94.忘れ物の倍返し
その場に立ち尽くすこと2分弱。
ふっと誰かの食器が立てた『カシャンッ!』という高い音に、未佳は『ハッ』と顔を上げる。
もうとっくのとうに用は済んでいるというのに、そのまま立ち尽くしてしまっていた。
(いっ・・・けなーい!! ついついボーッとしてた・・・!)
思うが早いか、未佳はすぐさま柱から飛び出し、皆のいるテーブルの方へ。
テーブルのところに着いてみると、既に手神と厘はメニューを広げながら、朝食のセットメニューを選んでいる真っ最中であった。
ちなみに未佳にスマホを貸していた長谷川は、あえてテーブルからたった位置で、横目でメニューを確認している。
「ゴメン・・・! おまたせ~・・・」
「あっ、帰ってきた・・・」
「ハァ・・・ハァ・・・・・・はい。借りてたスマホ・・・」
「ん? ・・・あぁ、どうも・・・。使えた?」
「何とか・・・。スマホでメールするの初めてだから、ちょっと手間取っちゃったけど」
「まあタッチパネルやからなぁ~・・・」
そう最後に口にしながら、長谷川はスマホをジーパンの後ろポケットに仕舞う。
「ところで誰にメールしてたんっすか? こんな土地も違う朝っぱらに」
「エ゛ッ?! えっ? あっ・・・、それはー・・・」
まさかの借りた後に尋ねられるとは思ってもみず、焦った未佳は両目を左右にキョロキョロと泳がす。
すると長谷川本人も、やはりそこまで知りたかったわけではなかったらしく『まあええけど・・・』と言って、受け取ったスマホを触り始めてしまった。
『ホッ・・・』っと、咄嗟に嘘が思い付かなかった未佳の口から、安堵の溜息が零れる。
(よかった~・・・。そこまで散策する気がなくて~・・・)
「・・・・・・・・・」
「・・・ん? ・・・・・・何見てるの?」
「ん? あぁ・・・。今日の東京の天気予報」
そう口にする長谷川のスマホ画面には、テレビでよく目にする関東地方のイラストと、定番の可愛らしい天気記号が、全カラー画面で映し出されていた。
そして肝心の東京の天気記号はと言うと、太陽マークの後ろから、まるで覗き出るように雲のマーク。
「晴れ後曇りかー・・・。気温は最高が14度で、最低が10度・・・」
「14っ?! ・・・さっむぅ~・・・」
「まあまだ3月の頭やし・・・。おまけに場所が東京じゃあ~・・・。しゃあないんちゃうか?」
確かに周囲を山に囲まれ、おまけに比較的南寄りに位置している関西とは違い、関東は平地で、やや北寄り。
さらに近くに海があるとなると、潮風の影響で余計に気温が下がる。
そういえば以前、真夏の東京でツアーライヴを行った際も、気温は大阪よりもやや低めのような温度だった。
そのため未佳は毎回『東京の夏は大阪よりもマシ!』と、東京にやってくる度に思っていたのだが、まさか気温が上がりにくいとは露知らず。
この瞬間、未佳は『メリットとデメリットは変わんないか・・・』と、改めてそう思った。
「・・・・・・ハァー・・・。これじゃあカイロは必須ね。それ・・・」
「ですねぇ~・・・」
「みかっぺ~。さとっち~。二人とも何セット食べるか決めた~??」
「あっ・・・、まだー」
「これから決める~。・・・・・・ところで何のセットがあんの? ここ」
まるで『ボソッ』と呟くかのように口にしながら、スマホを再度ポケットに仕舞った長谷川と未佳は、厘が差し出すメニュー欄に目を通す。
こちらのカフェテリアでは、一般的な単品メニューというものはなく、全てがセットメニュー。
しかもそのセットには、用途によって単なるバイキングが付いているのだ。
ちなみにそのバイキングの中身は、パンやスープなどが飲み放題の、ベーカリーバイキング。
サラダやハッシュドポテトなどのジャンクフードが食べ放題の、サラダバイキング。
そして、デザートやドリンクなどが取り放題の、デザートバイキングの3種類。
