マイペース軍団
「お前らっ、なんなんだよっ」
耐え切れずにわめきだした転校生らしきコドモに向かって、玲奈はにっこり笑って、「何ってホモサピエンス」とのたまった。
事の始まりは、数時間前にさかのぼる。
どこにこんな土地が、と疑いたくなるような都内のある一等地にその高校はあった。各学年たった百人程度の小さな私立高校。人数の少なさとは反比例に、控えめながらも贅を尽くしたその高校に通う生徒はやんごとなきご子息たちである。そんな高校に転校生が訪れたのだった。
転校生、というのもこの高校ではあまり珍しくない。
上流階級の人々には、アレコレ人には言えない秘密というものが数多く存在するものだ。だからいろんな理由で公にできない子どもがいたところでおかしくはなく、そういった子どもを秘密裏にしかし、最高の環境で育てたい、という希望がある大人にとって、その高校はまさしくその理想にぴったりなところだった。だから一年に、二、三人から多くて五人ほどの転校生がその高校にはくる。彼もその一人であった。ただ、誤算だったのは、彼が驚くほど無知でコドモだったところだ。彼のような存在を知らなった学生たちは大いに驚いた。
なにせ、一言話せばおともだち、悪けりゃ親友。年上だろうが敬語は使わない。教師に対してだって「友達だろっ?」のひとこと。快適な仕事空間を、ということで与えられている生徒会室及び執行部室を「わがままだ、差別だ」と言い、許可なければ足を踏み入れないという暗黙の了解を破って堂々と生徒会室や執行部室に足を踏み入れるという図々しさ。
これだけのことを転校してきてからわずか数時間で行った転校生にすでに学院の生徒たちはうんざりしていた。しかしこの転校生は未知の生物のようでどれだけ注意したって聞きやしないし、むしろ、「お前らみたいなのがいるからダメなんだ」と言われる始末。どうダメなんだ、と反論しようとも反論を遮ってくるから何も言えず。ほとほと学院の生徒たちは困っていた。
午後の始まりを告げるチャイムが優雅に鳴り響く。いつもの学院生ならおっとりと席について次の授業の始まりを待つのだが、今日は違った。いうまでもなく、転校生のせいである。
転校生は自分のクラスに五つの空いた席があるのを見つけた。一つは廊下側のいちばん後ろの席で、あとの四つは窓際の後ろ二つ、その横に二つ、だ。窓際の後ろなんてもちろん、ベストポジション。学生ならば誰でも狙いたくなる席だ。
転校生は自分の席はそこだ、と当然のように主張した。午前中は生徒会室やらを強襲するのに忙しくて、自分の席がどこか確認していなかったのだ。
転校生の主張を聞いて、メガネをかけているというだけの理由で委員長と呼ばれている生徒が、そこは別の生徒の席で転校生の席は廊下側の席だと説明するも、聞き入れない。廊下側の後ろの席だって十分いい席じゃないか、と学院生たちは心のなかで思っていたが、誰一人として口に出す者はいなかった。午前中でこりたとも言う。
そうこうしているうちに、午後の授業を受け持つ教師が入ってきた。職員室では転校生の話題で持ちきりで、教師としては、授業するのに気が乗らなかったのだけれど、自分の気分で仕事しないわけにはいかない。何せ大人なもので。
仕事は仕事、それに転校生以外の学院生はみんな素晴らしい、と無理やり頭を切り替えて教室に向かった教師を迎えたのは、転校生のぎゃあぎゃあ響くわがままだった。
「なんで俺がこの席じゃないんだよっ。空いてるんだからいいだろ?」
いいわけねーだろ、と教師は至極当然なことを思ったが、転校生には通じないらしい。同じ日本語をしゃべってるのかすら疑わしい。
「いや、だからね、そこは今日はまだ登校してきてないけど、クラスメイトの席で」
一生懸命に委員長が説明しているが、それすら遮る転校生。
「そいつらズル休みだろ?ズル休みするようなやつにこの席は必要ないじゃん。だから俺の席」
