二匹目 『草原の狼』 後編
「と、言うわけで。グラスウルフを攻略するために、第一回アリア牧場作戦会議を始めます。ひゅー、ドンドンパフパフ。メンバーは、こちら!」
「娘がお世話になってます。」
頭をぺこぺこ下げるお父さん。
「なんで私も入ってるんでしょう。あ、お父さん。夕ご飯、ご馳走様です。」
ユナさんはナフキンで口周りを拭いている。アリアに誘われて夕飯を一緒に食べることになっていた。
「俺はまだ契約するとは言ってねぇ。」
俺は腕を組んで抗議するが、テーブルの向こう側にいるアリアは聴く耳持たず。
「さて、初日は散々な結果に終わりました。それもこれもムツゴロウがしっかりとやらないからですね。」
いきなり名指しで批難される。
「いや、まてまて。俺はこんな危険な仕事をやるとは言ってないぞ。」
「グラスウルフの力はすごく、私のような可憐な美少女には近づくことすら出来ません。」
「聞けや、人の話!」
「まあまあ。落ち着いて、お金に目がくらんだアリアが言う事聞く訳ないんだから。」
隣に座っているユナさんになだめられ、そして諦めるように諭される。
「仲良くなるためには、まず近づく事から始めなければいけないと思います。」
「でも、近づいただけで噛み殺されるぞ。あの革のグローブも意味なかったし。」
グラスウルフはあの硬くなめした革の上から噛み千切ってきたからな。
その時のことを思い出し、すこし体が震えた。
「そうなんです。革では防御力が足りないのです。」
「なるほど、鉄の鎧を使うんだな。」
ユナさんが気がついたように言った。
「まず怪我をしないように防御を固めて、グラスウルフに近づく。そして長い間寝食を共にすれば懐いてくれるはず。ペットが懐いてくれるんだから、魔物も懐いてくれるわ。」
「確かにそうかもしれんな。」
お父さんは頷いている。
「で、寝食共にするのは」
「あなたに決まってるじゃない。」
「ですよねー。」
半ば諦めながら聞いたが、まあ予想通りの答えが帰ってきた。
「だがアリア、うちには鉄製の鎧なんて高級品は無いぞ。」
「そうねぇ。ユナ、兵士用の鎧って余ってない?」
「ん~、あったかなー。最近王国も経費節約ってうるさいからね。ちょっと伝令出しとく。大丈夫なら明日持ってくるようにしておくから。」
「ありがと。ま、鎧なくても檻の中に叩き込むからムツゴロウは安心していいわ。」
「ユナさん、鎧の件。お願いしますね。」
「う、うん、任せて。君の命が掛かってるからね、しっかりと探しておくように言っておくわ。」
「つーか、俺ここから逃げればいいんだよな。」
俺は皆が寝静まった頃合に、体を起こす。そばに寝ていた子犬を抱えると、そっと部屋から出る。きしむ階段をゆっくりと降り、玄関を開けると空は闇に包まれ、グラスウルフの檻の周りだけは篝火によって明々と照らされている。
綺麗な立ち姿のまま微動だにせず檻を監視しているのはユナさんだ。
「そおっと、そおっと。」
明かりに照らされないところを、気づかれないように音を殺して歩いていく。そうして、壊れた牧場の入り口に着いた。道には街灯など無く、吸い込まれそうなほど真っ黒だった。一瞬、進むのを止めようかと考えたときだった。
「うわ、おい暴れるなって。」
急に抱えていた子犬が起き、腕の中で暴れ、前に飛び出した。俺は咄嗟に受け止めようと手を前に突き出したときそれは起きた。
ボトッ
何かが落ちる音。
「ん?」
右手の感覚が無かった。そして、足元に転がっていたのは……
俺が声にならない声をあげると、ユナが近づいてきた。
「ねえ、どうしたの!君、手が…… ちょっと待ってて。」
ほどなくして、眠そうなアリアがユナさんに引っ張られて家から出てきた。
「ちょっとー、こんな時間になにやってるのよ。」
