手取川 ~とある時間犯罪者佐藤大輔によせて~ (大吟醸 古古酒 手取川 吉田酒造店)
珍しく日本酒を飲みながら。
しかし、どうしてこんなことになっちまったんだ?
※例によって酒を飲みながら執筆している。
「御大」「三巻王」「未完の帝王」「小説界の富樫」
佐藤大輔という色々な意味で伝説的な作家がいた。完結した長編はただ一つ――『征途』のみ。新しい長編を書き始めたかと思えば3巻まで出して続刊途絶。その後外伝をだして放り投げ、サイン会で続きを訊ねたファンに「もうかかねぇよ」と言い放ち、花見をすればロシア式乾杯で一晩飲み明し……。これだけだと無茶苦茶な作家じゃないじゃないかと思われるがそれもまた事実だった。
だが、不思議な事に良くも悪くも氏に魅了された人間が続出した。
ツイッター上では続刊を待つファンの群れが某タグ(あえて出さない)に集い、今このときですら大喜利を繰り広げ続けている。――私もその一人であるのは言うまでもないが――凡百の作家ならば見放すのだろうが、それでもファンは新刊と続編を待ち続けていた。そして彼の訃報を目の当たりにし嘆き悲しんだ。そして、あちらこちらから出てくる休眠工作員――スリーパー――のように続出する隠れ読者に驚愕した。
それが氏に対する愛情か憎しみかはわからない。それほど多くの人々に影響を与えたのだ。氏の幅広い知識――積み上げた史料と戦前の空想科学小説、俗に言うギャルゲーはてまたアニメにいたるまで――から繰り出される設定と文章は多くの読者を魅了した。戦艦大和の物騒さを描写させたら右に出るものはなかった。極限の状況に置かれても誇りとユーモアを忘れない登場人物が最高だった。ネタを分からないと少し取っ付き難い面もあったけれども。
私が氏の作品と出会ったのは実は小学校低学年の頃である。本屋でレッドサンブラッククロスを立ち読みしたのが嚆矢であった。――それも徳間文庫版をだ! (年齢がばれてしまうし、なんちゅーモン読んでいるんだろう当時の私は。そりゃあロクなオトナにならねぇよとキーボードを引っ叩きながら自嘲している。)
小林源文先生の作品にも氏をモデルにしたキャラクターが登場する度に爆笑させて頂いた。特に藤大輔名義で原作をしていた作品は画力とストーリーが奇跡というほかないマッチングだった。(特に「レッドサンライジング」が傑作だ。もちろん佐藤大輔本人も出演した挙句、やりたい放題やっている。(小林源文先生のオフィシャルサイトから購入可能。)
私がこうしてテキストをキーボードで叩いているのも白状すると氏の死が切欠だ。
実は随分前から書き付けていた物語ある。最近は仕事やらなんやらで忙しいとかモチベーションが無いとか理由をつけて書いていなかったが、やはり結末をつけねばならない。氏に憧れていてもそこまで真似する必要は無いのだから。(そのうちなろうに上げるつもりではあるが。)
3月のとある日に亡くなったという未確認情報が流れた。私はいつもの偽電だろうと一笑に付した。ある人は「西側報道機関特有の空騒ぎだろう」「だがいつかは現実になることだ」と氏の作品の『征途』の藤堂守とゴンドラチェンコの台詞で現状を言い表した。
だれもが「だがいつか」がこんなに早く現実になるとは思ってなかった。未完結作品は書き溜めていると聞いていた、待っていればいつかは読めるだろうと期待していた。だが、現実はこれだ。酷い話じゃないか。
そして、「帝国宇宙軍」と「エルフと戦車と僕の毎日」が発売され、多くの読者にとってのつかの間の夏が到来し、「宇宙軍陸戦隊」が発売され最期の夏は終わり、永遠の秋と冬が来てしまった。なんてこった!
