第19話:蠢く邪心
(ジンメン。それがそいつの渾名か)
(うむ。大人になってからも、この年齢に迫っても本名で呼ぶ事はなかったな)
スコットと士は何事もなく、クリントが知らせてくれた地点周辺に到着。ただし、下り立った場所は其処から少し離れておる。奴に感知され、警戒されては敵わんからな。危険は出来るだけ避けたい。
「クリントは?」
地面に下りて来て早々、士はキョロキョロと周辺に目を遣った。着いたのは良いが、通報した本人が見当たらぬのだ。
「アイツはココから二kmほど離れた所で待機中だ。バッキーは……まぁ、ドコかに居る。少なくともこの近くには来ている」
「なぁ……本当にここに居るのか? ジンメンは」
「ああ。クリントの証言が正しければな」
選りにも選って此処とは……。士の顔が不安で曇る。過るのは最悪の事態。
(チッ、あの時ちゃんと調べてれば……っ! いや、せめて沢渡さんか美咲さんに相談してれば……っ!!)
悔む士。憂患が心を占領する。思い当たる節があったにも拘らず、何の対処も執らなんだ己に腹が立つ。不甲斐なさに泣けてくる。それは我も同じだが、切り替えろ。冷静・冷徹になれ。焦りでは解決するモノも解決せぬ。
(今、自分を責めたところで如何にもならん。まずは二人が無事か否かを確認しよう)
(あ、ああ……そうだな)
我の拙い慰めで覚悟を決めた士は、眼前のドアノブに手を掛けた。ゆっくりと引く。施錠はされておらぬ。ただ、以前に訪れた時よりも重く感じる。
(何事もありませんように……)
何処かの神に祈りながら、開いた扉から邸宅の中へと踏み入る士。スコットもそれに続く。
風白兄妹の別荘から八王子市へ転移した時、日は既に暮れかけておった。それから其処で、ジンメンが作った仮面を被せられた哀れな亡骸を何十体と葬った士達。短く見積もっても、数時間は経っておろう。故に、日はとうに落ちておる。だと云うのに、電気は一切点いておらぬ。
(こりゃ、いよいよマズイ……)
士の中で胸騒ぎが更に強まってゆく。もしかしたら、家人達は外出中なのかも知れぬ。最早、願望とも言える淡い希望を胸に秘め、士は建物内部を探索する。それに黙って付いて来るスコット。彼の視線は、常に士とは違う方を向いておる。
(とくに変わった様子はない、か)
一階を隈なく見て回り、士はそう判断した。一先ず安堵。そして、すぐに気を引き締める。
「ツカサ、ココは知っている場所なのか?」
「え?! なんで?」
二階への階段を上がる途中で、後ろを歩くスコットから士の背中に質問が投げ掛けられた。
「なにか、手慣れているというか、間取りや家具の位置を把握しているような気がしてな。遠慮がないとも言う」
流石、名門・カイム家の嫡男。中々に、高い洞察力を持っておる。
「あ、ああ。まぁ……」
(ん?)
その問いに答え様としたその時、士の目の端に何かが映った。
「待て。何か居る」
スコットもそれに気が付いた様だ。しかし、彼の視界は、士の大柄な図体が塞いでおる。彼が感知したモノは、それが発する音や匂い、もしくは気配。
「構えろ。来るぞ」
慌てた素振りも見せず、スコットが忠告する。声が聞こえる方向から察するに、その視線は階段を上がった先をじっと見据えておる。士の背中越しに。
その宣言通り、間髪を入れずに仮面を被った人間が出現。背格好と服装と豊かな胸から、成人女性と推察される。
(クッ……!! 遅かったか……っ!)