注文の仕方は比較的簡単なもので、まずはメインとなる料理を1品注文。
続いてその料理に付け合せるバイキングメニューを、それぞれA~Gまでの組み合わせの中から一つだけ選ぶ。
たった、それだけ。
「どうしよ・・・っかなぁ~・・・」
「小歩路さんは何にしたの?」
「あっ、ウチ? ウチは、この白身魚のオリーブソテーにぃー・・・」
「わぁっ♪ なんかソレすっごく美味しそう♪♪」
「せやろ~? にぃ、バイキングのDセット」
「D・・・。あぁ~、サラダとパンのバイキングが付くやつね。・・・好きねぇ~、サラダ・・・」
「うん♪」
ふっと内心『何処までサラダを食べるつもりなんだろう』と頭の片隅で思いつつ、続いて未佳は、先ほどから冷戦状態にある手神にも首を向ける。
「・・・・・・一応聞いておくけど手神さんは?」
「い・・・『一応』つて・・・。僕は、イタリアンサンドにBセットを付けるつもりだけど」
「あぁー・・・、サラダバイキングのみのっすね?」
「そう。まあ、サラダはともかく・・・。ジャンク系はちょっとほしいかな、って・・・」
「ふ~ん・・・。でも本当にどうしよっかな? 私・・・」
正直な話『メイン』となる料理に関しては、この際どれでも構わない。
一番に迷っているのは、それに付け合せるバイキングセットの組み合わせだ。
とりあえず現段階で、バイキングのセットが1種類ずつであるA・B・Cのセットは、まずない。
迷うものの候補とすれば、厘と同じパン、サラダバイキング付きのDセットか、サラダとデザートが付いているEセット。
パン、デザートが付いているFセットの3択。
それかもしくは、いっそのこと3種類すべてのバイキングが付いているGセットにしてしまうというのも、手としてはアリだ。
「デザートは二人とも付けたいんやろ?」
「・・・そうねぇ~」
「・・・そうっすねぇ~。まずは・・・」
「ほんなら・・・、選択肢的にE、F、Gのどれかやない?」
確かにこのセットメニューの選択肢の中で、デザートバイキングがあるのはC・E・F・Gの、4つのみ。
そして先ほども述べたように、長谷川もデザートバイキングだけが付いているセットを頼むつもりはない。
となると選択肢で残っているのは、あとの3セットのみだ。
「いや~、でも僕Gはなぁ~・・・。そんなに朝は食べないし・・・、いらん」
「あ、そう? ふ~ん・・・。私はハーフのマルゲリータピッツァに、Gセット付ける」
「え゛っ!? ・・・マジで? 『G』って全部やろ?! 元取れるんか??」
「全っ然大丈夫! イケる♪ イケる♪♪」
「・・・スゲ・・・」
「えっ? みかっぺホンマに大丈夫?」
「うん。時間も時間だし・・・、お腹空いた♪♪」
「「・・・・・・・・・」」
そんな未佳の底なし胃袋に驚きつつ、最後まで迷っていた長谷川は、結局デザートとジャンクが楽しめるEセットを注文することにした。
ちなみにDセットではなくEセットにした理由は『パンよりもジャンク系のものが食べたかったから』とのこと。
「栗野さ~ん。みんな決まったよ~?」
「あっ、はいはーい。じゃあお店の人、呼んできますね」
「うん」
「も~う・・・。『ジャンク』じゃなくてサラダ本命にしなさいよぉ~。メタボ予備軍なんだから~」
ふっと長谷川の『ジャンク系が食べたい』という発言を聞き、未佳が呆れたように口を開く。
確かにこのところ、長谷川の下腹部の体型が妙に危うい。
一応日々ギターを弾き続けていることが多少、運動的なものには繋がっているようで、そこまで極端に太ってきたなどということはない。
しかしその両立も、一日いちにちの中ではかなり微々たるもの。
おまけに昨日は新幹線の中と言い、夕食のバイキング会場と言い、かなり高カロリーなものを食している。
一応それ自体に関しては、同じく昨夜デザートを頬張っていた未佳にも言えることだが、未佳の場合は『何かを弾く』ではなく『歌う』という動作が主。