孝一行が新床第三小学校に辿りつく日は来ないのだ。第八艦隊がパナマに辿りつき枢軸軍が上陸作戦を行うこともないのだ。真田提督が合衆国に反応兵器の使用を決断する時は到来せず、家康様は永遠の突撃を敢行し続け、新城直衛と愉快な仲間達が帝国軍を皇国本土から叩き出す未来は永遠に失われた。残念というほかない。
このテキストをキーボードで打ち込みながらとある酒を飲んでいる。氏の作品の一シーンにこんな場面がある。
「ずいぶんと良い水だな」真田はいった。「こいつを水と呼んでよいのならば」
「はい」兵曹はさぐるような死線をかれの顔にむけてこたえた。「末期の水のつもりなもので」
「いったいどこの水だ?」微笑をうかべて真田はたずねた。
「手取川あたりかと」
「なるほどね」真田の笑みが大きくなった。「どうりでな」
侵攻作戦パシフィックストーム外伝1『真田中佐は戦争を愛する』より 1997年 中央公論社刊
握り飯にむせた主人公――真田中佐――に準備の良い兵曹が差し出した水筒の中身が今回のお題に上げている手取川、という訳だ。
生と死の狭間、そのさなかにおけるベテランの下士官の茶目っ気と、戦争を愛するが故にそれを理解する主人公の掛け合いが大変良い。そしてこの「水」がなんともどうして美味そうなのだろうか?
氏はどうも良い舌をもっていたらしい。作中に色々な酒が出てくるシーンがある。ケディスバークに萬歳楽の空き瓶が転がっていたり、グアンタナモでライフロイグが出てきたりするシーンがある。執筆中に飲んでいたのだろうか? 話の種と言わんばかりに飲んでみたがこれがどれも美味いのだ。
ベージュっぽい紙箱を開けると桐の箱が出てくる、そしてラベルに「酒魂 手取川」とある。おまけにそれが和紙製とのっけから度肝を抜かれる。何故か蓋の一面だけ封印がされ、それを破らなくとも開けられるようになっている。恐る恐る封印を破らないように蓋を開け、箱の中を見れば酒瓶と和紙封筒が入っている。開封してみれば和紙便箋と「古古酒 大吟醸「手取川」の発売にあたり」という由来書が入っている。この由来書が心憎い「尚、同封の和紙便箋と、和紙封筒は、大切な方への、御便りに、御使い頂ければ幸いです。」(元文ママ)
なるほど、大切な人へお便りを書いた後で桐箱に戻せるように、わざわざ封印を破らずとも開けられるようになっているのである。
安物の日本酒と比較するのもおこがましいが、実に良い香りが鼻腔を刺激する、そして口に無色透明の液体を含めば心地よい辛さ。そして舌に微かに感じるとろみといえばいいのかコクがある。米の一番いいところを凝縮していると表現すればいいのだろうか?
思わず塩気のある握り飯か塩辛の類が欲しくなったのは言うまでもない。
確かに「ずいぶんと良い水」である。非常に飲みやすくいくらでもいける。もっとも昔のように後先考えずに飲み倒す若さはもうないのが悲しいのだが。
些細な問題点がある。都内の実店舗で取り扱いは恐らく絶無ということだ。よって調達するとなると通販する他ない。通販は確かに便利な一面もあるがモノによっては実店舗で買いたいものがある。私にとってその代表例が酒なのだ。
滅多に手に入らない希少性、実に末期の水にぴったりだとではないか。
酒のレビューのはずだが、色々と半ば脱線気味である。許して欲しい。前にも書いたが、すべて酔っ払いの戯言だからだ。酔っているせいだきっと。
そろそろ寝るとしよう。けれども最後にこれだけは書いておこう。
うん、もちろん、R.I.P.などと述べるつもりはないよ。光帯の向こう側か、ヴァルハラか、九段の坂を越えた場所かは分からない。私がそちら側に辿りつく頃までには未完のシリーズを結末まで執筆しておいてくれ。