嫌な予感。そういうモノ程よく当たるもの。そして、それは的中。有無を言わさず、その女性が二人に襲い掛かって来た。襲撃者の正体が誰であるか、予想が付いておった士は迎撃できぬ。逆手に持った包丁が恐ろしくて仕方がない。
「肩を借りるぞ」
それを尻目に、スコットが士の肩を踏み台にして彼女に飛び掛かる。それと同時に、虚空から剣を抜く。
「あっ! おいっ!」
スコットを止めるべく、彼の肩を掴もうとして士は手を伸ばす。しかし、それは虚しく空を切っただけ。結果、勢いをそのままに剣を振るう彼。そして持ち前の剣技で、女性を傷付ける事なく仮面だけを器用に割った。その途端、四肢の力を失って床に倒れ込む彼女。士はそれを咄嗟に受け止め、彼女をそっと床に寝かせた。
「アホッ! この人がケガでもしたらどうすんだっ!」
人の話も聞かず、いきなり斬り掛かったスコットに、憤りを隠せぬ士。『兵は拙速を尊ぶ』と言うが、些か性急過ぎやせぬか。
「オレがそんなヘマをするか。仮面を被っているとはいえ、人間の女性だぞ」
悪びれた様子もなく、スコットはそう言い切った。
「ただまぁ、オマエが叫ばなかったら、もう一歩深く踏み込んでいたな」
「ヘマしそうになってんじゃねぇか。偉そうにすんな。もうちょっと考えて動けよ」
此奴、最初から先程までの様に、問答無用で彼女の頭蓋を叩き割る腹積もりであったか。それが士の制止の言葉で瞬時に思い止まり、斬撃が浅くなった。間一髪であったな。
「ふむ。どうやら、オマエのお陰で過ちを犯さずに済んだようだ」
簡易的ではあるが、スコットは床に屈んで女性の容態を診る。診察の結果、彼女は死者ではなく生きておる事が判明した。脈拍があり、呼吸もしておる。
「あっぶねぇ~。良かった、生きてんだな。……なぁスコット、殺人犯にならずに済んだんだから、もっと俺に感謝しても良いんじゃねぇか?」
「ありがとう。オマエに助けられたな」
已むに已まれぬ事情、それによる先入観があった事は紛れもない真実。我もスコットと同じ立場であれば、同じ様にしたかも知れん。それは恐らく、士も同じであろう。とはいえ、彼の起こした行動は、危うく無辜の女性の命を奪ってしまうものでもあった。それもまた、動かざる事実。
士はそれを意図せず防いだ。それ自体は立派である。だが、所詮これは結果論。この事を笠に着て高慢な態度を取る此奴の所作は、御世辞にも褒められたモノではない。対して、それに嫌悪感を示す事もせず、彼は礼を述べる。
元々、士が何も言わずとも、スコットには感謝を告げる気があった筈。それを士は、恩に着せようとあの様な発言をした。育ちの善し悪しが出てきたな。
「う……」
士が己の行いを反省しておると、女性の呻き声が二人の耳に入った。彼女の意識が回復した様だ。このまま休ませてやりたいのは山々だが、そうも言っておれぬ。すかさず士が優しく語り掛ける。
「園崎さん、大丈夫ですか? 何があったんですか?」
そう、クリントがジンメンを目撃したと言うその場所とは、我等が今週の始めに来た豪邸。園崎邸である。そして、二人の眼前で横たわっておる女性は、園崎 紗枝その人だ。
(あれ? ちょっと待てよ。園崎さんが生きてるってことは、さっきまでの人たちの中にも生きてる人が居たんじゃ……? い、いや、あれは死体だっ。スコットがそう言ってたじゃねぇか……っ!)
一瞬そう考えたが、現実を直視しとうない士は、直様その思考を脇へ押し遣った。その可能性も無くは無かろうが、真相は奴にしか分からんな。だがまあ、あの状況下では仕方がない。加えて、連中を野放しにしておく訳にもいかんかったしな。
「う、ん……?」
士は再度、目の前の紗枝に意識を向ける。すると彼女が身動ぎし、ゆっくりと目を開いた。士とスコットをボンヤリと見詰める。
「い、石森さん……? どうしてここに?」
「えっと……その……」
「それにこちらの方は……?」
相次ぐ答え辛い質問に、言い淀む士。それを見兼ねたスコットがスラスラと返答する。
「ワタシはスコットと言う者で、ツカサの友人です。実は、不審者がこの家の壁を乗り越えようとしているところを目撃しまして、このままでは危ないと思い、失礼を承知で不法侵入した次第なのです」
嘘と真を微妙に混ぜて話す彼。
「そう、なのですか?」
士に確認を求めながら、紗枝は上半身を起こす。
「え、ええ。こいつが言ってることは本当です。電気が点いてないのに鍵が開いていましたし。で、入ったら倒れてるあなたを見付けたんです」
「そうだっ、たのですね。ありがとう、ございます」
我々の話を聴いた紗枝が、言葉を途切れさせつつも謝辞を述べる。しかし、それはまだ早い。士のもう一つの懸念は、取り除かれておらぬ。
「香奈ちゃんはどこですか?」
士がその詰問を打つけた瞬間、紗枝の意識が完全に覚醒。同時に取り乱し始めた。
「い、石森さん……! あ、あの子が……っ! 香奈が……ぁっ!!」
士の両肩を掴み、激しく揺さぶる紗枝。この錯乱具合……糞っ。悪い予感が的中したかっ。
「お、落ち着いてください! 何があったんですか!?」
士は何とか宥めようとするが、パニック状態に陥っておる彼女には聞こえておらぬ。その時、肉声ではなく、何かを介した様な声が三人に話し掛けてきた。
―『おんやぁ~? 新しいお客さんかぁい?』―
しかし、我には分かる。この不愉快な声色と口調の持ち主は……。
(ジンメンッ!!)
