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busy  作者: 人事
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第四話【三人が見たヒーローショー】

 黒須はろくな食生活を送っていない。出会ってから一週間が経って、こいつの昼食が『葬らんバット』だけだと知った。育ち盛りの娘が質素な食事をしていては、体だけでなく精神までやつれていってしまう。

「先輩はあれですね。人を迫害することに快感を覚えるゴミクズどもと同じですね」

 食い千切られた『葬らんバット』が、黒須の煮えくり返ったはらわたに収められていく。黒須は『葬らんバット』を燃料に、火を吹きながら今にも襲いかかってきそうだ。

 一段目に日の丸ご飯、二段目にキャベツとレタスの緑を基調とし、パプリカで彩っただけの簡単なサラダと、焦げ目付きのソーセージを詰め込んだ二段式の弁当を作ってきた。豪勢な料理が作れるほど台所に馴染みはない。毎日、加藤先生の分も弁当を用意している笹倉さんには尊敬の念を抱くばかり。

 昼の黒須の態度を目の当たりにし、自分なりにがんばって作ったはずの手料理を、屋上から遠くに見える鉄塔に向けて放り投げてしまいたかった。

 お節介を焼いたのは俺だ。悔い改めて、定位置となった黒須の隣に腰を下ろす。

(おお)()らいなんですね」

 二つの弁当箱を見て黒須は驚くように言った。無表情が崩れない顔面は驚いている風に見えないので、微妙な声色を聞き分けなければならない。あと一週間もすれば黒須に耳を調教されきってしまうことだろう。

「お前に弁当作った。けど昼のお前は虫の居所が悪そうだから渡そうかどうか迷っている」

「先輩ラブ愛してます結婚を前提にお付き合いしてください」

 手の平返しくらいで腹を立てるほど俺も短気じゃない。

 弁当箱を手渡すと、黒須は感嘆の息を漏らした。

「こんな立派なお昼にありつけるなんて……あぁ私は愛されている。愛されていいんだ」

 口に手を当てて、演劇部顔負けの演技で感動を露わにする黒須。

「大層なもんでもないけどな。簡単なものでいいなら、これからも作ってくるよ」

「先輩がデレ期に入って困惑中。お箸、貸していただけませんか」

 黒須の分の箸を忘れてしまった。幸い、俺も昼食には手を付けていないので、俺の箸を渡して先に食べているように言う。階段を下りて購買で箸を貰った。



 わりばしを片手に階段を上っていると、髪の長い女性に捕まった。学校既定の制服を着た女性は高橋夢だった。文字通り、手首を掴まれて捕まった。

 どこに連れられていき、どんな処罰を受けるのか。肝を冷やして腹を括る。夢に聞いても静かな笑みを浮かべられるだけ。

 一階の渡り廊下から、(りょく)(えん)広がる校舎の中庭に出た。傍のベンチには、笹倉さんと大塚さんが座っていて、その正面に坂井が立つ。ご飯を食べながら仲睦まじく話をしていた。

「連れてきたんよー」

 夢と一緒に輪の中に入った。夢がこの学校に来て二日が経った。これから先、この五人で集まることが多くなるだろう。「転校生には居場所を作ってやらないとな」と言った坂井の粋な計らいだ。不要因子の俺と坂井が乙女の(その)に立ち入って罰が当たらなければいいが。

 切り出し役を担う坂井がむさ苦しい声でいった。

「どこに行ってたんだよ。付き合い悪いぞ」

「……どこに行こうが俺の勝手だろう」

「昔話の続きを聞かせてくれよ。小中ん時は学校が違ったから、知っているつもりでも知らないことの方が多いからなあ。それに夢のことも知っておきたい」

 坂井の無神経な態度は、かえって清々しい。

「笹倉さんも言ってやってよ。ただの幼馴染の三人組だって」

 先日、転入との関係の誤解を解くべく、簡潔にまとめて坂井には話している。それ以上に話すことなど何もない。だから今日の昼は黒須に会うため屋上へ出向いた。

「わたしもそうは言っているんですけど」

 笹倉さんもしつこく質問されたようで、疲れ気味な様子。

「だってありえないよな。色恋の臭いがプンプンする関係じゃねえか」

 女の子二人に、男の子一人を思い浮かべてみよう。小学生の女の子二人が、一人の同学年の男をめぐって妬み合う展開を期待しているのだろうか。微笑ましい光景だった。

 実際は、俺が夢に片思いをしていただけだ。こうして囚われの身になろうとも、口を割ってやるものか。徹底的に弄られることを見越して四時限目のチャイムに合わせ、一目散に黒須の下へと逃げたのだ。

