表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

朧月の夜に

作者:

BETTABETA

 私は、朧月が好きだ。

 彼もまた、朧月が好きだ。

 好きでなければ、こんな寒い夜にわざわざ家から出たりしなない。……いや、私の場合、朧月が出たから外に出たわけでもない。

外は、まだ真冬なんじゃないか、と思うくらい寒いのだから。

もうすぐ三月なのに。

 家の暖かさと朧月を私の中の天秤にかければ、家の暖かさが沈む。

 では何故外に出たか、というと。彼に一緒に朧月を見ようと誘われたから、というわけである。

 彼と家の暖かさを天秤にかければ、彼が沈んだ。


「……うん。じゃ、また後でね」

 彼からの誘いの電話を切り、服を着替える。太ももの半分くらいまでの丈のスカートに、お気に入りのコートを羽織って、その上からお気に入りのマフラーを巻いて玄関へ出る。

 これまたお気に入りのブーツをせっせと履いていると、彼からメールが来た。

「今どこ?」

 女は時間がかかるのよ。まだ十五分しか経ってないじゃない。

 玄関を出た所、とだけ返して、あと三十分で明日になることに驚愕して、携帯を上着のポケットに押し込んだ。

 まあ、今日は土曜日だから問題ない。


 私の家から歩いて十分もかからない小さな公園の前に、彼は地面を見ながら立っていた。その首には、去年の誕生日に私があげた紺色のマフラーを巻いている。

 息切れしながらも私が寄って行くと、彼は優しい笑顔でこちらへ近づいてきた。そして、公園の中にある小さなベンチを指差した。そこに座ろうと言っているんだろう。

 大きな手が私の手をとり、優しく引っ張る。

 街灯だけが辺りを頼りなく照らす公園に入っていく。見慣れた公園だけど、冬の暗さが印象をガラッと変えていた。

 ゆっくりとベンチに座ると、ギシ、と嫌な音がした。

 彼も、私の右側に、やはりギシ、と音をたてて座った。体を揺らす度に辺りに響くのが少し耳障りだ。

「寒いね」

 彼は、溜息をついてから言う。息をするたび、白い息が立ち込めては消えてゆく。

「うん、そだね……寒い」

「知ってる? 朧月の日の次の日は、雨が降るんだって」

「へぇ、そうなんだー……」

 彼はもともと持っていた暖かい缶のミルクティーを差し出すと、そう言った後に自分の缶コーヒーを飲んだ。

 寒さでかじかんだ手を必死に使い、缶を開ける。

 一口、二口、注ぎ込んでいく。甘く暖かいものが体に染み込んでいく。

 一息ついて、とりあえず会話を繋げるために私は問うた。

「何で、雨降るの?」

 彼は、私の顔を見つめて目を大きく見開いた。そしてまた空を見上げて、「んー……」と唸った。

 私は朧月は好きだが、特別調べた事があると言うわけでもない。

彼もそんなに詳しくはないのかもしれない。

 ははーん、テレビで知った中途半端な知識ってわけだ。

「そうだ」

 十秒経ったか経たないかぐらいの時に、彼は何かを閃いたようで、人差し指を立てた。

「朧月だから雨が降るんじゃなくて、雨が降るから朧月なんだよ」

「ほう、というと?」

 立てた人差し指で、次は朧月を指差した。

「ほら、月の回りに雲が出てるじゃん」

 なるほど、あれは雲なのか……。

「あの雲が、雨を降らす。……ってことじゃないかなあ……たぶん」

 おお、すごい、なるほど、と返事をする。たぶん、という一言の所為で説得力は無いけど、もしかしたら当たっているのかもしれない。

 帰って調べてみて、間違っていたらおちょくってやろう。

 また暖かいミルクティーを飲むと、ひゅう、と冷たい風が吹いてきた。露出した太ももを冷やす。彼のためだからって、スカートを穿いて来たのが間違いだったかな……。そう思って、太ももを撫でた。

