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busy  作者: 人事
9/9

エピローグ【蛙味の蛇足】

 父の仕事の事情(じじょう)で転校し、中学校に入学して一年が経過したころだ。きっかけは、調子に乗っていた生意気な言動。容姿も頭も良いと自負していた。他人を見下す傾向にあり、そうすることで自我を保っていた。

 見知らぬ土地の空気に、押しつぶされないようにするだけで一苦労だった。友だちは出来ず、一人でいることに快感を覚えていた。友だちはいらない。地元の友だちとは歯痒い別れ方をしいてしまったが、それでも戻ればきっと仲良くしてくれるだろうと、甘えた考えを持っていた。

 気が付けば孤立し、イジメの対象には打ってつけの対象に成り上がっていた。態度だけは一丁前にでかい。毛嫌いする人間は少なくない。

 蛙の死骸だ。下駄箱に蛙を入れられたのは小学生のころでは考えられもしない仕打ちだった。彼らにとっては軽いジャブだ。それほど痛手ではない。平然としていれば、そのうち治まる事象だろうと、ほとぼりが冷めるのを静かに待った。

 冷ややかな視線に気づかない振りをして登校を続ける。一週間後くらい経ってから、蛙の死骸が下駄箱に詰められることはなくなった。代わりに机がゴミ箱代わりにされた。

 吐き気を催す白い肌の蛙を見ずに済む。机にゴミを詰められる程度で済む。ほっとしてしまった。精神的に負けてしまっていたのだと思い知らされる。それからは散々だった。

 置いておいた教科書を破かれ、鞄に腐った花を詰め込まれ、トイレの水をかけられ、修行僧よりも辛い日々を送っていた。

 一周回って、下駄箱に蛙が突っ込まれていた。まだ生きているやつだ。五匹くらいいただろうか、全部の蛙の口と尻に爆竹が仕込まれていて、下駄箱の小さな戸を開けると爆発するように仕掛けておいたようだ。蛙まみれになった姿は、さぞ滑稽だっただろう。階段の影からひそかに笑い声が聞こえた。

 何もしていない。イジメを受けてからは静かにしていたではないか。

 蛙の味は忘れない。ゴムと絵具臭いスライム、それからニガウリを足して三で割り、焦げた砂利を添えたような味だ。思わず下呂が込み上げてくる。

 限界を突破して吹っ切れてしまった。壊れたのだ。父は仕事で忙しいので構ってはくれず、母には電話が繋がらない。髪をぐしゃぐしゃにして思い出したのが旧友たちだった。

 旧友と連絡を取る手段がない。あまりにも辛い日々が続くものだから、本当に旧友がいたのかさえも分からなくなってしまう。

 典型的な黒板消しの罠。教室の椅子に座ると、足が折れて尻もちをつく。机には油性ペンでの落書き。些細なことにも苛立ちを覚え、心身がやつれていった。

 担任は何も聞いてはくれない。もうだめだ。そう思ったときには、父の働くビルに侵入して屋上の淵に立っていた。家に帰っても一人、学校にいても一人。誰が気にかける。

 乾いた笑いと共にビルとビルの隙間に吸い込まれていく。迷い、躊躇い、この世に何の未練も無い人間がどうして踏みとどまれよう。宙へと投げ出した体はあっという間に落ちていく。視界がコンクリート一色で埋まった。後コンマ何秒で路地裏の地面に叩きつけられるという所で、二人の旧友の顔を思い出す。

 友だちがいたことに涙した。いくら思い出そうと落下は止まらない。鼓膜を破ろうとする爆音に、しばらく気絶してしまったが、自力で目を覚ますことができた。

 すっかり日も暮れて、表通りから差し込む車の明かりが、虚ろな視界の隅でチラついた。ざらつくコンクリートから頬を離し、肘をついて立ち上がる。

 生きている。その事実だけが残る。頭は働こうとしない。燃え尽きたかのように頭の中は白く、思い出したはずの旧友の顔をべっとりと塗りたくった。

 ここからの記憶が曖昧で、なぜその時に端で震えていたホームレスのおじさんを捕まえて、同じビルの屋上から突き落とそうとしたのかは謎のままだ。その時は一人の旧友のことを思い出していた。ブランコから物凄い高度まで飛び上がっても、無傷で着地した旧友のことだ。転校するときに告白してきた旧友のことだ。