「小学生の色恋沙汰なんて話のタネにもなりやしない」

「そう思っているのはお前だけ」

 坂井と大塚さんは聞きたがっていた。貪欲な眼差しを向けられて後じさる。

 それでも俺は否定してこの場から抜け出そうとする。

「でも、桜も夢ちゃんも鈴木君のことが好きだったんじゃないの?」

「どこにでもいるような友だちですよ。なあ夢」

 俺の顔は引きつっている。焦っている理由が自分にも分からない。早く黒須に箸を届けなければならないからかもしれない。

 不敵に笑う夢だったが俺の心情を察してくれた。持つべきものは古き良き友だ。

「そうそう、普通の友だちだって。少なくとも私はそう思っていたんだよう」

「わ、わたしもだよ」

「桜は許されないよね」

 笹倉さんの同意は、大塚さんにばっさりと切られてしまう。

「委員長は平治のことが好きだったのか」

「違います! 全然好きじゃないです!」

 笹倉さんは痴漢を捕まえられなかった俺を恨んでいるようだ。胸に杭を撃ち込まれた気分を味わう。役立たずはこの世から淘汰されるべきなのだ。

 そうに違いない。笹倉さんの言うことは何もかもが正しいのだ。

 俺の壊れかけの心を余所に会話は弾む。皆が楽しそうで何よりだった。この場から席を外そうとしたが、夢と坂井に襟首を掴まれる。

 これからこの二人に振り回され、日々を浪費していくのか。諦めて開き直り、気楽に考える。心優しい笹倉さんもいる。大塚さんのスポ(こん)精神も嫌いじゃない。

「A組の可愛い委員長にソフト部のエース、そして超絶美人転入生。言うこと無しだな」

 坂井の鼻の下は伸びるばかりだ。やはり俺と坂井はこの場に相応しくない。どちらかと言えば、美女三人の華やかな会話を余所から眺めたい。

「バイトに明け暮れるダメ人間と怠惰に生きるダメ人間が居なければな」

「私はヘージ君のことが大好きですから居てほしいけど」

「普通の友だちって言ったばかりだよな。もっと発言に責任を持ってくれ」

「なぁなぁ夢さんや。俺は居ちゃいけないのか?」

「さかいくんはどっちでもー」

 夢にぞんざいな扱いを受けて坂井は肩を落とす。ツッコミが追いつきそうにない。

 黒須が居た日には、混沌としたランチタイムになるだろう。大塚さんもどちらかと言えば、坂井側の人間だ。

「夢は部活とか入らない? 一緒にソフトボールやらない?」

 ソフトボール部で活躍している大塚さん。

 一年生の身でありながら去年の全国大会出場に貢献した、運動部内では知る人ぞ知る有名人。と坂井が自分のことのように謳っていた。

 俺が「バイト生活に明け暮れるお前が何故、そんなことを知っているんだ」と問えば、「そりゃかわいいから」と坂井らしい返答をされた。

 一学年およそ240人もの生徒が6クラスに分けられ、授業を受けている。全員の顔を把握するのは困難だが、同学年の有名人を覚えるのは常識らしい。

 格好つければ、優劣をつけて人を見たくなかったと言えよう。実際のところ、顔も知らない人物を覚えるのが面倒臭いだけだった。

 進級して同じクラスになり、初めて大塚さんに声をかけられたのは、俺が委員長に決定した四月上旬の時だ。気さくに話しかけられ、「桜のサポートがんばってね、鈴木君」と背中を叩かれたのは記憶に新しい。後から坂井に聞かされて、その気さくな女性がソフト部のエースである大塚千尋(ちひろ)さんだと知った。

 筋肉質な女性を想像していたのだが、身長は笹倉さんよりやや高く、少し太もも周りに筋肉が付いているくらいで、大塚さんのことは一般的な女性と呼称できよう。

 大塚さんと夢が並ぶと、まるで姉妹のようだ。足の長いルックスもそうだが、かもし出す雰囲気が似ていた。

「私は部活やらないんだ。ごめんね、折角誘ってもらったのに」

 夢はこの学校に来ても部活を始めないらしい。熱心に取り組めるものを一つ見つけたらしいから、そちらを優先したいのだろう。

「いいよ、気にしないで。気が変わったらいつでも見に来てね」

「ちひろちゃんは昔からソフトボールをやってるの?」

「昔はチビで、よく苛められてたから。小学五年生くらいかな。強くなろうって決めてソフトボールクラブに入ったんだ。それからずっとソフトボール人生を辿ってきたわけよ」

「ずっと続けているなんて凄いんだよ」

 始めた理由は違えど、俺も小学五年生から陸上部に入部した。子どもが体を無性に動かしたくなる時期が、丁度このくらいの時期なのかもしれない。

 相槌を打っていた夢は、他の二人にも尋ねる。

「ヘージ君は帰宅部でしょ。さかいくんとさくらちゃんは何部なの?」

「俺はバイト部」

 平然とホラを吹く坂井は、地獄に落ちることだろう。坂井に代わって俺が説明した。

「坂井も中学卒業までは陸上部に所属してたんだよ。怪我を患った今は、放課後にバイトを入れてる」

「平治の数少ない友だち()つ親友の坂井翔(かける)だ! 改めてお見知りおきを」

「よろしくなんだよ。さくらちゃんは?」

「わたしも帰宅部なんだ。皆と違って、どん臭いから勉強だけで手一杯」

 笹倉さんの強烈な一言が、俺を含む三人に深刻なダメージを与える。

 笹倉さんに悪気はない。自嘲して頬をかく彼女は聖女のように眩しい。

「さくらちゃんは変わってないんだね、偉い偉い」

 笹倉さんは「偉くないよ。昨日の英語の授業と今日の体育。夢ちゃんこそ相変わらず文武両道で、驚くよりも先に、なんだか安心しちゃった」と、その場で胸を撫で下ろした。

 文武両道の夢。俺が夢のことを好きになった経緯を思い出す。勉強も運動も、そつ無くこなす夢は皆の尊敬の対象だった。

 思い出している内に俺は恥ずかしくなって、仲良く話しをしている笹倉さんと夢から目を離した。握りこぶしには、わりばしが握られていて、咄嗟に屋上へと顔を上げる。

 地上からでは金網部分しか見えない屋上に、黒須の姿は無い。

 五時限目始業のチャイムが学校中に響き渡る。放課後になったら謝罪しよう。



 放課後のホームルームで加藤先生は、五月下旬の中間テストについて生徒たちに注意を(うなが)した。以前「生徒を平等に扱うことよりも、積極的に競争させることこそ、学び舎の真意である」と豪語した先生は、げんなりとした生徒たちを脅すように言う。

「仮にも特進の名が付く文系クラスだからなー。赤点なんて取ったら補修だけじゃ済まされないと思って、今の内から備えておくように。部活が忙しい、教師の教え方が悪い、なんて言うくだらない言い訳は誰も聞かないからなー。以上、今日も一日おつかれさま」

 高圧的な先生は苦手だが、きっちりと挨拶で締めてくれる辺り、尊敬はしている。

 ホームルームが終わり、どっと騒がしくなる教室。部活動に向かう人たちに紛れて、坂井はバイトへと足を急がせていた。すぐに背中が見えなくなる。

 夢の視界をかい潜り、俺も教室を出る。屋上に続く階段近くで人波が消えるのを待った。

 人の目を気にしつつ、素早く屋上に移動する。勉強、部活、バイトで忙しい高校生たちと同じように俺も屋上掃除で忙しい。一週間前までの怠けた精神も洗い流されているようで、非常に爽快な気分だった。