そしてこの『歌う』という動作は腹筋や喉、肺などを酷使する運動の一つであり、それなりの体力も使う。
さらにここ最近では『歌う』という動作の中に『かなりのダイエット効果がある』ということも証明され、今やダイエット法の一つとして挙げられているほど。
そのため未佳の場合は、さほど今回のカロリーを気にする必要はなく、むしろ今日のために取っておいた方がいいくらいなのである。
しかし、既に『メタボ予備軍』とまで言われてしまっている長谷川の場合は、もはやそのままにしておいていいわけなど何処にもなく。
未佳に自らの体型のことを指摘された長谷川は、反論する言葉が何一つ見つからぬまま、その場に硬直してしまったかのように固まった。
「・・・・・・今のは何にも言い返せないっすね・・・。んじゃあ1回分くらいはサラダ盛りますよ。一応」
「あっ、ポテサラはダメよ? 意味ないから」
「・・・・・・・・・チッ・・・」
「!! ちょっと今さとっち『チッ・・・』って言わなかった?! ねぇっ!? 舌打ちしたでしょ?! 今・・・!!」
「いえ、してないっすよ?」
「嘘っ! した! 絶対にしたーっ! 1000円賭けてもいい! 絶対に今やった!!」
「って・・・! んなのに1000円賭けてどうすんっすか?!」
「・・・5000円でもいい」
「『上げりゃあいい』って話じゃないでしょ?! まず・・・!」
それにこの未佳の発言に対して一言言わさせてもらえば、そもそもこの賭けには賭けに参加している人がいない。
そして『参加者0』ということは、当然賭け金を渡す人間はおろか、そもそもの賭け金自体が何処にも存在しない、ということである。
「お待たせしました」
「あっ、オーダーお願いします」
「はい」
「じゃあ・・・、皆さんから先に」
そう栗野に先にオーダーするよう言われ、4人は改めて手元のメニューを開く。
何となく位置的にも順番的にもちょうどよかったので、長谷川は未佳と厘に対し、これまた先にオーダーするよう勧める。
「じゃあ『Lady First』ということで・・・。そっちから先に時計回り」
「あっ、ウチから? え~っと・・・。Dセットで、白身魚のオリーブソテー」
「はい」
「次、みかっぺ」
「えっと、Gセットで、ハーフサイズのマルゲリータピッツァ」
「はい。ハーフサイズですね? ・・・ピザは切れ目をお入れしますか?」
「あ、あぁ~・・・。はい、お願いします」
一瞬『自分でカットしてもいいかな~』と思いはしたのだが、何となくそれぞれの大きさが偏ってしまいそうだったのと、少しばかり手元が汚れてしまいそうな気がし、今回は店側に任せた。
ちなみに普段はどうしているのかと言うと、実のところその日の気分次第で、特に細かく決めるなどということはしていない。
「生バジルの方はお添えしてよろしいですか?」
「はい」
「かしこまりました~」
「じゃあ、さとっち」
「えっと・・・。手ごねハンバーグFセット」
「はい、自家製手ごねハンバーグ。・・・こちらライスはお付けしますか?」
「・・・・・・いえ、無しで」
「はい」
「えっ? 炭水化物無しでお肉だけ??」
ふっとその長谷川のオーダーを聞き、未佳が驚いたように聞き返す。
「うん。朝そんなに食べられへん・・・。それにケーキで化物取れるし・・・」
「そりゃそうだけど・・・。本当にサラダは食べてよぉ~?」
「はいはい・・・」
「あっ、すみません。ハンバーグの方・・・、ソースがこちらの中からお一つ、お選びいただけるんですが・・・」
「あっ・・・」
そう言って店員が手を添えたメニューの右下には、確かに写真付きで、ハンバーグやステーキなどにかけるためのソースが載せられていた。
ちなみにソースの種類は、魚介出汁の醤油を使った、ガーリック醤油。
長時間煮込まれて作られた、濃いめの自家製デミグラスソース。