ズル休みなのは確かにそうなのだが、だからといって転校生の席になるわけがない。
授業、始めたいんだけどなぁ、絶対無理だよなぁと半ば現実逃避をしていると、教室のドアがガラリと空いた。
「おはー」
「おはよー」
「おなかすいたねー」
「いや、お前さっき食ったろ」
それぞれのリアクションで教室に入ってきたのは、例のズル休み四人組であった。彼らはあまりにもマイペースな集団であるがゆえに、学院ではマイペース軍団などと呼ばれている。四人組もそれに対しては納得しているらしい。とりあえずおかしな連中であることは確かだった。
自分の席を見たマイペース軍団の一人、薫子は無言のまま、転校生の首根っこをつかむと、そのまま外に投げた。さすがにここが一階ですぐ外は芝生が広がっているとはいえ、そんな理不尽な攻撃にわがままな転校生が怒らないわけがない。案の定、顔を真っ赤にさせた転校生は、「なにすんだよっ」と薫子に食ってかかった。
「うざっ」
薫子のひとことにますます転校生が逆上する。すぐに起き上って、教室に入ってこようとする転校生に国語辞典を投げつけたのは、先ほど、おなかすいたー、などと言っていた賢哉だった。投げた本人は久しぶりにこんな重いもの持ったよ、などと言っている。それに対し、あんたもうちょっと鍛えなさいよ、と言っているのは玲奈だ。
怒りのあまり顔を真っ赤にし、体をぷるぷるさせる転校生を見て、熾仁は爆笑している。熾仁はいかつい顔をしているのだが、顔に似合わず笑い上戸なのだ。
「はははははっ、超受ける。つーか賢哉、ナイスコントロール」
「当然。おれ、甲子園に出ないかとスカウトされたことがある男だぞ」
「箸より重たいものは持てませんとか普段ほざいている男が甲子園なんかに行けるわけないだろ」
「お前みたいに女のくせに握力60近くあるやつに言われたくねーよっ」
薫子と賢哉の低レベルな戦いをよそに、熾仁はいまだ爆笑しており、玲奈は窓際の後ろから二番目の席に座って文庫本を読み始めた。クラスメイトなどこの時点ですでに空気だ。
他人にちやほやされるのが当たり前、だお思っているおかしな転校生は自分に誰一人として注目していない状態に我慢ならず、お前ら、なんなんだよっ、と叫んだ。
「何ってホモサピエンス」
と冒頭のごとくにっこり笑ってのたまったのは玲奈だった。そうして文庫本をぱたんと閉じると、教室をぐるりと見渡して、「これ、ないよねぇ?」と言った。
クラスメイトは首を縦にぶんぶん振る。それを見て玲奈はまた嬉しそうに笑って、転校生に向かって、「退学ね」と告げた。
「というわけで、熾仁よろしく!力仕事はあんたの責任よね。どこぞのお山に放り出してらっしゃい」
「えぇ、俺、すっげー笑って疲れたから今から昼寝しようと思ってたんだけど」
「薫子と賢哉はすでに仕事したわ。してないのあんただけよ」
「って玲奈も何もしてないじゃん」
「あたしは司令塔だからこうして命令を下してるでしょ。ほらさっさとやりなさい」
玲奈と熾仁が会話している間に転校生は教室に窓から入ろうとしたのだが、再び今度は英和辞書と古語辞典を続けて投げつけられ、すでに失神していた。
そうして窓から外にひょいっと出た熾仁は、転校生を軽々と持ち上げるとどこかに消えて行った。おそらく退学の手続きを済ませ、学院の外に出すのだろう。退学さえさせてしまえば、学院には二度と入れない。やんごとなき子息が通う学校としては当然のセキュリティー対策が施されてあるからだ。
こうして学院に平和が戻った。
マイペース軍団に逆らうな。
これが学院の不文律。
上流階級の人々には、アレコレ人には言えない秘密というものが数多く存在するため、いろんな時期に多くの転校生がやってくるが、転校生として認められるかどうかは、ひとえにマイペース軍団に認容されるかどうかにかかっている。学院生たちもそれに異議はない。
マイペース軍団は今日もマイペースに生きている。