 屋上から生徒たちの下校風景が眺められる。視力は良い。笹倉さんと夢が並んで歩いて、東門から帰宅していくところを見つけた。

 二人とも仲が良さそうで何よりだ。あまり身を乗り出すと教師に見つかり、ややこしい事態になりかねないので、ほどほどにして掃除へ戻った。

 掃除と言っても、洗剤とデッキブラシで目立った汚れを落とすだけ。小難しいことを考えず、頭を空っぽにして隅の方から綺麗にしていく。

 意識外で鳥のフンを数え、只々ブラシを動かしている内に辺りの景色は紅色(べにいろ)に染まってきていた。もしかしたら黒須は夕日が好きなのかもしれない。街の彼方に沈んでいく夕日は哀愁を漂わせる。

 どうも近頃は、身も心もおっさん臭くなってきた。食欲が湧かなかったり、夕日や桜に美学を感じたり、目的無く生きていると年波が加速していくのか。

「公務員の清掃業務も悪くないな……人件費削減の対象になってなきゃいいけど」

 老後は緑の多い山内に木造の家を建てて、安らかに人生の終止符を打ちたいものだ。

 デッキブラシを杖にして実りのない人世設計をする。こんなダメ人間と共に一生を終えたい女性は、日本中を巡り回っても見つかるか分からないから、非結婚願望に身を委ねた。

 顔は悪くない方だと信じたい。顔はさておき、身だしなみは疎かにしがちな性分だ。

「せんぱーい、せんぱーい」

 寝癖で頻繁に跳ねる髪を弄っていたので、黒須が屋上の扉を開けて入ってきたことに気付けなかった。前触れもなく黒須の無機質な声が聞こえたため、驚いて放してしまったデッキブラシが倒れ、カランと軽い音を立てた。

「おぅ、どうした」

「どうした、じゃないですよ。昼は戻ってこないし、声かけても反応しないし、先輩こそどうしたんですか」

 黒須がブラシを拾い上げてくれる。

 ブラシを受け取り、屋上の扉を開けた直ぐ傍に片付けておく。地上からの死角である金網に体を預けた黒須と、恒例になった雑談を始めた。

「先輩の弁当、食べそこなったんですけど」

「悪い。わりばしを貰いに行く途中で友人に捕まってな。無理して食べなくていいぞ」

「私が食べ物を粗末にするような人間に見えますか。心外です」

 箸を貰うなり、黒須は弁当をおもむろに頬張った。冷めたご飯を食べると心も冷めるらしいが、それを食べようとしてくれる黒須の優しさは温かいものだった。

 見た目に反して黒須は頑固なのだろう。冷めきった弁当を食べている様子から、強い意志を感じた。黒須に調教されつつ、黒須の事を知っていく。いらぬ好奇心で共倒れするよりも、ゆったりまったり、この時間を楽しんでいたい。

 黒須に気を遣わせないよう、俺も昼の弁当を食べることにした。手抜きの冷めた白飯だ。夕ご飯と一緒に処理するなら、先に食べてしまっても同じこと。

「おかず無いんですね。私の分を差し上げます」

「夕飯が近いからいいよ。えみもほどほどにして、弁当を返してくれていいんだぞ」

「いきなり名前で呼ばないでください……ぞっとします」

 さりげなく呼んだつもりだが、気味悪がられていては世話がない。

「友だちは名前で呼ばれたがるんだ」

 呼ばれたがる、とはまた違う印象だが、適切な表現が思い浮かばなかった。

「男、女?」

「どっちも昔馴染みの女の子だ」

「先輩の頭の上に人工衛星でも降ってこないかな……」

 宝くじの当選確率よりも低い願望を聞き入れてくれる、寛容で暇な神様はいないだろう。

 あからさまにへそを曲げられた。黒須は夕日の方にそっぽを向いて弁当を食べる。

 女の子の扱い方は難しい。黒須も夢も、たまに笹倉さんもよく分からなくなる。

 お互い弁当を食べ終えると、無口になってしまった。毎日、決まった時間帯に会っていれば話題も尽きる。俺が口下手なだけなのかもしれない。

 黒須は静寂を好む。それだけが救いだった。

 うとうと、と眠りそうに黒須には悪いが、相談するべきことを思いついたので聞く。

「どこか遊びに行くとしたら、黒須はどこに連れて行ってもらいたい?」

 詳細を教えてもらっていないが、夢と遊びに出かける予定だ。出来れば楽しませてあげたい。女の子の喜びそうな場所を、一人で思い付きそうにない。

「無理に話題を作ろうとしなくても結構ですよ」

「そう言うなよ。参考にしたいんだ」

「女の子なら、ってことですか。一か月後にはテストなのに浮かれてデートだなんて、先輩は頭が良いんですね。デートする暇があったら、いそいそ私の為にカンニングペーパー作ってくださいよ」

 駄々っ子のように、黒須は金網を揺らす。

「デートってわけでもないから、黒須も一緒に行かないか?」

「空気ぶち壊したくありませんし、遠慮しておきます」

 黒須と夢は仲良くなれそうだ。いつか紹介してあげたい。癖の強い性格をしているが、黒須も良いやつだ。誰とでも馬が合う夢なら、それこそ相談相手になってくれるだろう。

 黒須は立ち上がって言った。

「好きな人になら、どこに連れて行ってもらっても嬉しいと思いますよ。こんな答えが欲しかったんですか」

 棘のある言い方だったが、怒っているようには聞こえない。

 金網を握りしめ、黒須は相好を崩す。夕日の沈む方角から外れた、街の彼方を見据えた。

「私なら――私なら、あそこに行きたいです。あの未完成の塔」

 小さく指差したその先には、天辺の欠けた四角すいの鉄塔が佇む。

 観光名所を目的として作られた鉄塔だが、近隣住民の抗議活動と賃金に見合わない過酷な労働を強いられた作業員のストライキによって、解体もされずに十年ほど前から、長らく放置されている。

 街の発展を願った当時の市長の行動力には感服するが、後始末はちゃんとしてほしい。

「高いところが好きなんだな」

 黒須に「バカと煙じゃないんですから」と嘲笑されてしまう。

「私はあの塔が好きなんです。あれは人の想い、正義の塊ですから。街を賑わわせるために造られることになって、けど危険性を重視した近隣住民は反対し、建設に携わった人たちもボイコット。どの想いも正しくて美しいですよね」

 人が変わったかの様に、黒須は語る。崇拝に近い絶対的信仰心を感じた。

 初めて黒須は自分のことを話してくれた。余程、好きなものだと(うかが)える。

「他にも、特別な思い出とかあったりするのか」

「勘の良い先輩は好きですよ。父が作業員の一人だったんです。建設中止が決まった時に、父の背中に乗って塔を上りました。あれの半分ほどの高さから見下ろした街の景色が、とても綺麗で、忘れられたくても忘れられません」