そして最後は、有機栽培された大根の『一番甘みが強い』とされる上部をおろしにした、特性おろしポン酢の、全3種類。
もちろん普段の長谷川であれば、特に『どのソースがいい』という希望は何もなかったのだが、今回はそういうわけにはいかない。
ここでのこうしたメニューでさえ、喉には細心の注意をはらうのだ。
「え~っと、どないしょ・・・。すみません、辛くないソースってありますか?」
「・・・えっ?」
「あっ、あのっ・・・! この人職業柄、喉を痛めるとマズイので・・・」
空かさず栗野がそう簡潔な説明を付け足すと、店員はそれを聞いて納得したかのように、その場で数回頷いた。
「あぁー・・・。え~っと、そうですねぇ~・・・。基本的にどのソースも辛くはないんですがー・・・。ちょっとデミグラスの方は味が濃いめなので『辛い』というよりは『ちょっと“しょっぱい”』と感じるかもしれないんですけど・・・」
「は、はぁ・・・」
「さとっち。さとっち」
「ん?」
ふっと長谷川の肩を軽く叩きながら呼ぶ未佳に、長谷川はメニューを開いたまま、首だけを未佳の方へと向ける。
向けてみると、未佳は何とも渋いような表情を浮かべて、まるで小声で言い聞かすかのように言った。
「ねぇ・・・。私達これから、ファンの人達と面と向かって会うのよ?」
「・・・うん」
「なのに『ガーリック』って・・・」
「「・・・・・・・・・・・・」」
「あっ。じゃあソース、おろしポン酢で」
思いの外早めにケチやNGが付いたということもあり、ソース選びは速急に終わった。
こういう時の長谷川は、比較的決断をするのが早いのである。
「『おろし』で? はい」
「・・・ほいっ」
「あっ、僕か? えっと・・・、イタリアンサンドをBセットで」
「はい。サンドウィッチのパンは、トーストとそのまま、どちらになさいますか?」
「あ、トーストで」
「はい」
「あと、ハーフサイズのトマトクリームスパゲティー2つ。Dセットで」
「はい。Dセットのトマトクリームスパが、お二つ。・・・以上でよろしくでしょうか?」
「「「「「「はい」」」」」」
「かしこまりました。各バイキングの食器、グラス等は、バイキングコーナーの右手側にございます。またご注文されていないバイキングのお料理は、セット変更以外の理由でお取りすることはできませんので、予めご了承ください。それでは、お料理が出来上がるまでの間、ごゆっくりどうぞ」
店員はそう言い終えると、テーブルの上に置かれていたメニュー数冊を回収し、厨房の奥へと入って行ってしまった。
ふっとその店員が立ち去ったのを見届けた後、やや眉を顰めた長谷川が、手神に恐る恐るこんなことを尋ねる。
「手神さん、手神さん」
「ん?」
「ところでー・・・。『しょっぱい』って、何っていう意味っすか?」
「・・・エッ?」
「いや、その・・・。何となくイントネーションで、言わんとしてるところは分かるんっすよ? でも詳しい中身までは、よう知らんから・・・」
「あっ・・・。私も初めて聞いた。『しょっぱい』って・・・」
「・・・エ゛ッ?!」
「ウチは言葉だけ知っとるけど、意味は分からん・・・」
「聞いたことないっすよね?」
「うん。・・・東京の方言か何かなの?」
まさかの関西メンバー3人が『知らない』と言い出すので、手神はただただその場に唖然とするばかり。
そしてハッと気が付いた。
そういえば長年関西で生活しているが、関西人が『しょっぱい』と言っているところを見たことは一度もない。
むしろそればかりか、手神の中では、関西人は『うまい』か『辛い』しか言っていないような印象さえもある。
もちろんすべての関西人がそういうわけではないだろうが、少なくとも自分の関西メンバーはそうだ。
そしてその長谷川の言葉を聞いて、手神は察した。
関西方面には『「しょっぱい」という言葉が存在しない』ということに。
「あっ・・・。もしかして関西じゃ言わない?? 『しょっぱい』って・・・」
