一匹目 『子犬』
耳に入ってくるのはサーっという音。
「うっ、うぅ。」
俺はたしかマンホールに落ちたんだっけ。
俺はゆっくりと目を開けると柔らかな日の光が差し込んでくる。
「ん、んん?」
混乱しながら状況を確認する。今大の字で仰向けの状態で寝ている。体を動かしていく。手、足、特に痛みも無ければ傷一つ無ない。
「けっこうな高さから落ちたと思っていたんだが。夢、じゃないよな。」
手に持ったコンビニ袋がそれを物語っている。
「それに、よっこいしょ。」
俺は体を起こし、周りを見渡す。そこにあるのは見知った住宅街、ではなかった。
遠くまで見渡せる平原、膝下まで伸びた草が幾重にも重なり緑色の絨毯に見える。風が吹き抜ける音が気持ちいい。さっきの音の正体はこれだな。
「ん、なんだこの匂い。」
草の匂いに混じって変な匂いが漂ってくる。鼻に付く匂い。俺はそれを辿っていく。匂いの元凶はすぐ近くにいた。
「う、うわ。まじか。」
そこには大きな犬が横たわっていた。体はピクリとも動かない。それもそのはず、体毛には血がべったりと付いており、周りには血溜りが出来ていた。
「なんだこれ、まだ血が乾いてない。車にでも轢かれたのかな。」
観察してみるが、その死骸には違和感があった。轢かれたにしては綺麗過ぎるのだ。
ん、まて。これは切られている?
血が付いた部分を良く見ると刃物で切られた痕があった。
「だれだよ、こんなひでぇ事すんの。」
動物は好きではないが、極端に嫌いではない。俺は少し手を合わせる。
「動物愛護法違反だよな、これ。警察にって、まずここ何処だって話だよ。ん?」
がさがさと犬の死骸近くの草が音を立てる。草を掻き分けると、そこには子犬がいた。こちらを睨み付け、牙をむき出し唸り声を出している。どうやらこの死骸の子犬のようだ。死骸の近くから動く様子を見せない。警戒されているようだ。
「可哀想に、親犬が殺されて大変だな。お、そうだ。丁度いいところに。」
俺はコンビニ袋からジャーキーを取り出すと、子犬の前に差し出す。子犬は最初唸り声をあげ続けていたが、次第に声が収まりぺろぺろとジャーキーを舐める。食べ物と分かったのか、そのままジャーキーを食べ始めた。
「おー、よしよし。腹が減ってたのか。ほら、まだあるぞ。」
ジャーキーを全部あげたころには体をなでても嫌がるそぶりもせず、ぴったりと引っ付いてくるようになった。
俺が歩くと、その後ろをひょこひょこと子犬がついてくる。
「んー、しまった。下手に餌付けするんじゃなかった。うちのアパートペット禁止なんだよな。」
そんな事を考えながら歩いていると、がさがさと音がした。
なんだ?とそちらを向いた瞬間、大きな影が飛び出してきた。
「うわ!」
俺はその影に突き飛ばされた。ごろごろと無様に転がった後、目の前にいたのは人だった。
「大丈夫?」
若い女性の声。白色の丈夫そうなコートを身にまとい、フードを被っていて顔まではうかがうことが出来ない。コートにはところどころ土と、血の汚れが付いている。身長は俺より少し低いくらいだろうか。左手には宝石が嵌った杖、右手にはナイフを構えさっきの子犬と対峙している。子犬は唸り声をあげて彼女を威嚇している。
さっきの親犬に致命傷を与えたのは彼女のようだ。
「おいおい、お前正気か?犬を興味本位で殺したあげく子犬を殺すのか?止めとけ、親御さんが悲しむぞ。」
俺は立ち上がると、間に割ってはいる。すると彼女は困惑した様子だった。
「あんた何してるの?危ないわよ!」
「いやいや、犬相手にナイフを振り回してるあんたが危険だって。」
そういって俺は子犬を抱え揚げる。子犬は俺の頬をぺろぺろと舐めてくる。
「な、なついているの?あ、ありえないわ。」
彼女は絶句した様子で両手をだらんとぶら下げた。