「俺は寄ったことが無いから分からないが、立ち入り禁止になっているわけじゃないだろう。機会があれば一緒に見に行かないか」

 塔内に侵入はできないとしても、地元の人間として一度は見ておくべきだ。

 俺の見解は黒須によって覆される。無計画の慣れの果てでしかなかった鉄塔も、視点を変えてみると、面白い解釈ができるものだ。

 無表情でいることが多い黒須を虜にし、我を忘れさせる景色は、十やそこらを生きてきた若輩者には想像できない美しさなのだろう。

 黒須は、「喋りすぎましたね」そう静かに呟くといつもの無表情に戻り、帰り支度を始めた。『葬らんバット』が詰め込まれているバッグを片手に、屋上の扉に手をかけて、最後にこちらを振り向いて言った。

「先輩と二人ならいいですよ。とりあえず、テストが無事に終わったらですけど」

 皮肉染みた笑いを残して黒須は帰っていった。

 なんにせよ、黒須とも約束をした。忘れないようにしなければならない。



 帰宅して早々、頭を抱えることになるとは思わなかった。玄関には、見覚えのない二足の靴が揃えられている。栗色のローファーと、藍色の線が入ったランニングシューズだ。一目で学生が来訪しているのだと理解した。

 妹は学生寮に下宿しているので、次に顔を合わせるとしても、八月の長期休暇、早くても来週から突入するゴールデンウィーク内の筈だ。サッカーをやる為に高校を選んだ奴が、ホームシックに悩むものか。

 父は単身赴任、母の友人とも考えにくい。時間も時間だ。一般常識を持たない人間の仕業に違いない。

 該当する人物は一人だけだが、もう一人は誰だろうか。

 居間から出てくる夢に驚きはしない。

「おかえりなんだよう」

 笑顔で出迎えてくれるのは嬉しかった。なぜここにいるのかという疑問も、まずは置いておく。あと一人は誰だ。

 夢を無視して居間を覗きに行くと、短い髪の女性が肩肘張ってソファーの片隅に座っていた。居間のテレビにはバラエティ番組が映っていて、夢と二人で見ていたことが容易に想像できた。

 まさかとは思っていたけれど、笹倉さんが家に来てくれるなんて。

 中学に進学してからは、出会う機会が少なくなり、めっきり遊ばなくなった。一つ学年が下の妹には仲良くしてもらっていたが、それでも家まで赴いてくれた日はない、と記憶している。

 それとも、俺が部活から帰ってくる前の時間に家に遊びに来ていたのだろうか。考えたこともなかった。妹がいらぬことを教えていなければいいが。

 笹倉さんは、ぎこちない仕草で立ち上がった。この世の終わりが来たかのように顔を青ざめてから会釈する。

「お、おじゃましてます」

 とりあえず頭を上げさせて経緯(いきさつ)を尋ねた。

「それは私が説明するんだよ!」

「笹倉さんから聞きたいかな」

 テーブルの上に出ていたコップに茶を注ぎながら聞いた事情は、単純だったけれど理解には苦しむ。夢が俺の家に遊びに行こうと提案したところに偶然、友人と飲みに行く約束をしていた母が現れて、二人は留守番を頼まれたらしい。