「言わ~ん」
「言わな~い」
「言わないっすねぇ~」
「やっぱり・・・」
手神の予想、見事に的中。
実はこの『しょっぱい』という単語は、主に関東地方の方で多く使われている言葉であり、関西地方の方にまでは浸透していないのだ。
よく関西うどんの味のことを、関西人が『しょっぱい』ではなく『味が濃い』と表現するのは、このためである。
「そっかぁ~・・・。言わないのかぁ~・・・」
「どういう意味合いなんっすか? 『しょっぱい』って・・・」
「『しょっぱい』って言うのは、う~ん・・・。たとえば醤油とか、蕎麦とかのつゆとか・・・。要するに味が濃いものとか、塩っぽいものとかで使う表現なんだけど」
「・・・『辛い』とは言わないんっすか?」
「いや~・・・、モノによるな。でも、醤油のことを『辛い』と表現することはないよ。関東は・・・」
「えっ!? ほなら海水のことも『しょっぱい』言うの?! 関東って・・・」
「う~ん・・・。稀に『塩辛い』って言うことはあるけど・・・。『辛い』はないかな?」
「「「へぇ~・・・」」」
「全部一緒にしちゃえばいいのに・・・」
その未佳の発言に、思わず手神は椅子から『ズルリ・・・』と滑り落ちる。
一方未佳の隣でその発言を聞いた長谷川は、まるで『その未佳の発言に異論はない』と言わんばかりに『うん! うん!』と頷く。
「そうっすよね?!」
「ねぇ~?! 『辛い』だけにすれば言いやすいのしさぁ・・・」
「なんか関東て、ホンマに言葉とかの仕分け細かいっすよねぇ~」
(いや、関西がざっくばらんなんだよ・・・)
手神はそう、心の中だけで呟いた。
「栗野さんとか聞いたことある? 『しょっぱい』って・・・」
「あっ、はい。私、育ちは関東寄りの新潟ですから。おまけに蕎麦処でもありましたし、結構な頻度で使ってましたね」
「あぁ~・・・。それはよく使うなぁ~」
「逆に日向さんの方が『しょっぱい』って、馴染みないんじゃない?」
「あっ、でも私。“昔の彼”が東京の人間だったから、結構聞いたりしてましたよ? 一時期」
「「「「「・・・・・・・・・・・・」」」」」
一体日向の過去に何があったのかまでは分からないが、その発言を聞いたその瞬間、5人は『それ以上は触れないようにしよう』と、即座にそう思った。
「じゃ・・・、じゃあ皆さん。先にバイキングなり何なり、それぞれ取りに行ってください。ミーティングは、皆さんが席に戻ったところで行いますので」
「「「「はーい」」」」
「わ~い♪ とりあえずパン取ってこよっ」
「ウチはサラダ~♪」
「じゃあ僕はオムレツとかでも・・・」
「右に同じく」
「ダ~メ! さとっちは一発目サラダオンリー!!」
「う゛っ・・・」
最後の最後にそんな縛り内容なども取り付け、未佳達4人はそれぞれ、自分が注文したバイキングコーナーへと、足を向かわせる。
その途中、一時的にクラゲを見たあとでどこに行っていたのか。
一瞬姿をくらましていたリオが、未佳の足元に引っ付くように付いてきた。
「・・・あら? こっちに来たの?」
〔うん。気になったから〕
「でもこっちパンとスープだけよ? さとっち達の方に行った方がー・・・、メニューは面白かったんじゃない?」
〔いい。こっちにする〕
「・・・そう?」
素直に口には出さないものの、どうやらリオは、未佳と一緒にコーナーを回りたかったらしい。
そしてベーカリーコーナーへと足を踏み入れてみると、ちょうど焼きたてを置いている時間帯ということもあってなのか。
あのパン独特の甘く香ばしい薫りが、即座に二人の鼻に漂ってきた。
「わぁ~♪♪ あるある~♪」
〔でもみんな小ぶりだね〕
「だってバイキングだもの。あんまり大きいと、そんなに沢山食べられないでしょう? ・・・うわぁー♪ 迷ゥ~!」
ざっと見たところ、並べられていたパンの種類は、約20種類ほど。
