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混沌よ音楽となれ

作者: 壱札キセキ

 その楽器が奏でる声は、音ではなかった。

 その精霊が紡いだ歌は、声ではなかった。

 その少年が拡げた音は、歌ではなかった。

 アコースティックベース。コントラバスやエレキベースとは異なる、しかしそれらの親戚ともいうべき低音を響かせる弦楽器。少年が持っているものは百年以上前に作られたもので、見た目を一言で表せば中央に穴の空いていないアコースティックギターである。

 少年はその弦を指で弾き、そして相棒の精霊を歌わせていた。

 精霊はうたう。世界を。

 少年は奏でる。景色を。

 ひとりとひと柱のそれを聴いて、審査員の教師たちは唖然とした。

 音楽高等学校の進級試験でありながら、目の前で広げられているものは音楽ではなかったのだ。

 いや、音楽なのかもしれない。楽器と歌で音を奏でているのだから。

 しかし、耳ではなく目から聴こえてくるこれは……音楽といって良いものなのか?

 防音設備のある教室は、広くもないが狭くもない。後方にまとめられた机たちは教室の四分の一ほどを占拠し、ひとりが演奏をするなら十分な広さだが、バンドのように五人も集まれば狭く感じるだろう。

 教壇の前には椅子に座った教師が三人おり、机の上の審査表にペンを置いたまま固まっていた。

 それも仕方ないだろう。音楽の審査をしていたと思った次の瞬間、動かされてもいないし動いてもいないのに、周囲の風景が草原へと変わっていれば誰だって驚く。

 アコースティックベースの音は草原を吹きぬける風のように、流れてはどこかへ姿を隠して消えていく。しかし川の水のように絶え間なく流れ続けるそれは、教師たちの肌を柔らかく撫でながら、足元の草たちの踊りをやさしく導いていた。

 一方で精霊の歌は、どこまでも高く澄んだ青空の下で輝いていた。それは目に映った太陽の光の反射のようで、草原をあたたかく見守る雲である。

 草と、花と、風と、雲と、日光の匂いが鼻をくすぐる。

 踏みしめる足元は固い加工された木材のものではなく、ふんわりよく肥えた土と、そっと支えてくれる草たちの強かさで布団の中にいるようだ。裸足で立ったらどれほど気持ち良いことだろうかと、思わず唾を飲み込んでしまう。

 そんな空と大地の間で、少年と精霊の少女は動物たちと踊っていた。

 動物の種類は様々だ。オオカミもいれば、ライオン、クマ、スズメのような小鳥からタカのような大きな鳥まで。よく見ればモグラや、プレーリードッグのようなものまでいた。

 ライオンは吼える。嬉しくて仕方ない自分の歌を響かせるため。

 オオカミは駆ける。楽しいという感情を全身で表すため。

 クマは立った。その喜びを世界へ見せつけるため。

 鳥たちは舞う。旋律を奏で、その隙間を飛ぶように。

 モグラとプレーリードッグは遊んでいた。無邪気な子供のように、本能のおもむくまま。

 自由気ままにうたい、遊んでいた動物たちだが、少年と精霊の少女がアイコンタクトでリズムをとると、一斉に彼らは教師たちへ背を向けた。

 そして吼えた。

 再びリズムをとると、今度は百八十度まわって教師たちへ振り向いた。

 そして吼えた。

 音の振動は大きく強く、まるで夏の海のビッグウェーブといわんばかりの勢いで審査員という観客の三人を飲み込む。体こそ動きはしないが、心が波に翻弄されてぐるぐると回るように、世界がぐるぐると反転し続けた。

 波が落ちついて引くと、動物たちとのパーティーも終わりが近づいてきたらしい。

 オオカミとライオンのステップに合わせて、両手を広げたクマが鳥たちと飛んだり跳ねたりと踊る。そしてモグラは地面から顔をのぞかせて、プレーリードッグは体全体で左右に揺れることでリズムをとっていた。

 バラバラだった歌は、声は、全員のリズムはだんだんとひとつになっていく。

 重なりあい、溶けあって、やがて完全にひとつとなった曲は最後に大きく跳ねると、一礼をして終わりを迎えた。

 束の間の楽しい幻のひと時は夢のようにパッと消え、気づけば全員が最初にいた教室へと戻っていた。もう風も感じなければ、足元の柔らかさもない。当然、動物たちもいない。

 当然である。今までのそれは全て少年の演奏と、精霊の少女の歌によって作り出されていた世界なのだから。演奏が、歌が、曲が終われば世界も終わりを迎える。

 なにが起こったのか理解できず、しかし全員が同じものを見て感じていたと確かめた教師たちは、戸惑いを隠せなかった。そんな三人に精霊の少女は自信たっぷりの、どうだといわんばかりの顔をして胸を張っていた。後ろで相棒の少年が苦笑する。