「ねえアリア、こ、これを見てあげて。」
「ん、あぁ。よいしょっと。」
アリアは落ちていた“それ”を掴むと、ぐいっと俺の元あった場所に押し付ける。その瞬間、右手の感覚が戻ってきた。
「私から離れるからよ。あなたの体、今は魔法でくっついてるけど、魔法の源から離れたら外れるに決まってるじゃない。」
「え、だって魔法で回復してくれたんですよね。」
「そうよ、でも私レベル低いから完全じゃないのよね。くっつけることには成功したけど、あとは体の自然治癒力に頼る形ね。」
「ん、待って。アリア、結構討伐任務こなしてたわよね。なんでレベル上がってないの?」
ユナさんは不思議そうに聞いた。
「その辺に転がってる死骸から討伐の証を剥ぎ取ってただけだもの。上がるわけ無いわ。」
「それってズルじゃない、まったく。」
胸を張って言うアリア。ユナさんは呆れた様子だ。
「ってことは、俺はアリアから離れられないのか。」
「そういう事になるわね。私といつも一緒よ、喜びなさい。」
「喜べるか!そもそも、雇用の条件だった美少女がどこにも居ないじゃないか!」
「目の前に居るじゃない。」
「え、ユナさんは確かに綺麗だけど、どっちかって言うと美女じゃないですか。」
「ほ、褒めても何も出ないわよ。」
まんざらでもないようだ。
「私よ、バカ。言わせないでよ、恥ずかしい。」
「お前が?寝言は寝てから言え、そんな出るとこ出てない体型で。」
「へぇ、そんな態度とっていいんだ。」
アリアは俺の右手を取り上げると、くるくると器用に弄ぶ。
「どうしよっかなー。これ、エサにしてもいいんだけどなー。」
「申し訳ありませんでした、アリア様ー!」
「あれ、取ったり付けたりしていいんでしょうか。」
ユナはぽつりと呟いた。
翌日。俺はユナさんが用意してくれた鎧を着ていた。
「重いですね、これ。」
がしゃがしゃと音を立てながら、歩いてみる。鎧の重さも相まってかなり歩きづらい。
「騎士用のプレートアーマーだからね。サイズ合ってないから動きにくいと思うけど、防御力は期待してて大丈夫よ。」
アリアはぱらぱらと本をめくっている。
「えっと、たしかこの辺りよね、防御っと。あった、あった。ムツゴロウ、こっち来なさい。」
俺はアリアの方に、さながら壊れたブリキ人形のように歩いていった。
「いい、じっとしててね。」
アリアは杖を取り出し、呪文を唱えながらコンコンと鎧を軽く叩いていく。
「カッチカチヤナ、カッチカチヤナ」
「それ、呪文あってるのか?」
「うるさい、集中してるんだから黙ってて。」
アリアは詠唱を再開する。しばらくすると体の奥から暖かくなってきた気がする。
「よし、これで基礎防御が1アップしたわ。」
「1って多いんですか?」
俺はユナに聞いてみる。
「最低の値ね。無いよりはましだけど、ほとんど意味がないわね。」
「気の持ちようよ、元気があれば火の中水の中って言うでしょ。」
「初耳ですよ。」
「ほら、早く行く。これ、干し肉ね。あげて仲良くなるのよ。」
「くっそー、他人事だと思って。」
俺は渡された干し肉の束を両手で抱えて、ゆっくりとグラスウルフに近づいていった。グラスウルフは床に体を伏せて目を閉じている。
「ほーら、干し肉だよー。お食べー。」
干し肉の匂いがグラスウルフに届くように振りながら、少しづつ近づいていく。あと1mといったところでグラスウルフは動き出し、覆いかぶさってきた。
「いったたた。」
体格の違いで吹っ飛ばされ仰向けになってしまった。辺りに干し肉が散らばってしまう。目の前にはグラスウルフの口があった。昨日よりダメージは少ないが、それでも衝撃はすさまじい。のしかかられる形になり、身動きが取れない。
「ほら、今よ。エサをあげて仲良くなるのよ。」
檻の外から野次がとぶ。
