったけど、いかがわしいことはやめてね。」
「僕がそんなことお願いすると思ってるの!?」
「冗談。」こうして、甘酸っぱい青春みたいな二人乗り下校をした。実際には甘酸っぱくもなんともなくて、ほんの少しの会話と、道案内をしてもらっているうちに彼女の家に着いた。彼女の家は僕の隣の中学の学区域で、そこまで遠くなく、親近感のようなものをおぼえた。
それからも、部活が休みだと図書室に行っては彼女が何を読んでいるのか聞き、それから本を読むフリをする日が続いた。たまに彼女と難しい小説の話を聞いたり、お互いのことを話す日もあった。それでも彼女はいつも教室で何の本を読んでいるのかは恥ずかしいからと、教えてくれなかった。
図書室で会う日は定期的にあったが、教室で話すことはなかった。教室にいる彼女は別人のように、誰も入り込めない世界をやはり持っていた。彼女も、図書室ではいろいろな話をしたり聞いたりするのに教室では話しかけてくるそぶりはまったく見せなかった。僕たちの関係はクラスの人たちは知らない。二人だけの秘密だった。だからと言って恋人でもないし、二人だけの秘密のことがあるわけでもない。週に2回、少し話すだけの図書室の友人というだけだった。ただ、彼女の影響か、僕は少しずつ本を読むフリをするのを辞め、ちゃんと内容を読むようになった。
そうしてようやくお互いのことをいろいろ知って、ようやく友達として仲良くなったと思った矢先、彼女から転校することを伝えられた。理由は父親の転勤らしい。今の家に越してきたのも2年前のことらしい。転校が多い彼女は、寂しくなるからと、友達を自分から作らず、本を読みふけっているらしい。それも、この転校の報せを聞いた時に初めて聞いた。もっと前に言われていたところで別に何かができたわけではないが、その信念の元過ごしている彼女に友達になってしまったことに少しの申し訳なさと、いなくなってしまう寂しさが胸の中で渦巻いた。
それから図書室に行く頻度が減ってしまった。会えば会うほど寂しくなってしまう気がしたから。でも、転校の前日だけは部活をサボって図書室へ行った。最後の挨拶くらいはちゃんとしないといけない気がした。
その日彼女は本ではなく、夕日を見つめていた。
「あ、やっと来た。」
「いや、なんかさ。」
「寂しいんでしょ。」彼女は女々しい~と笑いながら言った。その笑顔が少し恋しく思えた。
「そりゃ、な。友達だし。」
「そうね、友達だもんね。」
「うん。芹沢にとって初めての友達かな?」
「それは私のことを馬鹿にし過ぎ。友達がいないわけではないわよ。」
「冗談。」
「私の真似だ。」
「そうかもな。」
「今日も自転車のカギ無くしたからまた後ろ乗せてよ。」
「あの日のお礼まだもらってないぞ。」
「え~そんなこと気にしてるの~?小さいな~。」
「え、いや。」
「冗談よ。用意してるから。」
「そ、そっか。ありがと。」
「うん。帰ろっか。」
「そうだな。」
そう言うと、彼女と最後の図書室をあとにする。そうか、今まで当然だった日々は明日からなくなるのかと実感すると少し目が潤んだ。それを見て彼女は泣いてるの~?と小馬鹿にしてくる。そんなことねぇよなんて言うけど自分でもわかるくらい弱弱しい。彼女もそれを察したのかはいはい。とだけ言って黙る。
帰り道。たった一度、彼女と図書室以外の場所で話した道。いろいろ思い出す。また目が潤む。二人乗りだと顔が見えなくてよかった。
「別にさ~、あたし死ぬわけじゃないんだし~、またここにだって遊びに来るよ~。」
「わかってるけどさ、こうやって制服着て高校行って、図書室で本読んだり駄弁ったりってのは今日で最後なんだぜ?」
「え~君ってやっぱり女子高生が好きなの~?」
「なんでそうなるんだよ!」
