第15話:怨念蟲
暗い。まだ午前中であるというのに、此処は酷く暗い。外は燦々(さんさん)と太陽が照りつけておるというのに、この場所だけが暗闇に包まれておる。この施設に充満しておる澱んだ空気がそうさせるのか、その様な錯覚に陥る。
「確かに『仕事くれ』って言ったけどさぁ。誰がどう考えても俺向きじゃねぇよ、これ」
士は床に散乱した硝子片や木屑、瓦礫等を踏み拉き、或いは避けて歩く。ブツクサと上司への文句を垂れながら。
「まぁまぁそんなこと言わずに」
そんな士を慰めるのは、この様な顔と声の持ち主であった否か定かではない霊能者。沢渡に電話した時は、『現在、石森さんにお願いする仕事はございません』と言われ、一時凹んだ。だが、その翌日に彼から電話が掛かって来て、何やかんやあって今に至るという次第である。
(この人の車に乗せてもらったけど、乗った途端に眠くなって、気づいたらここに居たから、現在地がどこか全然わかんねーんだよなぁ)
美咲に注意された事を忘れておった訳ではない。斯言う我も意識は沈んでおった。自動車が停止し、霊能者に起こされるまで一度も目覚めんかった。面目ない。
「今日はなんで俺を呼んだんですか?」
「ん~? もう少し行けば分かるよ」
此度の仕事は霊能者がメインである。士はそのサポートとして、彼に指名されて此処に居る。
「今日はなんで俺を連れて来たんですか?」
士は前を往く霊能者に尋ねた。
「こういった所は浮浪者や変質者、不良少年などの溜まり場になっている場合が時々あります」
それに対して彼は、前方と下方へ交互に視線を送りつつ答えた。
「そいつらを退かしたり、襲われるのを防いだりするのに俺が必要だったってわけですか」
「はい。あとはここが崩れた時に私を助けてもらうためです。まぁ、今回は幸運にもどちらの事態にもならず、君の手をわずらわせずに済みそうですが」
そう言いながら、霊能者は安堵から微笑んだ。
(こんないかにも何か有りそうな場所にワザワザ人が来るか?)
(世の中には、怖いモノ見たさに馬鹿な真似をする輩が居る。それも結構な数がな)
(ふ~ん、物好きなヤツも居るモンだ。こんなトコ、金でも貰わなきゃゼッテー来ねぇよ)
(貴様が言うと説得力があるな)
金に釣られて同行したが、今回、此奴に出来る事はほぼない。何せ今日の業務内容は……。
「居ました。石森さんはここで待っていてください」
「分かりました。お気を付けて。何かあったら叫んでください」
建物の奥へと進んだ霊能者の背中に、励ましの言葉を掛ける士。仮に助けを乞われたところで、何の役にも立てんがな。彼を担いでこの場から逃走する程度が関の山か。
「ふぅ~、俺はここで待機っと。これで金が振り込まれんだから楽だな、今日は」
自身の戦場へと向かう霊能者を見送ると、士は壁に凭れ掛かった。
(まだ分からんぞ。最後まで気を抜くな)
「へぇーへぇー、せーぜー気張ってますよ~」
今、我々が訪れておる所は、日本の何処かに在る廃ホテル。何でも、その業界では有名な心霊スポットであるそうな。しかし、そう呼ばれるのも本日が最後。我々が此処に蔓延る数多の魂を成仏させに、それが叶わぬ時は強引に除霊する為にやって来たのであるから。
「あー早く終わんねぇかな~」
(ガシャドクロを瞬く間に祓ったのであるから、人間霊が相手ならばそう時間は掛からんさ。それまで辛抱して待っておれ)
そういった感じで五分程この場を動かずに待っておった。すると、霊能者が居る筈の方向から何かが近付いて来る気配が。
「ん? なんだ?」
肉眼では確認できぬが、感覚で理解できる。それがこの世ならぬモノであると。
「俺ってやっぱり幽霊とか見えねぇのかな?」
(以前は視認できたのにな)
その後ろから、霊能者が息を切らせて走って来る。追い駆けて来たのか。
「も、もう逃がしませんよ……!!」
彼は、己と士の間に居ると思われる幽霊に、その言葉を投げ掛けた。眼前に何が存在しておるのか、士の目や耳では全く分からん。此奴は“霊感”というモノが皆無なのだ。
「はぁ~、終わりましたよ、石森さん」
そうこうしておる内に、霊能者が祝詞やら呪文やらを唱えたり、九字を切る様な動きをしたりして自身の任務を完了させた。
(俺、本当に何もしなかったな……)
(元々保険として招集されたのであるから、別に良いのでは?)