「なるほどね、君がこの辺りの出身じゃない事は分かったわ。まんほーる?てとこから来たのね。」
「まあ、おおむね合ってる。」
俺はここに来た経緯を彼女に話した。まあ彼女の格好や話を聞く限り、ここが異世界で俺が転生してきたのはうすうす感じてはいたんだが元の世界に返る術は探したい。
彼女はフードを被ったまま考え込んでいる。さっきフードとらないの?と聞いたら肌が痛むから、と断られどんな表情なのか伺うことが出来ない。
「私はまんほーるなんて地名は聞いたこと無いわ。んー、王都へ行ってみたら何か分かるかもしれないわね。」
「王都、どうやって行くんだ?」
「王都の場所も分からないの?しょうがないわね、私が連れて行ってあげるわよ。どうせ報告もあるしね。ほら、そう遠くないからさっさと行くわよ。」
「ほいほい。」
俺は立ち上がる。子犬もそれを見てついてくる。
「ちょっと、その子犬も連れて行く気?」
「当たり前だろ、こんなになつかれて可愛いんだ。置いてはいけないよ。」
「はあ、分かったわ。ただし、王都の中では隠しておくのよ?」
「王都ってペット禁止なのか。」
「ペットって、はあぁぁぁ。」
彼女はフード越しに聞こえるほど大きなため息をついた。俺なにか変な事いったのかな?
そこはよくあるRPGに出てくるような街だった。周りは石で組まれてた城壁と水が流れた堀に囲まれ、下げられた橋の上をたくさんの人や馬車が行き来している。
「うわ、大きいな!」
「当然よ、この国の首都よ。たくさんの物、人が集まってるんだから。ほらついてきなさい。はぐれても知らないから。」
彼女は人ごみの中を歩き出した。俺もその後をついて行く。ちなみに子犬は彼女から借りたコートの下で隠し持っている。城壁をくぐり抜け大通りをまっすぐに抜ける。大通りを抜けた先の正面に大きな建物があった。剣を腰につけた人や、大きな荷袋を背負った人が次々と出入りしている。
「着いたわ、国中の冒険者や商人が集うギルド本部よ。中にいるその辺の冒険者にまんほーるの行き方を聞いてみるといいわ。それじゃ、私とあなたは今から赤の他人。干渉はしない、いいわね。それじゃ。」
彼女は矢継ぎ早にそう告げると、すたすたと中に入って行った。
「あ、コート。」
俺は借りていたコートを返そうと思い、声をかけたが聞こえなかったようだ。俺は彼女を追いかけギルド本部の中に入った。中はたくさんの人でごった返していた。
「彼女は、いた。」
白いコートを見つけ、そこに向かって歩いていった。彼女はカウンター越しに話していた。相手は赤を基調に金の装飾が施された鎧をつけた騎士風の女性。肩までの長さに整えられた髪は遠めでも分かるほど艶が有り、鎧と同じ燃えるような赤色をしていた。近づくと二人の話し声が聞こえてくる。
「やあ、アリア。どうだった?」
「普通ね、いや、普通じゃなかったわ。」
女騎士は首をかしげる。アリアは白いフードの中から袋を取り出しカウンターの上に置く。
「はい、討伐の証の牙ね。ユナ、少しサービスしてよ。」
ユナと呼ばれた女騎士は袋から牙を取り出しチェックしている。
「それは無理。王国衛兵が不正を働くわけにはいかないわ。あなたの状況は分かっているから優先的に仕事を回しているじゃない。」
「わかってるけど、このままじゃいつまでたっても牧場は再開できないわよ。一気にバーンって稼げる方法はないのかしら。」
「ん~、あ。あるよ、バーンって稼ぐ方法。城の研究部からの飼育依頼を受ける直営牧場を募集してるんだって。」
アリアは身を乗り出す。
「ほんと!?、やるやる!」
「大丈夫?あの頭のおかしい奴らの依頼よ?」
「背に腹は変えられないわよ。牧場を再開させるためならなんでもするわ。」
「そう、じゃあ伝えておくわね。さて、はいこれ報酬。ごめんね、相方待たせちゃったわね。」