「よーし、よし。ほら、ご飯だぞ。」
俺は恐る恐る手に持った干し肉を鼻先に近づける。グラスウルフは少し匂いを嗅ぐと、干し肉を持った腕ごと噛みついてきた。
「これ大丈夫か?今メリッて音したぞ。」
腕ごと食いちぎられるかもと不安がよぎったが、グラスウルフは干し肉を吐き出すと再び体を伏せ目閉じた。
「食べませんでしたね、干し肉がいけないんでしょうか?」
俺は二人の元に戻った。
「魔物の癖に選り好みするのね、なんて生意気な。干しがだめなら生よ、生。」
「牛の生肉でもあげてみる?私が用意するわよ。」
と、言うことで生肉を準備したわけなんだが、
「生ぐせぇ!」
アリアが鎧の至るところにくくりつけたせいで、臭いが兜の中に充満している。
「よし、これであなたはエサ、ただのエサよ。」
「食われてこいって、言ってます?」
「違うわ、エサの気持ちになってグラスウルフと接するのよ。」
「エサの気持ちって。どんな気持ちなんです、それ。」
「美味しく食べてね?」
「やっぱ食べられるんじゃないですか。」
俺は生肉の塊と化した鎧と共にグラスウルフに近づいた。グラスウルフは先ほどの態勢から動いていないようだ。
「ほーら、私は美味しい美味しいお肉よ。私を一思いに食べちょうだい!」
何故かオネエになってしまった。しかし、グラスウルフに反応はない。必死に体を動かし美味しいアピールをするが微動だにしない。
「おかしいなー、寝てるのか?」
確認のため、ちょっと鼻をつついてみたら一瞬目の前が暗くなった。そして、鈍い音と共に天地が逆転した。
「大丈夫?今までで一番飛距離出てたけど。」
ユナさんが近寄ってきた。回りには壊れた木箱が散乱しており、ようやく吹き飛ばされた事に気づく。
「全く反応しませんでしたね。」
俺は差し出されたユナさんの手を借りながら起き上がる。
「作戦の練り直しが必要ね、すんなりとはいかないか。」
アリアはじっと、グラスウルフを見つめていた。
その日の夜。
「作戦会議よ!ユナ、あいつ牛肉食べないじゃない、どうなってるのよ!」
アリアは両手をテーブルに置き、前のめりに話す。
「戦い方の研究は進んでいるんだけどね、生態については何も分かってないのよ。いや、誰も調べる気が無かったって言った方がいいかな。魔物の生態を調べようなんて変態、普通いない。」
最近の研究所はいかれてるけどね、と付け加えた。
「餌付けをする、この方向性は間違ってないわ。ただ奴らが何を食べるのかを見つけないことには先に進まないわ。豚や鳥、馬、とにかく片っ端から肉を試すしかないんじゃないかしら。」
俺は手をあげ、喋り続けるアリアを止める。
「ちょっと気になる事があるんだが。」
そう言って手甲をテーブルの上に置く。昼、着ていたプレートアーマーの物だ。
「見事な歯形、結構いい装備なんだけど、もう使い物にならないわね。」
「それの何が気になるの?」
アリアは良く分からないといった様子だ。
「ちょっと見せてもらえるか。」
お父さんは手甲を手に取り、じっくりと観察する。
「確かに、違和感があるな。犬歯、だね。」
「はい。」
「二人で分かってないで説明しなさいよ。」
「犬歯、つまり尖った歯の跡がここにあるんですが思いのほか浅いんです。肉を食べる生物だった場合、鎧を突き破るくらい長いと思うんです。そして、奥歯がかなり大きい。この特徴は、草食動物の特徴に似ていると思うんです。
「グラスウルフが草を食べる、考えたことありませんでした。」
ユナは驚いているようだ。
「でも分からないわね、確かに生肉には反応しなかったけど干し肉は口には入れたじゃない。結局食べなかったけど。」
「あれは確か私が燻製したな、そのへんの木と枯れたハーブやら薬草を適当に放り込んで作ったような。その香りに反応したのではないかな。」