楽して儲かった、とポジティブな思考に切り替えれば良い。それ位のガメつさは持っておろう。
「さ、帰りましょうか」
「あ、はい」
帰宅を促す霊能者に大人しく従い、士は出口へと歩を進める。階段を下りて行く道中に、霊能者が口を開いた。
「あの地縛霊、石森さんに取り憑くかと思ったのですが、貴方の前に飛び出した途端、急に動きを止めてしまいました。まるで貴方を恐れているかのように」
「は、はぁ……」
特段親しい訳でもない男に、業務以外の事で突然話し掛けられ、戸惑う士。
「奴は何に怯えていたのでしょうか? 私から逃げ出し、壁と床と天井をスリ抜け、その先に居た人間に八つ当たりしようとしたら、それが得体の知れないモノだった。あるいは憑依しようとしたら先客が居たのか……」
(――!! な、なんだ……っ!?)
淡々と喋りながらも此方を見詰める霊能者の視線に、士の背筋に悪寒が奔った。
(まるで全て見透かされてるような……)
士の内に潜む我の存在に勘付いておるのでは、と邪推してしまう程に鋭い視線だ。これが俗に“霊視”と呼ばれる能力なのか。
「……りさん、石森さん」
「は、はい?! なんですか!?」
「電話、鳴っていますよ」
「え、あ……!?」
室内に響く足音すら聞こえぬ位の没頭状態から引き戻され、士は慌てて携帯電話の通話ボタンを押した。
「は、はいもしもし……」
―『出るのが遅い。十回はコールしたわよ』―
「す、すみません」
折角の美声が台無しな、この高圧的な態度。通話の相手は美咲であると、瞬時に理解した。
―『まぁ良いわ。君、いまドコに居るの?』―
「どこ、って……ここドコ?」
―『はぁ? 君なに言ってるの?』―
「そ、それがですね……」
現在地を把握しておらぬ士が言葉に詰まっておると、美咲はそれに被さる様に話を続けた。
―『あ~、それはどうでもイイの。私いま本業で新潟に来てるんだけど、なんか面倒なことになりそうだから君もこっちに来て手伝ってくれない? っていうか来い』―
一仕事終えて間もなく、別件が舞い込んできた。願ってもない申し出である。頼み方はアレだが。
「分かりました。すぐそちらに向かいます」
(警視庁の人間が新潟に何しに行ったんだ?)
管轄の問題等の疑問はあるが、一銭でも多く金が欲しい士は、二つ返事でそれを了承。詳細は彼方に着いてからゆっくり聞くとしよう。ただ、明日は日曜日であるが、その翌日はまた学校がある。長引かねば良いが。
「新潟ならそう遠くないですね。ではそこまで送りましょう」
「良いんですか? ありがとうございます」
隣で話を聞いておった霊能者の厚意に甘え、美咲が待つ“屋敷”とやらまで車で送って貰う事になった。
(そんな事よりここドコ?)
それは結局、最後まで分からず終いであった。
○●○●○
また寝てしまった。美咲に教えられた住所を霊能者に伝え、彼がそれをカーナビに打ち込んでおるところまでは覚えておるのだが。
(そういう呪いみたいなヤツでも掛かってんじゃねぇだろうな)
(メンタルバリアを貫通する程に強力な代物をか? 俄かには信じ難いな)
心の内で愚痴りつつ、彼に揺り起こされて士は瞼を開いた。最初に目に映ったのは、車窓の向こう側。其処には、先程とは打って変わって和風の御屋敷が堂々と建っておった。
「あー、いかにも“金持ち”が住んでそうな家だわ」
降車しながらも視線はズラさず、これから用がある予定の屋敷を観察する士。山の中に在る屋敷は、先刻まで居った廃ホテルと類似した雰囲気を醸し出しておった。ただ、此方は来た者に安らぎを与える構えをしておるな。
「では、私はこれで」
「はい、お疲れ様でした」
互いに別れの挨拶を交わし、士は走り去る車を見送った。それが視界から消える頃、屋敷の門が開き、中から美咲とその忠実な執事が出て来た。
「あら、石森君? 早かったわね」
「ええ、ちょうど近場まで来てたんです」
「おんや? お嬢さんの同僚の方かね? それにしちゃ随分とお若いようじゃが」
事情を話し切る前に、彼女等の後ろからこの家の者と思われる老人が現れた。
「いいえ、違いますわ、御大。彼は私のド……私的な部下でございます」
この女、今“ドレイ”と言おうとしたな。直前で踏み止まったが。
「石森 士です」
初めましての御挨拶と自己紹介の後、四人は門を潜った。神城を除いた三人は、途中に在る広い庭を歩きながら他愛のない会話を交わし、本邸を目指す。
「というか御大、この子、若く見えますか?」
「年相応の顔だと思いますが」
「どこがよ」
「フォッフォッフォ、儂に言わせれば、十代も二十代もそうたいして変わらんよ」
この御老体には、士が二十代にも見え得るという事か。我にも時たま見えるわい。
「ほれ、お入んなさい」
「お邪魔します」
玄関に到着すると、この家の主から直々にお招き頂いた。その足で応接間まで通された。やはり広いな、この屋敷。
「まま、座んなさい」
庭園の観える和室に案内された我々は、彼に勧められるまま座布団の上に正座した。士と美咲は横に並び、老いた主は反対側に着席。ただし、神城は廊下で待機しておる。
「それで御大、私になんの御用でしょうか?」
席に着くなり、美咲が早速質問を飛ばした。
(ん? 警察官として来たんじゃないのか?)
