Question1
Question1
サイレンが鳴り響くなか、1人の少年が走る。少年の足元には彼と同じ囚人服を来た人々の死体が転がっている。そこから滴る血液が、不衛生な床を紅く染め上げる。そんなことは気にせず、知りもしない出口へ向かい、がむしゃらに走った。
「僕には時間がないんだ」
少年はその言葉を何度も繰り返していた。
エヴァンス・ガロアは教会の前にいた。
ここに来た理由はお祈りにでも、墓参りにでもない。
ただ意味もなく歩いていたらここに来ていたのである。
「そろそろ仕事探さないとな」
彼のもとには亡き両親の遺産が残っているが、それも、そろそろ厳しくなっている。数時間前に、住んでいた家を売ってしまったところである。というわけで、今夜は泊まる場所がない。ただブラブラと散歩している場合ではなかった。空も茜色に染まり始め、今から探すのも時間の問題だ。
「神父様と交渉して泊まらせてもらおうかな」
「Alice was beginning to get very tired of sitting …」
教会の庭の方から声が聞こえてきた。それも英語である。
ガロアは気になって庭の方へまわると、1人の少年が大きな本の朗読をしていた。顔つきも幼く、童話から飛び出してきたような、なんともメルヘンチックな服をまとっている。
(あの子、教会で預けられている子なのかな?)
ガロアは少年に近づいた。本人はいまだに1人で本の朗読をしている。
「?…マー君?」
彼はガロアが目の前にやって来た事に気がついたようで本から顔を上げた。
しかし、ガロアと目を合わせた少年は目を丸くして硬直してしまった。
「あ、あの」
「ひゃううううっ」
少年はまぬけな悲鳴をあげて、一瞬のうちにガロアと距離を広げた。
「キャロルくーん何してますのー」
教会の方から修道女が1人こちらへと駆けてきた。少年は彼女の姿を確認すると、そそくさと彼女の背中に隠れた。
修道女は困り顔で少年を見たあと、視線をガロアへ戻した。
「どうもうちの者がお騒がせしました。お祈りの方ですか?でしたら、入口は」
「違います違います!今晩ここで一晩止めていただけないかと思いまして…もちろん庭でも路上でも構いません。無理でしたら他を当たりますよ?」
「そうですね、もうじき日が沈みきりますし、今晩は大丈夫ですよ。さぁ、こちらへどうぞ」
修道女は快く了承してくれた。共に入口まで向かおうとすると、先程まで修道女の背中に隠れていた少年がそそくさと先に教会の中へいってしまった。
かなりの人見知りらしい。
「あの子、相当な人見知りさんなんですね」
「キャロル君でしょうか?おっしゃる通りの人見知りな子ですが、心優しいいい子ですのよ。マークィス以外の人とは口を利きませんがね」
彼が言っていた「マー君」とはそのマークィスの事だろうか?
「あの、修道女様」
「私はマーリン・メルセンヌですわ」
「メルセンヌさん。この辺りで仕事募集しているところとかご存じでしょうか?」
「この辺りでいま募集しておりますのが…ないと思いますわ」
ガロアはがっくりと肩を落とした。
「あ、思い出しましたわ」とメルセンヌは足を止めた。回れ右に方向転換して、ガロアと顔を会わせる。ポカンとしている彼にメルセンヌはにっこりと微笑む。
「一つ心当たりがありますの」
古ぼけた部屋のベッドに横たわり、ガロアはメルセンヌの言っていた『仕事』について考えていた。
『私が存じておりますお仕事は特殊なものですわ。貴方様は『サクリファイス』についてどう思っているのでしょうか?』
『『サクリファイス』ですか…』
サクリファイスとは、世界人口の一部にあたる特殊能力を持つ者のことだ。古い風習で、その能力が神様の力を奪った罰として、生け贄にされていたことからこの名前がついた。
現在ではそんなことほとんどなくなってしまったが、今でもサクリファイスを忌み嫌う地域も少なくはない。
『僕の地域ではサクリファイスは『誰かの役に立つ神様の使い』と教えられました。とは言っても、実際にサクリファイスを見たことはないんですけどね』
『それなら大丈夫そうですね。その仕事の一員にサクリファイスがいますので、軽蔑する方にはお勧めしないようにしてましたの。貴方様が心優しいお方でよかったですわ』
社員にサクリファイスがいるなんて想像がつかない。どんな仕事なのかと深く考えるほど、頭が混乱して気分が悪くなる。
ふとベッドの横のチェストを見ると、温かそうなバケットとシチューのセットが置かれていた。彼が考え事に夢中になっているときに、メルセンヌがこっそり置いていってくれたのだろう。
「…いただきます」
冷めないうちにと温かい夕食を食べたあとは寝てしまったのか、彼の記憶は一時的に途切れたのであった。
「こちらですわ。足元にお気をつけて」
メルセンヌに誘導されていくのは教会の裏にある屋敷へ向かう地下通路だ。
「メルセンヌさ~ん、本当に職場へ行けるんですか~?」
「あら、疑ってますの?
