Question10
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Question10
ーデカダント市内・マッドキリング収容所ー
法廷で裁かれ、未来の途絶えた罪人たちの呻き声が四方八方から聞こえる。その声には怒り・嘆き・懺悔・絶望…様々なマイナス的感情や思いが込められている。
そして、漂う血生臭ささや衛生的に問題がある不潔な景色が嘔吐感を増させる。とはいえども、多忙のあまり昨日から何も食べていないので、吐くにも吐けないのだが…。
「先輩、どうしてもこの道通らなければならないッスか?ちゃんとした清潔な看守用の通路があるのに…」
アイリッシュ・ケプラーは不満の声をあげる。先程から突き刺さる囚人たちの視線に耐えるのも限界に近づいている。
彼の少し前を歩くジュリア・ネーターは囚人やこの環境など一欠片の興味もないとでも言うように、リズムの整ったヒールの音を響かせる。
「そろそろ署長室に到着するから少しくらい我慢しなさい」
「でもここは生理的に無理ッスよ。吐きそう…」
彼は口元を押さえて込み上げる嘔吐感を胃の中に押し戻す。
ネーターは咄嗟に回れ右をしてケプラーと向かい合う。その顔には何の感情も浮かんではいなかった。真顔というやつだ。
「記事のためなら何事も我慢が必要よ」
名言じみた台詞を吐いたが、名言を言うにもTPOというのがある。囚人たちの声と漂う悪臭で話が頭に入ってこない。
彼女はため息を漏らしては、再び半回転して歩き出す。ようやく、看守用の通路へと出てきた。消毒用として撒かれているのかアルコールの香りがほんのりと2人の鼻腔をくすぐる。
「大体、以前からのも含めてこの取材は私だけがする予定だったの。なのに何で懲りずについてくるのかしら?理解しがたいわ」
「…先輩は僕の理想像です。仕事できる人ってかっこよくないッスか?特に記者は憧れてたんスよ。危険をおかしながらもあらゆる現場を走り回ってスクープを狙う!男のマロングラッセとか言うやつッス!」
胸を張り、目を輝かせてケプラーは熱弁する。これからの人生に希望を持つ実に無垢で素直な青年だ。
「アイリッシュ…貴方…私のような女になりたかったのね」
「違うっ!!」
ネーターは引き気味に後輩の姿をまじまじと見る。とんだ解釈違いを起こしたらしい。
「大丈夫…最近の世間はそういう人も受け入れている傾向にあるから、安心しなさい?」
「そうじゃなくって」
「男のマロングラッセ…美味しいわよね。私も好きよ」
「もういいッス!」
必死に対応する先輩の姿を見て、ケプラーは涙を流し誤解を解くのは諦めた。これから自分が変人だって思われても快く受け入れていくと決心していた。
「そちらにいらっしゃるのはどちら様かな?」
通路の反対方向から看守と思われる男性があるいてきた。ネーターは彼の姿を目にすると、丁寧にお辞儀をする。
「私達は新聞社の者です」
「あぁ、そういえば連絡が来てたなぁ。私はここの所長を勤めさせていただいているものです」
「あなた様の事は存じ上げていますわ。私はジュリア・ネーターといいます。此方のぽてっとしてる頼り無さそうなのが後輩のアイリッシュ・ケプラーです」
「『ぽてっとしてる頼り無さそうな』は蛇足ッスよ」
二人のやり取りをみて、所長はアハハと朗らかに笑う。
色素の薄いふわふわとした猫毛、人柄の良さそうな垂れ目で誰からも好かれそうな彼からは地獄のような収容所の所長という職業を連想するのは難易度が高すぎた。ケプラーは、「彼の職業はアイドルやモデルの方がいいのではないか」と思っていた。
「ん?私の顔になにかついてますか?」
所長はケプラーの視線に気がつき、笑顔を保ちつつ、首を傾けた。
「い、いえ別に!看守の服って初めて見るので」
首から下をすべて覆う外套。その下にはボタンをすべて留めた詰襟、それと同じ色のズボンの裾をブーツの中に入れている。そしてハンチングとは少し違うつば付き帽子を被っている。軍人っぽいスタイルだ。
「この国では珍しいスタイルなんですよ。
私の祖父が東洋の者で、あちら側が「メイジ」だか「タイショウ」だかの時代の軍服をあしらえたものです。」
「それっていつの時代の服装なんスか?」
「そうですね…その国は現在は平和主義の国となってます。終戦が70年くらい前でこの服の時代が…大体100年以上前ですね。私もかなりの懐古趣味なので、流行には疎いんです」
そう言って所長は微妙な笑みを浮かべた。
「へー、昔のものが好きって大人ッスねー!」
「えっふん!」
さっきから静かに二人のやり取りを聞いていたネーターが咳払いを一つ。
「いい加減取材の方に入らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、すみません。この収容所は人手が少なくてみんな忙しいので久しぶりの話し相手ができてちょっとテンションが上がりました。
さ、この先に所長室がありますので」
彼が指差した方向は壁であり、その先へといく道はどこにもない。
「この先は壁…ですけど?」
「ですから、この先ですよ。厳密にはこの下ですが」
所長が慣れた手つきで指を鳴らす。
パチンッ
乾いた音を合図にその場の3人の足が軽くなった。浮いたのではない。その場の床が消えたのだ。
「うあああああああああああああ」
「あっははははははははは」
「またこれなのね…」
重力に逆らうことは到底できず、3人は落下した。
絶叫するケプラーの隣で狂ったように笑う所長。ネーターは過去に体験したような口ぶりでどこまでも落下していく。
「楽しいだろ?私が暇潰しに開発したんだ!」
「全ッ然楽しくないッスよ!収容所の所長がすることッスか?」
「することッスよ?あ、お茶いる?とっておきのアールグレイ」
呑気なことに、仕掛人は懐から小さめの水筒を取り出してはコップ代わりとなる蓋に薄く紅い液体を注いでいる。この状態で液体が宙に零れないのがまた一つの不思議である。
「ところで…長い間落下してるみたいだけど、この演出はいつ終わるのかしら?」
「二人とも何でそんな余裕なんスかあああああああ」
このときの滞空時間は十数秒だが、彼らにとっては数分以上に感じられたのだろう。
着地地点はしっかりとした柔らかいクッションの上に落ちた。加速したエネルギーは確実に人をダメにするであろうもちもちクッションに吸収された。
「さ、到着したよ♪」
「し、死ぬかと思った」
「一応生きてるわ、安心なさい」
落下した場所はもう少し豪華で整った想像通りの『所長室』ではなかった。ねずみ色の冷たくて暗いコンクリートに囲まれた囚人たちのいない牢獄。床にはペンキを蹴飛ばしたのかと思わせるほどの赤黒い血痕。ここに来る前に通った牢屋よりもっと酷い人の肉の腐ったような臭いが漂う。
ケプラーは咄嗟に鼻と口を覆い、さすがのネーターも広がる景色に不快感を感じたのか眉間にシワを寄せていた。
この場所を一言で例えるなら『地獄』。
「うっ、ここは…」
「わかってるくせに」
にんまりとイタズラっぽい今までとは雰囲気の違った笑顔を見せる所長。
「ここが君たちが訪ねたいと思っていた例の事件現場さ」
やっとの10話です。今回は場面もキャラもがらりと変わって戸惑われたことでしょう…申し訳ないです。
次回も記者コンビの話です