三匹目 『不定のモノ』 前編
「シロ、待て。」
俺は左手に干し肉を持ち、右手を前に突き出し手のひらを見せ付ける。シロと呼ばれた子犬は干し肉を見て、尻尾を左右に振ってはいるがその場で動かずにいる。よし、と言って干し肉を放ると器用に空中でキャッチした。
「その魔物、名前決めたんだ。」
アリアが少し離れた位置でこちらを眺めていた。
「いつまでも子犬っていう訳にはいかないから、ねーシロ。」
近づいてきたシロの頭を撫でてやると、目を閉じ気持ちよさそうにしている。
「で、その魔獣。シロだっけ、そいつもここで飼うんだ。」
「もちろん。」
アリアは俺の後ろで寝ているグラスウルフを恨めしそうに見ている。
「まったく、あなたには期待外れよ。」
アリアは深くため息をつく。俺は立ち上がりアリアのほうに詰め寄る。
「俺はしっかりと働きましたよ?ちゃんと懐かせたじゃないですか。」
「そこは評価してる。でも、お金を稼ぐどころか逆に出費が大きくなってるじゃない。」
グラスウルフを牧場で飼育するようになって、飼料として多くの香草類が必要となった。ある程度、お父さんの畑で賄えるものの、貴重な収入源を食いつぶしている状況となっている。結果、研究所の依頼を受ける前よりも経済状況は悪化していた。お父さんは今日も畑で汗をかいている事だろう。
「それは俺に言われても困りますよ。ここの牧場主はあなたなんですから、経営くらいしっかりしてくださいよ。」
「そりゃそうだけど、あなたにそうやって言われると腹立つわね。あなたも何か考えなさいよ、上手くお金を稼ぐ方法を。」
「んー、アリアが真面目に働く?」
「あなたねー、助けてやった恩を忘れたの?」
「忘れた」
「こんの」
アリアが杖を出そうとした時、牧場の入り口から声が聞こえてきた。
「二人とも、何仲良く喧嘩してるんですか。」
ユナさんがニコニコしながらやって来た。
「これのどこが仲良い様に見えるんですか?」
「喧嘩するほど、って言うしね。それはそうと次の依頼持ってきたよ。」
依頼、その言葉にアリアは飛び付く。
「本当?ムツゴロウ、今度こそ稼ぐわよ!で、どこに居るの?」
「あそこ。」
バキャァ!!
大きな音と共に飛び込んでくる輸送隊。アリアの絶叫が牧場に響き渡る。
「せっかく綺麗になった入り口が!わざとね、あなた達わざとやってるよね?」
「まさか、気のせいよー。」
手を振りながら否定するユナさん。しかし、表情は少し楽しげに見える。本当にわざとでは無いのだろうか。
「で、今回はどんな魔物?前回みたいな凶暴な奴は嫌よ。」
修理代は研究所持ちのため、アリアは切り替えが早かった。興味は運ばれてきた魔物に移る。
「大丈夫、今回はおとなしいわよ。」
ユナさんはそう言うと、檻にかけられた布を取り外す。アリアは最初怪訝な表情をし、その後色んな角度で檻を覗き込む。俺も檻の中を見ているのだが魔物が見当たらない。しびれを切らしたアリアは聞いた。
「どこ?」
「そこ。」
「み、え、な、い!」
「そこだって。」
ユナの指差した先を良くみると、拳くらいの大きさで青く透き通ったぷるぷるしている塊があった。
「なにこれ。」
「すらいむ。」
アリアの問いかけにユナはそう答えた。スライム、ゲームをやったことのある人なら1度は目にしたことのある名前だろう。例えば、そうだな。
「黄色い鳥に蹴っ飛ばされる奴?」
「違う、それはぜりー」
「落ちてくるカラフルな奴?」
「それはぷよ◯よ」
「錬金術師が袋叩きにする」
「それはぷに◯に」
「駆け出し勇者が倒しまくる」
「それはスライム」
「詳しいな、おい。」
通じないだろうと冗談を言っていたのだが、ユナさんは何故か的確な返しをしてきた。
「何かねー、ギルドに変な人が来てたのよ。ゲームの知識か有れば魔物なんて余裕よ、とか言ってる人。その人ずっとゲームしててね、それ見てたら覚えたのよね。」
ん、俺と同じように異世界転移した人かな?