そのほとんどが通常サイズの1/4程度しかなかったが、それでも全種類を食すのは不可能。
後々やってくるメインやその他バイキングのことを考えれば、最大でも4種類程度で控えるのが賢明だ。
「どうしよ~う。ライ麦もプチブールもあるー・・・。ロールパンとかは在り来たりだけど・・・、こういうところのは一味違ってたりするしなぁ~・・・」
〔・・・・・・! ねぇ、ねぇ〕
「ん?」
〔コレは何? この三角形みたいなの・・・〕
そう口にするリオの指差す先にあったのは、イタリア語で『三日月』という名の、日本でも代表的とされる主食ベーカリー。
「あぁ~、クロワッサンね? 『イタリア』っていう国のパンで、そっちの言葉で『三日月』っていう意味なの。・・・ちょっとこれ三日月型してないけど」
〔ふ~ん・・・〕
「・・・・・・リオ、食べたい?」
〔・・・えっ?〕
ふっと、自分の希望よりも他人の希望を優先させようとする未佳に、リオはハッと顔を上に上げ、未佳の方を振り向く。
〔で、でも・・・。それじゃあ未佳さんが食べたいのが・・・〕
「大丈夫♪ クロワッサン、見た目ほど胃に溜まんないから・・・。それにいつまで迷っててもキリないし・・・。こういうのはちゃっちゃか決めちゃおっ」
そう言うと未佳は、まるで即決判断のスイッチが入ったかの如く、皿の上に4種類ほどパンを乗せ、一旦、ベーカリーコーナーを後にした。
続いて未佳が訪れたのは、なんだかんだで一番人気のあったサラダコーナー。
その瞬間にコーナーへと足を踏み入れてみると、なんと未佳以外のすべての人達が、そこにいた。
(うわっ・・・! みんな居てる・・・)
「あれ? 坂井さん、今来たんっすか?」
「う、うん。ベーカリー行ってたから・・・」
「あっ、なるほど」
「・・・ん?」
ふっとこちらに近付いてきたタイミングをいいことに、未佳はさり気なく長谷川の皿に視線を落とす。
しかしあれほど未佳に言われたこともあってか、長谷川の皿にはジャンクフードの代わりに、山盛りのサラダが盛られていた。
しかもそれはポテトサラダなどのどっしりタイプのものではなく、ちゃんとしたレタスなどのもっさりタイプのものだ。
「あっ・・・。さとっちエラ~イ! ちゃんとサラダ取ってるじゃな~い♪」
「いや、なんか・・・。取らないと殺されそうな気がして・・・」
「色々と大変だな~、長谷川くんは・・・」
「「・・・んっ?!」」
ふっとその声のする方に首を向けてみれば、そこにはサラダとジャンクを半々によそった手神が、何とも他人事のように笑みを浮かべていた。
正直、今一番この手のことで殺されそうなのは、この手神自身であるにも関わらず。
そんな手神の態度に、長谷川は手神の元へと素早く駆け寄りながら、再度忠告する。
「手神さん。もうこの手のことは止めた方がいいっすよ? 僕だって見逃す気になんてなれませんし、早めに栗野さん達に話してきてください」
「・・・・・・・・・」
「今ならまだ十分間に合いますよ? 坂井さんや小歩路さんにも・・・って! ちょっちょっちょっちょ・・・! 手神さん!!」
まだ長谷川が話している最中であるというのに、手神はまるで『そんなことは知らん』と言わんばかりに、その場にスタスタと歩き去ってしまった。
その手神の行動に、未佳はただただ口を開けたまま唖然とするだけで済んだのだが、忠告を無視された長谷川は思わず眉間にシワを寄せる。
「な~んやねん! あの態度・・・!!」
「見事な完全無視・・・」
「もうアカン! キレたわ! ホンマに一発入れ・・・!!」
「!! だっ・・・、ダメよ! さとっち! ダメ~ッ!!」
「ええやんか! 別に・・・!」
「良くない良くない良くない!! ダメダメダメッ!! お願いだから落ち着いてよ! ねぇ~!?」
『何故こうも朝っぱらからモメごとになるのだろう』と、未佳は怒り狂う長谷川を抑えながら、強くそう思った。
