お礼の秘密
「…お弁当のお礼ですか?」
桐島の言葉に首を傾げる。
いやいや、いつも作っているただの普通のお弁当なんだけど?
「…あの?別に冷凍食品とかも入ってるんで、ほんっとーに安上がりなんですよ。」
苦笑しつつ、お礼どころか文句を言われても良いぐらいに断っておく。弟に作ると喜ばれるが、人様には威張れない出来である。
まさに、家庭の味だろう。しかし、桐島は頑なにうんとは言わない。
「…いや、俺は凄く嬉しかったんだ!本当に幸せな気持ちになれた。」
「…先生?」
ふと、桐島の瞳にうっすら浮かぶ透明の滴に気付いた。
…もしかして。
恋愛経験なんて無いが、感情の機微には敏い由香里である。車で送って貰った時、スーパーで顔を曇らせた桐島を思い出す。
「…先生?あの…。」
「おお?どうした、有川?」
教師だし、あまり深入りしない方が良いのかな?でも、気になる。
世話好きな性分が、どうしても由香里を攻め立ててしまう。
「…お礼、に教えて頂けませんか?」
あくまでお礼を強調してみる。来るように言ったのは桐島だ…由香里には非は無い筈だ。質問の内容などまだ知らず、桐島は軽く「良いぞ」と頷く。
「…先生の彼女さん、居たんですね?」
過去形で言ってみたのは、半分予想である。あの時の桐島の目は、哀しみを抱く者だったから。由香里の質問に、常に元気な桐島の笑みが止み眉が寄った。
真剣な顔になると、結構格好いいな。そんな事を思いながら、いくらなんでも失礼な質問だったかと少し心配になってしまう。
「…ああ、お礼として言わないとな。俺には彼女が居たよ。…だけど。」
普段の桐島とはかけ離れた、あまりに静かな口調である。由香里はもう良いと止めようとしたが、桐島は首を振る。職員室の教師は偶然他には居らず、桐島の哀しい声が響く。
「…高3の夏、陸上競技会に出場していた俺に弁当を届けようとしてくれたのは、中学の時から応援してくれていたずっと付き合っていた大事な彼女だった。その日、朝から連絡をくれて嬉しそうに『お弁当を作ったよ』と教えてくれたのが…彼女の最期の言葉だったよ。
彼女は、来る途中で事故にあった。…信号無視のトラックに跳ねられ即死だったそうだ。弁当は、まるで大事な物を守る様に、胸に抱いていたと聞いた…。」
俺は、競技会で優勝した。報せを聞いたのは、その後だった。
静かに話を締めくくった桐島の眉が下がり一度目を閉じ、ゆっくりと開くと由香里を見つめる。ポロリと床に溢れたのは一滴の滴。
「…んで、私に、そん、な話しを?」
鼻を啜り浮かぶ涙を袖で拭う由香里に、桐島は優しく目を細めた。
「言っただろ?お礼だよ。」
「…っお礼にしては、大き過ぎます!」
悪い、と苦笑する桐島は由香里に空の弁当箱を渡す。
「似てたんだよ、有川の弁当が彼女が最後にくれた筈の物と。だから本当に嬉しかった。…変な話しをして悪いな?忘れてくれ。」
最後の方は早口になり、弁当箱を渡すと桐島は視線を外してしまった。
はい?忘れてくれ?そんな重い話しをしておいて?
綺麗に食べられた弁当箱を受け取り、由香里の中で何かがぷつんと切れる。
「…桐島先生。」
思ったより低い声で呼ばれ、不思議そうな相手は視線を戻す。
「ん?今度はどうした?」
「…彼女さんが亡くなった後、付き合った人は?」
桐島の瞳が驚きに瞬く。
「いや、居ないが。」
やっぱり、そうか。
「…桐島先生。彼女さんは、うだうだ思い詰められても成仏出来ないと思いますよ?全く、何ですかそれ!先生の責任みたいじゃないですか!彼女さんが怒りますよ?」
「…いや、あの…有川?」
良い意味で普通の生徒である女子に説教され、桐島は何も言えず固まっていた。
「ですから!私が、先生にお弁当を毎日作ってきます!私の安いお弁当で気持ちを少しは切り替えて下さい。新しい彼女を作って、彼女さんを安心させて下さい!」
あれ?私何言ってんだろ?
勢いに任せ言った言葉は、桐島の心に変化を生んだ。
「…また、作ってくれるのか?嬉しいな!」
ニコニコと笑顔を浮かべる相手に、撤回する勇気は無く「はい」としか言えない由香里であった。普段無理にテンションを上げていたらしい桐島だが、由香里の毎日のお弁当で落ち着きを取り戻し男前な若き体育教師となるのは、すぐ後の事である。
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