 しばらくどうしたものかと話しあっていた教師たちだが、やがて結論が出たようで頷きあうと、結論を伝えた。

「広瀬ヒロタカ。試験結果を保留とする」


   *


 広瀬ヒロタカは、彼の通う音楽高等学校で、良くも悪くも名前の知られた一年生だ。

 名前が知られる原因となったことは様々あるが、大きく分ければふたつのことが主な原因だといえるだろう。

 ひとつは彼の演奏。音楽でありながら音楽とはいえない、学校が始まって以来のイレギュラーな演奏はその珍しさもあって、あっという間に広がった。

 そしてもうひとつの原因は、彼の相棒にある。

「ありえん!なんだあの無能どもは。どうしてヒロタカの試験結果が保留なんだ!」

 翌日の朝。ホームルームの前の時間を過ごしていた少女は、怒りが収まらないといった調子で腕を組んで声をあらげる。

 どっかりと椅子に座るような姿勢で宙に浮いている彼女は、頬を膨らましひたすら愚痴を続けていた。

「前例がないからなんだ。マニュアルにないからなんだ。音楽じゃないだと? 愚か者が、音を使った芸術ならすべて音楽だろう」

「その定義はどうかと思うけど、まあ言いたいことはわかる。だから落ちつけ、マコト」

「これが落ちついていられるか! というかなぜおまえは怒らないんだ、ヒロタカ!」

 なだめようとして逆に油を注いでしまったヒロタカを、マコトと呼ばれた少女はにらみつける。もし髪まで神経が通っていれば、その腰まで伸びたゆるやかな翠色の髪は蛇のように逆立ち威嚇していたに違いない。

「そもそもおまえが黙っていなければ、通っていたはずのものだぞ。なぜ抗議しなかった」

「なんでって言われてもなあ。問答無用でまともに考えもせず『音楽じゃないから』って落とされたら文句もいうけど、保留ってことは先生も困ったんだろ。なら文句をいうのは落とされてからでも間に合うっしょ」

「そ、れ、で、は、遅いのだ阿呆! 決まっていないものを変えることは簡単だが、一度決まったものを変えることは一筋縄でいかないぞ。今からでも遅くない、職員室に文句を言うため殴り込みにいけ。武器は野球部にバットでも借りればいい」

「いつの時代の不良だよ、それ。そんなことしたら退学確定だっつーの」

 ため息をひとつ吐いて返すと、マコトは「むう、それは困る」と唸った。

「こんなことでヒロタカの人生に汚点をつくってはいかん。だが進級できないというのも、ヒロタカを馬鹿にされたようで気に喰わん……どうしたものか」

 真剣な表情で思い悩むマコトに、ヒロタカは苦笑するしかない。

 自分のことを大切に、第一に考えてくれていることは嬉しいしありがたいが、どうもこの相棒は思考が偏りすぎている感が否めない。もうすこし他のことへも気を配った方が良いのではないだろうかと思ってしまう。言っても聞かないことは経験上わかっているが。

 黒く短い髪がおおった後頭部を掻いてから、ヒロタカは眼鏡の位置をなおす。思えば、この相棒ともいつの間にか長い付き合いになったものだと考えながら。

「私が直接殴り込みに行くか……? いや、精霊の私では武器を持つことはおろか、自分で扉のひとつも開けられないから無理だ。第一、それでは結局ヒロタカの人生に汚点をつくってしまう……うぬぬ」

 物騒なことを呟く彼女ーーマコトは、ひと言で表すなら精霊と呼ばれる種族だ。

 ジャパン、ニーペン、イルボン、ニャッバーン、ヤポン、ヒノバレ、ヤパニ。様々な呼び方のある日本だが、ここは世界的に見ても多くの精霊が住んでいる珍しい島国だ。正確にどれほどの精霊が住んでいるのかはわからないが、専門機関の調査によれば人間社会に参加しているだけでも二十万はいるという。

 そんなわけで、日本人にとって精霊は珍しい存在ではない。むしろ誰もが一度は見かけ、関わる機会もあるだろう隣人だ。

 しかし、時は西暦二〇二〇年。まだ学校のクラスに外国人が転校してくることが珍しいように、精霊もまた深く関わるとなると珍しい存在だ。ましてや精霊は通常だと学校に関わることがないため、彼らのいる学校というものはそれだけで珍しくなる。

 そんな存在が自分の通う学校にいて。しかもいつも特定の生徒と一緒に行動をしていれば、自然と一緒に行動している生徒のことも有名になるわけで。マコトの名前と存在が一気に知れ渡ることに付随して、ヒロタカも有名人になってしまったわけである。

「ヒロヒロ、おはよー。マコっちは今日も荒れてるね?」

 始業開始のチャイムまで残り一分。しかし余裕の表情で、まったく焦った様子もなく教室へ入ってきた女子が、ひらひらと手を振りながらヒロタカたちへと近づいてきた。短い茶髪を揺らし歩く様子からも、彼女が活発な性格なのだと読み取れる。

「おー、おはようサナ。昨日の進級試験の結果に納得がいかないってさ、ずっとこの調子なんだよ」

「え。それじゃあヒロヒロの試験結果が保留になったってウワサ、本当なの?」

「ああ、本当だよ。っていうか、なんでそんな噂がもう流れてるんだ?」

「そりゃあヒロヒロだもん。学校始まって以来のイレギュラー。精霊のマコっちを連れて歩く変人。技術は既にプロレベルのうざい奴。これに加えて進級試験の結果が保留になったんだから、ウワサにならない方がおかしいね」