地上から行く方法もありますが、教会から行くならこっちの方が早いですわ。」
カンテラの光でやっと先の道が見えるような薄暗く、湿った場所を導かれるままに歩いていく。
「私もそろそろこの道にも街灯をいくつか置きたいと思ってますの。
でも、子供たちが成長期で、この先の職場の方も利益がそこまでよろしくないらしいので、設置は当分先ですわね」
「メルセンヌさんって既婚者?」
「まさか!うちの教会で預かっている3人の子供たちのことですわ。私はまだ相手もいませんもの」
ガロアはそりゃそうだと思った。
彼女は推定24~25歳だろう。預かっている子供の一人が昨日出会った少年キャロルだとする。彼は15歳前後に見えた。
そこから2人が親子関係だとすると、メルセンヌは10歳でキャロルを出産したことになる。不可能だ。
「着きましたわ。こちらの扉から上がっていってください」
木造の扉を開け、階段を上がっていくと、屋敷の廊下に出た。正面の部屋の扉には筆記体で『Secret』と記載されたプレートがかけられている。
メルセンヌがその扉を数回ノックをすると、長身の男性が出てきた。
「やぁ、メルセンヌさん。今日も時間通りの出勤だね」
「ごきげんようパスカル様。残念ながら今日は30秒遅刻してしまいましたわ…。あと、この方をオイラー様に会わせてくださる?」
「この子が昨晩言ってた入社希望の子かい?彼ならいつもの場所にいると思うから俺が連れていくよ。」
パスカルは、「さぁ、こちらへ」とガロアの手を引いて別の部屋へと連れていく。
「聞きそびれていたけども、君の名前は?」
「エヴァンス・ガロアです」
「君の着ている服は学校の制服だよね?確かそこの学校はかなりのエリート校だったはずだけど」
「両親がいなくて学費免除で頑張っていたんですけど、トラブルがあって…奨学金で通うしかなくなり、卒業後の返済は難しいと思い、退学したんです」
「そうなんだね…。無理に聞いちゃってごめんね。でも、うちの事務所はきっとガロア君を採用してくれるはずだよ」
廊下の一番奥まで来ると、部屋がひとつある。パスカルはノックもせずに扉を開けて、ずかずかと部屋へ入っていった。
部屋の中は書斎で四面が天井まである本棚にびっしりと本が詰め込まれている。
窓際に面している机に向かってうつぶせになっている男性が一人。歳はパスカルやメルセンヌと同じくらいだろう。
「おい、レオ。起きなよ。今日はお前に仕事だよ」
パスカルは男性を力任せに叩き起こす。
「んぁ?…あぁ、入社前のオリエンテーションか仕事の報告書作成のこと?それなら今日はパス…」
「前者の方だよ。しっかり給料分は働け。こちらが今日相手するガロア君」
「は、初めまして。本日はよろしくお願いします。」
体を起こして背伸びをする男性は眠そうな顔でガロアを見る。
「えっ?」
「どうかしたかい?」
「いえ、別に」
光の加減かもしれないが、たった今、前髪の隙間から見えた左目が紫色に光ったように見えた。もう一度見てみたら、左目は長い前髪で隠れてしまっており、右目は鮮やかな赤い目のままだった。
「ふむ、なるほどね。
ガロア君、君はオレ達の仕事はどんなものか知っているかい?」
「いえ、特に」
「オレ達の仕事は政府や個別に来た依頼を実際に潜入などをして調査して、それを有償で提供するというもの。いわばフリーのスパイというものだよ。」
スパイ活動…そう聞いてガロアはこの人達の仕事の事が理解できた。
学生時代に聞いた噂話。『Secret』と呼ばれる組織が政府の裏に隠されているという噂。
「メルセンヌから聞いたよ…君『サクリファイス』に会ってみたいんだろ?」