「強かったんですか?その人。」
「それが全然駄目。武器は振れないわ、魔法は使えないわ、少し血が出たくらいで騒ぐし。今頃教官にしごかれてるんじゃないかしら。」
その人も苦労してるんだろうな。少し同情。
「まあ、スライムならそんな危なくはないですね。」
俺はふらっとスライムに近づく。二人は俺の動きに驚いた。
「あ、待って、無闇に触っちゃだめ。」
「え。」
ぐるんと回る世界、激しい音と衝撃。俺はスライムに叩かれ吹っ飛ばされた。
「あいたたた。」
全身を襲う痛みに悶えていると、ユナさんが駆け寄ってきた。
「大丈夫?ああ見えてスライムは絶滅したとも言われるレア魔物なのよ。迂闊に近づいたら攻撃されるわよ。」
「そういう情報は先に頂けると助かるんですけどねぇ。スライムって、そんなに凶暴なんですか。」
「昔はそこらじゅうに居て、駆け出し冒険者の訓練対象になるくらい弱かったのよ。昔はね。」
「昔は?」
「ある頃から急に見かけなくなったの。理由は討伐対象にして倒しすぎたからだって言われてるんだけど、正確な理由は良くわかってないのよ。」
「で、今残っているスライムはその生き残り、歴戦のスライムにって所ね。特徴を知らない駆け出し冒険者にとっては要注意な魔物って訳。」
アリアは話ながらゆっくりと歩いてきた。俺に回復魔法をかけてくれたが相変わらず効果は薄く、ほんのり痛みが無くなったくらいだ。
「スライムの特徴、ですか。」
「まず打撃攻撃が効かない。それを知らなくて杖で叩いたら凄い反撃を受けてね、それはもう全身アザだらけよ。」
「あのときのアリアったら震えながら泣いてててとっても可愛かったわ。」
「ユナ、いい加減忘れてよ。」
アリアは苦虫を噛み潰したような表情になる。ユナさんは気にする様子もなく、スライムに近づいていく。
「次に斬撃ね。まあ、効かない事はないんだけど倒す事は出来ないわね。斬っても、切れ端が動かなくなるだけで本体はぴんぴんしているから。」
スライムが威嚇するように起き上がったが、ユナはその端を見事な剣捌きで切り落とす。切り落とされた部分はぐねぐねと蠢いていたが、やがて動かなくなった。
「倒すには粉々にするほどの威力の爆発を起こす、もしくは全体を氷魔法で凍らせて打撃で砕くとか、とにかく木端微塵にするしかないのよ。魔法や道具を上手く使えない初心者はそれが出来ない為に苦戦する事になるの。」
ユナさんは剣を納め戻ってきた。一連の動作は美しく洗練されたもので見とれてしまった。
「で、今回はこの小さなスライムを大きく育てて、出来れば繁殖させて欲しいんだって。」
「どうやって?」
アリアは脊髄反射のように聞く。
「それを調べるのがあなた達の仕事でしょう?」
「スライムに雄雌があるんですか?」
「それを、以下略。」
興味本位で聞いてみたが、まだ分からないようだ。だいたいのゲームでは雌雄不明なのだが、この世界ではどうなのだろうか。そもそも、スライムって生殖活動をするのだろうか?やはり分裂なのだろうか。少し興味はある。
「まったく、研究所のインテリは毎日何やってるんだか。少しくらい調べておきなさいよ。」
アリアはぶーぶー文句を言っている。
「報酬が減ってもいいのなら」
「はい、喜んで育てさせていただきます。ムツゴロウが。」
「また俺かよ。」
これから再びの魔物とのスキンシップ。そのことを考えると、大きなため息が出た。
「さて、どうしたものか。」
最初無用心に近づいて吹っ飛ばされたため、今度はゆっくりと近づいて様子を伺う。
ぷるぷるとしていて触ると気持ち良さそう。
俺はそう思い手を出すと、
「あいたっ!」
スライムはさながら雲丹のように全体を棘だらけにして俺に触られることを拒む。俺は咄嗟に手を引いたが所々刺さってしまったようで血がでていた。
「んー、とりあえず触ってみたいですね。」
手のひらの血を服で拭い再びゆっくりと手を出すが、やはりスライムは棘を出してくる。
「鎧、使う?」
ユナさんはすでに準備していたようでマネキンに着せられたプレートアーマーを示す。
「駄目よ、壊したら高いじゃない。これで十分でしょ。」
そう言って投げてきたのはなめし革のグローブだった。ユナさんは残念そうに鎧を片付けていた。