その後はメンバーそれぞれ、適当にメニューを取り終えた辺りで、先ほどのテーブルに着席。
そしてメンバーが揃ったと同時に、栗野がいつもの予定帳をパラパラとめくる。
「はい。皆さん揃いましたね?」
「「「「は~い」」」」
「・・・じゃあこれから、移動からイベント終了までの流れや注意事項等を、順番にご説明させていただきます。今回は内容も多いので、皆さんメモのご用意を」
「アッ! いけねッ・・・!!」
「ん?」
ふっと突然そんな大きな声を上げたのは、こともあろうにあの手神。
実はこの時、手神は携帯以外にも、あるものを忘れていたのだ。
「メモ帳とペン忘れた・・・」
「あ゛~ぁ゛・・・」
「だ・・・、誰か余分に持ってない?」
「「「・・・・・・・・・」」」
その瞬間、未佳は手帳を隠すように右手を置き。
長谷川はメモ帳の上に顔と手を伏せさせ。
厘は手帳を膝下に移動させながら、さりげなく窓の方に視線を反らす。
もちろん、その皆の反応や態度に、一番に焦ったのは手神である。
「な、なぁ~・・・。誰か1枚だけでも・・・。坂井さ~ん」
「あっ、ゴメ~ン。もう残り数枚しかないから・・・」
嘘である。
「は、長谷川くん」
「・・・・・・・・・」
もちろんこんな短時間で寝れるはずなどない。
狸寝入りだ。
「小歩路さ~ん」
「キレイやねぇ~・・・。海・・・」
その話題なら、もう既に冒頭で言っている。
「栗野さん、あの・・・。メモ用紙とかって・・・」
「あっ、すみません。私も残り枚数で・・・」
この栗野の発言に関しては、紛れも無い事実である。
「・・・・・・じゃあ、すみません・・・。部屋に取りに行ってきます・・・」
手神はそう言い残すと、しぶしぶカフェテリアを後にし、8階の宿泊部屋へと向かっていってしまった。
そしてその手神が立ち去ったのを確認した後、ようやく未佳達は先ほどの状態へと体勢を戻す。
「行った・・・」
「っすね」
「・・・って、皆さんどうしたんですか? 自棄に手神さんに冷たいじゃない・・・」
「それに未佳さん! あなた新しいメモ帳買ったばっかりでしょ?! なんで手神さんに分けないのよ~」
「いいの! 私間違ったことなんて、な~んにもしてないんだから・・・。二人もそう思うでしょ?!」
「「うん! うん!」」
「・・・これは私達がやってくる前に、何か一発ありましたね・・・」
その未佳達の態度を横目で見て察したのか、日向がそうジト目で呟いた。
「まったくも~う・・・・・・。あら? ねぇ、そこにあるの、誰の部屋鍵?」
「「「「ん?」」」」
ふっと栗野が指差す先に視線を向けてみれば、そこには誰かの部屋鍵が一つ、無造作にポツンと置かれていた。
とりあえず一番鍵に近い位置にいた日向が、右手を伸ばして鍵の部屋番号を確認する。
「えっとー・・・、80・・・3号室」
「あっ、じゃあそれ僕の・・・・・・あれ?」
ふっと鍵の番号を聞いて手を上げたと同時に、長谷川は一瞬その体勢のまま停止した。
一応改めて言わさせてもらうが、今回長谷川と手神は、二人で一つの部屋に宿泊している。
しかも鍵は基本一つだけで、スペアキーはフロントにしか置かれていない。
おまけに部屋はすべてオートロック式。
にも関わらずここに鍵があるということは、もはや一々言わなくても分かることだ。
「嘘・・・! 手神さん、ドアの前で入れないじゃない!!」
「ハッハハハー! 手神さん、や~らかした~」
「「ハハハ」」
「笑ってる場合じゃないでしょ!! 皆さん!!」
「でも困ったわねぇ~。もうエレベーターには向かってるだろうし・・・。今から追い掛けてもタッチの差かしら・・・」
「じゃあ・・・、“携帯”で呼べばいいんじゃないですか?」
その瞬間、大口を開けて笑っていた3人の笑い声が、一斉に水を打ったかのように静まり返る。