「イレギュラーはともかく、残りのふたつは悪口じゃねえか。おい」

「ウワサしてるのは私じゃないからねー、そんなこと言われても困るよ」

 ヒロタカの隣にある席へ座りつつ、彼女――大井川サナは唇をとがらせた。

 なにかと他人の噂話が好きな彼女は、どれだけ出始めたばかりのものでも聞き逃さない。事実この一年間、サナから聞いた話が後から聞こえてくることは何度もあった。

 もしや彼女が流しているのではないかと疑ったこともあったが、一度噂の元を調べてみたところ、どうも彼女は無関係だということがわかった。要するに、単なる地獄耳なのだ。

 そのサナが言うのなら、実際にヒロタカの試験結果は知れ渡っている……あるいは広まり始めているのだろう。

 プライバシーもなにもあったものではないなと思うが、考えてみればこの高校に入ってからそんなものは無いも同然だった。マコトに付随して名前が知られるほど、ヒロタカの個人情報は流れているのだから。さすがに住所や電話番号までは流れていないようだが。

「で、結局のところ試験ってどうなるの? もう一回やるの? それとも落ちたの?」

「まだわからない。っていうか楽しそうに落ちたのか訊くなよ。せめて合格したかどうかを訊けよ」

「えー、たいして変わらないでしょ」

「相手の気持ちと印象は大きく変わるぞ。ちなみに、おまえは合格したのか?」

「もち。よゆーで通ったよ」

 やれやれとため息を吐くと同時。始業のチャイムが鳴り終わって二分ほどしてから、担任教師が入ってきた。

 クラス委員長の男子の号令に合わせて礼をした後、一日の予定と連絡事項が伝えられる。とはいえ、ほとんどの生徒が試験をクリアし、進級する三月を待つばかりの二月後半。残っている行事もなければ、筆記試験などもない。あとはいつも通り教科書を読み、講義を受けていくだけである。

「――という感じですね、今日の予定は。はい、それでは一時間目の古文をしっかり受けるように」

 女性の教師はそういうと連絡簿を閉じて小脇に抱え、教室を出る直前に思い出したという様子でヒロタカへ振り返った。

「ああ、そうそう。広瀬くんはお昼休みに職員室へ来てくださいね、お話があります」

 十中八九、昨日の試験についてのことだろう。

 頷いて返事をすると、ずっと宙に浮いていたマコトが叫んだ。

「そうだヒロタカ! 学校を燃やしてしまえばいい! おまえの犯行だとバレなければ、後はいくらでも……」

 名案だと言わんばかりに語っていたマコトだったが、そこで教師の視線に気づいたらしい。笑顔のまま固まった。

「広瀬くん、お昼休みに職員室へ来るように。お話があります」

「……はい」

 確実に内容が変わったな、と肩を落とすヒロタカの隣で、サナがゲラゲラ笑っていた。


   *


「しかし教頭、本当にそれで良いのですか? 今からでも不合格にした方が……」

「彼のあれは音楽ではありません。音楽学校であるウチがあれを認めてしまうと、他の生徒や学校にも影響があると思うのですが」

 昼休み。職員室で教頭と呼ばれた男性へ、二人の教師が苦い顔で声をひそめながら言う。

 しかし教頭は涼しそうに笑顔すら浮かべて見返していた。

「これは校長も含む教師全員で出した結論です。今からの変更はできませんし、また彼の演奏を音楽ではないと言い切ってしまうのは早計でしょう。不合格にするなら、再試験後でも遅くはない」

「それはそうですが……」

「それに。他の生徒や学校に影響が出ると言うのであれば、教師が全員で決めた結論を土壇場でひるがえした方が、大きな影響が出るのではないですか?」

 ぐうの音も出ないと言わんばかりに、二人は黙り込む。

 にっこり微笑んで視線を目の前から外すと、教頭は離れたところにある職員席を見る。そこでは朝からなにか問題を起こしたらしい生徒が、担当教師から叱られていた。何気なく腕時計へ視線を落とせば、そろそろ叱責が始まってから五分になるだろうか。

 まだ終わりそうにもない様子に、やれやれと涼しげな頭をした彼は立ち上がった。

「佐藤先生、もうそのくらいでいいんじゃありませんか?」

 声をかけられた佐藤という女性教師は、振り返りながら驚いた表情をする。同じ職員室にいるとはいえ、まさか自分のお説教中に教頭が出てくるとは思っていなかったのだろう。

「教頭先生、しかし……」

「大方、今回も彼が原因ではないことなのでしょう? 問題を起こしたのは彼の相棒である精霊なのではないですか? なら、彼ばかりを叱っても仕方ないことです」

「それは、そうですが」

「では今日はこのあたりにしておいて、今後十分注意してもらうようにしましょう」

 上から言われては仕方ない。佐藤は「はい……」と黙ると、捨て台詞のように最後の注意をして説教を終えた。

「さて、広瀬ヒロタカくんだね? 呼び出した用件はわかっていると思うけど、昨日の試験のことについてだ。結論から言うと、再試験を行うことが会議で決定した」

 予想していたのだろう。驚いた様子もなく、むしろ納得した表情でヒロタカは頷いた。

「ただし、一部から君の演奏が音楽ではないという意見も出ている。そこで再試験の際に、条件をひとつ追加することにした」

「条件、ですか?」

「うむ。――君には、確実に私たちが音楽だとわかる演奏をしてもらうか、私たちが納得せざるを得ない演奏をしてもらいたい。そのうえで合格点が出せれば、進級させようと思う」