 なぜ俺の家に遊びに行こうと考えたのか。強いて疑問をあげるならそれくらいだ。

「だって暇だったから。さくらちゃんの家でも良かったんだけどね、どうせなら三人で遊びたいなって思って」

 ソファーに座る夢は、ポットを持って立ちっぱなしの俺を見て弁明する。表情から人の心を読むのが上手いやつだ。

「母が迷惑をかけてすまない。留守番してくれたお礼ぐらいさせてもらうよ」

「大丈夫ですよ。望んで此処にいるわけですから」

「よしじゃあ三人でデートしよう、デート」

「そういう訳にもいかない。と言っても笹倉さんにはどんなお礼をすればいいんだろう。勉強を教える側になれないから困ったな」

「デ、デートでお願いします」

 夢の意見を横流しにした途端に、笹倉さんの口からも同じ意見が出てくるなんて予想できるものか。反応に戸惑い、沈黙を作った。テレビから聞こえてくる歓声が耳を突く。

「夢ちゃんと買い物に行くから、着いてきてくれると嬉しいです」

 そう後述する笹倉さんに、焦りの色は見られない。

「あ、あぁそういうことならお安いご用です」

 俺は慌てて、自分の分の茶を飲み干す。動揺から羞恥へと移る心情を悟られないよう、自然な動きでビデオデッキの電子時計を確認した。

「私へのお礼はないの?」

「保留ということでお願いします」

「なんで他人行儀なのぅ」

 時間は八時を過ぎている。声が裏返らないことに注意を払って尋ねた。

「二人とも、もう遅い時間帯だけど帰らなくて平気なのか」

「私は家に誰もいないからねえ」

「わたしは、家の人には連絡してあるから」

「二人がいいなら補導の時間を跨くことさえなければ、いつまでも居てくれていいんだが」

 心配は無用らしい。遅くなったらなったで、俺が家まで着いていってあげればいい。

「ご飯は食べた?」

 聞くと、二人は虚を突かれたかのように首を横に振った。

 もう帰らせることにした。強く念を押し、「どうせ来週には買い物ついでに遊びに出かけるんだから」という屁理屈も付けて、二人に靴を履かせる。

 笹倉さんも夢も、昔の様に遊びたいのだろう。俺も少なからずそう思っている。

 三人とも、心や体が成長しているからこそ、焦らず、空白の時間を埋めていくべきだ。昔の様な関係にはなれなくとも、近づくことくらいはできる。

 俺と同じで、笹倉さんも夢との唐突な別れを悔やんでいる。感情が表に出やすい人なので、すぐに分かった。でなければ俺の家にまで来るものか。

 優しい人だから自分に非があると思っているのかもしれない。

 雑談しながら三人で夜道を歩く。三人の家を線で結ぶと正三角形ができてしまうほど、それぞれの家までの距離は等しい。最初に笹倉さんの家を目指したことに他意はない。

「二人ともありがとう。また明日」

 二台の軽自動車が、ぎりぎり通れるであろう十字路で笹倉さんは立ち止まった。

 俺は思い出と周囲の風景を照らし合わせて、笹倉さんの家を探した。十字路を真っ直ぐ行った三軒目の家だった。

「さくらちゃん」

 別れようとする笹倉さんを、夢は引きとめる。急に隣で声を張るものだから驚いた。

 夢が亜神妙な面持ちになったのは一瞬の出来事で、溢れんばかりの笑顔を作って言った。

「また明日ね」

 笹倉さんもそれに笑顔で答えて帰って行った。

 二人の間にわだかまりは残っていない。俺の思い過ごしだった。一歩引いて遠慮しているのが俺だけだったとは、まさに蚊帳の外。

 額縁の外から見れば俺はいらない子だ。同意を求め、慰めてもらおうと苦笑する。

 だが夢は無視して歩き出した。

「ほら早く帰ろう」

 夢の態度に嬉しくなってしまう。夢の後を追った。

 俺たち三人は幸せな夫婦みたいに思えた。夢が夫、笹倉さんが嫁、さしずめ俺はペットの犬か猫と言えば道理に適う。犬みたいに尻尾を振って二人の主人に着いていく。

 仲の良い二人を見られればそれでいい。昔の俺なら強引にでも割り込んで仲間に入れてもらおうとする。月日は人を変えた。

 隣を歩く夢の口元は、だらしなくほころんでいる。

「さくらちゃん、すんごく可愛くなったね。性格も純情乙女だからいいお嫁さんになるね」

「釣り合う男がいればいいけどな。いっそのことお前が(めと)っちゃうとか」

「……それだ!」

 軽口に対して全力で答えるのは止めていただきたい。長い年月を経て、夢には蛇足が付きすぎていた。黙っていれば清楚美人なのに、勿体ないことこの上ない。


     +


 後日、黒須も誘ってみた。俺なんかより二人の方が相談相手になるだろう。

「遠慮しておきます、連休は勉強に集中したいので。連休初日は用事もあります。先輩たちの予定には合わせられそうにないです」

 眉をひそめて怪訝そうな表情を浮かべられたため、俺は反射的に地面を()るようにして、たじろいだ。

「それじゃ、また再来週に会いましょうね先輩」

 腕ずくでも誘うべきだったか。黒須の後ろ姿からは、いつも以上に孤独を感じた。

 ネガティブ思考は非生産的でしかない。心配せずとも、卒業するまで機会はいくらでもあるのだ。一人でもいいので友だちを黒須に作らせる、という目標を抱いていた。

 代わりが居れば、俺も後腐れなく卒業できるからだ。


     +


 俺と夢と笹倉さんの三人は約束通り、連休の始まりから買い物の旅へ出る。

 電車から降りて駅を出ると、所せましと車の行き交う街が待っていた。立ち並ぶビルが太陽の光を跳ね返す。異様に眩しい。夏になれば灼熱地獄の街へと変貌することだろう。

 久しぶりに街中まで遠出した。夢は引っ越しの時に寄ったくらいで、笹倉さんも用事という用事がないから、来る機会は少ないようだ。

「一年前くらいに千尋ちゃんと遊びに来たくらいかな……あまりオシャレとかしないから」

 申し訳なさそうに照れる笹倉さんだが、服装に気合が入っているように見えた。襟袖にレースの付いた白桃色の膝丈ワンピースは、彼女のイメージにピッタリだ。季節感も疎かにしていない。足元も登校用の靴ではなく、服に見合ったサンダルに履き替えてある。

 対して俺と夢はTシャツにジーパンだけ。俺はいいとして、夢はもっと女子としての自覚を持つべきだ。

「じろじろ見ないでよ。恥ずかしい」

 夢は腕を組んで胸を持ち上げる。言動と行動が噛み合っていない。イヤらしい目つきで、俺の反応を楽しもうとしていた。

「で、どこに行くんだ」

 胸だけで欲情すると思われては困る。肉親に妹がいるのだから耐性くらいついている。

 笹倉さんの方にも目配りしつつ、平然とした態度を装った。

 夢はつまらなそうに唸る。

「家具とか大きなものを買う予定はなくて、私物ばかりになっちゃうんだけどね。服とか食材とかパソコンとか、かな」

「待ってくれ。パソコンに詳しくないんだが、どうすればいいんだ」

 聞きなれた電気用品の名前が買い物リストに含まれていて焦った。メモリやCPU性能くらいなら知識として備えてはいるが、それ以外の事はからっきしで、答えられない。

 まさか笹倉さんが知っているなんてこともないだろう。

「ヘージ君にお願いするのは荷物持ちだから安心していいんだよ」

「留守番してくれた礼だからな。こき使ってくれ」

 駅近くのショッピングモールは一通り見て回っているそうなので、大通りを横断して女性向け洋服店に入っていった。店内は広く、カジュアルな服から仰々しい不格好な服、めでたい式場に着ていく正装まで揃っている。

 服の品揃えから、10代から50代くらいまでの幅広い年代をターゲットに置いているように見える。夢が言うにはチェーン店らしい。

 男向けの洋服店を徘徊する機会が少ないため、オシャレに関しては無知である。身だしなみにも気を付けなければならない。今日の笹倉さんの服装を目の当たりにして思い知らされた。

 せめてダサい格好だけは避けなければ。しかし、男なんてTシャツを着てジーパンを穿くだけでいいのでは、といった概念も捨てきれない。

 街を歩いている途中で見かけた男性たち。金髪で耳ピアスやネックレスを首から垂れ下げた、いかにもロックミュージシャンのような人や、チェック柄の服を着ている地味な人たちとすれ違い、個性の重要性と第一印象のイメージを身に染みて感じた。

 坂井も身だしなみには(うと)いはずだ。俺と一緒にいるときはジャージが多い。いつの日か、小物として高そうな銀色の腕時計を身に着けていたような記憶が(よみが)える。

 合わせていてくれただけで、ちゃっかりオシャレには気を配っているのかもしれない。交友関係が広い坂井ならありえる。立ち振る舞いは豪快な奴だが、変なところで気を遣ってくるから憎めない。