我が声を出さずに叫んでから一拍遅れて、士はその声がする方を向いた。
(また仮面?)
其処に居ったのは、最近見慣れた仮面を着けた人間らしき存在。“らしき”と表現したのは、蜘蛛の如く天井に張り付いておるモノを、人間とは呼ばぬであろうから。
―『オマエらはただ迷い込んだだけの人間? それともオレを捕まえに来た悪魔? もしくはこの家に取り憑いた霊? 妖怪? あるいは神? はたまた別の何か? まぁ、なんにしろ殺すし、滅するけどな』―
この捲し立てる様な喋り方。間違いなく奴だ。仮面を媒介にして我々と会話しておる。しかも此奴、日本語を喋っておる。大方、長い獄中生活で身に付けたのであろう。
それにしても、これだけ距離を詰めておりながら、それ等の区別が付かぬか。奴も上級悪魔の端くれ。魔力や妖力、霊力に神霊力といった特殊な力を感知して、種族をある程度までならば判別できる。それが出来ぬとは……やはり、急造の仮面ではそれが限界なのか。
「あなたはさっきの……っ!! 娘は、香奈はどこっ?!」
紗枝は顔を苦渋で歪めつつ、気丈にも立ち上がろうとする。だが、体力は回復し切っておらぬらしく、少々フラ付いておる。士とスコットが、それぞれ手を差し伸べて彼女を支えた。
―『アレ? オマエ生きてたのか? 人間の女にしちゃ頑丈じゃねぇの』―
感心した様に言うジンメンの傀儡。あの野郎っ、殺す魂胆で紗枝にあの仮面を被せたのかっ。
(おい、目当てのヤツが出て来たけど、交代するか?)
(いいや、幸い彼奴は此方の正体に気付いておらぬ。好都合だ。このまま通せ)
この事をスコットにも伝えたいが、小声でも口に出すと奴に知られてしまいかねん。故に、士は眼球だけを動かして彼に目配せをした。一瞬、目が合う二人。すると彼は、ほんの僅かに首を傾けて肯定した。言葉は無くとも伝わった様だ。察しが良い奴であるからな。
―『おやおやぁ? ソッチのお二人はあんま驚いてねぇなぁ?』―
むっ、拙い。この状況下で慌てふためかず冷静な士とスコットを、奴が不審に思い始めた。此処は、偶々(たまたま)居合わせてしまった無力な人間を装っておくのが吉だ。奴の油断を誘え。
「い、いや、あまりの事態に頭が付いていかないだけだ」
「あ、あぁ、そうだ。体が竦んでるんだ。なんせ、人が天井にヘバり付いてんだから」
口から出任せ。士とスコットが適当な嘘を並べる。
―『……ふ~ん、まぁ良いさ』―
体勢を崩さぬ蜘蛛仮面。それを介在して奴は続ける。
―『でも見られたからにゃ、生かしておくワケにもいかねぇなぁ』―
仮面から聞こえる声のトーンが低くなった。来るぞっ。
―『生かしとく理由もないしなっ!!』―
そう言い切る前に、蜘蛛仮面が此方に向かって跳ねた。即座にスコットが反応。左手に握った剣を、奴の頭部へ振り下ろす。相手の突進も利用したカウンターだ。余りの速さに、奴は回避も防御も不可能。仮面と顔面を縦に両断され、無残に倒れ伏した。
「こ、殺したのですか?」
震えた声で尋ねる紗枝。対してスコットは、何の感情も抱いておらぬかの様に返す。
「いいえ、コレは元々死んでいたのです。それを仮面でムリヤリ動かしていた。先ほどまでのアナタのようにね」
スコットはそう言うと、先刻まで紗枝が被らされておった仮面を剣で指し示す。
「でも、園崎さんは生きてるぞ?」
今度は士が問い掛ける。スコットは呆れ顔で答える。
「そういう仮面なんだ。知らなかったのか?」
そう言って彼は、士の胸に人差し指を向ける。我に教わらなかったのかと、暗に言っておるのだ。我の名前を出さぬ、さり気ない配慮である。
「あ、あー、うん、そうだったな。いま思い出した」
「で、では、さっきのアレ。娘を攫った相手はミュータント……では無さそうですね。なら、超能力者なのでしょうか?」
我々の遣り取りを聞いておった紗枝が、口を開いた。平常心を取り戻したか。上辺だけかも知れんが、今はそれで良い。焦りは禁物である事を、彼女は重々承知しておるのであろう。
「――!? お、おいツカサ……?!」
彼女が予想外の事を言い始めた為、目を見開いて困惑の表情を見せるスコット。
「あー、この人はミュータントと超能力者が実在することを知ってる。俺がミュータントだってこともな」