 意味するところがうまく理解できないのだろう。ヒロタカは怪訝そうに、片足へ体重を乗せて体を斜めにした。

「まあ要するに、だよ。楽器を変えて通常の演奏をするも良し、私たちには思いつかないような方法で教師全員を納得させるも良しということだ。好きな方を選んだらいい」

「はあ」

「再試験は明日の放課後に行うから、それまでにどうするか考えてほしい。楽器を変えたいというなら学校のものも貸し出すが、使用申請書は今日中に出しておいてくれるかな」

「わかりました」

「うむ。では戻りなさい、お昼を食べる時間がなくなってしまうぞ」

 ちらりと壁に掛けられた時計を見てから、ヒロタカは頭を下げると職員室の扉を開いた。

「ああ、そうだ。最後にひとつ。広瀬くん、君の師匠は元気かい?」

「師匠ですか? おかげさまで、今もヨーロッパのどこかを飛んでいるはずですよ」

「そうか。うん、引きとめて悪かったね。行きなさい」

 ヒロタカが一礼してから扉を閉めると、そのタイミングを待っていたように佐藤が不服そうな顔で振り返った。

「教頭先生、なんだかあの子に甘くありませんか?なにかあの子と、もしくは先ほど言われていたあの子の師匠とあるんですか」

「なにかあるというほどではないですけどね。そうですね……たしかに甘かったかもしれないですね、主にふたつの理由で」

「ふたつ?」

 ええ、と教頭は笑顔で頷く。

「ひとつは、あの子の師匠が私の教え子でもあるんですよ。昔から問題ばかり起こす生徒でしてね、しかし成績は優秀だから嫌でも目につく。そんな教え子の弟子だというのだから、気にならない方がおかしいでしょう」

 言葉は警戒しているようだったが、くつくつと嬉しそうに笑う様子は正反対だ。どうやらヒロタカの師匠は、当時から教頭のお気に入りだったらしい。

「楽しみですよ。本当に彼の弟子だというなら、あの子は必ず無難な方法で試験を超えてこない。私たちの予想の斜め上をいく演奏で、こちらが納得せざるを得ないような方法を考えてくるでしょう」

「はあ。それで、もうひとつの理由は?」

「ああ、それはいたって単純ですよ。――空腹が限界なんです」

 同時、ぐうと教頭の腹部から音がした。



「なるほどね。再試験は明日なんだ」

 弁当を食べながら足を揺らし、サナは呟いた。昼休みも半分が終わっているというのに、まだほとんど彼女の食が進んでいないのはヒロタカを待っていたためである。

「ああ。誰もが音楽とはっきりわかる演奏をするか、自分たちの予想を超えてくる演奏をしろってさ。どうしたものかね」

 ため息を吐きながら卵焼きを口へ運ぶヒロタカ。その隙をついて彼の唐揚げを奪おうとするサナだったが、あえなく手の甲を叩かれて失敗。奪えなかった。

「ならいつもの演奏じゃなくて、普通の演奏をすればいいんじゃない?」

「簡単に言うけどよ、それでこいつが納得すると思うか?」

 そう言って箸で指すのは、宙に浮いたまま怪しく笑うマコトである。口元が痙攣するように震えているあたり、どうやら我慢の限界も近いようだ。

「いいだろう、無能の教師ども。そっちがその気なら、納得せざるを得ない演奏をしてやろうじゃないか。ヒロタカと私の前では、おまえたちなど取るに足らぬ存在だと思い知らせてやるわ!」

「これはもうどうしようもないね。選択肢はひとつだけだー」

「そうなんだよ、ひとつだけなんだよ」

 一度暴走し始めたマコトはなかなか止まらない。それは長年の相棒であるヒロタカだけでなく、一年ほどの付き合いしかないサナにも十分わかっていることだ。こうなったら後は、暴走するエネルギーがなくなるのを待つしかない。

「まあ先生たちが取るに足らない存在かどうかは別として。マコっち、具体的にはどうするのかプランはあるの?」

「むろん、ブッ血KILLのみ!」

「なるほど、ノープランなのね。ヒロヒロの方は?」

 箸を口へ運びつつ訊ねると、ヒロタカは腕を組んで唸る。

「一応あるんだけど、先生たちの予想を超えられるかっていうと……無理なんだよなあ」

「どんなアイデア?」

「合奏だよ。俺とマコトだけでダメなら、クラスのみんなにも協力してもらってオーケストラにすればいけるんじゃないかって思ったんだけど……」

「たしかに先生たちの予想は超えられないかもね。しかも下手したら、誰かの力を借りたからってことで落とされそう」

「そうなんだよ。どうしたものかなあ」

 もはや癖なのだろうかと思えるほどため息の数が多いヒロタカだが、今度のものは特に重たかった。時間的に余裕もなく、これなら大丈夫だろうというアイデアもなく、もっとも無難な方法は使えない。