「は?」
そういってアリアは振り返る。アリアはつかつかと近寄ると俺をギルドの外に連れ出した。
「あんた何やってるの?私、あなた、他人!言葉、分かる?」
「なんでかしっかりと分かるんですよねぇ。あ、コートを返しますね。」
そう言って俺がコートを脱ごうとしたときに、彼女は必死に制止した。
「いや、いい。ってかこんなところで脱がないで。」
そんなやり取りをしていたときに、俺がコートの下に隠し持っていた子犬がうなった。
トイレかなー、そんな事を考えていると周りの様子がおかしくなった。冒険者風の男は剣に手をかけ辺りをきょろきょろしている。商人風の男は体の前に荷袋を抱え丸まっている。
アリアは俺を再び掴むと、有無も言わさず走り出した。走るのを辞めたのは城壁を出てしばらくした場所だった。
「はぁ、はぁ、はぁ。っもう、勘弁してよね。」
「アリアさん、何で走り出したんですか?」
「うわ、名前までばれてるし。もうフードも意味ないわね。」
彼女はフードを取る。白い肌に、空色の瞳、薄く煌く金の髪、大人のようだが、まだあどけなさをうっすらと残している。年齢は20歳前後だろうか。
「理由?魔物を連れてるような奴と一緒に居る事がばれたら、完全に変な奴の烙印押されちゃうじゃない!」
「魔物!?え、どこどこ?」
「あんたがそこに大事に持ってる奴、そいつが魔物!さっきの草原が縄張りのグラスウルフ、ちょっと色違うけどその子供なのよ!きっと!」
アリアに指を指されて、俺の手の上にいた子犬はウォンと鳴いた。言われてみれば犬の鳴き声と少し違うきもしないではないが。
「そんなに悪い奴には見えないんだが。」
「当たり前よ、あんた手懐けちゃってるんだから。魔物を懐かせるなんて頭がおかしい奴に決まってるじゃない。」
俺はじっと子犬を見つめる。つぶらな瞳はこっちをじっと見つめ返してくる。
「こんなに可愛いんですよ。懐かれちゃったら見捨てられないじゃないですか。」
俺は子犬の顔をアリアに向ける。子犬はじっと彼女を見つめる。
「う゛、今は可愛いかもしれないけど大きくなったら危険なの!人に害を与えるの!普通じゃないの!」
「そうかなー?」
「だーーーー!」
納得しない俺にイライラしたのか、彼女は地団駄を踏んだ。ちょっとかわいい。
「わかった、あんたには魔物がどんなに危険な生き物か叩き込まないといけないわね。いいわ、私の牧場に来なさい。どうせ泊まる所もないんでしょ。泊めてあげるわ。」
彼女はそう言ってすたすたと歩き出した。右も左も分からない俺は一人で放り出される訳にもいかず、彼女の後をついて行くほか無かった。
「ここが私の牧場よ。」
俺は絶句してしまった。木で組まれた広い柵の中を、手入れの行き届いた艶やかな毛並みの馬が駆け抜け、ふっくらもこもこの羊達が草をついばみ、牛達のゆっくりとした鳴き声があたりを包む。まさしく異世界の牧場!という光景が
無かった。
人っ子一人、鼠一匹さえ見えない。柵は崩れており、地面には牧草一本すら生えていない。動物達の小屋らしき建物は入り口が壊れており、中が丸見えなのだが生物がいる気配が無い。
アリアは両手を広げる。背中を向けており、表情はうかがい知ることは出来ない。
「ここがアリア牧場、現在の状況。牛も馬も羊もいなくなったわ。」
「どうしてこんな事に。」
「全部魔物のせいよ。魔物が全部悪いのよ。」
アリアの手に力がこもる。少し震えているように見える。
「襲われたのか。」
少し同情するな。
「そうよ。自慢じゃないけど私の牧場、評判が良くってね。経営も順調にいってたのよ。」
うん、自慢だな。
「もっとたくさん馬を飼育できるようになったらもっと儲かるじゃない?それで牧場を広げようと計画したの。」
うん、ん?
