5 夕飯
俺が家に着くころには、太陽もすっかり山影に隠れてしまっていた。
7階建てのマンションの、5階の角部屋。
カギをあけ、少し重いドアをぐいっと引く。
「あっ! おかえり、まひるくん!」
廊下の向こうからひょっこり顔を出したのは、小学2年生の加賀谷みゆ。
ひよこのマークのエプロンをつけて、手にはおたまを握っている。
「なんだ、みゆ。今日はお前が料理当番?」
「うん。パパ、徹夜明けだからヘロヘロなんだって。だから交代したの」
「そっか。なあ、今日カレー?」
「うん! もうちょっとでできるからねー」
そう言って、みゆは奥へとひっこんでしまった。
俺は靴を脱ぐと、うまそうなにおいに誘われるまま、リビングへ向かった。
「まひる、おかえり」
ぼさぼさの頭でふらふらと起きてきたのが、加賀谷 衛。
みゆの父親で、俺の親友だ。
年を取らない妖怪の俺と、人間の子供だった衛。
なぜだか妙に馬が合って、もう30年近い付き合いになる。
出会った頃はまだあどけないガキだったのに、今やすっかりヒゲ面のおっさんになっちまった。
今は大学で民俗学を教えているとか。
「はい、パパの分」
「おー、おいしそうだね。ありがとう、みゆ」
丸メガネの奥の目が、きゅっと嬉しそうに細められる。
あの目だけは、ずっと昔のままだ。
「どうかしたの? まひるくん、食べようよ」
「……ああ、ありがと」
俺はみゆからスプーンを受け取ると、いただきますと声を合わせた。
「……でね、新しい先生はちょっとおとなしいの」
「そうかー。仲良くしてあげるんだよ」
「うん!」
俺がぼーっとしている間、加賀谷親子は楽しそうに話している。
「まひる、どうかしたかい?」
急に衛がそう言った。
「え、なんで?」
「なんだか疲れているようだし、目が赤いよ」
「ああ、今日プールで溺れて……」
しばしの沈黙。しまった、と思ったときにはもう遅かった。
「だーっはっはっは! そうか、まひるは泳げないのか!」
衛が涙を流して笑い転げている。
「なんだよ、そんなに笑うことじゃねーだろ」
「いやいや、悪い。ただ、いつも飄々としてるお前に、そんなに苦手なものがあるのかと思うと、なんだかおかしくてさ……ッ、くくっ!」
あー、くっそ!
「まひるくん、みゆが教えてあげよっか?」
「いい。俺、絶対もうプールなんか行かない」
「まあまあ、拗ねなさんなって。そもそも、どうしてプールに? 所長さんの命令かい?」
「そ」
それで思い出した。
俺はポケットから例の紙くずを取り出す。
「なあ、これ何だと思う?」
俺の手のひらの上。
濡れて折れ曲がった紙を、ふたりはじっと睨んでいる。
ふたりとも、決して手を触れない。
これが危ないものかもしれないと、ちゃんと分かっているのだ。
「文字は何も書かれていないようだね。材質からすると、すこし繊維の荒い……和紙のようだが」
メガネを上げつつ、衛が言う。
みゆがはっと目を輝かせた。
「ねえ、これ、折り紙じゃない?」