 すると、彼は上に来ていた黒いジャンパーを脱いで、私の膝に掛けてくれた。とても暖かい。

「え? 寒いでしょ、いいよ」

 嘘だけど。

「僕はズボンだし。上だって分厚いから平気だよ」

 全然分厚くないじゃないの。それすっごく薄いじゃないの。口には出さなかった。

「お礼」

 だから代わりに、左腕に抱きついて、手を握ってやった。

 彼は微笑んで言う。

「ありがと」

「うん」

 大きな手は、冷たい。


 彼の手を握り、肩に寄りかかりながら、朧月を眺めた。

 彼の言ったとおり、雲がうっすら見える。星は全然見えない。

 明日は雨かなあ……と、いうより、もうすぐにでも降ってしまいそうだ。折り畳み傘を鞄に入れた覚えはなかった。

まあいいけど。

 ミルクティーを飲み干してしまった。彼も同じくらいのタイミングでコーヒーを飲み干した。私の手から空の缶を取ると、二つの缶をベンチのすぐ傍にあるゴミ箱に放り投げた。

誰でも入るような距離なのに、彼がナイスシュート、と口にしたので私は少し笑ってしまった。

 そして、ふと膝にかかった彼のジャンパーのポケットを見ると、何か入っているのが見えた。

「ん? これなに?」

 私は手を伸ばす。

「え……。あ! だめ、出さないで」

 彼は右手で私の左腕を掴んだ。

 彼の慌てっぷりを見ると、何かやましい物でも入ってるのかと思える。

「何ぃ? 何入ってるのよー」

「べ、別に変なものじゃないよ……ほら、か、カメラ? 月、撮るためだよ」

「ふーん……」

 語尾が疑問系なので九十九パーセント嘘だろうけど、まあ、……いいか。信じてやろう。

 でも、あまり、いい気はしないなあ……。

 私はポケットをあさろうとする手を引いて、もう一度彼の腕に抱きついた。彼の右手はまだポケットの中の何かを握ったままだった。そんなに見せたくないのか……。

 会話が途切れる。いつもは心地よい沈黙さえ、少し気まずくなった。ちらっと横を見ると、彼は空を見上げていた。首疲れない?

 まあ、他の所を見ていても仕方がないので私も、空を眺める。

 あーあ、雲が増えてきちゃった。月も少しだけ見えにくくなっている。

 でも、彼の家も私の家もここからはそう遠くないので、折角だし彼との時間を大切にしようと思った。

「あのさ」

 彼が沈黙を遮った。

「ん……」

 彼は、私の膝に掛けたジャンパーのポケットをごそごそと探っている。お、やっと見せる気になったか?

私はジャケットが落ちないように掴んで、それを見ていた。

「さっきの……嘘」

「え?」

「ごめん、カメラじゃない」

 わかってるわよ、というべきか迷ったが、彼のプライドのためにも黙っておく。

 それよりも、言いたい言葉がある。

「そうなの? ……じゃあ、何が入ってるの?」

 彼は俯いた顔を、もっと下に向けた。心なしか、頬が赤く見える。

 何か言いたげなのに、口は固く閉じたまま。私は、彼の横顔を見つめる。

 もうそろそろ何か喋らないと不自然だと思ったのか、彼はゆっくりと口を開く。

「ゆ、」

 何、湯?

「びわ……」

「へ? ビワ?」

 私の中の好きな果物ランキング四位の名前を口にすると、彼はそれっきり黙ってしまった。

 え? 何?

 湯でしょ、ビワでしょ。ビワ風呂?

 ……………………あ。

「指輪……?」

 彼は小さく頷く。顔はさっきよりも赤い。少し唇をかんでいる。

 指輪……。

 意味がキュピーンとわかってしまった私は、多分彼と同じぐらい顔が赤いだろう。

「え、だから……え…!?」

 戸惑っている私を放って、彼は立ち上がった。そして、また空を見上げる。

 足が少し震えているのが見えたけど、私の方が震えているに違いない。

 そして、彼は、深呼吸をして。

 ゆ、っくりと振り返って。

 一度瞬きをすると。

 私の左手を手に取り、指輪を私の薬指にはめて。

 寒さと緊張に震えた声で。


「結婚しよう、涼子」

と、言った。


 だから、私は、ベンチから立ち上がって。

 精一杯、声を振り絞って。

 短く返事をした。


 頭が真っ白になって、考えもせず咄嗟に返事をしてしまった。

 でもよく考えても、不満だって不安だって何も無かった。

 私の頭の中には、彼との幸せな未来しか見えない。

「よかった……」

 いつの間にか彼は私を抱きしめて、泣いていた。

 いつの間にか私は彼に抱きしめられて、泣いていた。

「純、あいしてる」

「ああ、僕もだ……」

 

 日を境に降り出した雨は、冷たくて。

 だけど彼の大きな体が、暖かい。

 私は、雲の隙間から覗く月に照らされ、そういえば今日は私達の三年目の記念日だったな、と思いつつ、とりあえずひたすら涙を流した。

 

BETTABETA

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