彼女の本職は警視庁刑事部捜査一課の警部。主な業務内容は殺人や強盗、放火や暴行等の強行犯の捜査。階級も役職も管轄も畑違いな気がする。
(普通の事件なら俺なんかお呼びじゃないしなぁ)
老人が次に発した台詞を聞いても士の疑念は晴れぬ。
「実はのう、ここのところ我が家から行方不明者が続出しておるのじゃ」
話を聞いていくと、近くに在る集落でも同様に、行方知れずになった者が頻出しておるそうだ。要は、その者達を捜し出して欲しいとの事だ。まあ、当たり前の流れである。ただこの老人は、警察という組織自体を良く思っておらぬ。地元の警察ではなく、美咲を態々(わざわざ)呼び寄せたのも彼女の実家と懇意であった為。背に腹は代えられんからな。美咲も、縁ある者を蔑ろにする訳にもいかず、渋々とまでは云わぬが、仕方なくやって来た次第である。
「分かりました。早速手掛かりを探りましょう。ほら石森君、行くわよ」
「は、はい……」
老人の話が終わるや否や、美咲は席を立った。隣に座っておった士も慌てて立ち上がり、彼女に追随。廊下で控えておった神城も従えて、彼女は屋敷内を散策し始めた。と思いきや、先導する美咲は元来た道を戻り、真っ直ぐ門へと向かう。
「あの、まだ残ってる家人に聞き込みとかしなくて良いんですか?」
その途中で疑義を抱いた士は、まずは集落から手を付ける心算なのか、と自分なりの答えを出しつつも尋ねた。
「後で話すわ」
有無を言わさぬその強い口調から、士は彼女が今回の事情について既知であると瞬時に理解。それ以上は何も訊かんかった。
「乗って」
美咲は敷地の外に出ると、駐車場に直行。其処に停めてあった己の足たる愛車に乗り込んだ。士も後部座席に彼女と並んで座った。そうしろとの御命令であったからだ。
「あれ? 神城さんは?」
さて、準備は整った。ところが、運転席に神城が着いておらぬ。車外にて直立不動の姿勢を取り、此方に背を向けておる。
「拳はイイの。もう知ってるから」
士が『何をですか』或いは『そういう事じゃなくて』、と訊き返す前に美咲は口を開いた。
「君、ツチグモって知ってる?」
「ツチグモ? ルブロンオオツチグモとかコバルトブルータランチュラとかの事ですか? デカくてキレイですよね、あれ。触るにはちょっと勇気が要りますけど」
「誰もバードイーターとかアースタイガーの話なんかしてないわよ。って、私がそういうの嫌いなの知ってるでしょ。私が言ってるのは《土蜘蛛》。日本の妖怪のことよ」
生物のクモと妖怪の蜘蛛に、如何程の違いがあるというのか。
《土蜘蛛》とは、普段は人の姿を取り、本性は鬼の顔に虎の胴体、長い蜘蛛の手足といった巨大な出で立ちの妖怪である。本来は、上古(俗に古墳時代や飛鳥時代と言われる)の天皇に恭順せんかった土豪達の事を蔑んだ呼称。もっと以前からとする説もある。要するに、積年の恨み辛みによって妖怪化した元人間の事。別名は八束脛。
日本各地で記録があり、北は陸奥(現・青森県や岩手県を始めとする東北地方)から南は肥前(現・佐賀県や長崎県)といった各国の風土記等で散見される。何れも山中に棲んでおり、旅人や登山者を強靭な糸で雁字搦めにして捕らえ、体液を吸い尽くす形で喰らってしまう。
有名な書物を二つ記載しておく。まず一冊目、源 頼光(みなもとのよりみつ、或いはらいこうと呼ぶ)が《名刀・膝丸》で斬り付けて退治し、この逸話から後にこの刀が《蜘蛛切り》と呼ばれる様になった旨が記されておる『平家物語』。二冊目は、同じく源 頼光が美女に化けた巨大蜘蛛の首を刎ねると、中から約二千個もの死人の首が出てくるという、この妖怪が如何に凶悪・怪奇・巨大あるかを物語った『土蜘蛛草紙』である。