しかしそんな事実など一切知らない栗野は、その日向の『携帯』という発言を聞いたと同時に、ポケットに仕舞っていた携帯電話を取り出す。
そして携帯を取り出したと同時に、栗野は素早く手慣れた手付きでボタンを連打し、着信場面から手神へと電話を掛けた。
「そうよ、携帯で呼び戻せばいいんだわ~。あぁ~・・・、疲れてそこまで頭が回ってない・・・」
「も~う。しっかりしてくださいよ~。栗野さ~ん」
「テヘヘ♪」
(((マズイ・・・)))
この時未佳達が心配していたのは『手神が携帯を持っていない』という事実を知られることではなく。
そのことに気付いた栗野の逆鱗が、度を越して自分達の方に跳ね返ってくるのではないか、ということだった。
「ど、どうしょう・・・」
「バレるのはええけど、このままやと飛び火してまう・・・!」
「さとっち、何か手ない??」
「・・・・・・・・・」
しかしこの回避策については、思いの外早めに思い付いた。
「あっ。僕フライドポテト取ってくるわ」
「じゃ、じゃあ私もパン行く~」
「ほなウチも、サラダもうちょっと・・・」
「あららららら・・・。皆さん一斉にいなくなっちゃった・・・」
半分不自然な感じに席を離れる3人を見て、日向は思わず小首を傾げる。
「も~う・・・。『バイキング取り終わった』って言ってたのに・・・」
「・・・・・・変ねぇ・・・」
「・・・えっ?」
「出ないわ。手神さん・・・。電話に・・・」
その後、単に鍵を忘れて戻ってきただけの手神が、栗野にこっ酷く怒鳴り散らされたのは、もはや言うまでもないことである。
『言葉の裏には・・・』
(2000年 11月)
※大阪ラジオスタジオ 控え室。
栗野
「じゃあ。時間になったらお二人を呼びに行きますんで。では・・・」
みかっぺ
「あっ、はーい・・・」
※一旦部屋を出ていく栗野。
みかっぺ
「はぁ~・・・(安堵)」
長谷川
「・・・大丈夫?」
みかっぺ
「うわっ!(驚) へっ? な、何??」
長谷川
「いや・・・。なんかめっちゃ緊張してそうだったから・・・(心配) まあ、僕もちょっと恐いから、気持ちは分かりますけどね・・・(^^;)」
みかっぺ
「・・・・・・一体どんなことラジオで聞かれるんだろう・・・(不安) 答えにくいこととか聞かれないかなぁ・・・(恐怖)」
長谷川
「う~ん。僕も初めてだから何とも言えへんけど・・・。でも坂井さん、そんなズバズバな感じの質問はしていないんじゃないですか?」
みかっぺ
「でも『家庭はどんな?』とか『これまでの経歴は?』とか・・・」
長谷川
「その辺は事務所からのNGで聞かれないでしょ?」
みかっぺ
「あと『普段何をしてらっしゃるんですか?』とか。『音楽以外は何の職に就きたかったのか』とか・・・。直接関係ないことも聞かれるでしょ?」
長谷川
「・・・・・・・・・」
みかっぺ
「バンドとか音楽関係の質問ならともかく・・・。プライベートのことなんて何にも言えないよ!(ポロポロ・・・(涙)」
長谷川
「えっ・・・(慌)」
みかっぺ
「もうどうしよ~う・・・!!(えぐっ、えぐっ(泣))」
長谷川
「~!(慌) さ、坂井さん! そんなまだ何にもやってないのに泣いたらダメやて・・・!(あたふた・・・)」
みかっぺ
「だって・・・(涙目)」
長谷川
「なんかマズいこと聞かれそうになったら、こっちが適当に話反らしたるわ!(キッパリ)」
みかっぺ
「えっ? ・・・ほ、ホント??」
長谷川
「う、うん・・・(困惑)」
みかっぺ
「長谷川さん、頼もしい~♪(^^) 結構カッコイイこと言うんだね!」
長谷川
「いや、正確に言うと・・・。『マズくなったら保護役よろしく♪』と、手神氏に頼まれた・・・(暴露)」
みかっぺ
「え゛っ? ・・・いつ?」
長谷川
「昨日・・・」
みかっぺ
「・・・・・・できそう?(確認)」
長谷川
「・・・・・・・・・・・・(汗)」
ペーペーの彼らには少々酷な・・・(汗)