「ま、ないよりはましですかね。」
俺はなめし革のグローブを付けて手を伸ばす。スライムは棘を出すが革を貫通することができず、ぐにゃりと折れ曲がった。
「いい感じ、触れそうです。」
グローブ越しにスライムの表面を触ると固めのゼリーを触っているような感覚だ。そのまま力を入める。僅かな抵抗感の後、スライム本体の中に手が入った。
「 」
「ん、何か言った?」
俺は振り返り二人を見た。二人は不思議そうな顔をしていた。
「いや、なにも言ってないよ。」
「そう、何か聞こえた気がしたんだがな。」
俺は再び手に集中する。スライムの中を探ってみるがゼリーを掻き分ける感触以外何もなかった。
その時、急にひんやりとした感覚が手に伝わってきた。俺は驚き手を引っこ抜く。
「なんだこれ。」
右手にはめた革のグローブが所々虫食いのように穴があいていた。
「溶けた?」
「ああ、またうちの備品を壊して!」
「仕方ないじゃないですか、使えって言ったのはあなたですし。もうこれ、使えませんね。」
俺はグローブをその場に脱ぎ捨て二人の元へ戻る。
「まったく、あれも安くはないのよ。」
「でも最初からプレートアーマー使わなくて良かったですね。またタダ働きですよ。」
「せっかくお小遣いが出来そうだったのに、残念だわー。」
「ユナは私を助けたいの、困らせたいの?」
「両方よー。」
「両方って、あんたね。」
そんな事を話していると、何やら後ろからずるずると音が聞こえてきた。振り替えると檻から出てきたスライムが地面を動いていた。
「ちょっと、スライム逃げてる。ムツゴロウ、早く檻に戻してよ。」
「俺⁉また吹き飛ばされるか、串刺しになるじゃないですか!」
「ちゃんと回復してあげるから。」
「だから、あんたの魔法効かないんだって!」
「二人とも待って。あれは何をしようとしてるんだろう。」
背中を押すアリアと踏ん張る俺。口論の最中ユナさんが何かに気づいたようだ。俺はスライムを観察する。
スライムの動線の先にはさっき投げ捨てたグローブがあった。スライムはグローブの近くにたどり着くと、そのまま体の中に取り込んだ。取り込まれたグローブはしばらくすると形も分からなくなり消滅した。
「グローブを溶かした?」
「何か大きくなってない?」
アリアの指摘によって俺も気がついた。スライムはさっきより少し大きくなっていた。手で触れようとすると棘が飛び出してくる。サイズが大きくなった分棘が長くなりさらに近づく事が困難になる。
「溶かして自分の体にした、グローブを食べたってこと?」
アリアの表現は合っているように思う。グローブをスライムが食べ成長?した、これが正しいのなら一つめの課題は何とかなりそうだ。そして、純粋な好奇心が芽生える。
「金属ならどうなんだろうか。」
「有るよ、丁度いいのが。はい。」
「なに勝手にうちの備品渡してるのよ。」
ユナさんから手渡されたのは、長い木の持ち手に四又に別れた鉄製の穂先。ピッチフォークと呼ばれる麦藁を持ち上げるのに使う道具だ。武器としても使われることがある。
スライムに軽く触れさせると、ズルズルと穂先に絡み付いてくる。穂先はスライムに触れられた部分が錆び付いていった。
「溶けることはないみたいですけど、錆びちゃいますね。さっきユナさん、スライム斬ってましたけど剣大丈夫なんですか?」
「コツがあるのよ、すぱっと斬れば錆びないわ。初心者はそれが出来ないから錆び付かせて帰ってくるのよね。」
「なるほど。」
ユナさんの話に感心していると、アリアは手をぱんぱんと叩いた。
「はい、撤収撤収。今日の所は終了。もう夕方だし、期間は始まったばかり。急いでもしょうがないわ。」
日は傾き、空はうっすら茜色に染まっている。しかし、完全な日没まではまだまだ余裕がある。
「まだ日没まで時間ありますよ。」
「私ちょっと行かないといけない場所があるのよ。」
話はこれで終わりと言わんばかりに、アリアは俺に背を向けると家の中に入っていった。
「何かあるのかしら。」
素早い動きでスライムに鉄製の箱を上から被せると、ユナさんはその上に腰かけた。
「さあ、俺は知りませんね。」
俺は首をかしげた。