「ちょうど近くの土地が格安で売りに出されたから、すぐに買って拡張工事を始めたの。そしたらその土地、魔物の縄張りだったみたいでね。わらわらと大量のグラスウルフが出てきて暴れ出したのよ。おかげで牧場はぼろぼろ、動物は全部逃げちゃうし、王国軍も来るわで大変だったのよ。」
アリアは振り返る。
「ね、魔物って悪い奴らよね。」
「あんたが悪い。」
俺は思いっきり突っ込んだ。
「なんでよ!」
「いや、自分の私利私欲のために巣穴踏んづけて事業失敗。どう考えてもお前が悪いだろ。」
子犬もそうだそうだと言わんばかりに吠えている。
「と、に、か、く!私は今、牧場を復活させるためにお金を貯めてるの!あんたみたいな変な奴に関わってトラブルを抱え込みたくないの!」
「そんな事を言われてもなあ、俺にどうしろと。」
癇癪を起こしたアリアを前に困っていると後ろから声を聞こえた。
「アリア、帰っていたのか。」
後ろから四十歳くらいの男性が声をかけてきた。首にタオルを巻き麦わら帽を被り、手には鍬といかにもな農家スタイルだ。
「お帰り、お父さん。」
アリアはさっきまでキレていたのは何処吹く風、笑顔で手を振る。この農家さんはアリアのお父さんのようだ。
「今日の仕事はどうだった?」
「ぼちぼち。だけどこのままじゃいつまで経っても牧場再開なんてできないわ。だからユナに頼んで研究所直営の仕事を紹介してもらうことにしたの。これでがっつり儲けてやるわ。」
「お前が決めたのならとやかく言うつもりはないが、あまり急ぎすぎるなよ。」
やれやれといった様子のお父さん、ふと目が合った。お互い頭を軽く下げる。
「その方は?」
「えっと途中で知り合って、宿に困ってるっていうから泊めてあげようかと。」
アリアは少し困ったように説明した。
「そうか。ここは何も無いがゆっくりしていってくれ。アリア、俺はもう一度畑に行ってくるから。夕飯までには戻るから。」
そう言ってお父さんは歩いていった。いってらっしゃいとアリアは手を振って見送る。お父さんの姿が消えたとたん、アリアはすぐに不機嫌な表情に戻った。
「さ、私は疲れたから部屋で寝るわ。あんたはあっち。」
そう言ってアリアは壊れた小屋を指差す。
「動物小屋じゃないか!嫌だ。」
「私だって変な奴を家に上げるのは嫌よ。」
俺は手の上に乗せた子犬を彼女の目の高さに持っていく。
くぅ~ん。
子犬はじっと上目遣いでアリアを見つめる。
「う゛、ダメったらだめ。いくら可愛い顔しても、あんたは魔物、家に入れるわけないでしょ。ってあんたそれ、何持ってるの?」
子犬を持ち上げた拍子にコンビニ袋を彼女の前に突きつける形になっていた。
「ん、これか?芋焼酎、お酒だよ。」
「お酒!?」
その瞬間、俺は強烈な殺気を感じた。俺から袋を奪おうとするアリアの手からコンビニ袋を遠ざける。
「なんで遠ざけるの!」
「なんで人の物を盗ろうとするんだ。」
「だって、最近ご無沙汰だし?お酒飲みたいなーって。」
お前の晩酌事情など知らん。
そうは思ったがちょっと待て、これは交渉材料に使えるのではないか?俺は待遇改善のために交渉を持ちかける。
「なら、もう少しちゃんとした所に泊めてくれないか、子犬と一緒に。そしたらこの酒あげてもいい。」
「本当に?やった!」
即答、交渉にすらならなかった。
「もう、お酒持ってるならそう言いなさいよ。ほら、早く上がる、上がる!君、名前は?」
「陸奥、吾郎。」
「ムツゴロウね。よし、今日は飲むわよ!あんたも飲むわよね、飲まないとは言わせないわ。」
酒を前にして極度にテンションが上がったアリアを前に、断れる雰囲気でも無くなり、俺は異世界で初めて会った人と酒を飲む破目になってしまった。