 もしサナが彼の立場だったとしたら、同じように重たいため息を漏らさずにはいられないだろうなと思う。きっと今のヒロタカのように、さっと唐揚げを奪われても気づかないくらいには追いつめられるに違いない。

 サナとしても、できることなら協力して合格させてあげたいところだが、先ほど言った通りただの合奏では不合格になる可能性の方が高い。だからといって良い代案も浮かばない。どうしたものか、とヒロタカ同様に唸ってしまう。

 彼女たちが通う音楽高等学校は生徒が少ないわけではないが、多くもない。そのため中学校までのようにクラス替えもなく、三年間を同じ仲間と過ごすと先輩から聞いた。

 そんな中でもっとも仲が良く、気が許せる友人を失うことは辛い。しかもヒロタカとマコトの、ひとりと一柱も一気に失うかもしれないとなれば尚更だ。

「そういえば前から気になってたんだけど、ヒロヒロたちの演奏ってどうやってるの?」

「ん? ああ、景色を作り出すアレか?アレは俺じゃなくて、マコトの歌が原因だよ」

「おいヒロタカ、いくらなんでも原因というのはひどいぞ。せめて理由と言わんか」

 あ、戻ってきた。とはマコトへ視線を向けたサナの言葉。

「あれってマコっちがやってるの? どうやって?」

「どうやってもなにもない。それが私のリリシル能力だからな」

「……リリシル能力?」

 初めて聞く単語に、サナは首をかしげる。

 説明してくれたマコトの言葉を要約すると、リリシル能力とは一種の超能力らしい。

 人や精霊に限らず、この世に存在するものは宇宙から素粒子に至るまで様々な存在が、生まれてきた「理由」を持っている。リリシル能力とは、これを自覚することで発現する超能力で、精霊なら誰でも使えるという。

「人間も使うことはできるが、決して便利なものではない。たとえば『壊す』という理由を持った奴がこれを発現させれば、そいつはあらゆるものを壊すことしかできなくなる。そしてリリシル能力はその性質上、使える能力は生まれた瞬間から決まっているから、好きな能力を選んで使うこともできない」

「ふーん。難しいことはわからないけど、とにかくマコっちのリリシル能力であの景色は作ってるんだ?」

「まあ、景色という幻覚を作るのは私だ。だがあれは、ヒロタカがいなければ作れん」

「どういうこと?」

「私がどういう存在かは知っているな?」

「うん。ヒロヒロのベースに宿った精霊なんでしょ」

 そうだ、と精霊は頷く。

「つまり私の本体はアコースティックベースであり、精霊として存在している今の私は立体映像のようなものでしかない。わかりやすく言えば、ベースが移動しなければおまえの前にいる私も移動できないし、ベースが鳴らなければ歌うこともできないのだ」

「でも喋ることはできるんだ?」

「厳密にいえばこれは喋っているわけではなく、テレパシーに近いものなのだが……まあいい。要するに、だ。私はあくまで『意思』を直接おまえたちの脳へ伝えているだけで、実際に喋っているわけではない。だから空気へ干渉して音を出すためには、本体のベースが鳴らないと無理なんだ」

「ふーん。なんだか大変なんだね、マコっちも」

「そうだ。精霊はいろいろと大変で、そんな中で私はおまえより百年以上長く生きているんだ。敬え」

「ところでさ、ヒロヒロ。この唐揚げ美味しいよね、なんかコツあるの?」

「話を聞かんか、小娘!!」

 髪を逆立てんばかりに怒るマコトへ、サナはごめんごめんと軽い調子で謝る。

「……で、ヒロヒロ。実際問題どうするの、もう時間ないよ?」

「わかってるよ。だけどマコトとサナが話してる間も考えてみて、やっぱり妙案は浮かばないな。詰んだかもしれない」

「大丈夫、なにか手はあるよ。私もできる限り協力するしさ!」

 その一言に、なぜかマコトの耳がピクリと動いた。

「おいサナ。おまえ今、協力すると言ったか? どんな手を使ってでも、ヒロタカに協力して自分の身を捧げると言ったな?」

「いや、そこまでは言ってないけど」

「よし、なら協力してもらおうじゃないか! ヒロタカ、おまえの案でいくぞ。合奏で、あの無能どもを納得させる!」

 はあ? とサナの声がヒロタカとかぶった。

「いやいやマコト、それじゃあ先生たちを納得させることは難しいって」

「普通の合奏ならな。私たちがやるのは、全員が違う曲を演奏する合奏だ」

 はあ? と再び声を重ねる二人へ、マコトはにやりと唇の端をあげると自分の考えを説明し始めた。


   *


 希望を言い出せる立場でないことはわかっていたが、なんでも言ってみるものである。

 再試験を教室ではなく体育館で行いたいというヒロタカの主張はあっさり通り、翌日の放課後は体育館を貸し切りにしてもらえた。もともと試験期間中ということもあり、すべての部活動が休みになっていたことにも助けられた。