 夢と笹倉さんから離れ、服の裾を引っ張っていると店員に声をかけられた。少し老け顔の女店員さんだった。

「男性の商品もおいておりますが、いかがでしょう?」

 男性の衣服も扱っているようで、肩身の狭い男性社会を再現したかのようなスペースを紹介された。カップルや夫婦の客も対象としているのかもしれない。

 手のひらを見せて案内を断る。二人に服を選んでもらいたかったが、今日は二人の買い物の日だ。自粛しよう。

 服を吟味している二人の邪魔にならないよう、けれど離れすぎて変態扱いされないようなところで大人しくしている。男性服のコーナーで時間を潰せられれば良かったが、四畳分のスペースしか設けられていないため品数も少なく、店員の案内を断った身として行こうにも行けず。

 露出の多い派手な服を手に取って、二人は互いの肩に合わる。

「似合わないねー」

「夢ちゃんは似合ってると思うけど」

 微笑ましい光景だ。夢に手招きされるまで俺は和んでいた。

 服の試着をしてくる二人に、「似合っている似合っている」と二つ返事をした。笹倉さんは水色のタンクトップにハーフパンツを穿いた夏っぽい格好を、夢はタートルネックのセーターを着て秋冬の服装をしていた。

 可愛さのあまり異性として見てしまいそうになる。自分の心が醜く汚れていることを自覚した。感情を押し殺して二人から目を反らす。

 肌色の面積が多い笹倉さんは恥じらいを隠しきれず、体を縮めている。

「うう……変じゃないかな」

「変じゃないです。その、とてもかわいいと思う……います」

 俺の声は上ずっていた。笹倉さんも「あう」としか呻かない。

 夢が居なければ、閉店の時間までずっと赤面にらめっこをしていたことだろう。隣の試着室にいる夢は、腰に手を当てて偉そうにふんぞり返り、その大きな胸を強調させていた。

「あぁうん、お前も可愛いよ」

 余裕のあるセーターの上からでも、はっきりと分かる胸。女性としての立派な象徴だから文字通り胸を張って誇ればいい。

 大きくても小さくても、俺はどちらでもいいと思う。どちらか決断しろと言われれば、小さい方を選ぶ。だが、大きい方が嫌いと言ったら嘘になる。女性の価値は胸ではない。

 人の魅力は内面にある。そう、心得ているけれど、ほとんど外面だけで第一印象は決まってしまう。スタイルの良い笹倉さんと夢に挟まれて歩ける俺は、周囲から羨ましがられていることだろう。

 内面も外面も、美人に育ってくれて嬉しい。

 熱くなる目頭を押さえた。嫁入り前の娘がいる男の心情は、このような心情だろうか。

「ちんちくりんだった二人の子どもが、見ないうちに大きくなって……兄さん泣いちゃう」

「も、もう! 同い年なんですから。それにわたしは……はあ」

 困ったように眉間に皺を寄せて笹倉さんはため息を漏らす。肘や太ももに回していた手を退けたため、恥ずかしがることに疲れたのかもしれない。

 夢の反応の方が予想外なものだった。汚物を見るような目は、学校の屋上に生息する黒須とか言う後輩の目と重なる。

「ヘージくんのロリコン。ド変態」

 それは遠回しに笹倉さんの体系が子どもっぽいと馬鹿にしているものだ。

 しかし、口を開こうにも否定し切れない部分がある。母とアルバムの整理をしていた時に昔の妹の写真を見て「こうやって見ると可愛いな」と和む俺は、罵られても当然だ。

 胸の控えめな子が好きなだけなのだが、笹倉さんからも変な眼差しを向けられてはいけないので、固く口をむすんだ。

 洋服の入った紙袋を持ち、両手の華に連れられていく。高くそびえる八階建てのデパートに入った。この地域に住む人間にとって有名なデパートは、人混みでごった返している。

「一階から見ていきたいよ」

「全部、見て回る気なのか」

 夢の好奇心を誰かが止められるとしたら、その人は夢の生涯の伴侶となってくれることだろう。早く見つけてほしい。

 子ども向けのおもちゃ屋を覗いたり、試食して歩いたり、夢は忙しそうに当ても無く渡り歩いていく。天井は低いが、横にも広いデパートを徘徊して最上階で休憩を取った。

 まだ買い物をしていない。四階にある電気用品区画と一階の食品区画で、これから買い物をするらしい。花を摘みに行った夢は、要領良く計画的に事を進めているようだ。

 笹倉さんとロビーチェアに腰を下ろして、昼食をどこで食べるか話しながら夢を待った。

「お弁当、作ってきたんだけど……屋上は広場になっているはずだから、そこでどうかな」

 何も考えていないのは俺だけだった。出来た同い年たちだ。

「そうしようか。わざわざ悪いですね」

「じ、実はその、今日は屋上でヒーローショーが上演されるそうでして」

 予想外のカミングアウトには驚く。子どもっぽいところがまた可愛らしい。

「笹倉さんがヒーローマニアだったなんて意外ですね」

「友だちに感化されちゃって、いつの間にか見るようになったんです」

 笹倉さんは笑みを作った。

 笹倉さんの視線を追うと、正面の壁に貼られている宣伝用の張り紙が目に入った。張り紙の中では筋骨隆々な覆面男と二頭身の黄色い化け物が対峙している。火花を散らす視線と背景の爆発、淵には燃え盛る炎、それと横文字で『(しのび)戦士(せんし)マスクマンVS菓子(かし)怪人(かいじん)ナマクビキャット』と書かれている大きな見出しが、CGで合成されていた。

 マスクマンの容姿はあの時のアクロバティックな痴漢に似ていた。近年のヒーローにしては派手な装飾が少なく、布で頭部を覆い、黒いサングラスをかけているだけだ。

 ヒーロー役に抜擢された若手のイケメン俳優が、メディアに引っ張りダコにされ、やつれていた映像を家やら電気屋のテレビやらで見た気がする。イケメンもイケメンで苦労が絶えないらしい。同情する。

 怪人も怪人で、既視感を覚えるような造形。張り紙にはコラボ企画という文字も見られ、駄菓子のキャラクターが起用されていることを明示させる文字も書かれていた。

 『葬らんバットを食べて応援しよう!!』。黒須の食べているアレのパッケージキャラクターの正式名称は『ナマクビキャット』らしい。

 菓子と接点のないおぞましい名前や、生首を着ぐるみで再現できず二頭身で妥協されたことよりも、なぜヒーローショーの敵役に回っているのか、企画者の正気を先に疑ってしまう。腐ってもマスコットキャラだ。