お父さんは思い出しながらそう話す。
「とりあえず、グラスウルフが草食と考えるなら、どの草に反応するのか調べてみる必要があるわね。」
「なら明日の朝、私の畑で育てている物を持ってこよう。どれかに反応があればいいんだが。」
こうして明日の方針が決定した。
「だから、全身にくっつけるスタイル止めません?」
お父さんが大量に持ってきた香草類。それを鎧に付けようとするアリアを止める。
「どうして?全身でぶつかっていかなきゃ仲良くなんてなれないわよ。」
「いや、どこに噛みつかれるか分からなくなるから嫌なんですよ。」
「そう、あなたのやられっぷり、見てて面白かったのに。残念。」
「楽しそうでなによりですね、こちとら命がけっていうのに。」
「とにかく、どの草が好きなのか早く調べなさい。」
「へいへい。」
俺は適当な草を手に持つと、匂いがグラスウルフに届くようにひらひらと振りながら近づいていく。匂いを感じ取ったのか鼻が少し動いている。
「お、反応あり。もう少し多めにしてみるか。」
俺は両手一杯の草を持ってグラスウルフの前に置いてみる。グラスウルフはゆっくりと起き上がると、目の前に置かれた草の匂いをしきりに嗅いでいる。危険は無いと判断したのか、おもむろに草を食べ出した。
「本当に草を食べるんだな、目の前の光景が信じられない。」
「この調子で毎日餌付けするのよ、ムツゴロウ。」
と、いう事で檻の中にグラスウルフと一緒に監禁、もとい生活することになった。匂いがついたからなのか、しきりに近づいてくるようになった。体格差が大きく、さながらサッカーボールのように檻の中を転がされながら思った。
危険生物に体当たりで挑む芸人ってすごいんだなぁ。
一ヵ月後。
「いやっふー!」
牧場にムツゴロウの声が響き渡る。
「まさか本当に懐くなんて、なんと言っていいのかしら。」
ユナは驚きと呆れが入り混じった表情をしている。ムツゴロウは決死の餌付けで懐いたグラスウルフの背中に跨り、牧場内を走り回っていた。
最終日だった昨日、研究所の調査団が来てグラスウルフを調べていった。まさか本当に、といった表情をしていて少し気持ちが良かった。
あとムツゴロウが餌付けの最中に気づいたらしいんだけど、グラスウルフは薬草の匂いに過剰に反応して興奮状態に陥るらしい。一種の興奮剤となってしまうようで、冒険者が良く襲われるのはそう言った理由かららしい。駆け出しの冒険者には伝えられたらしく、今後被害は少なくなるって研究所の人が言ってたっけ。
「人間、なにかしら才能は有るものね。」
金の卵を産む鶏を手に入れたわ。
私はムツゴロウを見て、顔がにやけるのをとめられなかった。
「さ、ユナ。報酬を頂戴。」
高まる鼓動を抑えながら、両手をユナの前に差し出す。
「はい、これ。」
手の中にちょこん、と小袋が置かれた。逆さまにすると、出てきたのは金貨一枚だけだった。
「何の冗談?これだけな訳ないでしょ。」
「冗談じゃないわ、報酬は金貨300枚。私が貸し出した鎧の弁償代、かなりまけて299枚。差し引き一枚がアリアの取り分よ。」
ユナは手に持った袋をじゃらじゃらと鳴らす。
「こんなに苦労して懐かせたのに!」
「苦労したのはムツゴロウさんでしょ。」
「もう、ぜんっぜん儲からないじゃないの!で、この魔物いつ処分してくれるの?」
そう言った私にユナはきょとんとした表情になる。
「何を言っているのかしら、ここで飼育するに決まってるでしょ。」
「は?聞いて」
ユナは私に口の動きを見せるように、ゆっくりはっきりと言った。
「け、い、や、く、書。」
私はぼんやりと考える。
楽して儲かるって無理なのかな。
牧場を走り回る一人と一匹を眺めながら、契約書は隅々まで読もうと心に誓った。