「……それで、これはどういうことですか?」

 佐藤がじろりとヒロタカを見て、説明を求める。

 しかしヒロタカとしては説明しようにも見たままの通りなので、そのままを伝えるしかない。

「俺とマコトも含めて、クラスメイトたちが舞台に立っているんですよ。先生」

「そんなことはわかっています。それで、なにをしようと言うんですか?」

「合奏だ。今からこの場の全員が、ヒロタカを中心に音楽を奏でる」

 問いに答えたのはマコトだ。にやりと笑う自信満々な表情は、位置の関係もあって傍からでも佐藤を見下しているように思えたのだから、当人には相当不愉快なことだろう。

 しかしそんなマコトの挑発には乗らず、佐藤はヒロタカを見て「合奏?」と返した。

「練習時間もまともになかったのに、即興の合奏で進級試験を受けようというんですか」

 マコトの挑発よりも不愉快に感じたのか、顔をしかめた佐藤は教頭へ視線を向けた。なにか文句を言いたそうな視線だったが、教頭は面白そうに舞台を眺めるばかりで気づいていない。

 現在、佐藤の右隣には学年主任が。左隣には教頭がいて、さらにその隣では校長が机に肘をついて、パイプ椅子へ座っている。今回の再試験は前例がないものを扱うということで、普段は試験に関わらない教頭や校長も引っ張り出されたらしい。学年主任の机には、なぜかビデオカメラまで置いてある。

 佐藤の問いに「はい」と答え、ヒロタカは後ろへ並ぶクラスメイトたちへ振り返った。

「みんな、今日は付き合ってくれてありがとう。たとえこれで俺が落ちたとしても、それはみんなの……あるいは誰かのせいじゃないから、そこだけは気にしないでくれ」

「当たり前だってーの」「むしろ俺はおまえを落とすために来たんだぜ」「精一杯やって無様に落ちろー!」「広瀬くん、ファイトー」「マコトちゃんもがんばってー」「あとでジュースくらいおごってよねー」

「よーし、男子の後半ふたりはあとで体育館裏な。覚悟しておけ」

 他愛ない軽口にクラスメイトたちは笑い、ヒロタカは自分の緊張が緩むのを感じた。

 こうしてみんなが協力してくれたのも、マコトとサナが積極的に動いてくれたからである。最後の女子の言葉ではないが、サナにはジュース以外にも、なにかお礼をしないといけないだろう。

 唇の端をあげたまま正面へ向きなおり、サナを見る。親指が立てられた。

 マコトを見る。無言で頷く。

 ヒロタカも頷き返し、最後に一瞬だけ楽器のセッティングを目で確かめてから言った。

「それじゃあ先生、もう始めてもいいですか?」

「うむ。存分にやりなさい!」

 教頭の言葉を合図に、サナがドラムのスティックを叩いた。

「ワン、ツー、ワンツースリー!」

 そして、一斉にあらゆる楽器が鳴らされた。

 ドラム。ギター。トランペット。ホルン。ピアノ。トライアングル。木琴。鉄琴。フルート。リコーダー。ヴァイオリン。チェロ。ウクレレ。三味線。尺八。

 様々な種類の楽器はまったく異なるリズムで鳴り続け、自己主張をし、お互いの音を殴りあっていく。それは調和を大切にする音楽とはかけ離れた、騒音ともいうべき不快な、混沌としたものだった。音は耳をつんざき、お腹の中をめちゃくちゃに揺らして、肌を蹴り飛ばしていく。

 演奏者たちでさえ耳をふさぎたいと言わんばかりに顔をしかめるほどなのだから、聞かされている身である教師たちの反応はもっとひどいものだ。実際に教師たちは全員が耳をふさぎ、学年主任がなにかを叫んでいるがヒロタカまで届かない。

 しかしこれもマコトの計算のうちである。

 もう一度アイコンタクトをしてマコトへ頷くと、ヒロタカはアコースティックベースの弦へ指を乗せた。そしてマコトが大きく息を吸ってから吐く動作に合わせて、思いきり弦を弾いた。

 途端、すべての音が消えた。

 否、消えたのではない。すべての音が周囲をおおう景色へと変換されたのである。もちろん実際には鳴っているのだが、ヒロタカをはじめこの場にいる者には、まるで聞こえなくなったかのように気にならなくなったはずだ。これはそういう曲であり、世界なのだ。

 マコトの声が響く。

 そこにはなにもなかった。光も、闇も、時間も、空間も。

 目が見えなくなったと思うには眩しく、光の中にいるのだと思うには暗すぎる場所。

 一分もいれば心が狂ってしまいそうな世界は、一拍の間を置いて捻れ始める。螺旋というには不恰好で、まるで絞られている雑巾の中のような景色は、音が大きな渦を作っているのだとヒロタカは直感した。