 その旧友のことが好きだった。けれど同じくらい、もう一人の旧友のことも好きだった。だからその旧友の告白に答えることはできなくて、ひどく後悔した。

 忘れようとして忘れたのに、都合が悪くなるとまた求めようとする。馬鹿も大馬鹿、救いようのないクズだ。イジメを受けて当然だ。飛び降りて当然だ。

 後日、何事も無かったかのように学校へ登校した。イジメが何だ。一度、死んだ身で何を恐れる。怖いのは今ある繋がりが断ち切れることだけだった。

 不死身を体感、また実験による追求を繰り返すことだけが日常になっていった。繋がりを再認識するにはそれが手っ取り早く効率が良い。他人を突き落すことに罪悪感はない。

 繋がりを認識して生きようとした。生きて繋がりを認識しようとした。どちらでもいい。二人だけの友だちにまた会おうとすることだけを生きがいにしていたことは確かだった。

 父と母が寄りを戻そうとして、地元に戻るチャンスが舞い降りた。5年は長い月日だ。

 地元に戻るや否や、その田舎と都会の境目のような風景を見て走り回った。それから、四月から通う学校を探索しに行った。地元では有名な学校なので、もしかしたらと思い、担任になる先生から名簿を借りると二人の名前を見つけた。同じクラスだ。

 太鼓でも鳴らしたい気分になる。一先ず高揚するテンションを抑えて先生と別れると、学校内を探索した。しらみ潰しに見て回るが二人の姿は見られない。帰宅部なのだろう。

 残る場所は屋上だけ。中学時代の居場所と言えば、屋上以外に無かった。解放されていた屋上は鳥のフンや雨でひどく汚れていて、人が立ち入れるような場所ではなかった。

 中庭から屋上を見上げる。屋上で布のような物が、ちろちろと蠢いたような気がした。知らず知らずの内に駈け出していた。一段飛ばしで階段を上る。

 立ち入り禁止らしいが、扉が開いていたので遠慮なく外に出た。

 屋上は鉛色のフェンスで囲まれていた。橙に呑まれていく街並みが目に飛び込み、視線は次第に手前手前へとくぎ付けになっていく。

 フェンスの向こう側に誰かがいる。人影に向かって走り出していて、軽い身のこなしでフェンスを乗り越えた。

「飛び降り、いくないよ!」そう、説得していた。愚かにも過去と重ねてしまったのだ。

 人影は学校指定の制服を着ている短髪の女子だった。体のいたるところに絆創膏とガーゼを貼っている。どの応急処置も不格好で生傷が見え隠れしていた。

「な、なんですか突然」

「だからダメだって、早まっちゃいけないって、絶対後悔するんだねえ!」

 動揺するのも無理はない。知らない人間にいきなり説教されているのだ。

 それでも制止を続けた。

「だから、なんの話をしてるんですか……というか貴女はどこの誰です。言っておきますけど、飛び降りる気なんてないんで、そこのところ分かってくれませんか」

「よかった、そうなんだあ。あ、私は今日この地元に戻ってきた転校生、つまり出戻り転校生で、高橋夢って言うんだ……じゃなくて、言います。二年生です」

 謙虚で静かでお淑やかに。戻ってくるときに態度を改めると決めた。旧友二人を驚かせたいと言う理由もある。

「私、一年ですから敬語じゃなくていいっすよ」

 短髪女子は狭い足場に腰を下ろして、足をぶらぶらさせた。

 どこか拗ねたように見て取れた短髪女子の隣に座る。

「なにか、やんごとなき事情でもあるんですか?」

 短髪少女の全身の傷が気になり尋ねた。

「ないですよ。ありません」

 その二言が貰えただけで十分だった。いいことを思い付く。

「そうか。無いんじゃあ、しかたないね。私は見なかったことにするよ」

「どういう意味ですか」

「私は、一切関係ないですよ。私は私を助けてくれた人に任せることにする」

「意味わからないです」

「じきに分かるよ、私のことも。そのときは貴女のことも知りたいかな」

「貴女あれですね。頭が良くて他人の話には合わせられるけど、いざ自分の話をするとなると他人に理解されないタイプの人間ですね。聞き上手、話下手みたいな感じの」

「トラウマなんだからやめてよお……掘り起こさないでよお」

「図星ですか……」

「貴女はなんでこんなところにいるの?」

「さっき見なかったことにするって言ったばかりですよね」

「何時何分何秒から見なかったことにするかを決めてはいないはずだけど」

「めんどくさい人に捕まってしまった。一生の不覚を通り越して末代までの恥です」

「うえぇ初対面の人に対する態度にしては辛口すぎませんかあ……」

「好きでここにいるんです。なにか文句でもありますか」

「一人で楽しい?」

「なんですか、他人にどうこう言われる筋合いはないです」

 短髪少女の目線は一直線、遠くにある棒に向けられていた。棒と思わしきものは何かの建設物のようだった。思い出せないのが悔しい。

「ははっ、そうだよね。一人でいる意思を持ってここにいるんだもんね」

 立ち上がって、短髪少女に別れを告げる。頼りになる旧友をどのようにして傷だらけの短髪少女と鉢合せさせるか、頭の中はその計画で一杯だった。

「その意思を捻じ曲げてくれる人が現れるはずだよ。それまで、頑張るんだよ」

 短髪少女の目の前から飛び降りた。きっと驚いている。

 短髪少女が眺めていた建設物であろう棒を目指して歩き出した。

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