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夏休みは終わらない

9月1日。

世の学生達の溜息が聞こえてきそうだ。


それもその筈。

9月1日と言えば、二学期の始まりを告げる日。ひいては、学生にとって夢のような時である夏休みの終わりを告げる日でもあった。

長い長い夏休みの終わりと言うだけでもこの世の終わりと思う程絶望的な気分になるというのに、7月の終業式に山ほど出された宿題を全て片づけて提出しなければならないというのもこの上なく億劫極まりない。


8月が永遠に続けばいいのに──そう思う学生も少なくはないだろう。

そんな学生達の負のオーラが渦巻いていそうな今日この日、とある街に暮らす1人の少年もまた、浮かない表情を浮かべていた。


「…チッ、だりぃな」


まるで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつ、長袖のシャツに腕を通し袖を捲る。

漆黒のサラサラの髪に所々見える赤いメッシュが特徴的だが、それより何より目を引くのは彼のまるで全ての絶望を吸い取ったような鋭くも昏い双眸。

何者をも拒絶するかのような、全ての者を射抜くような冷たい光を放った瞳──…。


そして彼の着ている制服から、彼がこの近くの県立桜華おうか高校に通っている男子生徒である事が分かる。

彼の名は璃月飛鷺りづき ひさぎ、桜華高校2年の生徒だ。


不機嫌そうな、何処か人を寄せ付けないような雰囲気を纏った少年。

しかし、不機嫌なのは今日から新学期だからという訳でも無さそうだ。


(学校も…この家に居んのも鬱陶しい。皆うぜぇんだよ…)


着替えながらも心の中ではこんな悪態をついてみせる。

飛鷺の双眸には、誰かと言うより世間そのものに対する憎しみのようなものが宿っているように見えた。


──学校なんざ怠くてしょうがねぇ。あそこにいる教師も生徒も、俺には煩わしい存在でしかねぇんだよ。


──けど、この家に居んのも同じくらいうざってぇ。息が詰まってしょうがねぇんだよ。


何処にも自分の居場所が無いのなら、いっその事──…。


飛鷺はそこまで考えて、はたと思考を止める。

一体自分は何を考えているのだろうと邪念を振り払うと、そんな自分の考えさえ鬱陶しそうに舌打ちをすると鞄を手にして部屋を後にした。


彼の部屋は家の中でも一番日当たりが悪く狭い部屋。昔は物置として使用していたらしい。

何故、彼がそんな劣悪な部屋に押し込められているのか──その理由は彼がこの家を毛嫌いしている理由と直結している。


階段を下りてそのまま洗面所に直行しようとしたが、まだ残暑厳しい9月ではドアを閉め切ってはいられないのかリビングやダイニングのドアが開けっ放しになっており、廊下から中の様子が丸見えになっている。

それは向こうからも同じようで、丁度ダイニングで朝食を取っていた親子と目が合った。


「……何あんた、もう起きてたの? 相変わらず無愛想な子ね」


親子のうち母親の方が、飛鷺を嫌悪と侮蔑の入り混じった双眸で睨み付ける。

相手の存在そのものを否定するかのような…酷く冷たく凍りついたような眼差し。


こんな悪意しか無い双眸で睨み付けられたというにも関わらず、飛鷺と言えば眉一つ動かさず無表情を決め込んだまま。

まるで、彼にとっては取るに足らない日常茶飯事の事だとでも言いたげに。


母親の嫌味を軽く無視してそのままダイニングを通り過ぎようとした飛鷺であるが、その態度がさらに癇に障ったらしく、母親はフン、と鼻で笑うと、


「私を無視するだなんて、随分とまぁ良い御身分だこと。…それで、朝ご飯食べるの? 食べるならあんたの分これから作ってあげてもいいけど」


「…いらねぇよ」


「あらそう、良かったわー手間が省けて。全く、あんたの世話なんて面倒極まりないわよ。姉さんの子供だから仕方なく引き取ってあげたけど」


──何が世話だ…あからさまに自分の子供と差別して世話らしい世話なんざ何もしてねぇ癖に。


飛鷺は心の中でそう悪態をついてから、自分の叔母を冷めた目つきで一瞥する。

彼がこの家を毛嫌いしている理由はそこにあった。彼の両親は既に亡くなっており、紆余曲折の後に叔母の家に引き取られたのだ。

それ故にこの家の子供とは兄弟ではなく従兄弟同士である。


だが、叔母の態度からして飛鷺がこの家でどんな扱いを受けているかは想像に難くない。

従兄弟も今までのやり取りを興味無さそうに聞き流している所から、飛鷺の事をあまり良くは思っていないようだ。


飛鷺は小さく溜息を零して歩を進めようとしたが、ふと彼の服装で気になるところでもあるのか叔母が一瞬訝しげな表情を浮かべる。

だがそれもほんの一瞬で、すぐに飛鷺を馬鹿にするような声色で嘲笑したのだ。


「何よあんたその格好。学校でも行くつもり?」


「……? 学校行くのが悪ぃかよ」


叔母の言葉の真意が分からず、眉をしかめながら首を捻る飛鷺。


「ばっかねぇあんた、新学期はいつからなのかも忘れたの?」


「は? 新学期は9月1日に決まってんだろ」


「あら、分かってるなら何で今日学校行くのよ?」


「はぁ? 訳分かんねぇ事を…。だから、今日が1日だろ」


「あははっ、本当あんた馬鹿ねぇ。今日は8月32日に決まってるじゃない」


「……は?」


叔母の言葉に、飛鷺の中で時間が止まる。

まるで頭が先程入ってきた情報を処理するのを拒むかのように。


何を言っているんだコイツは…? と、飛鷺は些か呆れたような眼差しで叔母を見遣るが、叔母と言えば至って真面目な顔つき。

どうやら、飛鷺をからかっている訳では無さそうだ。


くらくらしそうになる頭を抱えながら飛鷺が呆然としていると、そんな内心には全く気付かず叔母がさらに畳みかける。


「昔から馬鹿だとは思ってたけど、まさか此処までとはねぇ。31日の次の日は32日に決まってるじゃない、ねぇ尭斗あきと


「うん…そうだよね」


叔母は隣に座って黙々と朝食を取っている自分の息子──尭斗へと視線をずらす。

すると、一瞬ぴくりと肩を振るわせた後、ぶっきらぼうにそれだけ返した。


一方、飛鷺の混乱はさらに増していくばかり。

そんな筈が無い、一体何の冗談だ…? とぐるぐる回る思考を鬱陶しく思いつつ、確信を得ようとリビングの壁に提げられているカレンダーへと視線を移す。

しかし、カレンダーに描かれていた現実は彼を叩きのめすには充分過ぎる程であった。


「32日…だと…!?」


カレンダーには確かに印字されていた、『32日』という文字が。

青天の霹靂の連続に頭がチカチカする。何が真実で何が嘘なのか分からなくなってしまいそうだ。


31日の次は1日だという、自分の中に持っている常識こそが間違っているのではないか──…? そんな思いがふと飛鷺の脳裏を過る。

それはまるで、自分の常識が根本から覆されるような──足元からガラガラと音を立てて何かが崩れていくような感覚に襲われる。


まだ納得がいかないのか、そういえばと携帯を手にして画面を確認する。

しかし、ディスプレイにも確かに『8月32日』の文字が浮かび上がる。


今日は8月32日──夏休みはまだ終わらない。


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