 やがて世界は、元に状態に戻ると新しく生まれ変わっていた。

 どこへ、どのように向かっているのかはわからない。しかし直感的に感じる。時間が生まれたのである。

 同時にどこまで、どれほど広がっているのかはわからないが、空間が生まれていた。

 生まれたばかりの空間はひたすらくるくると回り続け、時間はこくこくと落ちていく。

 ふたつの勢いはそれぞれ最初こそ交わることなく、相変わらずそれぞれの主張を高々と叫び続けていた。

 しかしそれが交わり始め、衝突が起こった次の瞬間。世界がまばゆい光に包まれ、思わず目を閉じる。そうして間もなく、まぶたを起こせば果てなく広がる闇の中に、小さな光がぽつぽつと現れていた。上にも、下にも、右にも、左にも、前にも、後ろにも。

 星だ。命だ。音だ。宇宙が誕生したのである。

 星という命は生まれたばかりの赤ん坊が泣き叫ぶように輝き、音はその中のひとつへ吸い寄せられ下りていく。

 全体の七割ほどが水でおおわれたその星には山があり、森があり、建物があり、人がいた。

 空を駆け、雲を裂き、空気を切って、音は導かれ落ちていく。ひとつの建物、ひとつの歌に恋い焦がれて。

 そうして立った先には、誰もいなかった。

 人も。動物も。建物の中だから植物の影ひとつすらない。

 だがそこには音が……否、音楽が溢れていた。

 室内は、オーケストラのコンサートが開催できそうなほど広い。しかしそこに溢れている音楽はバラバラで、なんの統一性もなければ協調性もない。ヒロタカが弦を弾き、マコトが歌い始める直前までの体育館のようだ。

 それをヒロタカは、流れ込んでくるようにわかるマコトの意思を奏でることで、バラバラな音楽たちへ流れを与えていく。

 たとえるならビリヤード。ひとつの曲に流れが与えられることで他のものへぶつかり、それがまた他のものへとぶつかり、また別のものがその影響を受ける。

 始まりはたったひとつのきっかけ。しかしそれがやがて全体へと響き渡り、気づけばホール内でバラバラに鳴っていた音楽はひとつの旋律を奏でていた。

 体を内からも外からも震わせ、包み込んでいくオーケストラ。刹那の芸術。ひとつが全部になり、全部がひとつになる奇跡の瞬間。

 耳をふさぐことも忘れ聴き入っていた教師たちは、ハッとした様子で体育館を見回す。

 もちろん音が見えるわけではないのだが、すぐには信じられなかったのだろう。信じられないことが起きたとき、わからないことが目の前であったとき、人は自分の目や耳を疑うものである。

 疑いたくなるのも無理はないとヒロタカは思う。まさか自分だって、こんなことができるとは考えてもいなかったのだから。

 始まったばかりのとき。全員の耳をつんざき、お腹の中をめちゃくちゃに揺らして、肌を蹴り飛ばしていった騒音は……いつの間にかまったく知らないオリジナルの曲としてひとつになっていた。

 耳をつんざく痛みはなくなり、それは全身を震わせる渦の中心として回っていた。

 お腹の中をめちゃくちゃに揺らしていた気持ち悪さは消え、今では中をやさしく撫でられているような心地よさに変わっており。

 肌を蹴り飛ばしていった不快感はどこへ行ったのか、細胞は楽しそうに踊り力が湧いてくるようだった。

「まったく、無茶苦茶だな……」

 苦笑しながらの呟きは、誰にも届くことなく曲の一部となる。

 昨日、マコトから今回の計画聞かされたときは驚いたものだ。それは無謀としか言えない、しかし成功すれば納得せざるを得ないだろう、とんでもないアイデアだったのだから。

 マコトは言った。

 ――「人間がもっとも多くの情報を仕入れている感覚はなにか、知っているか? おまえたち音楽家の卵、そして教師たちのような連中は多少割合がすくないかもしれないが、基本的に人間は視覚からもっとも多くの情報を仕入れる。

 しかし音楽は耳から入ってくる情報だ。だから全員が好き勝手に違う曲を弾けば、ただのうるさい音でしかない。一方で私とヒロタカの演奏は、目から入ってくるものだ。

 わかるか? つまりごちゃごちゃしている音を、音で整えることはできない。だが私たちは、それを景色という視覚情報で整えることができる。これは大きな利点だ。

 目からの情報が多いということは、言い換えると視覚からの情報の影響を受けやすいということでもある。そこを利用して、バラバラだった音楽をひとつにまとめることができれば……いくらわからず屋の教師たちでも認めるしかないだろう」――

 まったく、無茶苦茶な理論である。

 言いたいことはわかるが、じゃあそれを実践できるのかと訊けば、返ってきた言葉は「知らん」のひと言。やったことがないのだから、わかるわけないだろうとはマコトの弁。

 ――「だが私にはやれるという確信がある。私を弾くのは他でもなく、相棒のヒロタカなのだからな」――

 そう言われてはやるしかない。元より他のアイデアもなかったのだ。なら、落ちても落ちなくても挑戦してみる価値はあるだろう。分の悪い賭けではあったが、どうやら乗って正解だったようだ。