士は自分も先日知った情報を説明した。引き続き、『でも、悪魔関連は知らない』という追加事項も耳打ちする。その様子を見て怪訝に思った紗枝が、二人に訊く。
「どうかしましたか?」
「い、いえ、なんでも。実は彼も超能力者なんです。そういうのって大半の人は信じてないんで、園崎さんが知ってることにビックリしてたんですよ。な?」
「え、ええ、まぁ。オレの周りでは同類は居ませんでしたし、他の人たちも存在に懐疑的な人ばかりでしたので。ミュータントや超能力者の実在を知っているということは、アナタもオレたちの同志なのですか?」
二人共、嘘が上手いな。まるで、予め用意しておったかの様にスラスラと出てくる。スコットに至っては逆に質問までしておる。まあ、丸っきり嘘という訳でもないからな。
「いいえ、私はどちらでもありません。ただの人間です。関係者ではありますが」
「そうですか」
抑揚のない声でそう言い放ったスコットは、紗枝の首筋に手刀を叩き込んだ。何の前触れもなく、冷淡にその行為をやってのけた。そう難しい事ではない。上級悪魔の腕力と、然るべきポイントに的確な角度で打ち込める彼の技量があれば。
「えっ……っ!? おいっお前……っ?! 何やって……!?」
当然、気を失って倒れる紗枝を見た士は驚愕する。理解が追い付かぬ。一体、何の目的があってこの様な振る舞いに及んだのか。それを問う前に、スコットは自ら明かした。
「今さっき、バッキーから逃亡犯を捕捉したとの連絡があった。接触はしていないが、人相は間違いなくヤツだそうだ」
「いや、でもだからって……」
気絶させることはないんじゃないか。士はそう言葉を紡ごうとした。それを遮って彼は続ける。
「オマエもだいたいの予測は付いているだろうが、この女性の娘、カナと言ったか、その子は犯人の手中にあると思われる」
「ま、まぁ、さっきの園崎さんとアレの様子からして多分そうだろうな」
頭部をカチ割られた蜘蛛仮面に視線を移し、士はそう言った。奴は『オレを捕まえに来た悪魔か』と、自覚なしに白状しておったからな。その推察は容易だ。仮にそうでなかったとしても、何等かの手掛かり位にはなるであろう。二人はそう考えてもおる。
「もし、この情報を彼女にも提供すれば、おそらく『自分も連れて行ってくれ』と言うだろう」
そう言いつつ、スコットは紗枝を抱き抱えて歩き出した。ベッドに運ぶ心算なのだ。
「そりゃあ、母親だからな。そう言うかもしれねぇな」
先に行き、寝室へと案内する士。無論、此奴も場所を知らぬ為、其処を捜しながら。
「だがそうなると邪魔だ」
膠もなく切り捨てるスコット。士はその迫力に少し引き気味になる。
「彼女は娘を人質に取られている。その上なんの力もないただの人間だ。ヤツの前に連れて行けば、確実に足手纏いになる」
下手をすれば人質が二人に増えかねん。その点も考慮しての決断であった。
「だからってあんなやり方……後遺症でも残ったらどうすんだよ」
「他に思い付かなくてな。なに、ちゃんと手加減はしたさ」
「でもさぁ、ワザワザこんなことしなくても、黙って出て行きゃそれで済んだんじゃねぇのか?」
「……言われてみればその通りだ」
スコットが己の迂闊さ・早とちりに気が付いた頃、漸く寝室を発見。彼は其処のベッドに、紗枝をそっと寝かせた。
「バッキーとクリントから何か続報はあったか?」
「ああ、クリントも同じ者を捉えたそうだ」
「他の悪魔たちは?」
「仮面の連中が他の街にもまだ居るらしくてな。ソチラに掛かりきりだ」
ブルースも手が離せん状況だという。これだけの事態である。後処理が大変そうだな。
「じゃあ二人に、そこに女の子が居るかどうか訊いてくれ」
「ソレは既に伝わっているが、二人とも見ていないと言っている。ヤツは一人だ」
ふむ、何処かに監禁したのか。如何に彼奴と雖も、逃亡中に女児を連れ回す様な真似はせぬか。
「オレたちも合流して、直接アモン様に確認していただこう」
スコットはそう言って玄関へ足を向ける。士も彼に随行。
彼の提言は正しい。仮面から聞こえた声は、明らかに奴のモノであった。だが今の世では、声なんぞ幾らでも加工できる。機械で検査しておる訳でも無し。声紋が一致したとして、本人であるという確証はない。何者かが奴になりきって会話しておった可能性も、充分に有り得る。