「こんな歳になって子ども向けの番組を見るなんて、ひいちゃいますよね」

 くだらない脳内疑問は露知らず、純粋にヒーローショーと向き合う笹倉さんだった。

「そんなことはないと思いますよ。俺の知り合いにも、お菓子好きの人がいるから。子どもっぽいとか、そういうのは気にしなくてもいいんじゃないかな」

「じゃ、じゃあ平治くんも見てくれます?」

「遠慮します」

 どうしたらいいのか分からない。そんな困った顔をする笹倉さんを見たいが為に、俺はこれからも悪戯をしてしまうかもしれない。

「平日でさえ暇だから、気が向いたら見てみますよ」

 ぱあっと笹倉さんの笑顔が咲いた。年下を思わせる反応は保護欲を刺激してくる。本来なら後輩は笹倉さんのようにあるべきだ。つい、口の悪い後輩のことを考えてしまう。

 心の内を見透かすような視線が向けられていた。笹倉さんは、何か言いたそうだった。

「どうかしましたか」

「平治くんってなんで、一人でいるときが多いのかなって」

 愛想笑いを返すしかない。前言を撤回するように笹倉さんは慌てだした。

「わっ、悪い意味で言ったんじゃないです! 平治くんって面白い人なのに……ああ! 面白い人って言うのにも悪気はなくて」

「分かったから落ち着いて。面白く見えるのは、たぶん俺が笹倉さんを弄っているからじゃないか、とは思う」

「ええ!?」

「普段はもっと静かだよ。俺より笹倉さんの方が面白い。こうやってまた話せる機会が出来て嬉しいです」

「……わたしもです。それに、平治くんにお話ししたいこともたくさんありますし」

 夢が戻ってきたことによって、緊張しい感じが無くなり、昔のような友人関係に戻れるような気がした。笹倉さんもそう思っての発言だろう。仲が良いとも、気まずいとも言い切れない、歯痒い知り合い関係のままクラス委員長を続けられるものか。

 それとも異性の話し相手が欲しいだけだろうか。白羽の矢が立ったことに俺は喜ぶ。

「それにしても夢のやつも元気ですよね。引っ張られるこっちの身にもなってほしい」

「陰口はダメですよ。夢ちゃんに振り回されるの、私は楽しいです」

 笹倉さんは楽しんでいるようだった。楽しくなかったら、ここに居はしない。

「笹倉さんは健気だなあ。純情無垢で容姿も悪くない。付け加えて頭も良いんだから、男連中から人気があるのも(うなず)けます」

 他人の悪口を言う笹倉さんを想像できない。笹倉さんは仏よりも寛大で心が綺麗だ。廊下に落ちているゴミを拾い、怪我をした清掃員の仕事を肩代わりする。同じクラスになってまだ一月ほどしか経っていないが、羽衣を失くした天女と言われても信じよう。

「もう。怒りますよ」

 天女様は機嫌を損ねられた。失礼だと思うが、怒っている笹倉さんは怖くない。寧ろ、小動物の人形のような可愛さがある。失礼だと思うが、事実なのだから覆されない。

 一緒に居て疲れない相手も久しぶりだ。癒しを貰える。

「褒めちぎられるのは嫌いですか」

「あまり嬉しくはないです。平治くんに言われると、もっと嬉しくありません」

 俺限定で強い拒絶反応が起こるようだ。他の人とは違う扱いをされていて、嬉しいような悲しいような、複雑な心境になった。

「笹倉さんが彼女だったらどれだけ幸せなことか」

 笹倉さんは俯いてしまう。怒っているのか呆れているのか、髪が邪魔をして表情を確認できないが、とりあえず変な空気になったことは分かる。出しゃばると、すぐこれだ。

 黒須に毒されてきた。そういうことにしておこう。

「冗談だから……あはは……」

 仕舞には、から笑いで茶を濁す始末。つくづく、コミュニケーション能力が低いと思う。

 天罰を受けるように、俺は後ろ頭を殴られた。振り下されたゲンコツは小さい。

 夢がお手洗いから戻ってきた。機嫌は斜めだ。

「男の子が女の子をイジメたら許さんぞう」

 また一つ借りができた。タイミングを見計らっていたのではないか、と勘ぐってしまう。



 子連れ夫婦が多い屋上に場所を移し、ベンチに座って昼食を頂いた。笹倉さんの持ってきた三段重箱には驚いたが、綺麗に敷き詰められた品数と量の多さにも脱帽する。味付けも申し分ない。笹倉さんに礼を言って、重箱を平らげた。

 俺よりも夢の方が量を食べていた。華奢な体を保つにはエネルギーが欠かせないらしい。

「ちょっと席、はずすね」

 笹倉さんがベンチを立って、夢と二人きりになった。

「私が居ない間に、桜ちゃんと何の話をしてたの」

「他愛もない話だよ。お前に引っ張りまわされるのは、疲れるけど楽しいって」

「そっかあ」

 すぐ横では、たくさんの子どもに囲まれて賑やかなヒーローショーが終演を迎えていた。夢は膨れた腹を叩いて、そちらに視線を向けている。

「夢は、ああいったものは好きなのか?」

「ん? あぁ、うん。たまにだけど見てるね。マスクマンかっこいいよ」

「かっこいい……のか?」

「かっこいいんじゃないの」

「なんだ、それ」

 俺もヒーローショーに目を配る。マスクマンとナマクビネコが子どもたちの握手に応えている中には、子どもよりも背の高い影が、ちらほらと見えた。

 幅広い世代に人気があるようだ。カメラを持った中年の男や、俺と同い年くらいの男も、子どもたちと握手するヒーローと怪人を見て、終演を惜しんでいる。

 目を凝らすと、女性がいることに気付く。短い髪だから、てっきり、少し髪を伸ばした痩せ型の男だと思っていた。後ろ姿ということもあって、振り向いたその人物の横顔を見るまで、勘違いしていた。

「……って、あいつがなんでこんなところに」

 俺が男だと勘違いをしていた女性は、夢と同じような男っぽい格好をしている。ダメージジーンズに大きめの黒のパーカーは、白い素肌と短い髪にマッチしている。ガムを膨らませる不良少女を連想した。