 終盤をむかえ、静かに曲の世界は消え始めていく。最後の一音が鳴って三秒もしたころには、既に景色も元の体育館へ戻っていた。

 誰もなにも喋らない。否、喋れない。なにを言えば良いのか、わからないのだ。

 ヒロタカやサナたち生徒が固唾を飲む中、窓から射し込む夕日に照らされた教師陣で最初に動いたのは教頭だった。続いて校長が、学年主任が、佐藤が拍手を送る。

 アイコンタクトで確認すると、教頭は校長から視線を外し、ヒロタカを見据え言った。

「いや、お見事だったよ広瀬くん。そしてみんな。無事、進級試験合格だ!」

 生徒全員が一瞬だけ理解できなかったが、それも一瞬のこと。次の瞬間には、爆発するように歓声が響き渡った。

『『『いや、ったああああーー!!』』』


   *


「……で。なんで試験の様子がネットに載ってるんだ?」

 高校の一年目も、残すは春休みとわずかな授業だけとなった三月。

 サナに「おもしろい動画がある」と言われ見せられたサイトには、あの時の演奏の様子を映した動画が掲載されていた。

「さあ? なんで載ってるのかは知らないけど、校長か教頭あたりがやったんじゃないかな。ほら、試験のとき学年主任のところにビデオカメラがあったじゃん」

「あれか。こういうのってどうなんだろうな、法律のなにかに引っかからないのか?」

「わかんない。でも学芸会の様子を映した動画とかはよくネットにあるし、大丈夫なんじゃない?」

 あれもアウトだと思うけどなと言ってヒロタカは、サナの携帯電話から視線を外す。

「それで? これがどうしたんだよ、サナ」

「うん。これが今ね、一部の音楽家の間で話題なんだって」

「は? なんで俺たちみたいな音楽家の卵の演奏を、実際のプロが気にするんだ?」

「ほら、あの演奏はマコっちの作る幻覚が前提となって出来上がったものじゃん? だけどこの動画には、まあ幻覚なんだから当然なんだろうけど、あの景色が映ってない。だからどうやってこんなふうに音をまとめたのか、謎になってるんだって」

「ああ、なるほど」

 しかも……と続いた説明によれば、動画を紹介する文に「即興でやりました」と書いてあったため、それがさらに常識を持った音楽家たちを混乱させたらしい。たしかに普通ならこんな演奏はしないし、できないだろう。それが即興となれば尚更だ。

「それがだんだん広まってね、音楽好きの中高生の間でも話題になってるらしいよ」

「なるほどな。あのタヌキ、それが狙いか」

 吐き捨てるように言ったのはマコトだ。

 言いたいことはわかる。要するにこの動画をインターネットに掲載した教師の誰か――おそらくは教頭か校長は、この動画が話題になると読んでいた。だから来年の受験シーズンに受験生が増えることを計算して、わざわざ動画サイトへ投稿したのだろう。

 実際、サナによればこの動画を見たことで、この高校へ来たいという中学生のものらしいコメントも多くあるそうだ。

「だけど、どこの誰が演奏したものかなんて動画だけじゃわからないんじゃないか?」

「いや、それは大丈夫だろう。あのタヌキのことだ、ヒロタカの素性は隠すだろうが、学校名はわかりやすくしているに違いない。そうだな、たとえば投稿者名をこの学校にしていれば十分じゃないか?」

「マコっち正解ー。これの投稿者名は、うちの学校になってるね。さすがに演奏者の顔はわからないよう編集されてるけど」

「ふん、当然だ。それくらいはしてもらわないとな」

 鼻を鳴らしてそっぽを向くマコトに、サナは笑うと携帯電話をしまった。

「まあなんにしても、これでみんな無事に進級できるね」

「ああ。マコトとサナたちのおかげだ、ありがとうな」

「お礼は高級アイスクリームを一ヶ月分でいいよ」

「破産するっつーの。っていうか、このまだ肌寒い時期にアイス食うのか?」

「なに言ってんの。アイスクリームはいつ食べても美味しいんだよ? 今の季節なら熱いお茶と一緒だといいかも……おっと、よだれが」

 やれやれとひとつため息を吐いて、腕時計をヒロタカは見る。時刻はそろそろ下校時刻で、空は既に茜色から蒼色へと変わり始めていた。

「――よし、いつまでも教室にいたって仕方ないし帰るか。マコト、行こうぜ」

「うむ、帰るか」

「ほらサナも。一ヶ月分は無理でも、一個くらいならコンビニで奢ってやるよ」

「ほんと!? よっしゃあ!」

 アコースティックベースの入ったケースを背負い、ヒロタカは教室を後にする。サナもドラムのスティックが刺さった鞄を持ち、マコトと一緒にその後を追いかける。

 そして階段を数段下りたとき。突然ヒロタカは立ち止まって、後ろで喋っていたマコトとサナへ振り返った。

「マコト、サナ。来年度もよろしくな」

 驚いたように一瞬目をパチクリさせた女子たちだったが、すぐに頷いて言葉を返した。

「当たり前でしょ、親友!」

「なにを今更言っているんだ、相棒」

 片方は満面の笑みを浮かべながら。片方は呆れつつも唇の端をあげて。

 どうやら言うまでもないことを言ったらしい自分に対して、ため息をもうひとつ吐きながら、ヒロタカは笑ってまた階段を下り始めた。

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