尚、京都や奈良には彼奴等の骸が眠る塚が現存しておる。
美咲が土蜘蛛という妖怪に付いて一通り解説した。それを聞いた士は、とある考えに至った。
「まさか、その土蜘蛛がこの辺の人たちを攫って喰ったってことですか?」
此処は新潟、嘗ては越後と呼ばれておった。件の妖怪の出現記録もある。些か飛躍が過ぎた推測ではあるが、全くの無根拠という訳でもない。しかし、美咲の以降の発言によって、この推理は当たらずとも遠からずの域を出ぬ事が判明した。
「いいえ、それは多分ないわ」
「なんでそんな事が言えるんですか?」
士の質問に、美咲は少し間を空けてから回答した。
「それはね、ここに住んでるほとんどのニンゲンが土蜘蛛そのモノだからよ」
「えっ……!? じゃ、じゃあ、ここは妖怪が棲んでる地域ってことですか?!」
「まぁ、端的に言えばそういうことね。モチロン、普通の人間も居るわよ」
(うわぁ~、エラい所に呼ばれたモンだ……)
美咲から、思いも寄らぬ衝撃の真実を告げられた。唐突過ぎる。だが、何より驚愕すべきは、この事を彼女が知っておったという点だ。ただ、その疑問もすぐに解消された。
「美咲さんはなんでそんなこと知ってたんですか?」
「桜に教えてもらったの。もともとあの人とは知り合いだったけど、これに関しては知らなかったわ。初めて聞いたときは腰を抜かしたわよ」
土蜘蛛は、沖縄を除いた本州以南の色々な所に点在しておる。此処もその内の一つという事か。
「このことは当人たちも知らないわ。みんな自分たちが人間だと思って生活してる。そもそも妖怪が実在してるなんて露ほども思ってないでしょうね」
先述の内容を、屋敷や集落の住人に聞かれてはならぬ。それ故に、密室であり、尚且つ盗み聴きされる心配のない愛車の中で話したのだ。
「そ、それは分かりましたけど、じゃあ、行方不明になった人たちはどう説明するんですか?」
肝心要の、姿を忽然と消した者達について士は設問を打つけた。
「それは……」
「それは?」
「それはね……わかんない」
「は?」
溜めに溜め、勿体ぶった挙句、返した言葉がそれかい。
「ここの住人の正体が土蜘蛛なのは紛れもない事実。けど、だからって行方不明者が多発するワケじゃないわ。ヨソ者や他の街の人たちが居なくなるんならともかく」
「あー、まぁ、言われてみればそうですね。どっちかって言うと、被害者じゃなくて加害者になりそうですもんね、イメージ的に」
妖怪が人間を襲う事はあれども、その逆はほぼない。撃退するにはそれなりの“力”が必須となる為、専門家に委任せねばならんのでな。しかし、今回はそういう事態にはなりそうもないな。その代わり、もっと厄介でややこしい状況に巻き込まれたが。
「ん? そもそも居なくなった人たちって、みんな土蜘蛛なんですか?」
「そうねぇ、少なくともこの家のモノは、全員人間じゃないって聞いてるわ。御大も含めて、ね」
「じゃあ、そこから確認しなきゃいけないんですね」
「ええ。ってワケで行くわよ」
そう言って、軽快に降車する美咲。それに追従する士。決して狭い訳ではない集落を、彼女は徒歩で回る気なのだ。“捜査は足が基本”を地で行っておる。顔や性格、その他からは想像も付かぬ泥臭さである。
勢いをそのままに、士と美咲は真相解明の為、集落に出向いた。神城は、此処の家人の見張り兼留守番。少し寂しそうな顔で二人を見送った。
調査は難航した。集落は意外と土地が広い上、家屋一軒一軒が離れて建てられておるからだ。しかし、メゲずに昼過ぎから日が暮れる頃まで頑張った甲斐あって、それなりに時間が掛かったものの、相応の収穫は得られた。