 デコの広いパーカー少女は踵を返す。その顔は見覚えのあるものだった。

「ヘージ君、あの子知ってるの?」

「知り合いだ。用事って、このことだったのか」

「知ってるんだ。そっか。そっか、よかった」

「? どうした」

 知人に声をかけようとする俺に、夢は意味深な言葉を残す。

「じゃあまた。服は預かっておいてね。しっかり桜ちゃんを送り届けるんだよ」

 夢は静かに立ち上がり、ベンチの背もたれを足場にしてバク転をした。綺麗な放物線を描きながら、足場のない向こう側へ呑み込まれていく。


 2m近くある柵を飛び越えて、八階の建物から落ちていく。


 絶句した。現実味を帯びない突発的な行動に、ここだけ隔離された異空間ではないか、という妄想が吐き気と同時に込み上げてくる。

 眩暈に襲われ、前のめりになりながら、おぼつかない足取りで柵に寄りかかる。鉄格子を握りしめる手は震えていた。

 首筋を冷や汗が撫でていく。淡々と状況判断を行えていた。怯えていることも否めない反面、直前の夢の言葉が余裕を与えてくれる。

 苦慮するほど深く考え込めない。理解しようにも、刺激が強すぎる。

 鉄格子の隙間から、おそるおそる下を覗いた。吹きつける横風に目を細めながらも、見ずにはいられなかった。デパートの屋上から路地裏を見るが、影が邪魔で確認できない。

 空虚な時間が過ぎる。気付けば夢うつつで、その場に立ち尽くしていた。

「平治くんお待たせ。あれ、夢ちゃんは?」

「先輩じゃないですか。今日は楽しいデートの日じゃなかったんですか」

 二色の女の子の声に振り向くと、その女の子たちは互いの存在に驚いているではないか。

「さ……桜! 会いたかった、会いたかったよ! 半年ぶりになるのかな。元気だった?」

 パーカーの娘は怖いくらいの笑みを作る。その子は普段、感情を表に出さないはずだ。

 笑顔を張り付けたパーカーの女の子から、笹倉さんは必死に目を反らす。下唇を噛んで、何かをじっと堪えていた。

 俺は事態を把握しきれていない。夢の落下が足枷となって、先に進めない。

 これはユメだ。そうに違いない。白昼夢に逃げようとする俺を引き留めたのは、ポケットに突っ込んでいた携帯のバイブレーションだった。

 携帯に手を走らせる。一拍置きで鳴る振動音は周りの喧騒よりも大きい。

 二人の女の子が話を、というよりもパーカーの女の子の方が一方的に喋っている様子を無視して、携帯の画面を見た。高橋夢と表示された画面を確認するなり、ボタンを押す。

「……もしもし」

 友人が高所から落ちていったにしては、心が落ち着いていると思う。電話先の相手が、落とし物の携帯を拾った赤の他人、もしくは警察とも考えられなかった。

 電話の相手が夢という、不確かな理論を抱いて携帯を開いた。

「私は大丈夫だから。二人のこと、ちゃんと見てあげてね」

 耳に宛がった携帯からは、元気な声が聞こえてくる。

「……死人に口がない、なんて嘘だったんだな」

「キミと同じだから、私の体はピンピンしているんだねえ。それよりも桜ちゃんと短髪の子、やばーい感じの空気になっているんじゃない?」

 口から漏れた冗談に、無事だと確信できる反応が返ってきた。そこで通話が途切れる。

 夢に聞きたいことが沢山できた。だがそれよりも、険悪な雰囲気が漂う二人に事情を尋ねなければならない。込み入った話なら、手を引き、夢を追いかけることにしよう。

 パーカーの女の子――黒須は散々喋った挙句、笹倉さんが口を開くのを待たずに、出口へと足先を向けた。

 帰っていく黒須を止めようとはせず、笹倉さんから聞き出してみようと試みた。

「ごめんなさい……」

 その一点張りでは、手の打ちようがない。笹倉さんの気分が優れないようなので、今日の買い物はお開きとなった。家路に着くころには、顔色も幾分かマシになってきていた。



 察するに、よんどころない事情があるようだ。黒須と笹倉さんは知り合い同士。夢は黒須、そして黒須と笹倉さんの仲を知っているのだろう。

「今日はありがとうございました。夢ちゃんは先に帰っちゃったけど、楽しかったです」

「こちらこそ。笹倉さんは、黒須……さん、と知り合いなんですね。黒須さんがあんなに楽しそうにしているところなんて見たことないから、びっくりしたよ」

 家の敷居を跨ぐ笹倉さんを呼び止める形となった。狐に化かされたかのようにびくつくものだから、不安になってしまう。

「ど、どうして平治くんが、あの子のことを?」

「下校のときに、足を挫いた彼女と出くわして、肩を貸してあげたんです。それから、ちょくちょく会って話すようになったんですよ」

 屋上から落ちていくところを助けた、なんて言えない。

「そうなんだ……そ、それじゃ、またね!」

 分かりやすい微妙な反応だった。

 俺は帰宅するなり、夢に電話をかけた。案の定、留守番電話に繋がるのでメールをする。

 暇なので文庫本を読んだ。100ページほど読み進んだところで、携帯ゲーム機を手に取って夕食ができるまで遊んだ。

 暗くなり、部屋の電気を点けても夕食に呼ばれない。一階に降りると、塩焼き魚の香ばしい匂いがする居間で、母はソファーの上で寝息を立てていた。

 引っ張り出してきた毛布を、起こさないように母にかける。居間の灯りは点けないまま、作られた晩御飯を静かによそって自室に戻った。

 食後に夢からメールが返ってきた。

〈ゴールデンウィーク中に私を見つけ出せたら全部教えてあげるんよ〉

 制限時間は朝の十時から夕方の五時までで、この市の中を徘徊しているらしい。俺の連休は夢探しで潰れる。結局、夢を見つけることは出来ず、連休最終日まで電話の一本も繋がらなかった。笹倉さんとは普通に連絡を取り合っていたようだが。

〈ブッブー時間切れー〉

 殴りたくなるような顔文字を添えて送りつけられてきたメール。もはや、夢の家に乗り込んでやろうという気さえ起きなかった。街中を探し回り、疲れた。

 メールを無視して中間テストのために机と向き合うが、集中できないので寝る。

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