「冗談。」いつもの挑戦的な笑みが見えなくても思い浮かぶ。
「あ、それと君さ、本読むようになったの2か月くらい前じゃん。どう?面白いの見つけた?」
「え、ば、ばれてたの?」
「もちろん。」
「そっか~。なんか恥ずかしいな。」
「最初の日からわかってたよ~。君のウソってわかりやすいよね~。」
「余計なお世話だ!」
「フフ。」
そうこうしているうちに彼女の家に着く。引っ越しの準備をしたせいか、窓のところに段ボールの山が見えた。また実感する。
「そだ、お礼、まだ渡してなかったね。」
「あ、ほんとにあるんだ。」
「あるよぅ。はいっ!」
渡されたものは手のひらに収まる程度の箱だった。
「え、いや、ちょっとこれ!」
「タバコだよ。」
「いや、わかるけど、僕吸わないし、いや、てか僕たち高校生だし!!どうやって買ったの?」
「ん~内緒。」
「内緒にする意味ないだろ。」
「え~いいじゃん~お父さんのストック勝手に盗った!」
「よくないだろ。吸わないのにお父さんのやつもらっても。」
「いいから、お礼ってことにしてこれ!絶対君20歳になったら吸うから!」
「吸わないよ。てか礼になってないよ!」
「そうかな~。あ、本当のお礼は君の机の中に入ってるから。私からのメッセージ。」
「そうなのかよ!それを言ってくれよ!」
「え~恥ずかしいから~。多分それとセット!!」僕がライターとかやめてくれよとうんざり言うと、彼女は本当に恥ずかしそうな顔をした。初めて見た表情だった。別れの日に初めての顔を見ることになるとは思っていなくて、つい笑顔になってしまった僕を見て気持ち悪い~。と彼女は毒づいてきた。
そんないつも通りの会話をして、最後の別れを告げた。たんたんと、さよなら、またいつか。
次の日いつもより少し早く教室に行き、机の中を見る。よく見たブックカバーが入っていた。その中身は花言葉の本だった。少し黄ばみ、端のほうは擦り切れ、長い時間、何度も読んでいたことが分かった。この本を見て、ようやく彼女が何を読んでいたのか、いつも帰り道で花を見かけては何か詩的なことを言っていたことがなんだったのかがわかった。ただ、彼女がずっと読んでいた本は彼女を作り上げた何かのような、強いメッセージ性のあるものだと思っていたから少し拍子抜けしてしまった。
図書室へ行く習慣は残ってしまった。今まではただ一人、芹沢のいた図書室。芹沢がいつも座っていた席で、芹沢が愛読していた本を読む。今は僕ただ一人。芹沢の読んでいた本は、ただたんたんと花の挿絵、花言葉が書かれているものだった。彼女はこれで僕に何が伝えたかったのだろうか。卒業するころにもわからなかった。
20歳になった僕は、やはりタバコを吸っていない。
芹沢が転校してから3年経った。大学生になり、彼女もできた。でも、やはり芹沢との日々は消えない大切な思い出だ。多分、当時の僕は芹沢が好きだった。多分なんて言ってるのは、そうでもしないと離れてしまったことを強く後悔してしまうから。僕たちは図書室の友人だったから、連絡先も交換していない。図書室を出たら、ただの同じクラスにいる人間だから。僕たちは図書室でしか心を通わせることができなかった。
今までずっと机の奥にしまっていた彼女からもらったタバコ。なにげなく部屋の掃除をしていた時にそれを見つけて、彼女の言っていたことを思い出す。今ではわかる。何も伝えられなかったのが悔しい。もどかしい。『そうかな~。あ、本当のお礼は君の机の中に入ってるから。私からのメッセージ。』『多分それとセット』
―――ニコチアナ(煙草)の花言葉
私は孤独が好き
秘密の恋
あなたがいれば寂しくない―――
あまりきれいにまとまらなくて悔しいですが、久々に閃いて書いてみました。また書けるように文章力上げます。よしなに。