「会ってみたいとかそういうのではないんですけど、いるんでしたらそういう能力?的なものを拝見したいなぁとか」
「なら、見せてあげるよ。パスカル、オレはいまから書類書くから連れていってあげて」
「はいはい、わかったよ。ガロア君、ついておいで」
再びパスカルに案内してもらうことになった。
屋敷の2階の部屋のひとつに止まった。
「ここだよ」
また、ノックもなしに扉を開けるパスカル。
少し注意をした方がよいかと思ったが、ガロアはその部屋のなかを見て言葉を失った。
懐中時計を持ったウサギや紫色の猫のぬいぐるみが中に浮いている。ティーポットが勝手に紅茶を注いでいる。この不思議な空間は童話の『不思議の国のアリス』を連想させる。
「キャロル、話があるんだけど…」
誰もいないおとぎの国にパスカルの声が響く。
「はーい。何のご用でしょうか?」
何もない空間から少年がパッと姿を現した。裏地がアーガイル柄のローブ、小さいシルクハットのついたカチューシャ、ふんわりとした服…この空間の主人公『アリス』にふさわしい服装をした子だ。
突如現れたキャロル少年にガロアは一抹の疑問を抱いた。メルセンヌの話や体験だと、彼はまともに会話のできない極度の人見知りだ。パスカル相手でも筆談しかできないはずだが、なぜ彼はこんなに明るく会話ができているのだろうか?
「彼は、自分の能力で作り出したこの空間のなかでは人見知りせずに会話することができるんだよ」
思っていたことが口から零れていたのか、読まれたのか、パスカルがしれっと答えた。
「はい、昨日はご迷惑をかけてしまいごめんなさいです…。
ボクはフレデリック・キャロル。『代償:Wonder Land』のサクリファイスです」
彼が噂のサクリファイスであった。
なるほど、能力の事は『代償』と呼ばれているのか。
「実はこの屋敷には事務の子と他のサクリファイスが勤めているんだよ。」
「えぇっ!…キャロル君だけじゃないんですか?」
「そう。この屋敷の人物を10とするとサクリファイスはその中の8を示すかな?勿論僕もオイラーもメルセンヌさんも何かしらの能力を持っているよ」
パスカルの発言はかなりの破壊力を持っているらしい。
サクリファイスは予想以上に多かった…ごく一部のはずなのに、なぜこの事務所に集まってしまっているのだろう。
「じゃあ、僕は場違いなのでは!?何でここではたらこあと思ったんだろ?あっれー?」
「おやおや。確か君は僕たちの事を差別しないはずだったよね?」
「あ…あぁ…ボクがこんな気持ち悪い能力をもってるから…ごめんなさい…」
パスカルに冷たい目で見られ、キャロルに泣かれてはガロアはぐうの音もでない。
…本当にこれから大丈夫なのだろうか?
初めまして、空色歌音です。
この度は『Mathematician Observation』を読んでいただきありがとうございます!
こちらの作品は半年前にpixivにて初公開させていただいたものです。現在は本編が進まず、気分転換に別のサイトにも再投稿してみようと考えました←
現在は20話まで公開しております。タイトルは気軽に『マスオブ』と略してください。
マスオブはタイトルの通り『数学者』をモチーフにキャラを作っています。そして作者は文系です。数学者より文豪や芸術家の方が詳しいです。でも数学者のエピソードについてはかなり豊富で実在していた人物なのか怪しくなるくらい超人だったらしいです。次回からはあとがきにキャラのモデルとなった方々のエピソードを加えていこうと思います。暇つぶしに読んでみてください。
長々とお話しするのもあれですので、今回はここらで区切りを付けようと思います。今後もよろしくお願いします。