2015年6月16日の活動報告より 和菓子の日だそうな
水の二月(六月)十六日。
この日は「和菓子の日」って知ってました?
時代を遡る事平安時代、八四八年。
日本国内に疫病が蔓延し、当時の仁明天皇が御神託に基づいて六月十六日に十六という数字にちなんだお菓子やお餅を神前にお供えして厄除招福を祈願し、更に年号を嘉祥と改めたのが事の始まりらしい。
そんな儀式は時代から時代へと受け継がれる間に少しずつ姿を変え。
江戸時代になると幕府でも江戸城で盛大な儀式が行われていたらしいけど、それは庶民にも健康と招福を願う行事として広がり、嘉定通宝十六枚でお菓子を買って食べる「嘉祥食」が欠かせない年中行事になり。
明治になると一度途絶えたそうだけれど、一九七九年に全国和菓子協会って所が「和菓子の日」として復活させたんだそうな。
そんな素敵な日があるなら、当然の如くイベントするしかないよね?
当時の一文は現代価格に換算すると十円から三十円位との事なので、百六十円から四百八十円との事。
因みに、現代のコイン屋さんで買える江戸時代の嘉定通宝って高いのは極々一握り。
コイン屋さんでの販売は一枚百円から数百円ってのが大多数みたい。って事で、現代のコイン屋さんで買おうと思うと大体十六枚分って千五百円から三千円位。
この辺りは微妙にどうでもいい豆知識です。
お金の価値って難しいねぇ。
そんでもって「和菓子の日」って言うくらいだから、当然用意するのは和菓子。
江戸時代の和菓子だと、蒸羊羹とかお饅頭がメインかな?
私でもそれなりの数を作れるとしたら、蒸羊羹な訳で。
そうと決まれば何の蒸羊羹を作ろうかなー。
「…………そんなこんなで吟味された材料が黒砂糖か」
「栄養たっぷりで甘くておいちーの」
厨房に取り揃えた材料を前に、アルフ少年と最後の打ち合わせ。
終業後の厨房の利用許可を貰いにディルナンさんに突撃してみたら、そういう事ならとアルフ少年と一緒という条件の下で本日のお昼のデザートでの作成許可が出た。まさかの展開。
蒸羊羹自体は既にレシピを調理部隊全員に上げているし、アルフ少年も作れる。
後は何を組み合わせるかでその姿はいくらでも変化するけどね。
前回は煮豆だったけど、今回は高級黒砂糖にしました。
だって黒砂糖って土用の餡子餅に使われる位ミネラルとビタミンたっぷりだから夏バテ防止にもいいし。
昔の厄除って健康祈願の意味合いが強いから、いいかなーって。
全部黒砂糖だとくどいから、砂糖の分量の一部だけを黒砂糖に差し替え。
手伝える所は手伝い、少なめに作った第一弾をディルナンさんとシュナスさんとオッジさんのトップスリーに味見して貰って、三人の合格を貰い。
お昼に間に合う様に、後は二人で必死に作成。
私に出来る計量なんかが終わった所で、折角なので蒸羊羹のお供に緑茶モドキのお茶も用意し。
「ユーリちゃん、ちょっと」
どうにかお昼までに準備が間に合い、額の汗を拭っていると、サムさんに来い来いと手招きされた。
「何でしゅか?」
「折角だから、ユーリちゃんの知ってる行事と蒸羊羹の由来教えてくれないか? ポスター作って付けておこう」
近付いてみると、サムさんが発注スペースに大きな紙とペンを用意してた。
サムさん、アナタって人は只の馬鹿じゃなかったんだね!
YDSだね!!
「サムしゃん、お仕事は大丈夫?」
「今やってる作業なら一段落させたよ。サササッって書くだけだから時間も掛けないし」
そういう事ならお言葉に甘えるとしましょう!
サムさんが言葉通りサラサラサラっと描いてくれたデフォルメされた私と本日のデザートに関する解説のポスターは、調理部隊に好評で。
配膳口の少し外れに設置されたそのポスターに他の部隊の隊員さん達も興味を持ってくれたみたい。
魔大陸では見慣れない黒い石鹸な見た目のお菓子だけど、実は既に魔王様にも提供された実績がありますよーの一文の効果は絶大で、殆ど誰も残さなかった。
更に後日、サムさんの手で親衛隊の会報の一部に改めて紹介されました。まる。
魔大陸にもっと和菓子広まらないかなー、と改めて思った魔大陸初夏の頃。




