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3.


 大学に入った頃から続けているデパートの掃除のバイトは楽だった。

 人と話さなくてもいいし、オシャレに気を使わなくてもいい。

 私より年上のおばちゃんたちは私を子供のように可愛がってくれるし、夕方6時から9時までの3時間で時給1000円ももらえる。私にとってはいいバイトだった。

 この日、上の人から呼び出されて何かと思えば昼間も入ってくれと言われた。大学生なんだから時間はあるだろうと言われた。人を見下した横柄な態度も気に障ったし、昼間は時給が100円も下がってしまう。断ると、上の人は露骨に態度を変えだした。お前みたいな根暗こんなところでしか雇ってもらえないのに生意気なこと言ってるんじゃないよ。嫌な気持ちになって、バイトが終わってから更衣室でユイナにメールをすると、すぐに励ましの返信をくれた。

 嫌な気持ちを引きずったまま帰りたくない。そうだ、甘いものでも食べよう。気分を変えてから帰ろう。

ここには彼が好きだったチョコレートショップがあるんだ。

そう思って同じデパートの1階にふらりと立ち寄ると、トモカがいて思わず身を隠した。

 あのゆるふわパーマは間違いなくトモカだ。しかも私が寄りたかったチョコレートショップにいる。こんなところで1人で何をやっているのだろう?

 バイト中に会わなくてよかった。

 彼女は私に気付いた様子はなく、真剣にチョコレートを選んでいる。

 店員と会話を交わし、トモカがお金を払い、店員が小さな紙袋を渡す。

 一連の動作を、私は見ていた。

 何を買ったのかまでは分からない。

 ……バレンタイン、彼女の家で作るんじゃなかったのか。まさか大学生にもなって作った振りして買ったチョコを見せびらかすなんて子供じみたことをするはずもないだろう。

 私は彼女の様子をしばらく見ていた。

 買うだけ買うと振り向きもせずさっさと行ってしまう。

 後を追うか少し迷った。だけど後を追う意味がないことに気付く。私は彼女が嫌いだ。

 ……なんで私はこんなことをしているんだろう?

 気分を変えるどころか、嫌な気持ちが増えて、どうしようもなかった。



「ねぇ、ミズホさんって帰ってから何をやっているの?」

 授業が終わって帰ろうかなと立ち上がりかけているところで、見覚えのある男の子から声をかけられた。

 ……誰?

 見覚えはあっても、顔と名前が一致しなかった。だけどなんだかキラキラしている彼の顔を見ると名前なんて聞けなかった。

「……バイトしたりのんびりしたりしているくらいだな」

「バレンタイン誰かにあげたりするの?」

 あぁ、彼はチョコレートが欲しいのか。

 そういうこと、ストレートに言えるもんなんだ。

でもどうしよう。

 そういうものからは離れていたいのに。

 愛だの恋だの、そんなんからは離れていたい。

「あげたりしないけど、好きな人はいるから」

 好きな人はいるから、その言葉でこの子を突き放したつもりだった。

 だけど彼はムッと怒った顔になる。

「好きな人いるなら、どうしてあげないの?」

 心の中で舌打ちをする。

 引き下がれよ。

「…………別に、関係ないでしょ?」

 死んでいるから。なんて言えない。

「でもさ、渡せないような男なんてやめなよ。どうせろくな男じゃないんでしょ?」

 私は……

 私は彼を睨んだ。

 彼は怯む。

「放っておいて」

 私に言えたのはその一言で、彼の視線を背中で感じながら走り出した。



 大学とバイトとアパートを行き来する生活に飽きていた。

 外灯がないせいか夕方になると薄暗くて不気味になるアパートと大通りを直結するこの道に飽きて、道沿いの見慣れた家やいつも停まっている車に飽きて、電柱や標識やブロック塀に飽きて、移り変わりのない木々や雑草に飽きた。違う道を歩きたくて、だけど他に道を知らなくて、アパートに帰れる道はここしかなくて、新しい道を歩きたくてもなくて、あったとしても暗くても知っている道のほうが安心かもしれなくて。

 このまま人生が終わってしまうのではないか。

 このまま何もない人生が終わる?

 このまま大学を出て出来るかわからない就職をしてお金を稼いで生活しながらそのうち老いて死んでいく?

 ただつまらない人生を?

 何か、楽しいことないかな。

 こんな私でも、楽しいことしてみてもいいのかな。

 立ち止まってふと思う。

 ……高校のときにやっていた演劇をもう一度始めようか。

 お腹の底から大きな声を出して、思いっきり笑って、仲間と肩を叩きながら喜んで、時間を忘れて夜遅くまで稽古をして……

 頭が暇になると、ふいに昔の楽しかった思い出がよみがえってくる。

 楽しかった。だけど悲劇でもあった。

 悲劇?

 そう、悲劇……

 まさかたったそれだけのことでヒトが死んでしまうなんて。

 頭を振る。

 ダメだ、思い出に浸ってはいけない。

 だけど……

 ここままでもいけない。

 本当は分かっている。

 私だって、もういつまでもクヨクヨできない。

 動き出さないと。

 北風が吹いて、それが頬を切るような冷たさで、マフラーに顔を埋めた。

 歩き出す。

 あんなことがあっても、心の奥底では楽しいことをしたがっている自分に気付く。

 いいのだろうか? 遊んでも。

 この私が、楽しいことをやってもいいのだろうか?

 それは、裏切りではないのか?

 気付いたらアパートの前で、明かりのついていない部屋に入るために鍵を回す。



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